太陽のカケラ...78



司佐の運転する車が東京の家に着いた。
家と言っても院乃都の家じゃない。司佐の家だ。

寂れた商店街の外れにある喫茶店。
ついこの前までこの二階にあるアパートに住んでいた。でも、今は瑛麻の家じゃない家。
久しぶりの寂れた商店街は何も変わらず、喫茶店も同じ。ほっとする。

「おかえり、瑛麻、和麻。何だ、お疲れだな」
「おかえりなさい。あら、すごい綺麗なお花ね」
「泊まりに行った友達の家で貰ったって言うか、摘んだ?すごい家だったぜ」

カオルの家で摘んだ花は店で売っている花ではないけどかなり豪華だ。早速とばかりに店にある花瓶に飾られている。
司佐の父と母も変わりがない様で帰ってきたんだなあと思えばさらに気が緩んでしまう。
学園の生活にもだいぶ慣れたけど、家は別だ。客も顔見知りが定位置に座っているし、窓の向こう側も見慣れた景色で。

「はぁ。帰ってきた・・・」
「落ち着くよねえ」

カウンターに肘をついて和麻と2人、呟いてしまう。
ようやくの長い休みだ。

「ガキがそんなジジむさい溜息落とすな。父さん、あれは?」

はー、と和麻と顔を見合わせていたら司佐に軽く撫でられて店の客達に笑われる。
しょうがないだろう、やっと、なんだから。
撫でられた頭はくしゃくしゃにされて司佐が苦笑しながら空いている椅子に座る。

「ああ、そうだそうだ。瑛麻、和麻、2人にプレゼントだ。ほら」

カウンターの中で2人に珈琲をいれてくれた司佐の父がマグカップと、それから鍵をわたしてくれる。
何の飾りもないよくある鍵だ。

「鍵?」

瑛麻と和麻に1本ずつ。何だろうと首を傾げれば司佐の母がにっこりと嬉しそうに微笑む。

「ふふ、元の部屋の鍵よ。貴方達が必要なくなるまで、あの部屋は瑛麻と和麻の家になったわ」
「帰る家がないのも不便だろ。まあ家はあるがあれじゃな。と言う辺りの所をオヤジさんに電話で小一時間ほど説教して、部屋を借りてもらったって訳だ。気にする必要はないぞ。だいたい向こうが悪いんだしな」

司佐の父も嬉しそうに微笑んで瑛麻と和麻を見る。
よくある鍵をじっと見て、和麻を見れば目が潤んでいる。瑛麻だってちょっと、泣きそうだ。
ぎゅっと鍵を握りしめる。もうなくなったと思った家が、帰ってきた。

「・・・いつもごめん。ありがと。すげー嬉しい」
「謝る必要は何もねえよ。ま、向こうも一応元気そうだったと言っておくぜ」
「え、父さん来たの?」

入学してから何の音沙汰もない父だ。それはまあ普通だが司佐達には会いに来たのだろうか。驚いて和麻が聞けばみんなが微妙な顔になる。

「いや、電話で話しただけだ。来たのは秘書って名乗ってた真面目が服着たみたいな細いおっさん。なんか嫌そうな顔だったから説教しといたぜ。母さんが」
「当たり前でしょ」
「帰る頃には泣きそうな顔してたけどなあ、あの秘書」
「それも当然です。美咲がいなかっただけ良いと思ってもらわなくちゃ」
「姉さんがいたら説教だけじゃ済まなかっただろうな」

どうやら一悶着らしきものがあった、のだろうか。
司佐達の言う秘書はきっとあの陰険役立たずだろう。もし瑛麻に見せた顔でこの店に来たら、まあ、説教だろうなとは思う。
司佐の姉である美咲は瑛麻達の両親を事ある毎にきちんと怒ってくれる人だから、うん、もっとすごい事になっていたとも思う。

そして、怒ってくれた。
迷惑しかかけていないのに瑛麻と和麻を思ってくれたんだと思えば頭が下がって、上げられない。和麻なんでもう泣く寸前でぎゅっと瑛麻の服を握っている。
2人揃って何も言えないでいたら司佐が立ち上がって、また頭をくしゃくしゃにされた。

