next will smile
01.08...愛しい空気




さてさて。
場所は変わって都内某所、有限会社アーツクルーズと書かれた小さな看板のあるアパートは夜も遅い時間だと言うのに煌々と灯りが付きまくっていた。

有限会社アーツクルーズは都内某所の裏通りのさらに奥の今にも崩れそうな2階建てアパートを丸ごと買って細々と(?)経営されている。
もちろんアパートだから多少会社な内装にしてあっても玄関有りキッチン有り風呂あり仮眠室ありベランダ有りと、至れり尽くせりだ。

「なぁにが至れり尽くせりだっつの。帰れないから住居環境を整えただけだっつの。なー菜穂(なほ)ちゃん」
アパートの2階部分にあたる部屋の壁を全部ぶち抜いた大きいと言うか無駄に広い古めかしい部屋。畳の上にパソコンデスクを置きまくって、さらに周辺機器を揃えた不思議な内装の中、そのパソコンの1台の前でだらけた様子で椅子に座りながらモニタと睨めっこしつつ、仕事の合間にモニタの脇に飾られた写真をにまにまと眺めているのはグラフィックデザイナーの高木(たかぎ)だ。

彼はこの会社が創立された頃からのデザイナーで、颯也の飲み友達でもある。
年も颯也と近く、高木の方が2つばかり年上でもある。
不精から伸ばしたままの髪を一つに括り、同じく不精髭を伸ばしているその姿は年頃の女性が見れば10人中7人までは格好良いと頬を染めてくれる様な顔と姿で、だから颯也と飲み友達なのかと妙な具合に納得出来る外見の持ち主である。
が、彼自身は随分前に結婚した奥さんに未だにメロメロで、最近出来た娘にはもっとメロメロな愛妻家であり親馬鹿でもある。
よって、声を掛けた写真にはもちろん目に入れても痛く無い、むしろ嬉しい愛娘の菜穂(なほ)ちゃんが可愛らしい笑顔で写っている。

「なに娘さんの写真に語りかけてるのさ。恐いよ高木さん。それに住居環境じゃなくて職場環境でしょ?」
そんな高木を横目に見ながら、高木の隣でパソコンと悪戦苦闘している充は横目でにまにまと顔全体を崩れさせている高木をちょっとだけ睨んで、またモニタに視線を移した。

何せ忙しいのだ。
この会社の業務の中では一番重要度の高い会社名と同じ名前を持つ雑誌の締め切りがもうすぐそばに迫っている。


ArtsCruise(アーツクルーズ)。
アートの海を航海する。なんて洒落たフレーズの会社名であり雑誌名でもあり、同じ業界内では有名な会社でもある。
で、何が有名なのかと言えば、会社設立当初より名物になっている社長の存在と、その社長の鋭すぎる的確な目で作られた雑誌の内容だ。
ArtsCruiseと言う雑誌は発行部数はさほど多く無いものの、その中身は多々に渡り、一応表面はファッションを取り扱っているものの、数ページ捲れば流行りの店のレポートから日本でも有名と言われる俳優のインタビュー、世界でも有名なモデルの写真から海外レポート、スポーツ観戦、果ては医療事情に株、政治経済にまでその時々により雑誌の購読層を無視しかねない、けれど捉えて離さない内容に加え、スポンサーも切れる事が無い。
ある意味、業界内で異質な存在でもある雑誌だが、そこはそれ。どうやら社長の存在が辺り一面に釘を刺しているらしく、今日も平和に社長の一存で勝手気ままに夜の遅くまで寝る事も出来ずに仕事に勤しんでいる。

そして、この会社でグラフィックデザイナーと名乗っているのは高木と充の2人だけだ。
一応社長である颯也もその秘書だと言う榎戸も、日中だけ勤務している事務の女の子も一応の作業は出来るのだが、やはり細々とした作業は高木と充の2人になるから、1冊の雑誌すべてを編集して形にするのは非常に手間が掛かるし責任も重大だ。

