next will smile
01.05...愛しい空気




有限会社アーツクルーズ。
言わずもがな颯也の経営する小さな雑誌会社だ。
が、裏では社長秘書と公言してはばからない榎戸によって経営されていると囁かれていたりもする。

榎戸と言う人物は不思議。の一言で括られる様な人物だ。
春夏秋冬、ピシっとした黒のスーツにこれまたビシっとしたオールバックを決めて、何時でも笑っていない笑顔を絶やさない様な人物で、聞けば社長である颯也の友人と言う事だ。
そして、誰しもが何故こんな小さな雑誌会社になんぞ、と首を傾げる程に優秀で、もしこの仕事をしていないのだったら何処ぞの大会社の社長にだってなれていただろうと言う程だ。
そんな人物だからこそ、社員からの信頼は厚く、社長からの信頼も厚い。
厚い、が、それと同じ厚さで恐れられてもいる。
何せ仕事が優秀だと言うことは、それだけ仕事に厳しいと言う事で、要するに細かく煩くもある。
まぁ、それもこれも社員規則等何も無い様な、社長を筆頭としてらだけがちな社員を引き締める為の厳しさなのが、それを除いても尚仕事に対する姿勢は厳しく、真っすぐなのだ。
だから、彼、榎戸の立場は強く、発言力も滅法強い。

よって、充に引きずられるがままに撮影場所に辿り着いた颯也と綾宏を待っていた榎戸は黒スーツをキラリと輝かせながらにっこりと全く笑っていない瞳を細めて微笑んだ。

「とりあえず颯也さんは上半身裸になって下さい。今からテスト撮影しますから。ほら、早く脱いで、あそこに立って下さい。綾宏さんお久しぶりです。もちろん来て頂けたんですから協力して貰えるんですよね。じゃぁ、綾宏さんも上脱いで颯也さんと一緒にあそこに行って下さいね」

にこにこにこ。
微笑みながら挨拶も成しに指示を与える榎戸に颯也も綾宏も一歩後ずさって引きつった笑みを浮かべて、言い訳も反論も無く(出来なく)しぶしぶと上着に手をかけた。
ちなみに充は榎戸の笑っていない微笑みを見た瞬間、のんびりな彼れしからぬ早さで脱兎のごとく逃げ出そうとしたのだが、言葉も無く榎戸の睨み一つで立ち止まらざるを得なかった。
ちなみに、颯也の友人だと言う事は綾宏とも嫌と言う程に面識があるし、彼らの関係も知っているからこその榎戸の要求だったりもしている。

...むっちゃ怒ってるみたいだけど?榎戸さん
...あー。やっぱ無断はマズかったか
...マズかったんだろうね。すごい恐いんだけど、僕
...俺もだ。見ろ、充なんか可哀想に。おびえてやがる
,,,あらら

こっそりと2人視線を合わせて目で会話をするが、それすら見破られているのか。榎戸に睨まれてそそくさと脱いだ上着を抱えて立てと言われた場所に向かった。
向かった先はいくつかの照明と床に散らばった数種類の色の布。
そして。
「おっせーぞ。お前ら。俺を巻き込むんじゃねーっての」
しわがれ声の一人の中年男性。カメラを片手に床に座り込みながら煙草を銜えて2人を睨んでいる。
「おやっさん。久しぶりだなぁ。じゃ今日の撮影はおやっさん?」
それを見て颯也が嬉しそうに顔を綻ばせれば、おやっさんと呼ばれた男は悔しそうに何やら充に言っている榎戸を見た。
「お前が撮影に入るってんで俺が呼ばれたんだよ、あの黒いのに。ったく。俺がお前しか撮らねーって事しっかり心得てやがるんだ。あの恐いにーちゃんは」
ぶつくさと言いながらも、それでも何処か嬉しそうに床から颯也を見上げるおやっさんは銜えた煙草のままに口元だけをニッと上げた。
彼、おやっさんは風景写真の専門家で、もちろん人物は撮らない。それでも颯也だけは撮りたいのだと、随分昔に言われてそれからの付き合いだ。颯也がモデルを退いてしまった後は世界中の風景を撮っているのだが、恐らくは榎戸に呼び出されてほいほいと来てしまったのだろう。
「ま、会えて嬉しいぜ。おやっさん。あ、これ綾宏な。よろしく」
子供みたくほいほいと来てしまって不機嫌にになっているのだろうおやっさんに颯也は苦笑しながら脇の綾宏を差し出す。
「よろしくお願いします。綾宏です」
ぺこりと頭を下げる綾宏におやっさんはやれやれと肩をすくめて銜えていた煙草を灰皿に捨てた。
「あー。耳タコで惚気てる綾宏だな。よろしくな。俺の事はおやっさんでいいから」
「はぁい」