「俺らも今回の騒ぎにゃ結構怒ってるって事だ。だからそんな顔すんな2人とも。さ、家に行くぞ」
「・・・ん。ありがと。ホント、ありがと」
「ありがと、お父さん、お母さん、司佐・・・」

うっかり涙声になった瑛麻にもう泣いている和麻にみんなが笑ってくれる。ありがたさと申し訳なさと、でも嬉しさでぐちゃくちゃだ。


後で聞いた話によると、本当に怒っていたらしい。司佐の家族全員が。
突然の離婚騒ぎと引っ越しとその後の顛末に。
あまりにも身勝手過ぎると。確かに身勝手だけど、そんなに怒ってくれたなんて知らなかった瑛麻と和麻だから話を聞いてまた泣いてしまったのは内緒だ。


「家具は親父さんが一揃え同じ様なの揃えてくれたぜ。ああ見えて割と反省してるらしいな。まあ、昔から悪い人じゃないんだがなあ」
「悪い人じゃなくてもダメな人はダメだと思うんだ僕。でも嬉しいや。ちゃんと前のまま・・・ちょっと、寂しいけどね」
「俺ら2人じゃ広いもんな。和麻、泣くなって」

早速とばかりに荷物を持って、前の家に入れば家具も前のままだった。
いや、新品になっているから違うけど、形や色は記憶にある我が家と一緒だった。
それが妙な寂しさに繋がるのは使った形跡がないからと、今はもう両親がいないから。
これはこれで嬉しいけどキツいなと思うのは仕方がないだろう。ぐるりと部屋を見渡した和麻がまた涙を零して、瑛麻も泣きたくなってしまう。
司佐も分かっているみたいで、もう仮眠に入る時間なのに側にいてくれる。
申し訳ないけど今はとても有り難い。

和麻は直ぐに泣き止んだけど、がらんとしたリビングにはもう暖かさを感じられない。
司佐が新品のコンロを使ってお茶を入れてくれたけど、全てが我が家であって我が家じゃないものばかり。暖かいお茶が妙に冷たく感じてしまう。

「まあなあ。部屋を借りただけマシだと思うしかないんだけどよ、やっぱキツいよな。一応お前らの部屋に私物なんかは持ってこさせたんだけどよ」
「いや十分だよ。まあ、キツいなって思うけど、嬉しいよ。ホント帰る家がなかった状態だし、ずっと司佐の家に入り浸りなのも迷惑かなって思ってたからさ」
「迷惑じゃねえよ」

即答で答えてくれる司佐の気持ちは嬉しいけど、どうしても笑顔が出ない。
狭いリビングがやけに広くて落ち着かなくて、司佐がいるのに嬉しさよりも違う気持ちでいっぱいだなんて。

帰る家が元通りになったのは嬉しい。司佐と司佐の両親の気持ちも嬉しい。
でも、寂しい。我が儘だ。
和麻も同じ気持ちみたいでじっと耐えながらリビングを見ては視線を落としてる。
そんな兄弟に司佐が苦笑すると飲みかけの茶を一気に飲み干して立ち上がる。

「・・・まあ何だ、人の気配って大事だよな。つー訳で、お前らやっぱ俺の家に住め。折角帰ってきたのに泣きっツラなんかさせちまうのも嫌だしな。とりあえずは荷物置き場にでもして、慣れたら考えればいいさ」

そうして、黙りこくっている瑛麻と和麻を立たせて、背中を押されてしまう。

「え、でも」
「いいからいいから。どうせ泊まるつもりだったんだから何の問題もねえだろ」
それはそうだけど。
迷う瑛麻に和麻は踏ん切りがついたみたいでさっさと司佐の家に向かっていく。切り替えの早い弟だ。

