星降る庭で...35



馬車は音もなく静かに城を下がっていく。
まだ朝日の昇らぬ暗い空だけども、ほんのりと明るくなってきているのが馬車の中に居る翔愛にも分かる。
流石、と言うべきなのだろうか。王である翔雅も乗る馬車はとても立派で広くて、静かだ。
翔愛の隣には翔雅が居る。会話は何もないけれど外を眺めている翔雅の雰囲気は不思議と柔らかい。
その正面に天丸が大きなバスケットを抱えて座っている。その隣が椛だ。
翔愛を除く3人は大きな人だから多少広い馬車の中が狭く感じられる。けれど翔愛にとっては馬車に乗るのも生まれて2度目の経験。一度目は何も分からず羽胤に来た時に覇玖と乗った。
あのときは怖くて怖くて、けれど覇玖には縋れなくて、一人震えていた。何も知らない事が怖くて、先が怖くて、震える事しか出来なかった。今も翔愛は何も知らない。どうして羽胤に居るのかも、本当は良く分からない。けれど、今は馬車に揺られても怖くはない。むしろ楽しい気持ちがじわじわと内から沸き出てきている。

海に行くのだと言ってくれた。外に出た事が無い翔愛の為にと翔雅が言ってくれた。それだけで嬉しかったのに、まさか本当に外に出してくれるだなんて思ってなかった翔愛は、実はちょっぴり信じられずに、けれど確かに今乗っているのは馬車だからと、王の部屋を出た時から一人でぐるぐるしている。

「もうそろそろ着くな」

ふいに翔雅が翔愛に向かって手を伸ばしてきた。大きな手が翔愛の頭から被っているショールを、少しずれていたそれをなおしてくれた。

「日差しはまだ無いが風が強い。外すなよ」

翔愛を心配してくれている声だ。ちょっと驚いて大きな瞳を見開けば薄い布ごしから見る翔雅が苦笑した。

「そんな目をするな」

どんな目なのだろう。翔雅の表情も言葉も理解出来ずに首を傾げると正面から椛の忍び笑いが聞こえてくる。

「気にすんなって。でもちゃんと被ってないと火傷しちまうからな。しっかり被ってろよ、姫さん」
「そうですね。朝日が昇れば日差しも強くなりますからね」

天丸も微笑みながら持っていたバスケットを抱え直す。2人の言葉も今ひとつ理解出来ないまま、馬車はゆっくりと止まった。少しも揺れずに止まった馬車から初めに降りたのは椛で、その後を天丸がバスケットを抱えながら降りた。2人が降りたのを見て翔雅も馬車から降りる。

「翔愛、掴まれ」

すると降りた翔雅が上半身を馬車の中に入れて翔愛に両手を伸ばして来た。どうして掴まるのだろうと思う前に翔雅の手は翔愛を捕まえて抱え上げられてしまう。

「っ」

突然の事にびっくりして、まるで赤ん坊の様に翔雅の腕一本で抱えられてしまった翔愛は翔雅の服に掴まる。翔雅はとても大きいから抱え上げられると自然と翔愛の位置も高くなって怖い。ぎゅうと服を掴むと翔雅がもう一本の腕でしっかりと翔愛を支えてくれた。

「お前は随分軽いんだな」

小さな翔雅の声が聞こえる。

「翔雅さま?」

分からず小さな声で問いかけると翔愛の顔のすぐ側にある翔雅の顔が小さな微苦笑を漏らした。

「いや、何でもない。ちゃんと掴まっていろよ」

高さが怖くてぎゅうと翔雅に掴まる翔愛に、翔雅は微かに笑い声を上げて、さくさくと音を立てて歩き始めた。
ただ歩いているだけなのに音が聞こえる。それは、足下から聞こえる聞いたことがない音。

「音が、聞こえます」

翔雅に掴まったまま不思議そうに聞く翔愛に翔雅は何の音だと首を傾げる。

「何の音だ?」
「ええと・・・さくさくって聞こえます」

翔愛も分からないのだろう。首を傾げているが、幼い口調に自然と翔雅の口元に笑みが浮かんだ。

「今砂浜を歩いているからだ。それは砂の上を歩く音だ」

砂の上。それは言葉では知っているけれど実際には知らない物の一つだ。

「着いたら歩いてみると良い。海にも少し入れば良いだろう」

今翔愛を抱えているのは砂の上では足を取られやすいからだ。まだ暗い砂浜は慣れていない者には危ない。だから翔雅は翔愛を抱えて歩いてる。その後ろを椛と天丸がくすくす笑いながら着いてきている。

「砂の音なんですね・・・でも、他にも音が聞こえます」

音の無い世界で暮らしていた翔愛に今は沢山の音がある。砂の上を歩く音。そして、近くから遠くから聞こえる大きなざわめきの様な音。

「何て言うんでしょうか・・・ちょっと、怖い音が聞こえます」

翔愛にはどう形容して良いか分からない音だ。しかし翔雅にはそれで分かる音でもあって。

「それは潮の音だ。もうすぐ夜が明ける。そうすれば海も全て見える。ああ、海の音とも言うな。波が浜辺に打ち付けられて聞こえる音だ」

翔雅は丁寧に説明してくれる。その言葉の一つ一つを一生懸命理解しながら、翔愛は小さく呟いた。

「うみ・・・」
「ああ、朝の海は綺麗だ」
「きれい、ですか?」
「すぐに分かる。さて、暑くならないうちに飯にするか。椛、敷物はどうした?」

翔雅が立ち止まる。後ろを振り返って声を上げると既に背後では椛と天丸がなにやら砂の上でごそごそとしていた。

「今敷いてるって」
「傘もありますからね」
「・・・かさ?」

2人でいそいそと準備している物に首を傾げる。

「日焼け止めの大きな傘だ。朝の光も強いからな。お前は日に焼けるだろう」

それも翔雅が説明してくれた。思わぬ気遣いに、ちょっとだけ、くすぐったい気持ちになった。

「ありがとうございます」

思わず頬を赤く染める翔愛だが、生憎まだ暗闇の中。翔愛が染まった事に気づかなかった翔雅だが、以外と手に抱える温もりが暖かいものだと、小さな声がくすぐったいものだと、知らず2人とも同じ様な感想を頂きながら、まだ夜の明けぬ浜辺で同じ色の瞳を見つめ合った。





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