星降る庭で...54



身体が痛い。それは動き慣れていない翔愛を襲う経験のない痛み。
足首が痛い。それは前々からあった痛み。けれど何よりも翔愛を苦しめる痛み。
ただ単純な痛みも足首から発せられる、内からじくりじくりと刺す痛みは気を抜けば声を発しそうになる程で、でも、痛いだなんて言えない。
だって、足首の痛みは当たり前の痛みなのだから。
翔雅に、天丸に、全ての人に嘘をついている痛みなのだから、当たり前の事なのだ。
だから翔愛は誰にも何も言わない。これは、嘘をついている翔愛に与えられた痛みなのだから。

翔愛は何も言わない。ただ拳を握って耐えるだけ。
椛が睨んでいようとも、翔愛には何も言う事は出来ない。

「・・・・やっぱり強情だな、姫さんは」

椛に睨まれ続けてどれくらい経っただろうか。
ふいに軽い溜息と呟きが聞こえた翔愛はそれでも視線を下にしたままぎゅ、と目を瞑った。
ごめんなさい。声には出せずに口の内で呟けばふわりと大きな手に頭を撫でられた。

「いいよ。分かったから。顔を上げてくれ」

いつもの、優しいと感じる声に促されて顔を上げれば苦笑している椛が居る。どうしよう。何て言ったらいいんだろう。戸惑う翔愛に椛は小さな頭をもう一度撫でて、それから青白い頬に触れた。青白い頬は色に反して触れると熱い。

「具合が悪かったら側にいる誰にでも良いからちゃんと言うんだぞ。倫斗の顔がおっかなくても絶対にだ。いいな。姫さんが倒れちまったら皆悲しむ」

戸惑う大きな瞳はとても正直だ。
体温が低い割に頬だけが薄く染まっているのは熱がある証拠なのだろう。それが顔に出ないだけで。
時折身体を震わせるのは何処か痛む所があるのだろう。
長年の経験が椛にそう告げるが追いつめればその場で消えてしまいそうな雰囲気を持っている翔愛にそれを言うのは憚られた。

「いいな。絶対に、だぞ」
「・・・・はい」

念を押されてようやく声を出す翔愛に椛は良くやっとばかりに薄い肩に手を置いてぽんぽんとしてくれて、倫斗の待つテラスに2人で向かった。

翔愛の痛みは治らない。
ずっと。ずっと、痛いまま。
椛と倫斗とお茶をしたらまた勉強の時間だ。
痛みを堪えて勉強をこなし、必死になって痛みを抑えていた翔愛だったが、倫斗が帰る頃にはもう誰にも誤魔化せない程に悪くなっていた。

痛みが熱を発しているのだろう。身体は熱く意識はぼうっとなって、ただ座っているだけでも辛い。
けれど、そんな事誰にも言えない。一人で耐えて、忙しい翔雅と天丸が帰ってくる前に夕食を住ませた翔愛は怠い身体をそのままにお気に入りの窓辺にぺたりと座って外を眺めていた。

もう日の光が完全に落ちているが、灯りを付ける事も出来ない部屋は真っ暗だ。
今日も翔雅は遅いのだろうか。ここ最近翔雅と一緒に居られる時間は酷く少ない。それを寂しいな、なんて思ってしまう。嘘をついているのに、騙しているのに、申し訳無いと言う気持ち以上に翔雅の側に居たいと言う気持ちがある。
初めは怖かったけれど、今は怖くない。側に居ると安心できる不思議な気持ち。
翔雅は大きくて温かくて、優しい。怖くなくなった翔雅が側に居ると嬉しい。
でも、翔愛は嘘つきだから、きっと翔雅を悲しませてしまう。
嘘つきだから、嫌われてしまう。

生まれて初めて抱く他人に対する特別な気持ち。
それはまだ色淡くてほんのりとしか色づいていないけれど、翔愛にとってはとても大きな事で、じくりじくりと痛む足首をそっと押さながら想うのは優しくて大きな人の事。
一応一緒には寝ているけれど、翔愛が眠ってから翔雅が帰ってきて、翔愛が起きる頃には翔雅は居ない。以前までは当たり前だった一人だけの寝起きがとても寂しくて悲しいだなんて、なんて贅沢になってしまったのだろうとも思う。それでも、翔雅の側に居たい。ただそれだけを思って何時までも何時までも翔愛は暗い夜の海を眺めていた。

羽胤の夜は変わらず静かで穏やかだ。風の音が少しと海の音が沢山。ごうごうと聞こえるのは海が動いている音だと翔雅に教えてもらった。翔愛に何かを教えてくれる時の翔雅は優しい表情で、怖い顔の倫斗とは正反対だ。一生懸命覚えようとしている翔愛に決して翔雅は厳しく当たらず、むしろ優しく諭してくれる。語られる内容もゆっくりで分かり易く、翔雅から教えられた事は何だって覚えられる自信がある。

「・・・しゅうが、さま」

小さく小さく呟いた。今頃どうしているのだろう。
忙しいのだろうか。まだ帰ってきてはくれないのだろうか。小さな呟きはあっと言う間に広い部屋の中に消えてしまって、けれど、その声を聞き止めた人が居た。

