春色キャンディ 主(ぬし)と『あるじ』...08



会合が行われるのは母屋の奥にある小さな部屋だ。離れではないけど独立した部屋で、入り口は外から入る小さな扉だけ。
当主会合なんて偉そうな名前の割には全員入るときゅうきゅうだし暗くて闇鍋でもしたくなる雰囲気だ。今回から会合にはカオルと樒美も入るから狭い部屋がさらに狭くなっている。

「あのさあこれ、樒美達が全員大きかったらどうなるんだ?」
「どうもこうも、もっと狭くなるだけだと思うよ。そう言えば当主が全員あるじ、って時あったのかな。ねえ萩、あったの?」
「あったわよう。でもかなり昔だからまだこの家じゃなかったわよ。会合も部屋じゃなくて一軒家だったわよ、専用の」
「一番近い時代だと江戸の中頃だったかな?もうちょっと後だったかも」
「それで一番近いのかよ。椿、にこにこしながら俺の膝に乗るな」
「あるじと一緒、なの。広く、なるでしょ?」

もう会合ははじまっているのに特に挨拶もなにもない上に部屋の狭さについての文句が終わらない。そうこうしている内に椿がにこにこしながら緋良の膝に乗って落ち着いて、何となくその笑顔に全員まったりしてしまってやっと会合をはじめるかと爺様が呟いた。
狭くてもお茶とお菓子はちゃんと持ち込んで、勝手にくつろぎながらだけど。

「でははじめようかのう。樒美、カオル、できるか?」
「うん。あるじ、僕の手を握ってくれる?」

はじまりも召喚も唐突だ。気負いなく爺様が、いや、爺様は少し緊張してるみたいだけど、微笑む樒美に緊張なんて全くない。カオルも一緒で差し出された樒美の手をぎゅっと握る。

「じゃあ華淺夜様を呼ぶよ。あるじ、申し訳ないけど特別な呪文とかはないからね」
「なんだ。期待してたのに」

ないのか。こう言う時はお約束としてそれらしい呪文とかあればゲームみたいだな、なんて思ったのはカオルだけじゃなかったらしい。ひっそりと空納と汰一が残念そうに視線を逸らしている。
ではどうやって召喚するのか。樒美の手を握ったまま不思議に思えば真っ直ぐに見つめられて、心がぼやけた。

言葉で表現できない感覚だ。心が、意識がぼやけている。
何の前触れもなく、でも悪い気分ではなくてぼやけているのに強烈に樒美を近くに感じる。



それからの記憶は全て曖昧で、樒美と一緒になって混ざって溶けたと思った。



降臨と呼ぶには唐突過ぎて、かと言って何も変わらないと言えば確かに変わった。
手を握り合った樒美とカオルが何の前触れもなく変わったのだ。樒美が消え、カオルはそのままにけれど違う人になった。見かけは何も変わらないのにはっきりと違うと見えるのはなぜだろうか。誰も分からないままにこりと笑んだカオルが口を開く。

『呼ばれたな。ああ、久しぶりだなみんな。良い顔のままで嬉しく思う。人の方はまるで違い時も流れただろうが、うん、変わらないな』

口調が微妙に違うけど、何となくカオルが残っている。楽しそうな笑みもカオルに見えるがやはり違う。でも樒美でもない。ではこれが華淺夜と呼ばれる精霊なのだろうか。
どうしようと戸惑う人間をよそに朝顔と萩はふわりと浮いてカオルの前に飛んで、椿も緋良の膝から降りて狭い中を膝でじりじりと移動する。3人とも嬉しそうだ。

「お久しぶりです華淺夜様。そちらもお変わりなさそうで嬉しいわ」
「ご健勝そうで何よりですぞ」
「華淺夜さま、元気そう、嬉しい」

やはりこの人が華淺夜と呼ばれる精霊なのか。そう思ってみれば雰囲気が、纏う空気がカオルではなく樒美に近い。
馴染みのある精霊達と違って押し黙る人間達に華淺夜がくすりと笑む。その表情もカオルにはないものだ。

『お前達も元気そうで嬉しいよ。さて、俺が華淺夜だ。宜しくな。ああそうだ、最初に言っておくが恐らく俺を神に近いものとして呼んだかもしれんが違うぞ。俺はただ詳しいだけだ。だから人外が俺を頼る。まあ困った事があったら呼べばいい。但し、あるじにかかる負担は忘れるなよ。まだ若い様だから可愛そうだしな』

