星降る庭で...73



結局、覇玖に会う事無く彼は帰ってしまった。
翔愛が目覚めた時には既に太陽は真上にあって、疲れていた事もあり少し熱を出して数日も寝込んでしまった。これでは会えるはずもない。けれど、問題はもう何も無いのだと翔雅に言われ、天丸にも椛にも言われたから翔愛はただ大人しく王の部屋に居る。少しの痛みと寂しさを感じながら、それでも隣の書斎には翔雅が居て天丸も居て、翔愛は絵本を読みながらソファに沈んでゆっくりして。
そんな、以前の様な穏やかな生活が戻ってきたと思ったのだけれども。

「残念ながら時間がありません!婚儀はもうすぐなんですー!駆け足でやってくるんですよー!」

ソファに沈んで絵本を読んでいる翔愛の元に何の前触れもなく両手に沢山の布を抱えた珊瑚がやってきた。ふわふわの黒いスカートにふわふわの金色の髪を可愛らしい形に纏めた珊瑚はにっこりと微笑んで、持っていた沢山の布を重たそうにテーブルの上に下ろす。どさりと音がしそうな山に翔愛は目を丸くして珊瑚を見上げてしまった。

「さて。翔愛様は今から衣装合わせです。それからアクセサリーを選んで、髪の毛もどんな形にするか決めましょうね」

一人テキパキと準備を進めているのだろう珊瑚に、翔愛はただただ目を見開いて固まってしまう。
準備。衣装合わせ。アクセサリー。髪の毛。言われた言葉を一度心の中で呟いて、それでも翔愛はこの布の山と珊瑚に首を傾げてしまう。

「あの・・・珊瑚、さま?」

おずおずと小さな声を出した翔愛に部屋の中を忙しく駆け回っていた珊瑚が振り返って、また、にっこりと笑う。その微笑みはとても可愛らしいと思うけれど、ちょっとだけ、怖くも感じる不思議な笑みだ。

「大丈夫ですよ。準備は私達が行いますから。翔愛様はゆっくりくつろいで下さいね。偶に動いてもらったり衣装を着たり鏡の前で座って頂くだけで良いですから」

またもやハキハキと返答されてしまったけれど、それは結構忙しいんじゃないかなぁ、なんてとても口には出せず、けれど心の中で呟いてしまう。持っていた絵本はもう読める雰囲気では無くて、翔愛は絵本をソファの上に置いてゆっくりと立ち上がった。もう身体の痛みも足首の痛みも無い。あの金色の輪っかは翔愛から外れて、もう翔愛を苦しめるものは何もない。けれど、長年に渡る幽閉生活とここ最近の精神的、体力的な疲労から翔愛はまだゆっくりと歩く事しか出来ない。それでも、あの痛みが無くなったから随分と楽になった。

「すごい、ですね」

部屋の中に沢山の衣装が広げられていく。いろいろな色や形。それらは全て華やかで、見慣れない翔愛からすればちょっと目がキラキラして痛い程だ。

「そうですか?少ない方なんですよね、これでも。あ、翔愛様、お好きな色とかありますか?羽胤の婚儀は特に決められた色も形式も無いのでお好きな色とか形とかいっぱい選べますよ」

ぱたぱたと沢山の服を並べていく珊瑚の側に近づいて、ゆっくりと首を傾げる。やっぱり意味が良く分からない。

「決まった、いろ、ですか?」
「ええ。そうですね、他の一般的な国の婚儀はいろいろあるみたいですよ。色が決まっていたり形が決まっていたり。この羽胤国は全くありませんけどねー」
「そうなのですか?」
「そうですよー。で、お好きな色はありますか?無いなら私が決めても良いですか?」

何だか珊瑚は今まで翔愛が出会った人とは少し違う感じだ。いや、だいぶ違うと思う。翔愛にとって初めてみる女の人であると同時に、小さくて(それでも翔愛よりはちょっぴり大きいけれど)ふわふわしているのにとても力強く感じるし、口調も柔らかいのにハッキリしていて・・・要するに、翔愛には珊瑚の言葉は早口に聞こえてしまって、ちょっと驚いているのだ。

