星降る庭で...52



結婚。その二文字の為に羽胤の城は大騒ぎになった。
もちろん、王の婚儀だと言う事での騒ぎなのだが、その他にも様々な思考が入り乱れ、文字通りの大騒ぎになってしまった。

何せ世界の名だたる国々の中でも一際有名な国だ。あっと言う間に諸国へ羽胤国王婚儀の話が流れ、その相手がさして大きくもない国の、それも名も聞いたことの無い王子だと言う事も知れ渡った。
羽胤国内、そして、海を隔てた世界中に話が行き渡り、けれどその話題の中心に居るはずの翔愛の元には相変わらずの穏やかな日々があった。
だって、王の部屋から一歩も出ない翔愛にそんな話が耳に入る訳もないのだ。

優しい日差しに照らされながら柔らかい海の風を浴びて絵本を捲る。綺麗な絵と簡単な文章の世界に浸っては、細い指でなぞりつつまだ良くは読めない文字を辿ってふわりと笑みを浮かべる。翔雅の書斎の隅っこに置かれた翔愛専用の椅子には何時でも翔愛の姿があって、もちろん翔雅の姿もあって。

「翔雅さま、あの、文字をおしえてもらってもいいですか?」

基本的な文字の勉強すらした事のない翔愛は絵本とは言えまだ難しい文字が沢山ある。それを翔雅に貰った要らなくなった書類の裏にせっせと書きためて、決して翔雅の仕事を邪魔しない様に翔雅の動きを見てから音もなく側による。すると、翔雅も仕事の手を止めて丁寧に一文字一文字ずつ教えてくれる。

「この意味は、そうだな。いくつか有るがこの文章からだと・・・」
「そうなんですか?じゃあ、この文字は」
「そうだな。お前の言う通りだ。覚えが早いな」
「ありがとうございます」

顔をつきあわせて、丁度椅子に腰掛ける翔雅の視線と立っている翔愛の視線は同じくらいで、一生懸命に文字を覚えようとしている翔愛に翔雅は優しい笑みを浮かべる。

「そろそろもう少し難しい本にしてみるか?」

翔愛の覚えは早い。何より何も知らなかった頃から決して疎くは無く、どちらかと言えば聡い方だった。それは生まれ育ちと言うよりも持って生まれた性質なのだろう。実際、少しの文字しか知らなかった数日前が懐かしく思う程に翔愛の覚えは早く、そろそろ絵本ではつまらない頃だろうと思ってしまう程で。

「うれしいです。でも、この本もすきです。とてもきれいです」

嬉しそうに頬を染める翔愛に、以前では思いもしなかった可愛らしさに手を伸ばして小さな頭を撫でた。くすぐったそうに肩を竦めながらもさらに嬉しそうに笑みを浮かべながら翔愛はぺこりと頭を下げて自分の椅子までゆっくりと歩いていって椅子に沈む。両手で絵本を抱えてまた文字を辿り静かに読書に励めば翔雅も不思議と穏やかな気持ちで仕事を再開させる事が出来た。

本当に、不思議なものだ。人の心とは。

あれ程憎いと思った相手を今では可愛いと思い、知らず愛おしいと思う心が日増しに大きくなる。
勢いと言った方が良いのか、あの結婚すると言った時からなんら変わっていない日々と関係なのに、どうしてだか、大きくなる想いがある。
恋い焦がれる、なんて。そんな大きくて深い気持ちでは無いけれど、全てを包み込む様な、静かに染み渡る想いが生まれて、育っている。

書類を片づけながら何の言葉も無い、けれど、何にも得難い静かで優しい時間を楽しみつつ、何時になく機嫌良く書類を片づける翔雅に、しかし穏やかな時間というものは長続きしないもので。

「翔雅様、そろそろ諦めて準備しましょうね」

何時の間にやら、両手で盆を持った天丸が疲労の見える表情で恐ろしい笑顔で立っていた。

「何だ、何を準備するんだ?」
「ふざけちゃ駄目ですよー。いい加減僕も切れますよー」

天丸の言っている事が分からない訳では無く、もちろん先に進みたく無い訳でもなく、ただ単にこれからの慌ただしさを思ってとぼけた翔雅だったが天丸に一人称が私用で使う物になっているのを聞いて思わず席を立とうとする。こうなった時の天丸は翔雅でも怖い存在になるのだ。何せにこやかな笑顔のまま、何をしでかすか分からないのだから。

しかし、翔雅の動きよりも天丸の動きの方が幾分か早かった。にこにこと笑みを浮かべたまま、何の呼び動作も見せず天丸は両手に持った盆をがつん、と翔雅の頭に落としたのだ。

「っ、な、何をする!痛いじゃないか!」

それはそれは気持ちよく音の鳴った翔雅の頭に絵本を読んでた翔愛もびっくりして翔雅の所に来た。おろおろとしながら翔雅と天丸を交互に眺める翔愛に天丸はやはりにこりと微笑むと腰を落として翔愛に視線を合わせる。
何時もは優しいのに鋭い光を放つ天丸の瞳が何となくやさぐれて見えて、怖い。

「翔愛様も、ですよー。もうそろそろ準備しないと間に合わなくなっちゃいますからねー」
「準備、ですか?」

翔愛は本当に分からない。首を傾げれば尚一層笑顔の恐ろしくなった天丸だが、頭の痛みを手で押さえつつようやく顔を上げた翔雅が翔愛を引っ張って自らの腕の中に翔愛を保護した。

