第1部・風の宮殿、白の騎士.019




どれくらいリグにひっついていたのか。強すぎる風の音にも、空を飛んでいる事にもようやく朱理の心が落ち着いてきて、そろそろと握りしめていたリグの服を離した。

「落ち着いたか?」

朱理が身じろぎした事に気付いたリグがそっと抱きしめていた腕を外した。けれど、また緩く朱理の身体にまわしたままだ。

「う、うん。その・・・何て言えばいいのかな・・・ごめん。でも、ありがと」

そろそろと顔を上げればリグが優しい顔をしている。朱理を心配している顔だ。申し訳ないな、と思う気持と、なぜか安心する気持がふわん、と朱理の中に灯って上げた視線を思わず下げてしまった。
そんな朱理にリグが小さく苦笑して、そっと朱理の身体を離してマールファンの椅子に座り直した。

「もう少し見てまわろうか。何、怖い事は何もない」
「ん。もう、大丈夫だと思う」

頷けば頭を撫でてくれた。離れた距離なんてとても小さいのに、何となくリグから離れたくなくて、リグの騎士服の端っこをそっと握ったら手を握られた。
リグの手は騎士の手で、朱理の成長途中の手よりも大きくて、ごつごつしている。見た目は綺麗だな、なんて思っていたのに固い手の平は闘う人のものだ。
朱理には実感のない騎士と言うリグだけれども、固い手に握られたらやっぱり安心する。
少しだけ下げていた視線を上げてリグを見れば真っ直ぐに前を見ていた。長い銀色の髪が青空に散って綺麗で、少しだけ見惚れてから朱理も視線を前に向けた。

マールファンで飛ぶ空は綺麗だけれども、やっぱり違う色だ。
落ち着いてみれば今まで見えなかったものがいろいろと見えてくる。
世界は薄く霞んだ色合いに見えて、巨大な宮殿の存在感こそ恐ろしいが、眼下の世界はどこまでも緑だ。

「ずっと緑色なんだね。街とか村とかはないの?」
「あるぞ。ただ、ガーデン・ド・サウは草原が多いから隠れて見えないだけだ。それにほら、真下には見えるだろう?」
「真下はちょっと怖いんだよ」
「そうか、では少し移動しようか」

こんなに高い位置で真下なんて怖すぎる。また顔を青くした朱理に少し笑ったリグが手の平を光らせた。この光がリグの魔法なのか、マールファンが音もなく移動する。そう、マールファンが移動する時に音はない。小さい羽根で飛んでいる訳ではない様で(だってどう見ても羽根が小さすぎる)気まぐれに羽ばたくだけ。どう見ても飛ぶことに一生懸命ではない動かし方だ。

「なあ、どうしてマールファンは空を飛ぶんだ?」
「良く分かっていないが、昔からマールファンは空を飛ぶものだ」

不思議に思って聞いても返ってくる返事はおかしなものだ。また首を捻ればリグが苦笑する。

「マールファンは古来よりこの世界を泳ぐもの。人の手で創り出される精霊亜種だが、この世界と同等のもの。決して人間が疎かにしてはいけないもの、とだけ言われているんだ。改めて聞かれれば確かに不思議だが、我々にはマールファンが存在する事が当たり前になっているからなあ」
「うー・・・ごめん、良く分かんない」
「私も分からない。まあ、これだけ覚えておいてくれれば良いさ。マールファンは空を泳ぐもの、決して人間が疎かにしてはいけないもの、と」
「それも何だか抽象的だと思うんだけど、覚えるよ」
「ああ。そうしてくれ」

説明もさっぱり朱理には理解不能。ファンタジーの世界は難しい。ただ、疎かにしてはいけないと言うのだから、きっと囓ったらダメなのだろう。ちょっとどんな味がするのか気になっていたけれど怒られそうだ。

「そろそろ良いか。移動したから下が見えやすいはずだ。ほら、建物の群れがあるだろう?」

マールファンを突きながらちょっと残念な気持になった朱理だけれど、リグの声にまた眼下を見た。移動したマールファンは宮殿の側ではあるけれど、その真下を見られる位置に浮いていて、巨大な宮殿よりもさらに巨大な建物の群れが見えてきた。

「なんか、でかくない?」

思わず呟く朱理の瞳は見開かれず、何度か瞬きして、リグを見上げた。
この目で見たものに自身がない。そんな視線だ。
だって、あれはないだろうと思うのだ。いくらファンタジーでも、もう空も飛んだし宮殿だって浮いてるしマールファンだって浮いてるし、不思議だらけだけれど、これはまた違う意味でないと思いたいのだが。

「全世界でも最大規模の街、ライブラリーだ。まあ、朱理の気持ちは分からないでもない。街としては美観もなければ何の情緒もないからな」
「って言うか、あれが街なんだ?」
「ああ。街だぞ。一応な」

リグも苦笑して街を眺めている。いや、街、なのだろうか、あれが。
高いところに浮いている事も忘れて思わず凝視してしまう。
街は、ライブラリーは確かに街なのだろう。この高さからも人が沢山いるのが見えるし、あちこちで生活しているらしい煙とかも見える。
が、何て言うか、この巨大な宮殿に比べるとあまりにも統一感がないのだ。

街の中心には白い、屋根のまあるい建物がある。とても大きな建物だ。
その周りにもまた建物があるが、全く違う建物だ。朱理の知るビルみたいな建物だったり、一般住宅みたいだったり。そんな建物が幾つも連なり延々と建物だけが続いていく。緑なんて全くない。ただただ、形のバラバラな建物が延々と続いて、確かに規模は大きいが、ただただ建物が続いているだけ。
違う意味で不思議過ぎる。

「街、と言うよりは図書館をそのまま繋げていった建物の群れだ。元々はガーデン・ド・サウにある希少な本を保管する建物だったらしいんだが、その内全世界から蔵書が集まり、建物が増え、人が増え、街のできあがり、と言う訳だ」
「あー、そんな感じの建物っぽいね。統一感がなさすぎて面白いかも」
「中も図書館にそのまま人が住んでいる感じだ。その広さは果てしなく、蔵書の数も管理しきれていない。迷ったら出られない永遠の街と言う噂もあるくらいだからな」
「何それ、怖いよ」

変な街だ。ぷ、と吹き出せばリグも笑って、浮いていたマールファンがまた移動した。

「さ、そろそろ戻ろうか。あまり空にいては身体も冷える。まだ顔色が少し悪いぞ」

確かに風が冷たい。思い出して少し震えればリグが自分のマントで朱理をくるんでくれた。薄い生地なのにあったかい。それに、悲しいけれど朱理はリグに比べてだいぶ小さいからマントの端っこでもすっぽりだ。

「あったかいけど、何か複雑だよなあ・・・」

小さく呟いたけど、リグは朱理をとても大切に扱ってくれる。まだ心の中では混乱している朱理にも気付いているのだろう。
あんまりにも違いすぎて、でも、この世界もリグも朱理に優しい、と思う。
マントにくるまりながらリグに体重を預けてもびくりともしない。安心して目を閉じればリグがそっと朱理を支えてくれた。





back...next