「俺は今日で三日も泊まり込みなんだ。だからここは職場じゃなくて住居なんだ!」
よって、雑誌の締め切り前は非常に忙しくなるから泊まり込みも当たり前になる。
「変な事力説しないでよ。俺だって同じなんだから。それに此所を住居なんて行っちゃって良いの?」
「はっ、そうだ!俺には愛しい奥さんと菜穂ちゃんの待つ立派な住居があるじゃないか!」
「そうそう。立派なスイートホームがあるんだから早く終わらせようよ、ね?」
「おう!とっとと終わらせて菜穂ちゃんと風呂に入るんだ!」
「頑張ってね」
「ちっがーう!頑張ってね、じゃなくて一緒に頑張るんだ!」
「はいはい。がんばってまーす」

口は動かしても手は止めずに。
それが働く会社員の基本だとまだ働き始めて間もない頃から高木に教わった充は、その教えを充実に守り会話をしながらも手を止める事は無い。
ちなみに視線もモニターに向いているから先程からくだらない(本人達にしてみれば重要だ)会話をしながらも口だけを動かして仕事を続けているから、傍目から見れば少々可笑しい姿にも見える。

「相変わらずおかしな会話をしていますね、高木さん、充君」

だから言葉も無く玄関(アパートなので玄関だ)から入って来た榎戸が2人のやり取りを一部始終身終えて苦笑を漏らし、それからネクタイを緩めつつ自分のデスクの上に行儀悪く腰掛けた。
「あ、榎戸さん。写真出来たの?」
「おけーり。おつかれ。写真は?」
榎戸の姿を見て途端に2人は仕事の手を止めて榎戸のデスクに向かう。
何せ今日撮影した写真が今度の雑誌に使われるのだから気も急ぐと言う物だ。
わたわたと散らかった床の上を漕いでくる2人に榎戸は笑いながらビニール袋を差し出す。
「出来上がりましたよ。そんなに急がなくても写真は逃げません。はい。差し入れです」
白い、コンビニの袋を受け取った充はその中身を覗き込んできょとんと首を傾げる。
隣から覗き込んでいた高木も首を傾げて上着を脱いでいる榎戸を見遣った。
「・・・差し入れにビール?」
「何でまた」
「たまにはいいじゃないですか。私も着替えたら手伝います。その前に写真の選定ですけどね」
だからそれまでビールを飲んで待っていろとの事だけれども、普通仕事中にビールは有りなのかと高木と充は顔を見合わせて、それから今度の雑誌で使われる写真のテーマを思い出し、充は昼間の撮影のやりとりを思い出して、何も言わずに缶ビールのプルダブを上げた。
「つってもビールじゃ酔いもしねぇけどな」
「俺もー」
それでも飲まないのと飲むのとでは雲泥の差が出そうだと、一口煽って、それから2人で同じ動作で煙草を銜えて火を付けた。
社長以下、事務の女の子も含めて全員が喫煙者なこの社では全室(トイレ、風呂含む)が喫煙だ。

やがて黒のスーツをから着替えて、ラフなジーンズに黒のシャツ姿になり、オールバックの髪を崩した榎戸も煙草を銜えながらアタッシュケースから封筒を取り出した。

普段は黒のスーツ姿でビシっとしている榎戸だが、こうやって普段着姿になるとスーツ姿より数年は若返って見えるし、はやり変な所で颯也と友人なのだなと感心してしまう程に整った容姿をしている。
何時も何時もうっすらと笑みを浮かべているから人には恐い笑顔の人と言う認識をされがちだが、こうやってごく自然な表情で長めの髪を下ろしている姿は恐らく高木以上に人の目を集めるだろうと充はこっそり思っている。
とは言え、充も中々に人の目を集めるのだが、自分の事は全く気にしないから気付いてはいないけれど。

「それじゃ始めましょうか。まずは表紙に使う写真ですが…」
ぼけっとビールを飲みながら榎戸を眺めていた充と、嫌な予感ひしひしで封筒からばらばらと出て来た写真の群れにがっくりと方を落とした高木に向かって榎戸は空いているデスクの上に一枚一枚写真を並べて行く。

