星降る庭で...72



深夜。優しい闇に紛れて一人の陰が城の入り口に現れた。
普段着の、ざっくりとした麻色の衣装に身を包んだ翔雅が慣れた様子であちこちに立つ夜警の者に気軽に挨拶をしながらすたすたと足を進める。
その先は城の入り口付近にある待合室と呼ばれる場所だ。
主に城に訪れた来賓が帰る際、船の準備を待つ際に一時くつろぐ風通しの良い開放的な広間で、本来、夜間は閉じられている場所でもある。普段は昼の光に照らされ大勢の人間で賑わう時もあり、又、極少数の為に開かれる事もある。けれど今はたった一人の為に開かれた。この、本来ならば開かれる事の無い夜の時間に。

「下がってて良いぞ」

入り口に控える警備の者に軽く手を挙げて先を急ぐ。その先に居るのは夜風の涼しい、開放的なテラスに一人腰掛ける覇玖だった。彼もまた昼間に見せた礼装では無く、少しだけくだけた服に着替えて向かってくる翔雅に気付き立ち上がって深々と礼をした。

「そう畏まらなくて良い」

そんな覇玖に苦笑した翔雅はどかりと覇玖の向かい側に座り、手持ちの瓶と、グラスを2つテーブルに置いた。それは度数の高さで知られる酒で、翔雅お気に入りの一品でもある。喉越しの苦さが不思議と旨味を感じさせる異国の酒だ。

「夜と言うか、こんな時にはこれだろう。貴方にも勧める」

とくとくとグラスに半分程酒を注いで、その片方を覇玖に押しやる。すると覇玖も柔らかな笑みを浮かべて勧められたグラスを取った。僅かに浮いたグラスにかちん、と合わせて一口呑む。翔雅を見て覇玖もまた一口含んで飲み込んだ。そうして、しばらく無言の時間が過ぎる。
夜の闇は優しく、海の音がごうごうと羽胤の国を包み、城を包む。静まりかえっているのは街も城も同じ。柔らかな照明だけがあちらこちらを静かに照らし、夜の風に紛れてほんの僅かに城下街のざわめきが聞こえた。
もうこんな機会は無いだろうから、と覇玖との、一人きりでの対面を求めたのは翔雅だった。

例え、もう一度会う事が叶っても、それは遠い遠い将来の話になるだろう。実現出来る確率はとても少ないが。だからこそ、翔雅は夜の闇に紛れ覇玖を呼び出した。けれど、こうして何の言葉もなく二人過ごすのも悪くは無い様に思えてしまう。立場は違えど、お互い一人の人間を挟んで共通の思いもあるのだから。けれど何も話さない訳にはいかないだろう。あの翔愛を交えた会談では話せなかった事を話したいのだから。

「・・・何を言えば良いのでしょうか。こうなるとは、正直思っていませんでした」

グラスの酒が半分ほど無くなった頃、最初に口を開いたのは覇玖だった。
柔らかな笑みを苦笑に変え、覇玖が呟く。夜風が金色の髪を揺らして少しだけ、冷える。

「それは俺も同じだな・・・俺は」

一度声を切って、少しの間を置いてから、翔雅は続ける。

「翔愛に、酷い事をしてしまった。償える事では無い・・・・結局は、俺も罪人なのだろうな。翔愛の色が、俺と同じ色だった為に・・・謝って済むべき事では無い事をしてしまった」

小さな声で呟かれた言葉に覇玖の目が見開かれる。

「俺と同じ色。金色の髪に森の色の瞳。その色は、俺にとって何よりも大切なものだった。それが為に、酷い事をした」

自嘲の笑みが知らず浮かぶ。覇玖に知らせるべきでは無いだろう事だ。けれど、苦しみを押して全てを声に出してくれた覇玖に対する敬意の様なものなのだろう。
苦い表情で酒を舐めればようやく表情を元に戻した覇玖が俯いた。返答はまだ無い。急ぐものでもなし、このまま話を続けようとした時、言いづらそうな小さな声が風に乗った。

「・・・金色の髪に深い森の瞳。その色を持った方を亡くした事は知っていました。愛綺にも多い色ですから、同じ色であれば、受け入れられるものだと、思いました」
「けれど、俺はその同じ色にどうしようも無い憤りと、憎しみすら感じた。失ったものの大きさが俺を罪人にした。
・・・あの日、何も知らない翔愛を、怯えるだけだった翔愛に乱暴し、そのまま捨てようとすらした」

告げられる思いもよらない言葉に、覇玖の息が止まる。先ほど見た翔雅と翔愛はとても仲睦ましげで、翔雅の言葉が俄には、いや、告げられても信じられない程だ。
けれど、この王が嘘を吐く訳がない。世界でも最も有名な国、羽胤の王なのだから。
だとすれば、この国に来てからの翔愛は、いや、翔雅も、随分と辛い日々になってしまったのだろうか。

