星降る庭で...49



ゆっくりと日々が流れるにつれ、自然と近くに居る翔雅と翔愛の距離も近づいていった。
朝は同じ寝台で目を覚まし、共に食事を取り一緒に書斎に入る。
翔愛は仕事をする訳では無いが翔雅によって置かれた椅子に、クッションに埋もれて絵本を読む。
翔雅は忙しそうに書類になにやら書き込みをして、天丸と共に一心不乱に働いて、たまに外に出かける事もあるが、そんな時は翔愛に一言言ってくれる様になって、あまり長い時間外に出る様な事もなかった。
そして、また食事を取って翔雅は仕事を再開し、翔愛は絵本を広げる。小さな書斎には概ね翔雅と翔愛が共に居る様になり、割と多く居るのが天丸で、けれど天丸も忙しいらしく何だかんだと書斎を抜けては仕事をこなしている様で。
だから小さな書斎には翔雅が動く音と翔愛が絵本を捲る音しかしない。けれど、不思議とそんな静かな時間は穏やかで、優しい色に包まれていた。

書斎にある窓は翔愛の身長ではちょっと高すぎる所にあって小さくて丸い形をしている。そんな丸い窓の内側には薄い布が垂れ下がっていて厳しい日差しを優しい色合いに変えてくれている。とても綺麗だ。
羽胤の布はどれもこれもがとても綺麗な色と刺繍で、窓から垂れ下がっている布も薄い水色をしていてとても綺麗な刺繍が刺してある。生まれてこの方、粗末な布しか見たことの無い翔愛にはそんな布さえも目を引くものだ。だから、特にすることも無い毎日でも翔愛にとっては非常に忙しい日々でもある。絵本を読んで、書斎の中をじっと眺めて少しのお喋りをして翔雅と共にテラスで食事をして、共に眠って。翔雅から見れば味気の無いつまらない毎日でも、翔愛にとってはとてもとても楽しい毎日になっている。

そんなある日、いつもの様に一日大人しく書斎隅の椅子で絵本を読んで過ごして、あとはもう眠るだけとなった優しい夜色の時間、翔雅が二つのグラスと飲み物の入った瓶を抱えて翔愛をテラスに連れ出した。
テラスはとても高い場所にあって、羽胤の海を一望出来る。但し今は夜だから綺麗な青色の海は真っ黒な夜色になっている。けれど風は昼間と変わらず翔愛と翔雅の長い髪の毛を散らして、穏やかな風が風呂で暖まった身体に心地よくあたっていた。

「遠い国の地方で取れる酒だ。そんなに強くないからお前でも大丈夫だろう」

テラスにあるテーブルの上に青く輝くグラスを置いて、その中に注がれるのは不思議な色の液体。ふんわりと匂うのは甘酸っぱい、果実の香り。翔雅にグラスを渡されて、両手で持ちながらふんふんと匂いをかいでいたら笑われた。

「飲んでみろ」

優しい表情の翔雅に促されて一口含めばつきんとする香りと、喉に絡み付く濃厚な感触。味わったことのない酒と言う飲み物に思わずむせてしまえば静かな笑い声をあげながら翔雅が背中をさすってくれた。

「まだ早かったか。ほら、少し水を足してやる。どうだ?」

とぽとぽとグラスの中に水を足して貰ってもう一度。今度はさほど刺激も強くなく、何処か甘い味にふわりと笑みがもれた。翔雅も満足そうな表情になって翔愛の頭を撫でてくれる。
そのまま静かに2人でグラスを傾けた。
聞こえるのは波の音と風のざわめき。羽胤の夜はとても優しく翔愛には感じる。翔愛には大きく感じる椅子に座って、隣に座る翔雅に少しだけ傾けば翔雅の手が当たり前の様に翔愛を支えてくれた。

どれくらいの沈黙だっただろう。もう幾度となくグラスを空にした翔雅はまだ一度目の、水で薄めた酒を舐める翔愛に優しい視線を向けた。夜の色を映した翔雅の瞳は深い森の色よりもさらに深く、けれど何処か懐かしむ色になっていた。
随分と昔に感じる、同じ色を愛した記憶。それは過去の輝きを伴って今もまだ翔雅の心に深く突き刺さっている愛しい記憶。けれど不思議と同じ色でもすぐ側にいる小さな子供と比べる気持ちは全く無く、瞬時の激情で痛めつけたか弱い子供を今は違う想いで見つめる事が増えた。
憎いと思う気持ちはもう、無い。
ただ日々大きくなる罪悪感と、不思議な程に側に居て可愛いと思う気持ちが強くなるだけ。
心の中を見つめて、決して言うつもりは無かった過去を自然と翔雅は声に出していた。