「呼んだか?」

低く静かに問いかける声は、翔雅の声。
驚いて声の方に振り向けばやっぱり翔雅が立っていた。

「何だ灯りも付けないで。暗いじゃないか」

ゆっくりと翔愛の元に歩み寄ってくる翔雅は、柔らかい笑みを浮かべて辿り着いた翔愛の側にしゃがみ込んだ。

「しゅうが、さま・・?」

暗闇の中に見える優しい顔。思い焦がれていた翔雅が側にいる。怠い手を動かして翔雅に触れれば指先が触れたのは冷たい布だったけれど、翔雅が力の入らない手を握ってくれた。

「忙しくてすまないな。少し休むか?」

翔愛の手は小さくて翔雅の大きな手にすっぽりと入ってしまう。ぼうっと翔雅を見上げたままでいれば翔雅が苦笑しながら翔愛を抱き上げた。小さな翔愛は身体も小さくて軽いからひょいと持ち上げられてしまう。

「俺もいい加減疲れたからな。少し休もう」

それは今日だけの休みでは無い言い方だ。でも翔愛も翔雅も忙しいのに、と小さく首を傾げている間に寝室へと辿り着いていた。
ゆっくりと寝台に降ろされれば掛布の冷たさが気持ちよくてほう、と息を吐いてしまう。翔雅はぴくりとも動かない翔愛をそのままにばさりと上着を脱いで投げると寝台を軋ませながら翔愛の上に被さってきた。体重を掛けずに、けれど大きな翔雅は翔愛をすっぽりと囲ってしまう。ぼんやりと翔雅を見つめれば軽い口付けが落とされて、柔らかい表情だった翔雅の表情が一変した。

「さて。随分と身体が熱い様だが?」

厳しく低い声が翔愛を刺す。
びくりと身体を震わせて咄嗟に身を捻ろうとしても翔雅が居るから動かせない。

「翔愛、これだけ身体が熱いんだ。目を開けるだけでも怠いだろうに、何故何も言わない」

少しだけ責める口調でも翔愛を心配してくれる色もあって、でも、言える訳が無い。

「なんでも、ない、です」

吐き出す息も既に熱く、途切れ途切れになる言葉に翔雅の眉間に皺が寄った。

「何も無い訳無いだろう。翔愛、お前の調子が悪いと心配だ。何処が悪いか、痛いか、何かあるだろう」

何処が痛い。そんな事は無い。

「ど、何処も痛くなんてありませんっ」

意識せず悲鳴の様な声を上げた翔愛は無理矢理身体を捻る。けれど翔雅は許してくれない。暴れ出す翔愛を軽く抑えた翔雅は断定する。

「痛いんだな。何処だ?」

これだけ強く反発すれば痛い所があると言っている様なものだ。しかし翔愛は口を結んでうっすらと涙をためた大きな瞳を伏せた。
案外強情だと椛が言っていた通りだ。翔雅は仕方なしに少しだけ身を起こすと両手で翔愛の身体を触る。
痛い所が何処であれ触れば何らかの反応もあるだろうし、そうすれば治療も出来る。何故翔愛がこうも口を閉ざすのかは分からないが、翔愛の体温も顔色も尋常ではない。今まで忙しさにかまけて気づかなかった己が悔しい。

「あまり強くは押さんが、言うなら今のうちだぞ」

一応宣告して翔愛を見ればあからさまに身体を震わせた。
いったい何があると言うのだろう。不思議に思いながらも翔雅は手を這わせる。
小さくて細い身体。かたかたと震える身体はそう言えばあの無体を働いた時の様だと、今更ながらによくこんな小さな身体を蹂躙できたものだと思ってしまう。
鈍い痛みを思い出しながら小さな頭、顔、細い首、肩、腕、薄い胸、腹、そうして次々に触れて最後に辿り着いたのは。

「ああっ」

悲痛な声と、手に触れた金色の金属。
細すぎる足首にぴたりと填った、翔愛が羽胤に来たときからずっとあったわっかだった。
足首に触れた途端に上がる悲鳴と大袈裟な程の身体の震え。火傷しそうな程に熱くなっている輪っか。
あからさまに不自然な物に翔雅の手も止まる。

「何だ、これは・・・」

そう言えば初めて出会った時からあったと思い出しながらも翔雅の眉間に皺が寄る。

「翔愛、これは何だ?」

いくら暗いとは言え、輪っかに外す箇所が無いのはすぐに分かる。その上この、あり得ない熱。
翔愛の具合の悪さはこの輪っかが原因なのだろうと容易に分かる代物。
触れれば翔愛に悪さをしそうで触れられない。
両手で身体を抱きしめながら震える翔愛に翔雅は足首から視線を外して震える翔愛の背中をさすった。

「あれが原因だな」

あんなにも異質な物を良く今まで気づかなかったものだ。力無く呟けば翔愛が無言で首を横に振る。

「もういい。今は休め」

今は翔愛を責めても仕方がない。荒い息をしながら、それでも翔愛は首を振り続ける。
あんな物があったなんて。思いも寄らなかった事態に翔雅はただただ全身で震える翔愛を見つめる事しか出来なかった。





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