星降る庭で...03



「元気だったかい?」

足首の不快感に耐えながら従者に言われるままに支度を整えていた少年、翔愛の前の部屋に突然、明るい声が響いた。

「あにうえ様」

その明るい声に沈んだ表情だった翔愛も明るい笑みを浮かべて部屋の入り口を見上げる。
明るい光の差し込む入り口には見事な金色の髪を一つに結った覇玖(はく)が優しい笑みを浮かべながら立っていた。

覇玖は国王の2番目の王子であり、既に成人も終え妻も子供も持つ身である。
常に優しい微笑みを浮かべ穏やかに話すその人柄は愛綺国の中でも、その外でも非情に人気があり、誰もが憧れる王子でもある。
そして名前のない少年の元に密かに通う、翔愛から見ればたった一人の愛情を注いでくれる大切な人だ。

「父上に話を聞いたよ。大変な事になったね」

優しい微笑みを苦笑に変えた覇玖は翔愛の前まで来ると年の割には小さすぎる細い身体を軽く抱きしめた。

「大変な、こと?」

しかし翔愛には何が大変なのかも分かっていない。
不思議そうに大きな瞳を瞬かせながら首を傾げる翔愛に覇玖は苦笑したまま抱きしめた身体を離して、足を曲げて小さな顔を覗き込む。

母親譲りの美しい顔立ち。
色こそ違うがその造りは国内はおろか世界を見ても適う物など居ないだろう程に整っている小さな、あどけない表情。
しかし今は忌み嫌われる色を変えられて長年見慣れた覇玖でさえも一瞬見惚れてしまう程の美しさになっている。
色を変えられた長い、腰に届く美しい髪。
何時でも真っ直ぐに見つめてくる澄んだ、大きな瞳。
外に出る事のない身体は細く白く、日の光に透ける色が眩しい。

「羽胤国に行って、陛下の元に嫁ぐんだよ」

真っ直ぐに見つめてくる何の罪もない透き通った色を覇玖は優しく見つめている。

「羽胤国?陛下?・・・とつぐ?」

しかし足首の不快感に気を取られていた翔愛には覇玖の言っている意味が全く分からず、不思議そうに覇玖を見上げるだけだ。
この薄暗い部屋から出た事は無い翔愛には何も分からない。
少なくとも物心ついた時には既にこの部屋に居て、一度も外に出た事はない。
だから羽胤と言う言葉が国の名前を指す事だとも知らない。
翔愛の知識は少ない。
この小さな狭い部屋にある少ない本と、偶に訪れてくれる覇玖の言葉だけが翔愛の知識の全て。

「ごめんね。私の力ではどうする事も出来なかったんだ。でもこの国から出る事が出来るのならばそれが一番良い方法なのかもしれないね。その理由が何であれ、此処では幸せにはなれないから」

覇玖の言葉はまるで独り言の様に聞こえてくる。
優しい微笑みを浮かべる覇玖。
翔愛はいつでもこの兄が好きだ。たった一人、翔愛を見てくれる存在。
じわじわと足首からくる不快感も覇玖の前では無くなった様に思えて、翔愛は意味が分からない事ばかりだけれども覇玖が側に居てくれるのが嬉しくて小さな手を覇玖に差し出した。

「あにうえ様。さっき名前と言うものを告げられました」

伸ばした手でそっと、覇玖の綺麗な服に触れた。

「名前、かい?」

国王は嫌そうに翔愛に名前をくれた。そう、翔愛と言う名前を。
この薄暗い狭い部屋に幽閉されていた少年には名前すら無かった。
けれど、吐き捨てる様に言われたのは今まで無かった名前。

「翔愛、と言うのだそうです。覚えておけと言われました」

名前を貰った事が嬉しい事かどうかは分からない。
今までこの部屋に居たのは翔愛一人きりだったから誰も名前が無くても不便は無かったのだから。
けれど覇玖に名前がある様に翔愛にも名前が出来て、その名前を覇玖に呼んで貰えれば嬉しいなと思って翔愛は小さく握った綺麗な服をぎゅっと握り直した。
呼んでほしかったのかもしれない。ずっと前から。この優しい兄に。

「翔愛と言うんだね。・・・馬鹿だね、私は。今まで名前の事すら思い浮かばなかっただなんて」

しかし覇玖は翔愛の名を確認する様に呟いて、うつむいてしまった。





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