「和やかな挨拶は後にして下さい。時間が無いんです。スタジオの仕様期限は残りわずかなんです。お2人とも早くしてください。おやっさんもです」

耳タコの時点でどう言う話が行っているのか分かってしまった綾宏も肩をすくめておどけてみれば、何時の間にか充に小言を言っていた榎戸が気配もなく背後に立っていて、とても恐い。
思わず鳥肌を立ててしまった綾宏に対して颯也は面倒臭そうに溜息を吐きながらも綾宏の背を押して散らばった布の中央に立った。
散らばった布は色も素材も数種類。他には何も無い。恐らくこれが今回使われる小道具で、それ以外は自力で何とかしろとの事なのだろうと見て撮った颯也はその中の一枚。色の濃い、けれど素材の薄い深紅の布を一枚取って綾宏の頭に被せた。
「じゃ、テスト取りいくか」
「僕どうすればいいの?」
「俺に任せとけ」
ふわりとかぶせられた布からもぞもぞと頭を出した綾宏は颯也に正面から抱き寄せられて、耳元で囁かれる。何だか撮影とは言え怪しい気持ちになりそうだ。
「言っておきますが本番始めたらぶっとばしますよ。くれぐれも年齢指定に関わる様な撮影をしないで下さい」
側に感じる颯也の声と匂いにすっかりほんわかとしていた綾宏にさくっと榎戸の注意が突き刺さる。肩をすくめて颯也に視線を合わせれば向こうも同じく肩をすくめているのが分かって、何だかおかしくなってしまう。
「いちゃついてる所、悪りぃんだけど、ちと照明ずれんだわ。誰か手伝ってくれ」
「じゃあ充君、お手伝いお願いします」
「えー。俺、忙しいから早く会社行きたいのに・・・」
「言い訳無用です。早く行って下さい。じゃなかったら颯也さんとのからみで撮影です。ああ、綾宏さんとの絡みでもよろしいですよ?」
「よろこんでアシスタントします。だから颯也さんとも綾宏さんとも勘弁してください」
「失礼な事言うな!」
「充くん酷いよ〜」
抱き合ったままでがやがやと照明を整えたり場所を整えたりして、その間も颯也の手はゆっくりと綾宏の背中をさすり、綾宏の手は颯也の背中をぺたぺたと触っている。やっぱりおかしな気持ちになりそうだ。
くすくすと笑いながら颯也の肩に鼻をあててふんふんとしていると、とても落ち着く。
「坊主、照明もうちょい側に、そうだ、その場所だ」
「なぁ、モデル逃げたって?」
「正確には引き抜かれた、です。撮影の当日に。相手方は破格の条件で有無を言わさず、らしいですよ」
「何処?」
「詠南雑誌社。この前ウチと企画がだぶった挙げ句に負けた所です。よっぽど悔しかったんでしょうね」
「あー。あそこかぁ。あそこ大手のくせに社長馬鹿だって噂だからなぁ」
「ふぅん、で、対抗策は?」
「だから今その対抗策を撮ってる最中じゃないですか」
がやがやがや。ひっきりなしに響くおやっさんの大きな声に颯也と榎戸の話声。それから充の涙声。周りに沢山の人が居るのにすっかり綾宏は颯也の匂いに酔ってふんわりとしてしまっているし、颯也も話ながら綾宏の肩や背中や腰を大きな手のひらで触りまくっているから、どうやっても気持ちは変な所に行ってしまって。
「そ、やぁ…」
颯也の肩に顔を埋めたまま、うっとりしながら囁く声を出せば頭上から苦笑してる気配がする。
「もうちょい待て。後でめいっぱいお仕置きだから。おい、榎戸、対抗策が今って何だ?」
まだ怪しい事言ってるよと声に出さずに溺れかけた気持ちを引き上げた綾宏に、榎戸は冷静な声で淡々とスケジュール帳を捲りながら何やら書き込み始めている。
「折角ですから日頃のうっぷんも含めて貴男方のいちゃつきっぷりを対抗策に使わせて頂きます。今回のテーマは恋人と過ごす時間ですから、思う存分あなた方のいちゃつきっぷりを世間に曝す良い機会でしょう?」
「何か、トゲが痛いよ?」
あまりにも淡々と、何ごとも無いかの様に告げられる内容に綾宏が思わず颯也を見上げてしまえば、颯也も眉間に皺を寄せていて。
「俺もいてーよ。しかもありゃとげじゃなくて包丁だ。刃物だ。さくってきたぞ」
「さくって刺さったのなら嬉しい限りです。では充君、そろそろ社に戻ります。一緒に行きましょう」
やはり何ごとも無かったかの様に、笑っていない笑みを浮かべてさっさと撤収しようとする榎戸に充は泣きそうな顔をしながら颯也に助けを求める視線を送ってくる。このままこんな機嫌の榎戸と一緒に行きたくないと言う所だろう。が。
「充、頑張れよ」
「充君、またね〜。今度泊まりにおいでね〜」
2人とて榎戸の逆らうのは恐いから、ひらひらと手を振りながら見送るしかないのだ。
「では失礼します。おやっさん、申し訳ありませんがよろしくおねがいします。颯也さん、綾宏さんも宜しくお願いしますね。くれぐれも逃げ出さない様に。年齢指定にかかる様な事を撮影させない様に」
随分ないわれ様だが、逆らうのは恐い。こくこくと頷く2人に今度は普通に微笑んだ榎戸が一例して充を促して外に出た。





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