「・・・それでも、今は翔愛を受け入れてくれていると思います」
「そうだな。今は愛おしいと思う」

かろうじて出た言葉に翔雅はふわりと微笑みを、優しい言葉を返してくれた。それだけで、覇玖の心中に柔らかい光が射す。けれど。

「その言葉が嬉しく思います。どうか・・・」

それ以上は声にならなかった。幸せになって欲しい。けれど、どうしても受け入れられぬと思う心はまだ残っている。長年染みついた罪の色は直ぐには拭えない。まだ心の奥底には暗い気持ちが淀んでいる。
そんな覇玖にどう思ったのか。翔雅は飲み終えた自分のグラスに手酌し、覇玖のグラスにも酒を足した。

「しかし貴方も思いきった事をする。従者の一人も付けず来るとは・・・」

話題を変えてくれたのだろう。さほど大きな呟きでは無いものの、静かな闇に紛れて翔雅の声は良く響く。
通常、覇玖程の地位に居ればたった一人で国を離れる事は無い。従者を何十人も付けるのが普通だ。大きな国の第二王子として、国を背負う一人の者として軽々しい行動は褒められたものではない。けれど、覇玖はたった一人で羽胤まで出向いた。間者の様に訪れた羽胤の使者の言うまま、何の準備もせず。

「約束の言葉。あれが人体に影響を与える物だと知っていたからです」

それが理由だ。前々から分かってはいたのだ。あの呪の効果を、苦しみを、痛みを。羽胤の使者に連れられ、この国に来るまでは確かに心配していたのだ。
伏せていた視線を上げれば厳しい翔雅の視線とぶつかる。言い逃れは許されない。そんな色の視線に覇玖は軽く息を吐いて真っ直ぐに翔雅を見据えた。

「愛綺国の王族は全て金の髪に淡い色の瞳です。どうしても、あの色のまま、外には出せませんでした。こんな事を言うと今この場で切られそうですが・・・。我々は、外に出すあの子の、その後まで思っていなかったと言うのが本音です。外に出せれば良かった。あわよくば、それで幸せになってくれるのであれば良かった。けれど、どうしても何の罪もないあの子を憎む気持ちもあるのです」

言い切って、また息を吐く。これが、正直な気持ちなのだ。
どんなにあの子に罪が無いと分かってはいても、全てを無かった事に出来るものでは無い。誰かに罪を被せ擦り付けなければ、生きては行けなかった。あの国の全てのものが。それだけ、衝撃は大きく突然訪れた闇に誰もが戸惑い悲しんだ。

「それは・・・翔愛の罪では無いだろう」

きつい言葉が放たれる。正面に見る翔雅ははっきりと怒っていて、その気持ちが嬉しく思ってしまう。今は翔愛をとても大切に思ってくれているだろう人に覇玖はうっすらと微笑んだ。

「重々承知しております。それでも・・・割り切れぬものなのです」
「そこまで、憎む事なのか」
「それだけ、衝撃が強かったのですよ。あの子に何の咎も無いのは分かっている。それでも弱い我々は捌け口を求める。旨く言う事は出来ませんが・・・結局は我々の罪をあの子一人に押しつけたのです」

そう。そうしなければ、どうにもならなかった。あの衝撃の後、関わる人々全てに闇は訪れ、それは未だに人々を苦しめる。何より大切な伴侶を失った父、優しい両親を失った兄と自分。光溢れる城から光は消え、薄暗い闇が城を包み込み、未だに抜け出せずに居る。それは翔愛を羽胤に出した今でも残り、ずっと、一生、消えないままだろう。

幸せになってほしい。けれど、それを望まない気持ちもある。相反する気持ちが膨れあがり、全てを笑みに隠して翔雅を見つめていればややあって翔雅が軽く息を吐き、酒を舐めた。

「そうか・・・。そうなのであれば、俺も貴方も同じかもしれん、な」

苦い表情で視線を下げる。この羽胤の王は思っていたより率直な人物だった。それが分かっただけでも覇玖には大きな成果であり喜びだ。もう、何も心配する事無くこの国を去る事が出来る。罪を認め己と戦う翔雅は酷く小さく見え、けれど、とても大きな人だ。

「全てを知った上で犯した罪と、知らぬままに犯した罪は重さが違いますよ」
「いや、同じだろう」
「いいえ。我々は許されぬ事をした。長い時間、年月、罪は重なって、けれど償う事もしなかった。罪を罪と認めるには、弱かったのです。今でもまだ、拭えぬ想いがあるのですから」
「そう、か」
「ええ、そうです」

夜の風が冷たく感じてきた。酒を舐めていても夜は冷える。優しい夜の闇が全てを包み込み、羽胤の海が子守歌を奏でる。
何も見えない景色の中、ふと海の方を見れば煌めく星空がある。手に届きそうな程の星空を見上げながらもう覇玖からは何も言う事が無い。これだけ話せただけでも、良かった。こんなに話せるとは思わなかった。
翔雅を見れば彼もまた、もう何も話す事は無い様で覇玖と同じ様に海を見ながら、夜空を見ながらグラスを傾けている。

もう、話す事は何も無いだろう。話されるべき事はこれで全て。

ざあと通り抜ける潮風を、味わう酒の苦さと美味さを感じながら覇玖は穏やかな笑みでずっと夜空を見上げていた。





back...next