負担、の言葉でようやく気を取り戻したのが爺様だ。まだ緊張は取れないもののしっかりと華淺夜を見て口を開く。

「お初にお目にかかります。儂が現、神野樹の当主です。そして、貴方様の『はいって』いる人物は儂の孫です。いろいろとお伺いしたい事があるのですが、まずはあるじにかかる負担を聞いても宜しいでしょうか」

現代には、いや、昔から召喚なんて非現実的なものはなかった。それが今目の前にある。
聞きたい事は山ほどあってもまずはカオルの身が心配だと真っ直ぐに述べる爺様に他の当主が感心し、華淺夜もそれで良いと深く頷く。

『お前の孫か。悪いな。負担とは言ったがまあ見れば分かる類いのものだと言っておくぞ。そう心配する事はない。俺を召喚する時間が短ければそう酷くもないしな。うん、そうだな、ちょっと待て、樒美から情報を受け取っている。どうもこの国は俺が呼ばれる度に言葉が変わっていてな。俺の言葉は召喚するあるじを媒体にしているから良いんだけど、知識は偏る。受け取っている最中でも受け答えはできるから質問も受けるぞ。恐らく俺の様な存在に初めて遭遇するだろうしな。世界に人外は多いが俺みたいに召喚で現世に出るのは滅多にいない。いつもの事だが『はじめ』は言う事も覚える事も沢山で面白いな。けれど茶は同じか。これも面白い』

饒舌、と言うのだろうか。軽やかに話し続ける華淺夜は勝手に喋って茶を啜って満足そうな表情になると菓子にも手をつける。その仕草は樒美に似ていて、どうやらこの存在は樒美とカオルが混じっていると考えるべきかもしれない。説明通りならば話し言葉はカオルの部分が多いらしく、だから気安いと感じるのだろう。

「では質問を、してもよろしいでしょうか。いえ、その前に我ら分家の当主ですが名乗っても?」

爺様が名乗っただけで他の3人はまだ一言も喋っていない。汰一が姿勢を正して礼をすれば他の2人も深く頭を下げる。本来ならば召喚をするにあたっての準備や順序があるだろうと思い、精霊達に話を聞いて執り行おうとしたのだが肝心の精霊達が何も教えてくれずこうなったのだ。

『いいぞ。と言うかまずはそこからだろ。それと、そんなに緊張しなくていいぞ。俺の事は偶に茶を飲みに来る友人と思えばいい』

カオルの言葉だからなのか、華淺夜そのものなのか、随分と気さくな印象だ。
召喚をする前はもっとこう神様の様な偉い人だと思っていたのは人間の全員だから少々勝手が違って戸惑いが増える。

「じゃあ俺から。冬の当主であり椿のあるじでもある。冬雪緋良だ。会えた事を嬉しく思う。貴方の言葉に甘えてこのまま接しても良いか?」

どうしようかと戸惑う中で最初に動いたのは緋良だった。妙な所で度胸のある緋良だから華淺夜を前に堂々とした態度で普段通り接する事にした様だ。華淺夜も満足そうに頷く。

『いいぞ。その方が俺も嬉しい。椿、相変わらず好みは変わってない様だが良い男だな』
「うん。あるじ、いいおとこ」

華淺夜の前にいた椿がまた膝でじりじりと緋良の所に戻ってぴたりとくっつく。嬉しそうに頬を染める様子が可愛らしい。そんな2人を見て空納と汰一が視線で相談して、空納が先に、照れくさそうに頭を小さく下げた。

「次は俺か。夏の当主、夏樹空納だ。朝顔の主なのは言わなくても分かるよな。うーん、なんか照れくさい気がするけど、よろしく。その・・・ダメだ、何言ったらいいかわかんねえ。汰一、頼む」

どうやらカオルの見かけなのも、華淺夜が意外に気安いのも自己紹介も全てが照れくさかったらしい。朝顔がやれやれと肩を竦めて汰一が冷たく笑んで空納に肘を入れる。

「しょうがないね、緋良と逆で肝心な時にこれなんだから。はじめまして華淺夜様。僕は秋の当主、秋井澤汰一です。どうぞ宜しくお願いします。こうして実際にお会いできて嬉しいです」

美しく礼をする汰一に華淺夜が少し身を崩して笑う。精霊でも汰一の纏う空気に気づくらしい。萩がふわりと移動して汰一の膝に乗る。

『いつの時代も顔は変われど中身は一緒だな。宜しくな、みんな。さて、樒美からの情報も大凡得たから質問タイムといこうか?もう少し時間があるからな』

言葉がさらに砕けた。樒美からの情報と言うのは砕けた喋り方も含まれるのだろうか。
どうにも上位精霊と呼ばれる尊い存在なのに、と思ってしまうがカオルが混じっているのならば仕方がないだろう。

