星降る庭で...74



ゆっくりと、時間を掛けて歩いた先は、一面の青空と、緑の地面だった。
昼間の内に外に出たのは初めてで、日の光がとても眩しい。外に出る前に薄布を頭から被る様にと言われて、薄い緑色の薄布を被ってはいるけれど、その布越しの光ですら翔愛にはとても眩しく感じる。

「今が一番眩しいからな。大丈夫か?」

翔愛の手を引きながら翔雅が心配してくれる。布を被っているから大丈夫だと頷けば翔雅がぽん、と翔愛の頭を撫でてくれた。翔雅は翔愛とは違って何も被らずとも平気だ。翔愛の足に合わせてゆっくりと歩いてくれている。

「外は、とても眩しいけど、綺麗です」

きらきらと輝く緑がとても綺麗。こんな明るい世界は初めてで、見るもの全てがとても綺麗だ。
羽胤の城もそう言えばちゃんと見るのは初めてで、こんなに眩しい白だったのかと歩きながら関心してしまう。
空も青くて綺麗で、微かに匂う塩の匂いも少し濃い様な気がする。

もう、沢山歩いても痛くは無い。疲れるけど、あの痛みはもう無い。自分の足で、ちゃんと歩ける。まだまだゆっくりだけれども、ちゃんと、何処までも歩けるのだ。

そうして翔雅の手にひかれ、着いた先は城の中庭だった。
緑の草が一面にあって、所々に小さな花が咲いている。中庭は大きくて、城の方に小さな高台が置かれ、その正面、海に向かって何列かの木の様なものがずらっと立てられて並んでいる。火の付いていない松明の台だ。そして、その列に並ぶ様に旗が並んでいる。複雑な文様の旗は小さく、けれど高い位置にあって風に揺られて小さな音を立てている。

「ここは城でも一番大きな中庭になる。一番良く空と海が見えて、綺麗だろう?」

立ち止まったのは、その中庭の真ん中。海の方を向けば一面にまあるい海と空が見えてとても綺麗だ。言葉もなく頷く翔愛に翔雅は微笑むと翔愛から手を離して一歩足を進めた。翔雅の大きな背中を見つめながら翔愛はその先に見えるまあるい海と空に釘付けになる。

「この庭は羽胤で婚儀が行われる際に使われる所だ。誰でも、羽胤の内に居る者全てが婚儀を行う時にこの庭を使う。城の人間も、街の人間も、この国に居る者全てだ」
「みんな、ですか?」
「ああ、そうだ」

翔愛の声に振り返った翔雅がまた翔愛の元に来て、その場に、草の上に直に座る。手招きされて、翔愛も翔雅の正面にちょこんと座った。草の上は少し冷たくて、日差しが暑いから丁度気持ちよい。歩き疲れた事もあって、ほう、と息を吐く翔愛の両手が翔雅の両手に握られた。少し驚いて視線を上げれば真剣な表情で、けれど森の瞳が、優しく細まっている視線が翔愛を見つめる。

「星の降る庭。それがこの庭の名前だ」

静かに告げられた名前に首を傾げる。星はまだ無いからだ。

「羽胤国の婚儀は、夜に行われる。日が暮れ、夜の空に星が出てから行われるんだ」
「よる、ですか?」
「ああ、そうだ。一般的に、世界共通で婚儀と言うものは昼に行われる事が多い。けれど、羽胤国の婚儀は夜と決まっている」

静かに説明してくれる翔雅の声は小さいけれど、低く柔らかく翔愛に届く。

「夜、この海と星に誓う。昔から島国だった羽胤国は星に敬意を払っている。船に乗る者が多いからであり、星の位置で居場所を知り、道を決めるから、星が頼りになる。だから羽胤国の儀式の全ては夜に行われるんだ」

翔愛には難しい話かもしれない。けれど静かに語られる声は全て翔愛の中に染みて、全てを理解する事は出来ないかもしれないが、ちゃんと、翔愛の中に残る。

「まあ昼間が忙しいと言うだけかもしれんが、な。ともかく、婚儀は夜で、場所は此処、星降る庭だ」
「ほしふる、庭・・・」
「そうだ。その名前だけ覚えておけば良い。星降る庭と言うのはこの国の人間にとって特別な言葉でもあるからな」

握られた両手に少し力が込められる。大きな手に包まれるのは心地よくて、暖かい。

「特別、なんですね」
「婚儀が行われる場所の名前だから縁起が良いんだ。永遠の愛を誓う言葉と同列に扱われるからな」

そうして、翔愛の手が持ち上げられて、指先に軽く口付けされた。ほわん、と頬に熱が籠もる。翔愛を見つめる翔雅がそんな翔愛を見て笑みを浮かべる。

「と言う訳だ。後は天丸にでも倫斗にでも聞くと良い。今、お前が覚えておけば良いのはこの庭の名前と、この場所が婚儀の場所と言う事の二つだ。羽胤国の婚儀は特に礼儀も無いから、後は俺に任せておけば良い」
「わかり、ました・・・覚えます。でも、僕は何もしなくても良いのですか?」

