星降る庭で...30



翔雅は翔愛の事が嫌い。ハッキリと分かるくらいに、翔雅から翔愛に発せられる空気は冷たくて、怖い。
けれど時折、ほんの僅かだけ発せられる空気が柔らかく緩んで、ほんのりと暖かくなる事があった。

翔愛は他人の感情、特に負と呼ばれる感情に酷く敏感だ。
生まれた時より負の感情だけを一心に受けてきているのだから、自ずと向けられる負の感情の種類にも詳しくなった。けれど、翔雅から発せられる空気はまた違う憎しみの色で、聡い翔愛にも分からない。分からないから、余計に怖い。
まだ乱暴された恐怖が微かに残る身体と、沢山残る心。そんな中で翔雅に接する事は翔愛にとって大変な緊張がある。例え翔雅の機嫌が良くても無意識で強ばる身体は恐怖を訴え、経験した事のない様々な日常生活も重なって翔愛に大きな負担を与える。それを知るのは翔愛本人だけで、しかし翔愛すら自らに掛かる負担の全てを自覚している訳では無い。
だから、翔雅が機嫌悪く部屋を出た途端無意識に力を入れていた肩から力が抜けてしまってへたりと、抱えてくれる椛に寄りかかってしまった。

「姫さん、お疲れだな。少し休むか?」

すると椛は顔をくしゃりと歪めて翔愛をソファまで運んでくれた。そのまま優しく下ろされる。
椛は優しい。けれど、椛の優しさは翔愛そのものに向けられているのでは無くて、何か違う物に向けられていると翔愛は思う。お医者様だと言っていたのだから、その辺りの感情が翔愛に優しく接してくれるのだろうと、知識は無いが決して思慮の足りない者とは違う、聡い思考が翔愛に鋭すぎる観察眼を与えている。

「ほら、風が冷たいからな。ちゃんと毛布被っとけ。いま日焼け止め塗ってやるから」

けれど翔愛に触れてくれる手は優しい。だから、分からない。椛の薄紅色の瞳は鋭い色を発しているのに、こんな風に触れてくれる手は優しい。

「ごめんなさい」

小さく謝罪して椛をじっと見上げれば椛は苦笑して翔愛の頭をぽふんと撫でてくれた。

「そんな顔すんな。大丈夫だって。俺は何もしねーよ」

翔愛の瞳は澄みきっているくせに鋭い。椛は一心に見上げてくる深い森の色が何処か探る仕草を見せている事に気づいている。いや、探る、と言う言葉は当てはまらないのだろう。無意識に自分に接する他人の中を覗こうとする真っ直ぐな視線。それは翔愛に備わった生きるための知恵なのかもしれない。探る、と言うにはあまりにも真っ直ぐで純粋。恐らく天丸も気づいているのだろうが、あれはあれで内心の考えを一切外に出さない男だ。翔愛には余計分かりにくいだろう。何より今翔愛に接している人間はどれもこれもが本音をすんなり外に出さない者ばかりだ。それは椛もそうなのだが、そう言う意味で言えば一番わかりやすいのは翔雅かもしれない。ひっそりと考えて思わず笑ってしまった。

「椛さま?」

突然笑った椛に翔愛は首を傾げる。やっぱりこの人も難しい。そう思ってじいっと椛を見続けているとひとしきり笑った椛はぽふぽふと翔愛の頭を撫でて、何処からか小さな瓶を取り出した。

「ま、今のうちに日焼け止め塗っとくか。ほら、上向いて」

薬なのだろう。椛の太い指に取られた白い軟膏はほのかに甘い匂いがした。言われるままに上を向けば鼻の先と頬、額に椛が触れてきた。

「これでよし。姫さん、外を見るのもいいがあんまり長時間はダメだぜ。姫さんの色じゃ日に焼けて火傷しちまうからな。ほら、もうあっち行っていいぞ」

何だか顔全体が甘い匂いに包まれている様で、不思議な感じだ。うっすらと塗られた薬は肌に刺激を与える事無くぱちりと瞬きした。そうして、椛に窓際のクッションを指さされて、けれど喜ばずに少し困った顔をして、椛を見上げた。

「どした?」

気遣う声。翔愛が何よりあの場所を好んでいると知っているから椛は首を傾げて翔愛の顔を覗き込む。
深い深い森の色に椛の顔が映った。

「外は、わからないです・・・」

困った様に椛を見上げて、視線を落とした。きゅっと両手を握って膝の上に置いた翔愛は俯いて、小さな唇を開く。

「こわい、です」

あまりにも大きな空間。果てのない広さが眺めていただけの時とは違う存在感で翔愛の中に強烈に映った。
もう外には行きたく無い。あんな広くて怖い所に一人でなんて、行けない・・・見るのも、怖い。
心なしか身体が震えている様な気がする。でも、もうあんなにうきうきとした気持ちで外を眺める事は出来無そうで。
あんなにも見るのが楽しかったのに、もう楽しくなくて。

「どうして・・・なんでしょう」

憧れていたのに。
小さく小さく呟いた翔愛は握った拳の上にぽたりと溢れ出た戸惑いを落とした。





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