覇玖であり翔雅であり天丸や椛、倫斗もそうだが、翔愛が今まで身近に感じたヒトは皆翔愛よりもずっと年上で口調もずしりと重かったりゆっくりだったり、要するに聞きやすかったのだけれども、珊瑚の様に柔らかな高い声でハキハキとしゃべる人に出会ったことが無い。
さっきから言われている衣装とか、色とか形とか、翔愛には良く分からなくて戸惑って何をすればいいのかも分からないし、珊瑚の早口についていけない。呆然と立ちすくんで珊瑚を見上げて、ちょっと涙目になりそうだ。けれど、そんな翔愛に珊瑚は柔らかく微笑んで衣装の一つを持ち上げた。

「これなんかどうですか?色もきれいだし形も翔愛様にお似合いだと思うんですよね」

持ち上げられた衣装は上から深い青の色で始まって裾の方が綺麗な水色に変わっている、見たこともない服だ。全体的にふわふわしていて裾が広い。でも、どうですか?なんて言われても翔愛にはどう答える事も出来ない。どうしよう。戸惑いも高まって立っている事すらくらくらし始めた翔愛に助けの手を差し伸べてくれたのはやはり翔雅だった。

「こら、珊瑚。そんなに勢いよくしゃべったら翔愛が驚く。いや、もう驚いているのか。大丈夫か?」

書斎にまで珊瑚の声が聞こえたのだろう。苦笑しながら翔雅が側に来てくれて翔愛の背中を支えてくれる。翔雅の後ろから天丸も来て珊瑚の側で楽しそうに衣装を眺めだしている。

「翔雅さま・・・おしごとは、いいのですか?」

翔雅の手に甘えてちょっとだけ寄りかかりながら見上げれば苦笑した翔雅が背中を撫でてくれた。

「あの騒がしさで仕事をしていられる程図太くないからな。それに、翔愛の衣装は俺も見たい」

そのまま促されてまたソファに翔雅と一緒に座る。ふかふかのソファは翔雅が座ると自然に翔愛は翔雅の方に傾いて、当たり前の様に翔雅の手が翔愛の背中にまわるのだ。がっしりとした手は小さな翔愛を軽く包み込んでくれて暖かい。

「にしても、また随分沢山持ってきたもんだ。珊瑚、そんなに持ってきても着るのは一着だけだぞ」

そうして、珊瑚と話していた天丸がお茶を入れてくれて正面に腰掛ける。ふんわりと花の匂いのするお茶は冷たいけれど、冷たすぎず丁度良い温度だ。

「いいんです!沢山あった方がより良い物を選べるでしょう?」
「それはそうだが、しかし多すぎだろう」
「いいんです!女の子の楽しみなんですから!」
「何の楽しみなんだか・・・珊瑚、着せ替え人形はするなよ。翔愛が疲れてしまうからな」
「分かってます!綺麗なお洋服を並べるだけでも楽しいんです」

ころころと部屋の中を動き回りながら珊瑚はとても元気だ。お茶を飲みながら翔愛は唖然としてしまう。けれど珊瑚はとても楽しそうだ。一枚一枚、服を広げては嬉しそうにはしゃいでいる。そんな珊瑚に翔愛はもちろん、翔雅もついていけない様で重々しい溜息を落とすとお茶の入った薄紅色の器を持って一気に飲み干した。

「全く・・・騒がしい奴だ。天丸、お前はどう思う?」
「私は翔愛様の衣装も気になりますが、翔雅様の衣装も気になりますよ。ここに持ってきてもいないでしょう、翔雅様の衣装は」

苦笑いしながら翔雅の器にお茶を足した天丸は軽く肩を竦めてくすくすと笑う。そういえば珊瑚の並べている衣装は全て翔愛の大きさらしく、翔雅の着る大きな服は見あたらない。