「ならば早速良いですかの。お伺いしたい事は沢山あるんじゃが、何せ多すぎて何からお伺いすれば良いかも決めておりませんでしたが、まずはひとつ。貴方の存在の事をお聞かせ願いたい。なぜ召喚されるのか。樒美とそのあるじだけが召喚できるのか。人外に対しての切り札となるのか。その辺りも含めて」
『全然ひとつじゃないぞ。そして最初の質問はいつもそれだな。お前達、もうちょっと説明上手になっておけよ。俺は構わないが毎回これじゃ不憫だろ』

爺様の、真剣な表情に対して華淺夜は呆れ顔だ。毎回、と言う事は召喚される度に同じ事を説明しているのだろうか。樒美のあるじは長い歴史を持つ神野樹でもあまりいない。回数は多くはないだろうが毎回同じだと言う華淺夜に全員が精霊達を見る。

「説明が難しいのだ華淺夜様は。本人に語って頂くのが一番だ」
「そうよぅ。私達じゃ褒めちぎるだけだもの。それじゃ説明にならないわ」
「・・・僕、苦手」

それぞれ言い訳しつつ視線を逸らして、まあ椿は仕方がないとしても普段がお喋りな朝顔と萩はそそくさと主の袖の中に隠れてしまう。自覚はあるらしい。

『全く。まあいいけどな。じゃあ説明するぞ。で、この説明が終わると時間切れになるからな。後は樒美にでも聞け。俺を召喚できる様になれば樒美にも多少情報がいく。それで何とかなるだろ。ああ、召喚はこれくらいの時間だったらあるじの負担も少ないから頻繁にしても大丈夫だぞ。俺も偶には呼んでくれると嬉しいから頼むな』

そうして、華淺夜と言う存在の説明がはじまった。毎回との言葉通り、この手の説明には慣れているらしく短い時間で分かりやすい説明だった。思わず拍手したくなる程の素晴らしさで主の着物の袖に隠れた精霊達もいそいそと出てきて華淺夜の説明が終わる頃には拍手している。椿は緋良の膝でぐっすり眠っていたけれど。

ともかく、簡潔に説明された華淺夜の説明はこうだ。

己の存在は精霊ではあるが限りなく神に近いものであり、この世界に存在する人外の中では限りなく頂点に立つ存在である。人外は人とは違い生まれ持った位置がありこれは変わらない。よって、華淺夜の存在があれば人外と人との調整役を担う神野樹にとっては正しく切り札となる。但し、これは人には適用されない。普通の人から見れば華淺夜もカオルも同一だからだ。

そして、なぜ樒美とそのあるじによってのみ召喚されるのか。これは樒美が華淺夜から生まれた存在だからだ。そして夏秋冬の精霊は華淺夜と樒美の力で生まれた。あるじが必要なのは華淺夜を物質的な『見える』存在とするのにあるじが必要となる。普段は別の次元にいるらしい華淺夜は精神身体のみの存在で、樒美や精霊達もそれに近い。

「要するに、樒美が貴方を呼び、カオルの身体に止め置くと言う事であり、貴方が人の外の世界では限りなくトップに近いから切り札になると」
『そうだ。だから頼ってくれていいぞ。樒美のあるじがいる時だけの特権だ。便利に使え。でも俺の意思もあるからお前らの思い通りにいかない事もあるけどな。っと、時間切れだ。会えて嬉しかったぞお前達。またな』

唐突にあらわれて、唐突に消える。
まるで気付けなかった人間達はまた呆然として、精霊達は嬉しそうにはしゃいだまま。
質問の答えは貰えたが恐らく他にもいろいろ細かい事情はあるのだろう。去る際に礼もできなかったと落ち込むべきか、気安い存在に安堵するべきか。吐いた息は間違いなく安堵のものだから、緊張が解けたのだろうと人間達はひっそりと苦笑した。




華淺夜の存在した時、カオルの意識はそのままあった。
言葉も全て聞こえていたし、ちゃんと見えていた。けれど全てがとても遠くて近くにいたのは樒美だけ。だからなのか、華淺夜がいなくなったと同時に樒美がとても遠くになった気がした。