「分かっている。婚儀の準備だろう、すまないな、お前一人に荷を負わせて」

最初からこう言っていれば良かったのだ。下手にとぼけるんじゃなかったときょとんとする翔愛を抱え直した翔雅に天丸の怖い笑みが普段の笑みに戻った。

「私一人じゃありません。城内全員、国内の皆も忙しいですよ。でもまあ、おめでたい事ですしせめて当事者なお二人にはのんびりしてほしい気持ちもあるんですがね。やっぱり腑に落ちないって言うか、そろそろ本気でやばいとかって思うんですよ」

それでもまだちょっと怖い笑顔の天丸に翔雅も姿勢を正して、ついでに立ったままの翔愛を抱き上げて膝に軽く乗せた。
そんな仕草に翔愛は頬を薄く染めて翔雅の服を掴み、天丸はやっと普段とおりの、いや、微笑ましい2人の姿を見てふわりと口元を緩ませた。

「分かった分かった。それで?どうすれば良いんだ?」
「そうですね。翔雅様には暫くは城内のみでお仕事して頂く事になりますね。国外から来客も増えますので念の為。でもお仕事は普段通り婚儀前までみっちりお願いします。
翔愛様には婚儀まで短い時間ですが、この国の歴史や婚儀に係る作法、勉強などなど、本当に時間が無いのですが教師を一人付けますので頑張って下さい。
それから、お二人には明日にでも婚礼衣装の採寸がありますので宜しくお願い致しますね」

盆は既に翔雅の机に降ろし、衣の中から小さな紙切れを取りだしてこれからの予定を告げていく。つらつらと述べられる内容に思わず目眩を起こしそうになったのは翔雅で、内容が分からず軽く首を傾げたのは翔愛だ。
けれど天丸の言葉の中に一つだけ分かる言葉があって。

「おべんきょうですか?」
「はい。婚儀に纏わる作法と最低限の国際情勢等々。いろいろありますよー」

聞いたことのない言葉ばかりだ。そんな難しい事が翔愛に出来るのだろうか。翔雅と共に居る。ただそれだけで結婚をすると思っていた翔愛だが、何だかいろいろな事がありそうな天丸の言葉に不安が呼ぶ。

「僕に、できますか?」
「本音で言えば難しいでしょうねえ。でもやってもらいます。何せ羽胤のお嫁さんですからね」

不安に瞳を曇らせる翔愛にそれでも天丸はきっぱりと本音を言う。それは有る意味翔愛と言う人物を受け入れているからこその言葉で、慰めの無い厳しい言葉でも翔愛には不思議と嬉しく思えた。

「が、がんばります」

だから頑張ろうと、思い切り頷けば翔雅が苦笑して、天丸は翔愛と同じく力強く頷いて、それから視線を書斎の外にやった。

「では先生をご紹介しましょう。倫斗殿、お待たせしました」

そうして天丸が招き入れたのは今まで気配もなく外に控えていた、初めて見る人。
金色の短い髪の毛に水色の綺麗な瞳。翔雅と同じくらいの大きな身体に緑色の衣を纏った人。部屋に入った瞬間からあからさまに翔愛の方を睨み付けているその視線に知らず翔愛の身体が震えた。

「倫斗(りんと)と申します」

短い挨拶。にこりとも笑わないその表情と雰囲気に、嫌われている、と直ぐに分かってしまった。だって、倫斗の水色の瞳はあからさまに翔愛を睨み付けていて、その綺麗な色の中にはっきりと憎悪の色が見えてしまったのだから。

翔愛は他人から嫌われていると言う感情に敏感だ。生まれてこの方ずっと、嫌われていたから。だから、そんな思いを含んだ視線はすぐに分かる。だからこの人も翔愛の事が嫌いなのだと直ぐに分かってしまって、ちょっとだけ悲しかった。
けれど、翔雅はそんな翔愛を慰めてくれるみたいに抱き寄せてくれている腕で翔愛の背中をさすってくれた。そうして、溜息を落とした翔雅は呆れた視線で倫斗を睨み上げる。

「大人げないぞ倫斗。良い年こいた大人なんだから少しは繕え」
「何をですか?」

しらりと僅かに視線を逸らした倫斗に再度翔雅は溜息を落とす。何か言いたい事がるみたいだ、なんて翔雅の大きな身体に隠れながらこっそりと倫斗を見上げていれば翔愛の視線に気づいたのだろう、またぎろりと睨まれてしまった。思わず肩を竦めれば今度は翔雅では無く天丸がにこりと微笑みながら倫斗の背中を突いた。

「倫斗殿?」

柔らかい笑顔なのに、また、怖い。それを倫斗も感じたのだろう。微かに肩を震わせて少しだけ翔愛を睨む視線を逸らして、けれど厳しい声で告げた。

「羽胤国の事、婚儀の事、覚える事は沢山ありますからね」
「・・・はい」
「明日の朝から伺います。私も仕事を抱えておりますので何時でもと言う訳にはいきませんが時間の許す限り、頑張りましょう」

結局最後までにこりとも笑わない倫斗に睨まれっぱなしだった翔愛はやっぱり嫌われているんだと、少し前までは当たり前の様に身の回りにあった嫌悪の視線に小さな身体をさらに小さくして、きゅっと翔雅の服を握った。





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