next will smile
01.04...愛しい空気




「だいたいね、会社のカレンダーに勝手に連休なんて書いちゃって許されると思ってるの?まだまだ仕事は山積だってのにしかも誰の許可も取らないで勝手に行方不明になっちゃうし携帯の電源切っちゃうしどうせ綾宏さんと一緒だってのは分かってたけど休むなら休むでちゃんと榎戸(えのきど)さんに言ってもらわないと俺が怒られるんだから」

ボトリと落とした白い箱は、華奢な割には中身をしっかりガードしていたらしく、中身の『社長の好物差し入れケーキ』は大方無事で、先程からソファに陣取ってぶりぶりと怒りながら自分で買って来た『社長の好物差し入れケーキ』をヤケ食いしているのは颯也が社長をしている雑誌会社の社員でグラフィックデザイナーの高野井 充(たかのい みつる)だ。

何処かほんのりした、ゆっくりと話す口調が充の特徴で、口調に合わせて性格もほんのりゆったりでもある。
ざっくりと肩で切った茶色の髪に細身の灰色フレームのメガネをかけた充は24歳という年齢の割には子供っぽい、けれど恨みがましい視線のみを正面に座る颯也に送りながら3コめのケーキに手を付けて珈琲を持って来た綾宏にも同様の視線を送った。

「やだなぁ。そんな顔で睨んだらせっかくの綺麗な顔が崩れちゃうよ。充君」
「そうそう。その綺麗な顔が取り柄なんだから可愛く微笑んでろ、充」
「ヤだよ。何で可愛く微笑まなきゃいけないのさ。ちょっと颯也さん、言ってる側から食べ尽くそうとしないで。綾宏さん、笑ってないで何とか言ってよ!」
早速とばかりに『社長の好物差し入れケーキ』に手を出して取り分けている颯也に充は怒るものの、元々は颯也の為に買って来た物だ。
そう、颯也の好物は見かけによらず甘い物で、その中でもこの白い箱の店は大のお気に入なのだ。
自然と箸ならぬフォークも進むと言う所で、青年の愚痴には全く耳を貸していない。
「ちょと、聞いてるの!社長!」
「社長って言うな。おっさん臭いだろうが。それと、ぜーんぜん聞いてねぇから、とりあえず食い終わったらな」
苛立ち紛れに声を大きくしても全く聞く耳は無さそうで、充はくすくす笑いながら珈琲を飲んでいる綾宏に助けを求める視線を向けた。
「綾宏さーん。何とか言ってよぅ」
「ごめんね、充君。でも久し振りだね。元気してた?」
「うん。元気だよ。綾宏さんも元気そうで良かった。颯也さんの顔はしょっちゅう見てるけど、綾宏さんとは滅多に合わないからなぁ」
「遊びにくればいいじゃない。合鍵持ってるんだから。勝手に入っていいんだよ?」
カップを持ち上げて優しく微笑む綾宏に、充も照れくさそうに笑って、同じ様に暖かいカップを手に取った。


思い出すのはまだ未成年だった頃。
家出した時にいろいろとこの目の前で仲睦ましく所構わずしちゃついてくれる2人に泊めてもらって居候させてもらって、おまけに職まで世話してもらった日々がまるで昨日の事の様に思い出される。

寒い季節。雪のちらつく中で何も聞かずに泊めてくれて世話をしてくれて。何もかもに絶望した頃だったから、本当に本当にこの2人の存在が無かったら今頃どうなっていたかも分からなかった。
それほどまでに追いつめられて人間不信になっていた自分を根気良く(と言うよりはほったらかしで)世話してくれた。親身になって相談も受けてくれた。何も言わずに笑いかけてくれた。必要な時には本気で怒ってくれて、抱きしめてくれた。
思えば思う程に頭が上がらない、充にとっては誰よりも尊敬する2人。


とは言え。
どんなに尊敬していても社長の癖に勝手に仕事をサボって連休にしてしまうのは別問題だ。
今朝方、いつもの様に出社して、いつもの様に仕事をしようとした所で社長秘書である榎戸(えのきど)のこめかみに浮かんだ青筋を拝みながらさっさと社長を引きずり出してこいとの命令を受けてしまったのだから。

ふんわりと過去を思い出して微笑んでいた充は意識を今現在に戻して、一瞬げんなりとした表情になってから、にま、と言う質の悪い笑いに変えた。

「さっきみたいなラブシーンにお合いしたくないから当分チャイム鳴らして確認してから入る事にするよ。綾宏さんだって嫌でしょ?」
「あー・・・ごめんね?」
わざわざ口にだして言ってみれば、案の定綾宏から一応誤りの言葉がくるけれど、実際気にしてはいなかったりする。
「いーよ。慣れてるし、別に何処で何をやろーが」
それも充は分かっているから軽く受け流して、煙草を取り出して銜える。
そう言えば煙草を吸う様になったのは綾宏を見てからだなぁと、またもやほややんと思い出して、何処かくすぐったい気持ちになりながらもゆっくりと、特独の苦みを吸い込んで、吐き出した。
「あはは。そう言って貰えると嬉しいよ、一応。で、今日はどうしたの」
ここまで来てようやく本題に入れるのかと。
まぁ元々そんなに急いではいなかった充だから(それが例え急かされていても彼にとっては急ぎでは無い)紫煙をふぅと吐いて今だケーキを食べ続けている颯也を横目でちろりと見て、溜息を落とした。

