フルムーン・シフォン1


でも緑夜に耳を触られるのは嫌いではないのだ。
何だかんだ言いつつも、折れ耳を広げられても緑夜は乱暴な事はしない。口も態度も悪い『王様』だけれども、ちゃんと風莉を優しく扱ってくれる。だから嫌いじゃない。ちょっとくすぐったいけれど。

持参した菓子の包みをその場で広げれば後ろから緑夜の手が伸びてきて、お行儀悪くそのまま食べ始めてしまう。これもいつもの事だ。

紗衣に持たされたのは一口サイズのプチケーキ。風莉も一つ摘めばとても美味しい。父の作る料理もお菓子も風莉にとっては世界一だ。

「ン、旨い。おーい、茶持ってこい!」

緑夜が一声掛ければどこからともなくメイドさんがわらわらと出てきてクッションの池の中に強引にテーブルをセットしていく。これもいつもの事だ。
既に見慣れた光景に驚く訳でもなく緑夜と一緒にプチケーキを摘んでいたら部屋の外から聞き慣れた足音がした。

「ちっ、もう気付かれたか」

緑夜も分かったらしい。小さく文句を言いながら風莉をしっかりと抱え直す。プチケーキを持ったまま未だに緑夜の膝の上な風莉はそのままの体勢で顔だけを部屋の入り口に向ける。すると。

「陛下、勝手に休憩時間を作らないで頂きたい、大臣が泣きながら私の元に来ましたよ」

扉が開かれて騎士が入ってきた。大きな身体にぴんと立った黒い犬の耳に少し毛の長い尻尾。銀に白の混じる髪を少しだけ崩してオールバックにして、翡翠色の瞳をした騎士はなかなかの美丈夫だ。

その身に纏う制服は上着の長さで階級が別れているもので、入ってきた騎士の制服は宮殿でも一握りの者に与えられる上級騎士のもの。その中でも深青色のマントを羽織ることができるのは王と湖訪国議会が認めた極僅かな騎士のみ。

そんな騎士を見上げて風莉はにっこりと微笑む。

「李織兄ちゃんだぁ」

そう、この騎士は風莉の兄で、二十二歳の長男だ。兄弟の中で一人だけ犬だった李織は強かった母の力をそのまま引き継いで、父の強かさも受け継いで見事な騎士になった。
その李織はまず国王である緑夜を見下ろしつつ睨み付け、ずんずんとクッションの池を歩くと(大きくて逞しい李織は風莉みたいにクッションの池で溺れる事はない)ひょいと風莉を持ち上げた。

「あー!オレの折れ耳が・・・」
「ふわふわ尻尾・・・」

取られた方も持ち上げられた方もしょんぼりと尻尾が項垂れる。

「風莉、良く来たな。と言いたい所だが、何をしているんだお前は。陛下も何をなさっているんですか。人の弟の耳で遊ばないで下さい」

風莉を片腕に乗せて抱き上げつつもぎろりと緑夜を睨む事も忘れない。翡翠色の瞳はとっても迫力があるが、緑夜も風莉にもあまり威力がないのが残念だ。

「折角来たんだから弄らない手はないだろ?」

ふん、と胸を張る緑夜に李織は溜息を落としつつも笑顔で首に抱き付く弟を軽く撫でてやる。

「全く、突然休憩を取ると言い残して逃げたと思えば・・・」

風莉は緑夜のお気に入りだ。宮殿の受付をした時点で真っ直ぐに緑夜に連絡が行く様になっている。それで執務を抜け出したのだろう。強引に。
風莉には未だに王様?と思われている緑夜だが、これでも立派な国王だ。執務だってあるし忙しい。なのに、風莉が来る度に抜け出すから愚痴の一つも言いたくなる。

けれど、そんな大人の事情は風莉には関係ない事で。

「緑夜さん、お仕事さぼったの?」
「休憩って言うんだよ」
「休憩ってあんまり長いとさぼりになるよ」

李織の首にしがみついたまま大きな瞳でめっ、と緑夜を見下ろせばなぜかにやりと笑われた。

風莉にとって李織は大好きなお兄ちゃんで、緑夜は耳を広げる人だけど大きくて大切なお友達だ。そんな二人が揃えばとっても嬉しい。ついでに李織に抱き付くのも大好きだ。なにせ騎士である長男は小さな風莉が突進しても思い切り抱き付いてもびくともしない。

「全く。お前もふらふらしては駄目だぞ、風莉」
「ふらふらなんかしてないもん。俺は緑夜さんと遊んでたんだもん」

李織の腕の上でえへんと胸をはれば苦笑されたけど、ちゃんと頭を撫でてもらえた。それから優しく床に下ろされたので風莉は用意されたテーブルの方に行く。クッションの池に増設されたテーブルの上にはちゃんと風莉の分のお茶もある。それに、こうなる事を予想していたのか、なぜか緑夜と風莉のカップ以外にも幾つかの予備まであって、準備万端だ。クッションの一つに座ってカップを持てば李織と緑夜が睨み合っている。まあ、これも良くある事だ。

「陛下もです。弟を誑かさないで頂きたい」
「だって可愛いだろ、そいつ」
「全く。後で怒られても知りませんよ、父と母に」
「それは言うな。怒らせると怖いんだから」
「そう思うのなら誑かさない。お茶を飲む時間くらいは取りますから、飲んだらとっとと執務に戻って下さい」
「ちぇ。折れ耳で遊べると思ったのに」
「陛下?」
「ふーんだ」

ぷい、と緑夜が横を向いて言い争いも終了した様だ。

「早く飲まないと覚めちゃうよ、二人とも」

のんびりとそんな二人を眺めていた風莉に緑夜も李織も苦笑する。何て言うか、マイペースだ。それが風莉の良い所でもあるが。

「そうだな。ゆっくり飲むか」
「早くです。一気飲みでも構いません」
「じゃあお前も一気飲みしろよな」
「陛下が一気飲みして下さるのなら」
「ほんっとに可愛くない」
「可愛くなくて結構です」

会話する毎に緑夜がいじけていくみたいだ。綺麗な顔なのにぷくーっと頬が膨れていくのは見ていて楽しいが、風莉としてはちょっぴり可哀想にもなる。だから隣で膨れている緑夜の膝に自ら乗っかった。

「李織兄ちゃん、緑夜さん虐めちゃダメだよ」

膝の上に乗っかって真っ直ぐ李織を見上げれば(膝の上に乗っかっても李織は視線の上だ)ぎゅう、と緑夜に抱きしめられて、李織はぱちりと切れ長の瞳を瞬くと、とても優しい笑顔になった。

「そうか、すまなかったな。でも仕事をサボるのは悪い事だろう?だから茶が済めば陛下は仕事に戻る。風莉、お前も瑠璃の所に戻るんだぞ」
「あ、そうだ、瑠璃兄ちゃん・・・」

そう。風莉はきちんとした手順で緑夜の所に来たのではなく、勝手に瑠璃を振り切って(しかも身代わり人形まで用意して)来ているのだ。
李織としては可愛い弟を送りたかったのだが、緑夜を見張る役目もある。これでも仕事はきちんとする緑夜だが、日頃悪戯心が旺盛な為にどうしても細かい仕事をサボりがちなのだ。この後風莉を優先すれば、まず確実に逃げられる。長年仕えている実績がそう李織に悲しい直感を授けてしまっていた。








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