星降る庭で...69



これで、全てが明らかになったのだろうか。
けれど、これで全てだとしてもどうしても心に重いものが残る。

はじめから、間違っていたのだろう。
全ての事が少しずつ間違って道を踏み外して、もう元には戻らぬのだろう。

覇玖の話を聞く上ではどうやら愛綺国ではどうしようも無く翔愛を憎んでいると言う訳では無かった様だ。しかし、彼らが翔愛にした仕打ちは決して許されるべきものではないことも分かっている。

けれど、全てが明らかになった今ではただただ、不憫に思うだけだ。それは翔愛だけでは無い、たった一人で従者も誰も付けず羽胤国に来た覇玖や、愛綺国の皆が不憫だと思う。翔愛が一番の被害者ではあるが、それでも悲しみは皆の胸に残る。

しばらくは無言の時間が続いた。誰も、何も声に出せず、けれど翔愛の微かな鳴き声だけが部屋を木霊していた。翔雅はそっと翔愛を抱きしめて、痛々しい程に流れ落ちる雫を何度か指先で拭って、背後から天丸によって手渡された柔らかい布をそっと腫れた目尻にあてがった。
全ての動作は無言で行われ、何を言うにも場の空気がそれを許さないかの様に思えた。そんな息苦しくも感じる中で、最初に声を出したのは意外な事に翔愛の小さな呟きだった。

「・・・それでも、あにうえ様は僕をかまってくれました」

視線は翔雅のあててくれた布の中で沈んではいるが、声は確かに部屋の中の全てに届いた。

「だきしめてくれました・・・おしえて、くれました・・・たくさん、おしゃべり、しました」

翔愛に取って唯一と言っても良い存在。それが年の離れた兄、覇玖ただ一人だった。
あの薄暗い部屋で外に出る事も出来ず、いや、出るなんて事も思わず日々を虚ろに過ごした年月。長い長い時間の中で唯一、翔愛の元に訪れた光は覇玖だけだった。
例え覇玖が翔愛を嫌いでも、どうしても、翔愛には覇玖を嫌う理由なんてないのだ。たった一人、翔愛に笑顔を見せてくれた人なのだから。

まだ視線は上げられない。涙は止まらず、もう呼吸すら苦しくなって止める事が出来ない。しゃくり上げながら小さな呟きを漏らす翔愛に覇玖は翔愛ただ一人を見つめ、けれど何を言うでも無く膝の上に置いた手を白くなる程に握りしめるだけだった。

「ぼくには、あにうえ様だけでした・・・ずっと、ずっと・・・あにうえ様だけでした」

悲痛な声は掠れて音になる前に消えてしまいそうな程、弱々しいものだ。そんな翔愛に翔雅が震える身体を抱き上げてそっと腕の中に仕舞い込んだ。

「翔愛、もう喋らない方が良い。苦しいだろう」

薄い背中に手をあてればもう翔愛は喋る事すら出来なくなって苦しそうに何度も咳をし始め、もうこれ以上は無理だと、翔雅は天丸に目配せして翔愛を抱いたまま立ち上がる。

「すまないがこれ以上は無理だろう。部屋に戻る。天丸、椛を呼んでから部屋に来い。倫斗、珊瑚、後は任せる」

そうして足早に部屋を出た翔雅は真っ直ぐに王の部屋へと戻った。
寝室へ翔愛を運び、そっと泣きやまぬ翔愛を寝台に降ろす。

「翔愛・・・」

かける声が無い。辛かっただろうとは、思う。罪もなく罪を押しつけられた小さな身体はここ数日の騒ぎですっかり出会った頃の細さに戻ってしまった様だった。
抱き上げた身体の軽さに一瞬ぞっとした。
そっと手を伸ばして小さな頭を撫でながら、また抱き寄せる。声もかけられず、翔雅にはそんな事しか出来ず不甲斐ない己に嫌気がする。もう声すら無く、けれど涙の止まらぬ翔愛にただ寄り添う事しか出来ずやるせなさと不甲斐なさが翔雅を押しつぶしそうになった頃、ようやく早足で天丸と椛が現れた。