「俺、颯也さん捕まえてこいって事務所追い出されてきたの。勝手にサボってるからって榎戸さんカンカンなんだ」
さっきも同じ事を言った様なきがするんだけどなぁとは思いつつも話の通じない颯也に言うよりも綾宏に言った方が数段マシだ。
長年に渡る付き合いでどちらがどう言う風にどんな場所で主導権を握っているのかは大方分かっていて、この場合、主導権を握っているのは綾宏なのだ。
「颯也、サボリだったんだ」
案の定、サボりとの言葉に綾宏の目がすうと細くなる。
「そうなの。サボりなの」
目を細めたまま、苦笑した綾宏は灰皿を引き寄せて吸いかけの煙草をねじ込んだ。
「おかしいとは思ってたんだけどねー。突然連休なんてさ。どうせ僕の休みに合わせたんだろうけど、仕事はサボっちゃダメだよねぇ」
そうして、すぐさま新しい煙草に火をつけて、わざわざ煙草の煙を颯也の方に吹きかけてふぅとやればケーキをばくついている颯也からチラリと睨まれるが、言葉は無い。
どうやらサボったのが悪いとは一応分かっているらしい。
「そうそう。もう榎戸さんぶりぶり怒っちゃって大変なんだから。颯也さんにはペナルティーだって息巻いてたよ」
「あらら。じゃぁ充君はお使い?」
「うん。颯也さんを引きずってこいって言われて事務所追い出されたの。ついでに綾宏さんも暇だったら引っ張ってこいって、榎戸さん、ニヤリってしてたよ」
「ああ?ちょっと待て。俺だけなら分かるが何で綾宏もなんだよ」
まだ食べ続けている癖に、綾宏の名前が出た途端に眉をしかめて会話に参加してくる颯也に綾宏も充も笑うしかない。
さっきまで全く無視だったのにこれだ、と。
仕方なしに充は今現在の会社の状況を手っ取り早く要約する。
「えーっとね、今日撮影のモデルさん、ばっくれちゃったんで颯也さんを使うって。で、折角だから綾宏さんも是非って。ニマニマしてたよ」
さくっと要約した内容は、きちんと説明すれば中々に大事なのだけれども、充にかかれば何処かのほほんとした内容に変換されてしまう。
それを微笑ましく思っているのは綾宏だけで、颯也は途端に険しい顔つきになって充を睨んだ。
「ふざけんな。俺はやらねーし綾宏にもやらせねーよ」
食べかけのケーキの皿を置いて隣に座る綾宏の腰を抱く颯也に綾宏はよしよしと颯也の背中を撫でて、充はやれやれと言う顔をする。
「ダメだよ。颯也さんが居ないって分かって、榎戸さん、そりゃーもう恐かったんだから。直に交渉してね。俺からは何とも言えないし。恐いし」
颯也がモデルを嫌がる訳は綾宏も充も分かっているのだけれども、こればっかりは言う事を聞いてもわらないと、充としては後が恐いし、綾宏としてはこのまま颯也と2人きりにされて先程の怪しい言葉の続きを実行されても困ってしまうと言う所で。
「顔は出さないってよ?」
仕方が無いとばかりに最低条件を上げる充に、変わらず不機嫌な颯也に変わって綾宏はぱっと表情を浮かばせてにっこりと微笑んだ。
「じゃ、僕行こうかなぁ」
「ほんと?」
「よせ」
「だって颯也が悪いんでしょ?それに顔写らないんだったらいいじゃない。ね、充君」
「よかったぁ。これで怒られないで済むー」
「勝手に決めるな。行くとはいってねーだろうが」
「ダメだよ。颯也も行くの。社長がサボっちゃダメでしょ?」
にっこりと、極上の微笑み(腹の内は微笑んではいないが)を見せてちゅっと短くキスを贈れば嫌そうな表情ながらも颯也が落ちたのは言うまでも無く。
「・・・ちっ」
付き合い始めてもう十数年経っていると言うのに、今でもつたないキスと微笑みの一つで陥落されてしまう自分を忌ま忌ましく思いながらも颯也は満更でもなさそうな雰囲気で席を立った。
「じゃ早い所行こうよ!ね、颯也さん、綾宏さん」
目の前でキスなんてのはこの2人の前では日常茶飯事だ。
顔色も表情も変える事無く、けれど嬉しそうに両手を叩いた充も早速とばかりに席を立って玄関へ急いだ。
嬉しそうな細い背中を眺めながらやれやれと息を吐く2人も出かけるかと、充の後を追って。
玄関から外に出る直前、颯也は綾宏の耳元でぼそりと呟いた。

「あや、帰ったらお仕置きだからな」
まだ忘れてなかったのかと、綾宏が心の中でこっそり舌打ちしたのは先に出た颯也にはばれなかったらしい。





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