next will smile

02.05...ぬくもり




ふわふわでほわほわ。
最近、遼太郎と一緒に居る時の気持がそんな感じ。
そして、ほんのりと幸せ。
何だか微妙な気持だけれども、確かに存在する気持。
まだ名前の付けられない気持だけれども、充にとってはとても大切な気持になっていた。

初めて感じる暖かい幸せ。
何時だって孤独で、自分以外の誰も、この心の内に入れる事は無く、どんな時でも結局は一人なのだと、事ある事に思い知らされていた充にとって、遼太郎という、まだ名前しか知らない人物は既に無くてはならない存在にまで変貌していたのかもしれない。

そんな事を考えながら充は待ち合わせの場所でぼんやりと遼太郎を待っていた。

充の会社に近い駅前。
待ち合わせの人でごった返している場所だが、この場所は良く遼太郎との待ち合わせに使っている。

小さな噴水とネオンが眩しい大小の店々。
充の勤める会社、アーツクルーズは歓楽街の裏道の、さらに裏にある。
だから、この場所、駅前から既に歓楽街の様相を見せていて、大小の飲み屋やそれらしい夜の店がひしめき合っていて、待ち合せの場所には制服姿の子供は居ない。
くたびれたスーツ姿のサラリーマンや綺麗に着飾ったお姉さん達で埋め尽くされているのだ。
私服姿の充が却って廻りから浮いてしまっている。
それでもまぁ、私服姿の者も多少は混じっているし、何より会社の側なのだから仕方が無い。

そう言えばと、そのサラリーマンの群れを眺めて思い出す。
遼太郎はいつもパリっとしたスーツ姿で現れる。
職業は良く知らないが、確か親の会社を継いだばかりの新米社長だと言っていた。
どうやら遼太郎としては他にやりたい事があった様で、あまり自分の仕事に関して喋る事は無いけれど、其の変わりに将来の夢とでも言うのだろうか、すでに社長だと言うのに自分の将来を熱く語る事があった。

それは、小さな飲食店を持ちたいと言う事で、今はまだ社長業が落ち着かないけれど、その内絶対やってやるのだと、何時の夜だか、酒の酔いに任せて熱く語っていた事があった。

それを聞いて、充は酷く羨ましいと思った事も覚えている。

充には夢は無い。
将来の望みと言うのも特に無い。
今まで生きているだけで精一杯で、そこまで考える余裕が無かったと言うのが正直な所だ。

人に比べれば波乱万象な生い立ちかもしれない。
両親が居ないだけではない、それ以外の事情が多々あるのだが、今の所をそれを知るのは颯也と綾宏だけだ。

ともかく、将来の夢なんて考えた事も無い充に取って、将来の夢を熱く語る遼太郎と言う人物は酷く輝いて見えたのだ。
あんな風に将来を考えた事も無いから、と言う思いの他に何か、違う輝きを遼太郎に見た気がした。
その輝きは何だか分からなかったけれど、ただ、何となくいいなぁと思ったのも覚えている。

何も無い自分に対して、何かを掴もうとしている遼太郎が酷く眩しくて、羨ましいと、ほんの少し嫉妬してしまった事も事実だ。

なのに遼太郎と言えばどこまでも優しくて、暖かい。
何を間違ってこんな何も無い自分になんぞ惚れたと言っているのか全く分からないくらいだ。

確かに今までそれらしい誘いを受けた事は多々あったけれど、皆、充の外見と雰囲気のみで誘いを掛けて来て、誰もその内面まで見ようとはしなかった。

そう、誰もが充と言う人物の内面等要らないかの様な誘いだった。

「ねえ、お兄さん、待ち合せ?」

例えば、今の様に。
そう、何時の間にかぼけぼけと遼太郎の事について考えていた充の廻りには、あまり素性の良く無い男達が囲んでいる。
人数は3人。この手の奴らは独りではナンパも出来ない手合いだ。

「ねー。お兄さん一人?俺らと一緒に遊ばない?」

見かけは大学生かそれよりも少し上。
ただし私服姿であまり清潔とは言えない感じの男達は、それぞれまがい物っぽい茶髪や金髪に染めており、ジャラジャラと似合いもしないアクセサリーで賑やかな外見になっている。

どうやら考え事の所為で全く気付けなかった様だと、充は男達に分からない様にこっそりと溜息を吐いた。
何だってこんな自分が良いのか、本当に分からない。

「待ってる人がいるから行かないよ。ごめんね」

内心溜息ばかりでうんざりとしているのだが、一応表面上だけは穏やかに返事をしてあげるのに何がおかしいのか、男達はにやにやとしたまま充との距離を近付けてくる。
壁を背にして立っていた充には既に後ずさる余裕は無く、勝手に近付いて来る男達の嫌な雰囲気が充を包み込んで酷く心が荒れる。
何の許しがあって近付いてくるのか。
にやにやとした男達を見上げて徐々に充の纏う雰囲気が鋭くなっていった。

「いいじゃん。どうせ来ないって。それよりおれたちの相手してよ。お兄さん綺麗だしさぁ、俺ら綺麗なお兄さん好きなんだよね」

馴れ馴れしく男の1人が充の肩に手を置く。
その感触が酷く嫌な物に感じて充の目が細められる。

「触るな」

小さく呟いた言葉は人数に任せで絶対の自信を持っている男達には聞こえなかったらしい。
皆顔を歪めて充を見下ろしている。その視線に曝される事自体、既に充には堪え難い物になっていた。

