星降る庭で...28



頬に直接当たる風を感じて翔愛は大きな瞳を更に開いてまじまじと眼下に広がる景色を見下ろした。
真っ青な空と同じ色の海。白く見える砂浜。深い緑の森。沢山の家らしき建物に真っ白い帆を張った沢山の船。全てが初めて。部屋の中から見ていた時とはまるで違う、圧倒的な存在感でもって全ての存在が真っ直ぐに翔愛に入ってくる。

空の色。高さ。広さ。
雲の色。密度。
風の音。流れる感触。
海の大きさ。色の深さ。
木々の匂い。家の色。
微かに聞こえる街のざわめき。自由に海を滑る帆船。

全ては何の隔たりもなく翔愛に入ってくる。あまりにも多くの情報。今まで何も無かった薄暗い部屋の中でしか得られなかった情報の何十倍、何百倍もの、圧倒的な存在が何にも遮られずに翔愛に入ってくる。

「綺麗だろう。羽胤の海は。この国は小さな島国だが海も我が国の一部だ」

遠くで翔雅の声が聞こえる。海が好きなのだろう。この国が好きなのだろう。聞いた事もない程に機嫌良く話してくれている。
但し今の翔愛には翔雅の言葉の意味も、何も受け入れる余裕は無い。だって、あまりにも大きすぎるから。初めて感じる世界、と言うには大袈裟かもしれないが、それでも翔愛にとっては初めて直に感じる大きな世界なのだから。
こんなに、こんなにも大きい。あの小さな薄暗い部屋からは想像も出来なかった、あまりにも大きな空間。
光溢れる空気が、潮の香りを運ぶ風が、何処か冷たく感じられる澄んだ空気が・・・ぜんぶ、はじめて。すべて、はじめて感じるもの。

外は、広い。

無意識に抱き上げられた翔雅の服を掴んでしまった。
まだ抱き上げられたままで、小さな翔愛は翔雅の片腕にちょこんと乗っている形になっている。支えてくれるのは翔雅の腕。あんなに怖かった翔雅だけ。
あんまりにも広い空間にどうしようもなくて翔愛は震える手でぎゅっと翔雅の服を掴んだ。
小さく小さく震えている翔愛は、けれど大きな瞳を見開いたまま、瞳に映る全ての物から目を離せない。じっと、瞳が焼けそうな程に眩しい景色を眺めて、やがてその大きな瞳からは静かに涙がこぼれ落ちた。ぽろりぽろりと、後から後から溢れ出てくる。

「お、おい。どうした?」

ぽろりと落ちた涙に翔雅がぎょっとする。突然泣き出した翔愛に戸惑いの表情を向けてくる。どうしてそんな顔をしているんだろう?涙をこぼしている自覚の無い翔愛が首を傾げると、その仕草に沿って、涙が零れた。大きな粒がほろりと零れて翔雅の服を濡らした。

「・・・?」

それでも翔愛には泣いていると言う自覚が無い。不思議そうに翔雅を見れば、翔雅は苦笑して大きな手を翔愛の顔に伸ばしてきた。そうして、指先で頬にこぼれ落ちる涙を払ってくれる。

「どうしたんだ?何を泣いている?」

泣いている。苦笑した翔雅に言われて初めて泣いている事に気づいた。涙だけが勝手にこぼれ落ちている。悲しくなんて無いのに。痛くもないのに。何で、こぼれ落ちる涙は止まらないんだろう。ぽろぽろと零れる涙が不思議で困った顔で翔雅を見下ろす事しかできない。

「ど、して・・・?」

分からない。今ある気持ちは・・・始めて出た大きすぎる外と言う世界に対する戸惑いだけ。あまりにも大きすぎる世界に対する大きな戸惑いだけなのに。

「どうした?変な奴だな。泣く様な事があったのか?」

困った顔をする翔愛に翔雅は仕方が無いなとばかりに肩を竦めると翔愛の涙を拭ってくれた。長い指先が不器用にぐいぐいと翔愛の頬を拭って、目尻もぐいぐいと拭ってくれる。不思議とその指先は優しくて、あんなに怖かった翔雅とは思えない程で。
ぐいぐいと顔中を拭ってくれる指先に、自然と口が開いた。

「そと、だから・・・」

小さな小さな声。けれど、風に乗ってちゃんと翔雅まで届いた翔愛の声。嗚咽するでもなく、ただ声を漏らす翔愛に翔雅は首を傾げて抱き上げた小さな身体を抱えなおした。

「どうしていいか・・・分からない。僕は・・・はじめてで・・・」

涙に混じった声が小さく落ちてくる。翔愛の顔を拭う手を止めて、泣きながらも真っ直ぐに翔雅を見つめてくる翔愛に視線を合わせた。

「・・・こわい、です」

怖い。
世界はあまりにも広くて、怖い。
どうしてか、翔愛が感じるのは開放感では無く、恐怖だった。
突然訪れたあまりの大きさと情報の多さに耐えられなかった。
今まで小さな小さな世界しかしらなかった翔愛にとって、翔雅の部屋でさえ広いのに、突然何の準備も無く放り出された外はあまりにも大きな存在で・・・その広さが怖くて。

「馬鹿だな。何で怖いんだ」

すると、翔雅がふわりと微笑んで、また、涙を拭ってくれた。
不器用な、大きな手がぐいぐいと翔愛の顔を触って、落ちる涙の全てを払ってくれる。それでも涙の止まらない翔愛に、どうしてだか翔雅は不機嫌になる事もなく、ただ優しく涙を拭ってくれた。





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