「翔愛、お前の事を愛おしい。そう思う気持ちがある。けれど、俺は花梨を忘れることは出来ない」

この穏やかな静けさに促されたのかれもしれない。隣にある小さな温もりの所為かもしれない。
いや、酔いに任せた告白、なのかもしれない。酒の力を借りる己に自嘲の笑みを漏らした翔雅を翔愛がきょとんと見上げた。

「かりん、さま。ですか?」

翔愛には分からない名前。
首を傾げれば何処か痛い翔雅の笑みがある。

「ああ、俺が愛した人だ」
「あいした、ひと・・・」

今ひとつ意味の分からない言葉にまた首を傾げればグラスをテーブルに置いた翔雅の手が翔愛の少し冷えた頬を包んだ。

「昔、誰よりも愛した綺麗で強い人だった。結婚の約束をして、しかし結婚する事無く彼女は亡くなった」

微笑んでいるのに泣きそうな表情で翔雅はゆっくりと語った。
昔愛した人の事。けれど今も愛する人。忘れられず、けれど哀しみに浸る暇は無く、心の傷はそのままにどうしても求めてやまない、けれどもう居ない人。
今でも思い出そうとすれば直ぐにでも鮮明に思い出せる。つい昨日のことの様に。

愛した人の柔らかい匂い、温度、暖かい笑顔。
その身に宿した、もう亡くなってしまった2人の子供の事。
つらつらと語られる言葉は翔愛にとっては少し難しかったのかもしれない。
翔愛にとっては愛すると言う事も、男女の仲も、結婚と言う意味ですら良く分からないものだったから。けれどあまりにも痛そうな翔雅の表情に見上げながら翔雅の頬にそっと指先で触れた。けれど、何て言って良いかなんて分からない。
だって。

「ごめんなさい。僕には、むずかしいです・・・あいすると言う意味が、よくわからないから・・・」

心の呟きが声に出てしまった。はっとして翔雅に触れた指先を戻そうとすれば、翔愛の動きより早くに翔雅の手が翔愛の手を握った。強く握られた手は、けれど痛みを伴わず力加減をしてくれている。

「そうか・・・ではお互い様と言うことで、しばらく、共に居ようか」

怒られる。咄嗟にそう思ったけれど、思いの外翔雅から漏れたのは優しい言葉と瞳だった。

「俺は、まだ前には進めない。どうしても忘れられない想いが残って、消えない。けれどお前も何も知らないのならば・・・まあ、状況としてはだいぶ違うが、それでも良いだろう。意味は違うと思うがお互い様と言う事、にしておかないか?」

翔愛の手を痛く無い様に握ってくれる翔雅の手。
思いがけない言葉に大きな瞳を見開けば、夜の風で冷たくなった額に小さな口付けが落とされた。

「おたがい、さま・・・」

額に落とされた温度と、翔雅の言葉。考えれば考える程に、それは翔愛にとっては初めて貰える嬉しい言葉だった。はっきりと、翔愛を必要だと言ってくれた訳ではないのに、心の奥からじわりじわりと嬉しい気持ちが浮かんでくる。翔雅の瞳を見つめたまま瞬く拍子にするりと瞳の端から何かが滑り落ちた。

「そうだ。だから暫くは共に居よう。お互いに努力すれば良いんだ。何て、お前にした事を思えば今更な言葉なのかもしれないがな・・・」

目を細めた翔雅の指先が翔愛の瞳の端っこを拭ってくれる。痛みを抑えた笑みに翔愛は翔雅の服をぎゅ、と握る。
どうしよう、とても、とても嬉しくて、けれど少しだけ痛くて、でも嬉しくて。
言葉を理解する前に心が勝手に嬉しいと判断してしまって、沸き上がる何かを抑えられず、溢れる何かに気づかないままに翔愛は震える唇を開いた。

「どりょく、します。わからないけど、どりょく、します」

大きな瞳からぽろぽろと落ちる何かに気づかず頬を染めてふわりと微笑んだ翔愛に今度は優しい口付けが落ちてきた。軽く触れる唇はとても柔らかくて、少しだけ酒の匂いを含んだ優しい温度だった。





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