第1部・風の宮殿、白の騎士.008




アシードが部屋を出る前に、また指先に光りを灯してテーブルの上に新しいお茶とお菓子が追加された。不思議すぎる。
大きな瞳を見開いたまま凝視した朱理の涙は驚きでぴたりと止まってしまった。そんな朱理の様子にリグの表情も少し緩む。

あの幼い顔で、あの大きな瞳で泣かれると、弱い。落ちる訳がないのに、落ちてしまいそうだと心の底から思うのだ。あの、不思議なアーモンド色の瞳が。

「では少々お待ち下さいね。リグ、宜しくお願い致します」

朱理の為にアシードが駆け足に近い早足で部屋を出ていった。本当に、不思議な事ばかりで、いい加減、もう心が麻痺して、かえって落ち着いてしまった。

「とりあえず、座ろうか」

リグが朱理の背中を押して、さっき座った椅子ではなく、大きなソファまで誘導してくれる。やたらゆっくりなのは朱理の足を心配してくれているからだろうか。けれど、見た目には何の変化もない朱理の足は、確かにまだ痛むけれど歩けない訳じゃない。だって、正確には足が痛いんじゃない。確かに痛いけれど、それよりも心が、今はいない半身が痛い。

「その、まだ痛むか?冷やす物を持ってこようか?いや、それよりタオルが先だな、ちょっと待っていてくれ」

ぽすん、とソファに尻から落ちればリグが目に見えてわたわたと部屋のあちこちを漁りだした。朱理にだって分かるのだが、ここはリグの部屋じゃなくて、アシードの部屋だと思うんだけど、いいのかなあ。

ぼんやりと慌てるリグを見ていたら、余計に心が落ち着いてしまった。何でなんだろう。あんなに綺麗で格好良い、騎士っぽいリグが可愛く見えてしまう。

「大丈夫だよ。ありがと、リグ」

ほんわりと心が緩む。言葉では説明できないけれど、ふわりと笑みを浮かべた朱理にリグがぴき、と固まって、ようやく机の引き出しから漁り出したタオルを片手にぎくしゃくと朱理の前まで歩いてくる。そうして、床に膝をついて朱理の顔を拭ってくれた。白いタオルだと思われる布は見た目が固そうなのに意外と柔らかい。

「じ、自分で拭けるよ」

でも人様に顔を拭ってもらうなんて恥ずかしい。今度は朱理が慌ててリグからタオルを奪ってごしごしと乱暴に顔を拭いた。ちょっとさっぱりする。

「そんなに強く擦ったら傷がついてしまうじゃないか」

リグはちょっと眉間に皺を寄せて、けれどすっきりした顔の朱理を確認すると安心した様に笑みを浮かべた。

「・・・その、何と言ったら良いのか、ああ、そうだ。茶でも飲んで落ち着こうか」

柔らかく微笑んでいるくせに、やっぱりリグは可愛い。大きな人なのに立ち上がるとわたわたと椅子を朱理の前まで持ってきてそのまま止まる事なくお菓子の乗っているテーブルまで運んできた。朱理だったら、きっと海理と一緒でも椅子も持ち上げられないだろうに、リグは片手でひょい、だ。

「いいなぁ・・・」

思わず漏らした言葉でまた海理を思い浮かべてしまった。

今頃、どうしているんだろう。朱理の半身、誰よりも近くにいた海理。

「そう言えば、アシード、言ってたよね」

そうして思い出す。不思議な言葉を。

「違う世界って、何?」

朱理の正面に座ったリグを見上げた。じっと見つめればカップを口元に運ぼうとしたリグが何て事のない様にさらりと告げる。

「ああ。イーガシアースかキキシャイロウに召還されてしまったかもしれない、と言う事だな」

「・・・・は?」

今、何て言ったんだろう。思い切り首を傾げた朱理にリグも首を傾げた。

「えーっと、何?その言葉」
「ん?違う世界だと言っただろう?」
「だから、違う世界って何?って聞いたじゃんか」
「だから、イーガシアースかキキシャイロウのどちらかだろう、と」

全く話が噛み合わない。首を傾げているのは朱理なのに、どうしてリグも不思議そうにしているのか腑に落ちない。不思議なままで見つめ合う事数秒、先に口を開いたのはリグの方だった。

「そうか。まずはそこから説明しなければ分からないよな」

ぽん、と手を打ったリグにそろそろ朱理の顔が歪んでくる。全く分からない。噛み合わない。
む、と不安と苛立ちに顔を歪める朱理にリグは立ち上がるとアシードの机からまた勝手に本を持ってきた。





back...next