星降る庭で...39



唇に何か柔らかいものが触れた。
最初はそんな感想しか持たなかった翔愛だが、その柔らかいものが翔雅の唇だと思っても、あまり感想は変わらなかった。
翔愛にとって口付けは全く未知のものだからだ。
少しの間で離れたそれに翔愛は大きな瞳を瞬たかせて首を傾げるだけだった。けれどまだ近くにいる翔雅の瞳は優しい色をしていて、あの怖い色では無いから安心していたのかもしれない。頬にある翔雅の手もそのままだったから思わずその手に重心をかけてしまった。

「・・・嫌、だったか?」

静かに翔雅が問う。少しだけ眉間に力を入れた翔雅の表情に、しかし嫌では無かったと単純にしか考えられない翔愛は小さく首を横に振った。

「そうか、なら、良かった」

何処かほっとした呟きにまた首を傾げてしまう。
あどけない仕草を見せる翔愛に翔雅は苦笑しながらまさか口付けの意味も知らないのだとは思いもせずに翔愛の頬に触れていた手をゆっくりと外した。離れていく温もりに少しだけ残念に思いながら、離れていく翔雅に視線を合わせて上を向く。真っ直ぐに見つめていると翔雅は微笑んで翔愛の頭に被さっているショールをきちんと直してくれた。

「ありがとうございます」

ささやかな行為も嬉しくて、にこりとはにかめば翔雅も微笑んでくれる。
あの怖い翔雅とは全くの別人だけれども、こっちの翔雅の方が好きだ。

「いや、礼を言うのは俺の方かもしれんな」

また分からない事を呟いた翔雅にやっぱり首を傾げる翔愛だけれども、もう翔雅を怖いと思う気持ちは無い。何より翔雅は翔愛に言ってくれたのだ。とても優しい言葉を。まだ嬉しい気持ちがいっぱいで翔雅をじっと見ていると遠くに居た椛が駆け寄ってきた。その手には沢山の貝殻がある。

「ふふーん。何だかラブラブだなあ、お前さん達。ほら、姫さんに貝殻いっぱい取ってきたぜ」

その沢山の貝殻を持ちきれないと分かっているのに翔愛に持たせた椛は何故かにやにやしながら肘で翔雅を小突いた。
突然振ってきた沢山の貝殻にわたわたしている翔愛は椛と翔雅のやり取りを見る事無く貝殻に夢中になってしまう。からからと音を立てて幾つか落としてしまったけれど、両手にいっぱいの貝殻に自然に表情が緩む。

「椛さま、ありがとうございます、でも、こんなに沢山持てないです」

落としてしまった貝殻が申し訳なくて椛を見ればやっぱりにやにやしていて、翔雅はむすっとしていた。

「じゃあ天丸にでも持ってもらえ。後は何だな、食えるのでも捕ってきてやるから楽しみにしてろよ」

がははと豪快に笑うと椛はすぐに海に行ってしまった。貝殻を手渡しに来てくれたのだろうかと椛の後ろ姿を見ているといつの間にか天丸が側に居て持ちきれない貝殻を引き取ってくれた。

「ありがとうございます」

素直に礼を言えば天丸もとても優しく微笑んでくれた。どうしたしましてと言いながら椛と同じくすぐに去っていく天丸に何か変だなと首を傾げてしまう。

「・・・翔愛、少し休むか」

そんな翔愛に翔雅はむすっとしながらも優しく翔愛の手を引いてくれた。そう言えば翔雅の態度もさっきとは違くて少し変だ。やっぱり分からない事ばかりだと思いながらも素直に翔雅の後を歩く。
さくさくと砂浜を歩く音と海の音。踏みしめる足は裸足で・・・実は、痛い。
もうだいぶ前から例の足首が痛みを訴えているのだけれども、誰にも言えない痛みだからと、それに加え海の楽しさとで表には出さずに我慢していたのだ。

だって、この足首の痛みは仕方のない事だから。
既に諦めている翔愛はまさか自分の色が違う色だなんて言える訳もない。
ずっと、きっと、一生このままなのだと早々に諦めてしまっているから、何も言わずにただ痛みを抑えて歩いている。せっかく翔雅が優しくて、天丸も椛も優しいのに本当の色がバレて嫌われたくはないのだ。
だって、翔愛の色は異質だから。
毎日金色の髪を、森の色の瞳を自覚してはいるけれど、本当は違うのだから。

「どうした?やはり疲れたか?」

何も言わず翔雅に手を引かれていたけれど、俯きながら歩いていた翔愛に気づいたのだろう。立ち止まって心配してくれる翔雅に翔愛は慌てて顔を上げた。もちろん、何でも無い顔をする。

「ちょっとだけ、疲れました・・・こんなに長い間外に出たのははじめてです」

それは本当の事。嘘ではない。だから自然に口をついて出てくる。翔雅もそんな翔愛に納得してくれて、今度はゆっくり歩いてくれた。
進む先は朝食を取ってそのまま敷いてある絨毯だ。少し歩いて着いたそこに翔雅と隣り合わせで座る。思わず出た吐息は安堵の吐息で、それを翔雅は疲れたのだろうとしか思わなかったが本当は痛みが和らいだ吐息で、けれど翔愛はそんな事を少しも外には出さない。我慢も諦めも慣れているから。それが当たり前だったから。

「少し休むと良い」

そう言ってくれる翔雅に甘えて翔愛は少しだけ翔雅に寄りかかった。大きくて暖かい翔雅はとてもがっしりとしているから翔愛一人が寄りかかってもびくともしない。それ所か手を伸ばして寄りかかる翔愛を支えてくれた。

「ごめんなさい」

小さく呟いて目を閉じた。それは、疲れてしまった事にでは無い。

「謝るな。疲れて当然だろう。少し眠るといい、後で起こしてやる」

翔雅は優しく翔愛のショールを広げて掛け直してくれながら、余った所を身体にも被せてくれた。
こんなに優しい事をされると、心が痛い。きっと騙している、と言う事になるのだろう。翔愛の色が違うと言う事は、翔雅を、天丸も椛も騙しているのだろう。そんな事を思う余裕が今までは無かったけれど、今は違う。優しい言葉を言ってくれた翔雅はきっと優しい人で、天丸も椛も翔愛を世話してくれる優しい人なのだ。それを、翔愛は騙している。この国に来た訳は未だに良く分かっていないけれど、沢山の優しさに触れて翔愛の心の中にじわりと自責の思いが滲んで、染み込んでいった。





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