「触らないでって、言ってるでしょう?」

充の言葉は酷く穏やかな物だった。
しかし手足は全く穏やかでは無く、言ったと同時に肩に手を置いた男の腕を掴んで投げ飛ばす。
梃の原理でふわりと浮いたと思った瞬間、アスファルトに叩き付けられた男は悲鳴を上げる暇も無く妙なうめき声を上げて静かになった。
気絶したのだろうと何の感情も無く男を見下ろした充に他の2人が途端に顔色を変える。
まさか自分達より小さくて細い充に投げ飛ばされるとは思いもしなかったのだろう。

「何しやがるっ!」
「こっちが優しくしてれば調子に乗りやがって!」
「別に、優しくしてもらった覚えは無いよ?」

何を馬鹿な事を言っているんだと、男達を見上げた充に既に表情は無かった。
それは、酷く冷たく感じる表情で、元のほんわかとした印象を与える充の顔立ちからは正反対の物だ。

しかし愚かな男達はそんな充の纏う酷く危険な雰囲気に気付く事も無く腕を振りかぶって充に殴り掛かってくる。
それを難なく避けた充は余計な動きをする事なく、足を蹴り上げて男の1人を伸すと、その反動でもう一人の男の腹に蹴りを入れて地面に沈めた。

その間数秒。
あまりにも素早い動きに通りすがりの人々から驚きの声が出る事も無く、辺りは変わらぬ喧噪に包まれたままだ。
まさに、一発必中。
たった一撃で3人の男達を気絶させた充は表情を変える事も無く、そのままその場を離れた。

何だか酷く荒んだ気持になってしまった。
別にナンパなんて何時もの事なのに、どうしても耐えようと思う気持が無かった。
息を荒げる事も無く、攻撃した男に対して何を思う訳でも無いけれど、酷く嫌な気持になった。

さっきまでは良い気持だったのに。
そう思って気付くのは遼太郎の事。
そうだ、さっきまでは遼太郎の事を想って幸せな気持だったのだと、改めて気付いてしまった充の耳にパンパンと手を叩く音がした。
驚いてその方向を見るといつものパリっとした、深い灰色のスーツ姿の遼太郎が輝く笑顔で手を叩いている。

「遼太郎?」

酷く擦れた声で遼太郎を呼ぶ充の元に駆け寄ってきた遼太郎は笑顔満面だ。
何をそんな笑顔を見せるんだと首を傾げる充に遼太郎は叩いた手を充の肩に乗せた。

「充さん!格好良い!」
「へ?」

肩に置かれた遼太郎の手に気付く前にものすごく嬉しそうに言われてしまって充は驚いてしまう。
何が格好良いと言うのだろう?
不思議に思う前に笑顔満面の遼太郎にバンバンと背中を押されて先を促されてしまう。

「いやぁ、俺、一応助けようとしたんですよ?でもあっと言う間で全然間に合わなくって格好悪いです」

背中を叩いた手をそのまま充の肩を抱いて歩き出す遼太郎に、充はああ、さっきのかと何の動きも無い心で思って遼太郎を見上げた。
別に充にとっては日常茶飯事まではいかないけれど、それほどの事でも無いのにと言った所で、けれどそんな充を遼太郎はすう、と表情を変えて眉間に皺を寄せて覗き込んできた。

「遼太郎?」

何でそんな表情をするのだろうと首を傾げる充に、遼太郎は何処か痛々しいと思える笑顔で微笑む。

「やっぱり充さんって格好良いです。俺ね、ずっとそう思ってるんですよ。もう、改めて惚れ直しちゃいました」

心の底からそう思っているのだと言う風に、遼太郎の言葉は笑いの含まれていない真剣な物だった。
あまりにも場にそぐわない、何よりついさっきまで笑顔満面だったのに、何を突然そんなに真剣になっているのかと充は不思議そうに遼太郎を見上げる。

「どしたの?」
「充さんは、本当に格好良いんです」

繰り返して格好良いだなんて、今まで言われた事の無い褒め言葉を言いながら、やはり遼太郎の笑顔は何処か痛々しい物で、思わず手を伸ばして遼太郎の頬に触れてしまった。
そっと指先を伸ばして触れた遼太郎の頬は柔らかくて、暖かい。

「充さん・・・」

突然の充の行動に驚いたのだろう。
一瞬足を止めて酷く驚いた顔をした遼太郎は、その数秒後、何も言わずに充の指先を握りしめるとふんわりと微笑んだ。

それは、いつも遼太郎が見せる柔らかい微笑み。

とくん。
変わらない微笑みなのに、どうしてだか、その時、初めて充の心が音を立てて、一つだけ、鳴った。

それは、あまりにも唐突に訪れた心の動き。
たった一度だけだけれど、鳴った心はもう、以前とは全く違うものに変わっていた。
そして、同時に自覚してしまう。

どうしよう。
この人の事が、遼太郎の事が、好きなのかもしれない。

好きと言う気持は良く分からないけれど、今、鳴った心の気持がそうなのだとしたら。

きっと、遼太郎の事が好き。
あの暖かい人が、好き。


それは、唐突に訪れたカタチある想いだった。








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