どれもこれも、おやっさん自慢の写真達。
薄暗い、間接照明の下の恋人の戯れ。
熱っぽく、艶っぽく、けれど下品にはならず、ある種の清潔さを保つ触れ合い。

並べられるにつれ榎戸の表情はそのままだが、高木はあからさまにうんざりとし、充はやれやれと言った表情に変わって持っていたビールを煽りつつ、2人揃ってぷはぁぁぁと、決してアルコール入の炭酸から吐く息では無い息を吐いてしまう。
「そういえば撮影終わった後、小道具一式、颯也さんが買い取ったそうですよ。ああ、そうですね、表紙はこれにしましょうか。高木さん、修正加工お願いします」
「さらりと嫌な事呟くんじゃねーよ。ったく。んで、どーすりゃいいの?」
榎戸の指差した写真は逞しい、美しいとさえ思える筋肉の付いた浅黒い、逞しい背中に、愛おしげに白い腕が絡み付いている物で、その背の左肩に稲妻を象った入れ墨と、あまり見たくは無いが、引っ掻き傷にキスマークまで付いている。おまけに榎戸の余計な一言で指名された高木はげんなりとした表情で持っていた缶ビールを思わず投げ捨ててやろうかと振りかぶるポーズを見せて充に苦笑されてしまった。
「背中の入れ墨と傷、もちろんキスマークもですが消して下さい。あ、でも首筋にある痕は消さなくて良いです。その方が雰囲気出るでしょうから」
「へーい」
「充君はこれと、これ、この写真を加工修正して下さい。特集の先頭ページに使います」
「はぁい」
その他にも何種類かの写真を選ぶ榎戸に高木はげんなりした表情を戻せずに、更にげんなりとしながら写真の加工修正に入り、充は指示を聞きながらふむふむと頷いて、高木と同じくパソコンの前に座った。
高木と充の態度の違いは慣れているかどうかの差だろう。何せあの撮影の小道具と言えば2人が巻き付いていた布くらいしか無く、それを買い取ったとなれば、撮影後、どう言ったコトになってしまったかは明白で。
「お前何でそんなに平気な顔してんだよ」
「だって慣れてるし?それに撮影中はヤっちゃって無いんでしょ?」
「ンなの分かんねーぞ。颯也の事だ。しっかり入れてるかもしんねーじゃねぇか」
「ああ、それはあり得るかもねぇ。でも写真に無いんだったら良いんじゃないの?ね、榎戸さん」
「ま、そうですね。そう言う事にしておいた方が精神衛生上良いですからね」
2人のやりとりを笑いながら聞いていた榎戸も数種類の写真を持って自分のデスクに座る。
「締め切りは明日の正午です。朝には颯也さんが来ますからそのまま校正チェックを入れて印刷所に持ち込みます」
他のデスクに比べれば整然としている榎戸のデスクだが、やはり締め切り前とあってパソコンとそれを操作する僅かな空間の他は全て書類が積み重なっている状態だ。
「ふーん。朝に来れんのか?」
「来させます。来なかったら、充君、分かっていますね?」
「えー。またぁ?ヤだよ。朝なんか一番遭遇率高いんだよぉ」
「合鍵を持っているのは充君だけなんです。一応伝えてはおきましたが、もしもの時は頼みます」
「・・・・ヤだって言いたいなぁ」
「言ってんだろーが」
「面と向かってだよ」
「変わねーって。どのみち朝に来なかったら行くハメになるんだろ」
「うう、ヤだよぅ」
「すまないとは思っているんですよ。一応」
「一応ね」
「高木さん、一言余計です。あ、表紙ラフ上がったら見せて下さいね」
「へーい。もう少々お待ち下さいっと、今必死こいてやってますってば」

カタカタと機械を操作する音と3人の喋る声が響く中、すっかり深夜になってるにもかかわらず一向に終わる気配の無い妙な雰囲気に、今日も徹夜だなと諦めた高木と充は銜え煙草でうんざりとしながら熱い恋人達の写るモニターを眺め、少し離れた位置で同じくモニターを眺めている榎戸はこれで今回も貰ったと言わんばかりににんまりとほくそえんでいた。

小さなアパートから光の消える時はまだまだ先の様である。





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