「だって落ち着かないんだもん。兄ちゃんだってそうでしょ。司佐、ごめんね」
「謝るのはナシだ。瑛麻もだぞ。ほれ、さっさと移動する」
「う、うん・・・ありがと」

結局、言われるがままに司佐の家に移動して心の底からほっとしてしまうのだから仕方がない。
広くないし、司佐の一家が住んでいるから瑛麻達の部屋もないのに落ち着く。
泊まる部屋は司佐の部屋で、もちろん狭いのにすごく安心してしまう。

「家のことはこれからゆっくり考えればいいさ。ま、気が向いたら親父さんに礼でも言ってやれ。泣いて喜ぶぞ」
「そうかなあ」
「ホント和麻は嫌いだよな、親父さん。姉さんにそっくりだ」
「そう言われれば似てるかもな。そう言えば美咲は?仕事?」
「お決まりの休日出勤ですげー機嫌悪りぃぞ。そんじゃ、俺は仮眠すっからお前らも適当にしてろや。あんま夜遊びすんじゃねえぞ」

司佐は夜に働いて朝方に帰ってくる。昼過ぎから夕暮れまでが睡眠時間だ。
本当はとっくに眠っている時間だからちょっと眠たそうで申し訳ない。
ばさばさと服を脱いで布団に潜り込む司佐に小さな声で、聞こえない様に謝って部屋の外に出る。

外は廊下じゃなくてリビングに繋がっていて、誰もいないけど人の気配はある。
やっぱり家と違う。しん、と静かなリビングで和麻と顔を見合わせて少し笑って。

「俺も気持ちを切り替えなくちゃな。とりあえず父さんに電話でもしてみるか。和麻はどうする?」
「僕はイヤ。お店のお手伝いしてくる」
「分かった。俺も終わったらいく」

キッパリと言い切った和麻は早々に部屋を出て行ってしまう。
即答するくらい嫌いなのは分かっている瑛麻だから気にせず携帯電話をポケットから出す。

和麻は父も母も嫌いだ。きちんと言い切るし本人を前にも即答する。
昔から仕事一筋過ぎる両親に一応感謝はしているらしいが、嫌いだと言い切る。
それは構わない。嫌われる要素がたっぷり過ぎるから瑛麻もフォローできないし、するつもりもない。ただ、心の底から『本当』に嫌いになる前に何とかしてやりたいなあとは思っている。
ぼんやりと考えつつ登録してある父の番号に掛けること数回。

「・・・あ、いた。父さん?俺だけど、覚えてる?」
『覚えてるって和麻だろ、酷いな』
「酷いのはそっちだろ。俺と和麻を間違えんなって。そんなんだから説教されるんだろ」
『うわ、瑛麻か!ごめん!いやビックリした。そっか連休だもんな、中江さん家に着いたのか・・・話し、聞いたか』

瑛麻と和麻の声は似ていない。兄弟だから似ている部分はあるけど、実際に聞いて間違う人は誰もいない。
でも、この父はそれすら忘れるくらいに兄弟と縁が薄い。きっと母も余裕で間違うだろうなーとも思っている。いや、確信している。

「聞いたし鍵も貰った。一応、サンキュって言っとく」
『そっか。悪いな、いつも。俺が言うのも何だけど、そこは2人がいらないって言うまで好きにしてくれていいから。中江さんにもそうお願いしてる。家賃とかは気にすんな』
「気にしねえから安心しろ」

そう言えば父も休みなのだろうか。全く気にしなかったがそもそも携帯電話が通じることが珍しい。会話も長めだし、これはちゃんと話しができるのだろうか。
別に話す事なんてないけど、珍しく続く会話にふと気が緩みそうになれば。

『悪り、後は任せる。そんじゃな』

唐突に切られる。いつもこれで、和麻が両親を嫌う原因の一つでもある。
忙しいのは十分分かってるつもりだけど、これはないだろうと、切れた携帯電話に溜息をひとつ。

「・・・いいんだけどさ。寂しいって思うのがまだまだ子供だって事なんだろうなあ」

それから、小さく呟いて家を出る。
気持ちを切り替えるのだからこんな些細な事で止まっている暇はないのだ。


その物わかりの良さが子供にはないことを、もちろん瑛麻は知らない。




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