「・・・戻った、みたいだな。樒美?」
「いるよ、あるじ。大丈夫?」
「たぶん」

華淺夜が唐突に去って、意識がはっきりすれば爺様達がほっとしているのが見えた。
手は樒美と繋いだまま、特に疲労もないけど何かが違う。樒美と握った手を離したくない。

「カオル、だな。大丈夫、そうじゃが」
「顔色も良いけど、カオル?」

爺様と汰一がじっとカオルを見る。でもカオルの視線はどこか遠くて爺様も汰一も、部屋の全員を見ずにあちこちをさまよう。いや探しているのだ、樒美を。

「僕はここだよ、あるじ。抱きしめる?」

手は握っているのにどうしてか、とても樒美が遠く感じる。ずっと樒美と混ざっていたからだろうか。隣なのに探すのに時間がかかった感覚でカオルから樒美に抱きつく。花の匂いに少しだけ安心して、でもまだ遠い。

「カオル?やっぱ大丈夫じゃねえじゃんか。どうした?」
「おい朝顔、どうなってんだこれ」

みんなの声もまだ遠い。狭い部屋なのにとても遠い。変だなとは思ってもカオルにはどうしようもない。

「やっぱりだよね。ごめんねみんな。ちょっと離れに行くよ。あるじ、気分は?」
「悪くないし、イヤな気持ちもないんだけど何か変。なあ、ひょっとして召喚の負担って」
「僕とあるじが混ざっちゃうから少しの間離れがたくなるんだ。まあその、見て分かる通りそう言う感じで、お披露目までには戻るから」

樒美が珍しく早口になって、言い終わる前にカオルを抱えて部屋を出る。
ぎゅっと抱きついてもまだ落ち着かない。何だろうこの気持ちは。悲しくも切なくもないのにただ落ち着かない。カオルを抱えたままで走る樒美なんて、そもそも樒美の動作はいつも綺麗でゆったりとしているから走るなんてまずないのに、驚かない。もっと早くなんて思ってしまう。

「離れについたよ、もう大丈夫。僕の力で閉めたから誰も入れないよ」

華淺夜を召喚している間、カオルはずっと樒美と混ざっていたから、だから、離れたのが違和感になった。そう言う事だろうと考える前に納得した。
離れに入って座ってもまだ両手は樒美の手を握っているしやっぱり離れたくない。いや、離れがたい。そして、この離れがたい気持ちは反対側の気持ちにぴたりとくっつく。

「誰もって・・・そーゆー事か。でも離れに入ったら少し落ち着いたぞ」
「僕の部屋だもの。僕の力で満ちてるからだよ。ええと、あるじ、怒ってる?」
「怒ってないぞ。ちょっと呆れてる」

わざわざ鍵じゃなくて封印なのは本当に誰にも入れない様にする為で、困った顔なのにいそいそとカオルの着物を脱がそうとする樒美にやっぱりだろうなあと、呆れつつも笑いたくなる。
あの樒美と混ざっていた時の感覚は夜の気持ち良さによく似ていたからだ。

「説明しなくてごめんなさい。すごく説明しにくいの」
「それは分かるけど、まいっか。なんかさあ、妙にイイ気分なんだよな。夜とまた違う変な気持ち良さ」
「華淺夜様の気持ちも少し混じっているからだと思うよ。僕もね、きっとあるじと同じだから」

脱ぎかけの着物のまま樒美が口付けしてくる。優しいのに妙に熱の籠もった口付けで、カオルもすぐに息が荒くなる。


後はもう言葉なく、外の状況も何も考えずに乱れに乱れて。


「着物ぐしゃぐしゃになっちまったな・・・怒られるよな。つか、出したくないよなあ」
「後で僕が洗っておくから大丈夫だよ。そもそも僕の着物だもの」
「それもそうか」

汗だくになって身体もだるいけどさっぱりした気持ちだ。
着物も布団もぐしゃぐしゃになったけど、こんな時は樒美の不思議な力が心の底から有り難い。

ちなみに、今は母屋にある風呂にこそこそと侵入した所だ。着られなくなった着物をそのまま離れにおいて、浴衣姿でこそこそ。母屋が広くて良かった、とも思ったカオルだ。
風呂は家族全員で入れる大きい檜風呂で水を入れるのも湧かすのも時間がかかるものだけど、どうやら精霊達が気を利かせてくれたらしい。ぐちゃぐちゃの行為が終わった頃に萩がにまにましながら風呂を沸かしたと言ってくれたのだ。

「全部ツツヌケってのも何だかなーって思うけど風呂はいいよな。夕暮れに風呂!いいよな」
「綺麗だよね。あるじも綺麗だよ」

大きい湯船だからゆうゆうと浸かって、正面にいる樒美がとても嬉しそうに微笑むからカオルだって嬉しくなる。
この場面で照れずに嬉しくなって折角だからと湯の力を借りてすすいと樒美に抱きつきつつ口付けするのがカオルだ。樒美も嬉しそうに口付けを受けて2人で額をくっつけて笑う。幸せだなあと思うのはこんな時だ。





back...next