意識の外側で、がん、と言う音が聞こえた様な気がした。
そして、額をくすぐられる様な感触と聞き慣れた声。
「おはよう兄ちゃん。とりあえず司佐は一発蹴り入れておいたからね」
「あー・・・あ?和麻?」
和麻だ。ぱちりと目を開ければ近くに少し怒った顔の和麻がいてその後ろには眩しい朝日がカーテンの隙間から見える。
朝なのだろうか。と言うか今の状況がさっぱり分からなくて混乱すれば後ろからぎゅっと抱かれる。
「久々の和麻の蹴りは効くぜ。おはよう瑛麻、良く眠れたか?」
司佐だ!って、え?司佐?
ますます混乱すれば司佐に抱き起こされて後ろではのんびり欠伸をする音がして、正面の和麻はにっこり笑って瑛麻を見ている。
「・・・???」
何なんだろうこの状況は。さっぱりだ。一人できょろきょろしていれば和麻と司佐にも笑われて、頭を撫でられる。
「面白いくらい混乱してんなあ。ここは俺の部屋だっての。あのまま寝ちまったから運んで俺も一緒に寝てて、さっき和麻に蹴られた」
「兄ちゃんの事泣かすからだよ。でも、すっきりした顔で良かった。朝ご飯できてるから下においでね二人とも。それと、三咲が兄ちゃん独り占めしたって怒りながら休日出勤してったから、司佐は後で怒られてね」
「うぉ・・・了解」
三咲は忙しそうだなあ。なんてまだ目の覚めない脳みそでぼんやりしていたら後ろから軽く抱きしめられたから体重を司佐に預けてふわあと欠伸をする。
幸せな朝だ。
「で、御機嫌は直ったのか?お姫様」
ぐいぐいと司佐に体重をかけながらびくともしねえ、なんて思いつつ顎を掬われる。無精ひげの生え始めた司佐はいつもと違う雰囲気でまた格好良い。
「後でちゃんと仕切り直ししてくれるんなら御機嫌になる」
「了解。今度はちょっと出かけるか。楽しみにしてろよ」
「ん・・・ありがと、司佐」
「バーカ、こう言う時に礼なんて言うな」
くすくすと笑う司佐にキスして欲しいなあ、なんて思ってたら本当にしてもらえた。不思議と昨日の凹んだ気持は綺麗さっぱりなくなっていて、司佐の言う通り御機嫌だ。ぐたぐたと甘えまくったお陰なのか、それとも、これも司佐の手の平で踊っていると言う事なのだろうか。まあ、それもまた幸せだけれども。
「ほれ、顔洗って下いくぞ」
ちゅ、と唇が離れて少し寂しいけれどまたお姫様抱っこされて驚く。
あれ、また続くのかこれ。
「だから今日まではお姫様だって言ったろうが。どうせ痛いの我慢してるんだろうが馬鹿め」
「う・・・」
駄目だ。瑛麻が何をしようが司佐には敵わない。
ひょいと軽々と抱き上げられるのも少々理不尽な気持があるが突っ込んだら今度は食事がとか言われそうで何も言えない。大人しく運ばれるまま洗面所に向かって一緒に顔を洗って。
「おはよう瑛麻。お寝坊さんだな」
「だめよ瑛麻。司佐は悪い大人の見本なんだからね」
喫茶店に下りれば丁度モーニングの時間でそれなりに顔見知りの客がいる中で司佐の両親に笑われる。
お姫様抱っこで登場した瑛麻には誰も何も言ってくれない様だ。
「兄ちゃん、飲み物何が良い?」
「珈琲が良い。パンは1枚な」
「育ち盛りが1枚なんてせこい事言うなよ。和麻、3枚にしとけ」
「無理だって。和麻、1枚だからな」
「間を取って2枚にしてあげるからちゃんと食べるんだよ、兄ちゃん」
今日は司佐もいるからテーブル席に移動して、司佐に下ろされれば正面に見知った顔が既に座っていた。君琉だ。
店が終わって一度着替えて来たのか、朝の風景に浮く事なくしかも線の細い見かけだからこれから出勤するサラリーマンみたい・・・には見えずどう見てもモデルか何かだ。
けれど、この喫茶店だと顔見知りの一人だから誰に騒がれることもなくそれが君琉のお気に入りの理由らしい。司佐と三咲がいるのだから騒ぐにしてもハードルが高い喫茶店だけれども。
「おはよう司佐、瑛麻。朝から濃密だなお前ら」
「あー・・・昨日はごめんな、君琉」
「瑛麻が謝る事は何一つないよ。全部この馬鹿の所為なんだろうし」
喫茶店のテーブル席はそう広くはなくて、君琉と司佐が同じテーブルに着いただけでぎゅうぎゅうだ。そして、そのぎゅうぎゅうの中、テーブルの下でガン、と音がして司佐が顔を顰める。蹴られた様だ。
「駄目だよ君琉、司佐は僕がもう蹴ったんだから」
司佐が何か言おうとするが、それより早く和麻が来た。
君琉の隣に腰掛けながら司佐と瑛麻に朝食のトレイを渡してくれる。朝から働き者の弟で、そんな弟に勝てるのはこの中では誰もいない。
「おおそうか。それじゃ俺は止めておくか。和麻は会う度にでかくなるなあ。次はちゃんと店に来いよ」
「もちろん行くよ。さ、ご飯食べよ。お腹空いちゃったよ」
朝食はトーストとコーンスープにサラダ、そしてハンバーグ。
朝から豪勢で瑛麻にはちょっと重い。こっそりハンバーグを半分にして司佐のトレイに乗せようとすれば睨まれつつトーストを1枚増やされそうになるから大人しく引き下がる。和麻に渡そうと思えばにっこり微笑まれて拒否された。
みんな厳しい。
「相変わらず細っいのな瑛麻。お前もっと食わねえと倒れるんじゃないのか?」
「朝だけだ。ちゃんと食ってる」
「嘘だよ。兄ちゃん昼も夜も食べないじゃない」
「・・・瑛麻、やっぱトースト1枚追加な」
「げ」
だから沢山は食べられないと言うのにどうしても瑛麻を太らせたいらしい。
増やされた1枚をじーっと睨んでも減る訳ではなし、けれど食べるには気が進まなくてやっぱり睨むしかない。
「分かった分かった、トーストを親の敵みたいな目で睨むな。俺が悪かったよ」
「やった。じゃあハンバーグも・・・」
「兄ちゃん?」
「や、食べます。美味しいデス」
結局ノルマは減らなかった。朝からこんなに食えるかと言うのは瑛麻だけの意見で、和麻も司佐も美味しそうにぺろりと平らげているし、君琉だって朝食の他にデザートまで食べている。瑛麻の周りは良く食べる奴らばかりだ。