「あーあーあーあー。まったくそんなに泣いてたらただでさえ大っきな目が落っこちまうじゃねぇか、姫さん」

ほぼ駆け足で翔雅と翔愛の前にしゃがみ込んだ椛は敢えて明るい口調で声を出しながら翔雅に目配せをする。それを受けて翔雅は顔を歪めたまま、そっと翔愛から離れた。

「ほら、泣きやめって。今薬湯をやるから、飲んで寝ちまえ。じゃないと疲れ果てて身体を壊しちまうからな」

子供をあやす声で椛の声は乱暴な口調に反し優しい響きで寝室に響く。そんな椛の声を聞きながら天丸が普段の穏やかな表情を厳しい表情に変え翔雅の腕を引っ張って、そっと寝室から連れ出した。そのまま無言で寝室へ未練を残す翔雅を引っ張ってソファに沈ませ、天丸はその前に跪く。見上げる翔雅の顔色は随分と酷い。

「翔雅様も少し休まれた方が良いですね。酷い顔色ですよ?」

天丸の細い指先が労る様に翔雅の頬に触れる。しかし翔雅は軽く首を振って天丸の指先を払った。

「休むのは翔愛だろう・・・俺は、ただ・・・自己嫌悪しているだけだ」
「翔雅様・・・」

普段は力強い光を見せる瞳を閉じて、深く沈んだその表情は王では無く、ただ一人の青年として苦しみを全面に出していた。それは覇玖の話を聞いて尚思い知った翔雅の罪。覇玖が、愛綺国が罪を犯したと言うのならば、翔雅も同じ、罪人だ。

元々、翔雅と言う人は誰よりも生真面目な人でもある。王として、一人の人間としての想いは何より翔雅を苛む。深く深く溜息を落とした翔雅は心配気な天丸をちらりと見て、苦笑した。

「お前がそんな顔をするのも久しぶりだな・・・」

力無い声に天丸の顔がくしゃりと崩れて、耐えきれず翔雅の膝に顔を伏せた。幼い頃から共に過ごしたこの生真面目で不器用な人の悲しみが、辛さが誰よりも分かってしまう。家臣としてでは無く、幼馴染みとしての思いが酷く悲しいと訴える。

「・・・不甲斐ない王ですまん。お前の前だけだ」

こんな無防備な感情を晒すのは。そう呟く翔雅に天丸もゆっくりと顔を上げ、微笑んだ。

「僕も、翔雅の前だけです。けれど罪を問われるなら僕も一緒です。どうか、自分ばかりを責めないでください」

もう滅多に聞く事の無くなった天丸の、普段の呼称にようやく表情を緩めた翔雅はゆっくりと立ち上がった。

「お前には雷吾が居るだろうが・・・ああそうだ。雷吾に軽い食事を頼むと伝えてくれ。出来れば翔愛の好みそうなものを。目を覚ましたら、せめて好きなものでも食べさせてやりたい」

雷吾のデザートは翔愛が気に入っているものだ。今朝見たばかりの、翔愛に押しつけたばかりの、あの穏やかな時間を思い出しながら翔雅の足は自然と寝室へと戻った。
寝室からはまだ微かに泣き声が聞こえる。早く泣き止んで欲しい。早く笑顔になって欲しい。その為に出来る事は全てしよう。

「椛、薬湯はまだか?」

立ち入った寝室ではやはり泣き止まない翔愛と困りきった顔の椛が居た。予想通りの光景に翔雅は苦い笑みを浮かべながら寝台に腰掛けて泣きじゃくる翔愛を抱き寄せ、ひょいと軽い身体を抱き上げて腕の中に仕舞い込んだ。

「早くしろ」

もう泣きつかれて可哀想な程に声を掠れさせる翔愛の小さな頭の天辺に唇を落として椛を睨みつける。そんな翔雅に椛はふん、と言わんばかりに鼻息を出してずかずかと部屋の外に出た。そうして、すぐに薬湯を持って小さな器を翔雅に無言で突き出す。

「少し眠れ。起きたら、また泣けば良い」

小さな器は翔雅の手には小さく、中身はあまり見たく無い色の薬湯が湯気を立てて揺れている。それを口に含んだ翔雅は翔愛の返事を聞く前に小さな口に無理矢理苦い薬湯を注ぎ込んだ。突然の事に驚いて大きな、真っ赤になった瞳を見開く翔愛に翔雅は優しい笑みを見せて翔愛の頬に手の平をあてる。

「その前に、起きたら食事だ。旨いデザートが待っている。だから、今は眠れ」

椛の用意した薬湯の効き目は早い。何も言う事も出来ず翔雅にされるがままに飲み込んだ薬湯は疲れきった翔愛の身体に直ぐ行き渡り、翔雅の声を子守唄にしてすぐに驚きで見開かれていた大きな瞳が静かに閉じた。





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