翔愛には婚儀と言うものが良く分からない。首を傾げれば手を引かれて翔雅と一緒に立ち上がった。

「何もする事は無い。ただ誓いを立てるだけで、後は一晩宴会が続くだけだ。特に取り立ててする事も無いし、他の国と違って羽胤国の王は気楽なもんだ」

軽快な笑い声の翔雅はまた歩き始める。ゆっくりと、海の方に向かってだ。手を引かれながら翔愛は覚える事が沢山で一生懸命翔雅の言葉を反芻する。けれど分からない言葉もあって。

「えんかい・・・と言うのはなんですか?」
「飲んで騒ぐ事。それを大人数で一晩するだけだ。疲れたらもちろん休んで良いから覚えなくても良い」
「のんで、さわぐ・・・何だか、大変そうです」
「そうだな。大変だ」

くすくすと笑う翔雅の声を聞きながら立ち止まる。庭の端っこで、丁度高い所にあるのだろう、低めの柵の下から随分遠くに森が見えて、けれどその森もほんの少しで、後は海が見える。

「きれい、です」

視線の先には真っ青な海と空。あの王の部屋から見るのが好きだった風景がとても近くに感じる。

「ああ、綺麗だ。この国の海と空はとても綺麗だ」

翔愛の肩に翔雅の手が乗って、引き寄せられる。そのまま、翔雅の顔が近づいてきて口付けされる。唇を合わせるだけでは無く、何度か口付けされた後少しだけ舌が入ってきて翔愛の内をぐるりとまわる。深い口付けは初めてでは無いけれど、慣れなくて、でも、変な気持ちになる。じわじわと熱が溜まって、暑くなってしまうのだ。少しして唇が離されるけれど、頬と鼻先と額に軽く口付けられて、ようやく翔雅の顔が離れていく。それを少し寂しいな、なんて思ってしまうけれど息が上がってしまった翔愛は何も言えずに翔雅を見る事しか出来ない。

「真っ赤になっているな。嫌だったか?」

少し心配そうな声。慌ててふるふると首を横に振れば余計に息苦しくなってしまった。でも、嫌では無いのだ。口付けの意味は翔愛には分からないけれど、翔雅に触れられるのはもう怖くもないし、嫌でもない。むしろ、嬉しいと感じる。何気ない触れ合いが暖かいと思うし、触れられる感触が、温度が、嬉しいと思うのだ。

「そうか。では部屋に戻ろうか。珊瑚が首を長くして待っているだろうからな」
「・・・はい」

翔雅の手が少しずれてしまった薄布を直してくれる。その仕草は以前、海に出かけた時と一緒だ。あの頃とは全く違う翔愛の気持ち。触られて翔雅の温もりを感じる事が嬉しいと思う不思議な気持ち。さくさくと草の音とごうごうと海の音が一緒に聞こえて外に居るのだな、と強く思う。今まで決して翔愛には与えられたなかったものが翔雅と共に居れば与えられて、当たり前の様にある。それが嬉しい事なのか、翔愛には良く理解出来ていない。けれど、翔雅と一緒にある事は確かに嬉しいと思うのだ。

「翔雅さま」
「何だ?」
「また、海に、いけますか?」

気がつけば無意識に話しかけていた。

「海か。いいな、また婚儀が終わったら行こう。今度は昼間の海も良いな」
「いっしょに、行きたいです」
「もちろん一緒だ。そうだ、船を出すのも良いかもしれん。深い海も綺麗だぞ」
「ほんとうですか?」
「ああ。魚を捕って焼いて食おう。取れたては旨い」
「楽しみ、です」
「俺もだ」

あの頃は翔雅と話す事も出来なかった。言葉を少ししか知らなかったと言う事もあるけれど、まだ、怖かった。翔雅はもちろん、全ては翔愛には初めてで、怖かった。
でも、今は違う。全てが嬉しくて、楽しくて、沢山の事が初めてでは無くなった。まだまだ翔愛の知らない事は沢山あるけれど、知らない事を覚えるのも、嬉しい事だ。
自然と笑みの浮かぶ翔愛に翔雅もまた笑みを返してくれる。怖い顔だった翔雅はもう居ない。手を繋いで共に歩いて、想像も出来なかった今が確かにある。今ここに、翔雅の側で嬉しくて楽しい事が沢山な現実がある。知らない事は沢山あるけれど、この先も翔雅の側で全てを覚えられれば、とても嬉しいと思う。翔雅の側で。
孤独だった翔愛の中で初めて強く思う事。何の願いも無かった子供が、初めて願う事。明確な願いが翔愛に力を与える。握った手にぎゅっと力を込めて翔雅を見上げれば、やっぱり微笑みを返されて、どうしてだか、じん、と、心と目の奥が熱くなった。





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