「そう言えば・・・まあ、俺は何でも良いがな」
「またそんな事を言って、一応陛下なんですから少しは気にしましょうよ」
「別に構わん。第一、羽胤国の婚儀に地位は関係ないだろうが」
「ま、そうですけどね」

翔愛には二人の話が見えない。婚儀と言うものがどんなものかも想像が出来ないのだから仕方がないのだけれども、やれやれと肩を竦める翔雅と天丸は一人動き回る珊瑚を見て、二人同時に溜息を落とす。

「あの、翔雅さま・・・婚儀と言うのは、どうするんですか?」

思い切って聞いてみる。翔雅の服を掴んで見上げれば深い森の瞳が見開かれ、苦笑した。
前は翔愛と同じだった色。けれど今は、翔愛は漆黒の色に戻っているから見上げた翔雅の瞳に映る翔愛は、違う色だ。

まだ色を気にする気持ちもあるけれど、誰も翔愛の色を気にしなくて時折、錯覚してしまう。まだ、翔愛の色は前の、あの痛みの中にあった金色と森の色なのではないかと。けれどふいに見える髪の毛は間違う事無く漆黒で、もう戻っているのだと思い知らされる。長年、いや、生まれつきの色なのに、まだ、慣れない。
翔雅の瞳に映る違う色の自分にそっと沈む気持ちがある。けれど、翔雅は翔愛の微かな変化に柔らかく微笑むと漆黒の髪を撫でてくれた。

「そうか、まだ説明していなかったな」

ここの所の騒ぎですっかり抜けていた、と長い翔愛の髪の毛を少しだけ摘んで弄る。全く気にしてはいないのだと伝えてくれている様で、見上げた翔雅から少し視線を外してしまう。
何だか、ちょっとだけ、照れてしまう。

「そう言えばそうですね。何なら今から行ってきた方が分かりやすいのではないですか?」
「それもそうか。あれは見た方が早いかもな。準備はしているのだろう?」
「それはもう。抜かりなく」

決めた日取りまではあと僅かになっているのだ。準備と言う準備は既に最終段階にまでなっていて、後は滞りなく進めば良いだけだ。つい先日までの騒ぎを思えば婚儀を危ぶむ思いもあったけれど、今はもうただ穏やかに、幸せに、進めば良いだけ。にこりと微笑む天丸に少し考える仕草をした翔雅はふむ、と頷いて天丸を見た後、翔愛を見下ろした。

「そうか・・・翔愛、少し歩くが良いか?」
「は、はい。ゆっくりだったら大丈夫です」
「疲れたら俺が運ぶ。実際見た方が良いだろうし、外に出るのも久しぶりだろう、お前は。珊瑚、すぐ戻るからそのままにしておけ。後で選ぶ」

突然の言葉に驚きながらも立ち上がった翔雅と一緒に部屋を出る為に歩く。何やら珊瑚が騒いでいるけれど、翔愛には良く聞き取れなくて、けれど翔雅が進むから一緒に部屋を出る。
まだ、沢山は歩けないけれど、どうやら外に出るらしい言葉に少しどきどきする。外に出たのはこの国に来てからただ一度。早朝の海に行っただけ。まだ翔雅が怖いと思っていた、それ程前では無いのにもう随分と前に感じるあの時だけ。

「外に何があるのですか?」
「行けばわかる。ああそうだ。まだ日差しが強いから出る前に薄布を用意しよう」

翔雅の手は力強く翔愛の手を握ってくれて、ひんやりとした石の道が何処までも続く。
翔愛の歩く速度に合わせてくれて、ゆっくりと歩く。一歩一歩、当たり前の事なのに、ただ歩くだけでも翔愛には慣れない事で、けれど何故か嬉しく感じて、きゅっと翔雅の手を握り返せば同じ強さで翔愛の手を握り返してくれた。





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