いろんなはじめてを思わぬ形で叶えて、思わぬ形で失った。
途中までとは言えあんな風にいろいろされるなんて・・・泣きそうだ。
司佐に触れて貰って、どうやら瑛麻の一方的な片思い状態ではなくてそれなりに想っていてくれているのは分かったのだけれど、あれは酷いと思う。
気を抜けばぽろりと涙が零れてしまいそうで、瑛麻専用のソファで気分は血の底、両手に抱えたグラスは既に氷が溶けて味なんかしない。
あれから。
本当にもう一回で行為は終わって狭い風呂で司佐に洗ってもらった。
言葉は少なくて、風呂から上がるまで散々泣きじゃくった瑛麻に仕草は優しいものの、やっぱり司佐から愛の言葉は何一つなかった。
行動では甘やかしてもらっていると思う。風呂で丁寧に洗ってくれたし、髪も乾かしてくれて、傷の手当てもしてくれて、服も着せてくれて夕飯は司佐の家で二人だけで取ったし、司佐のバーにも連れてきてくれた。
和麻は司佐の両親に捕まったままで外食だと連絡があったから今はいない。今頃司佐の家で家族団らんだろうと思う。
司佐のバーは家から歩いて5分の所で雑居ビルの地下にある。
そう広くはない店で、カウンターとテーブル席が3つ。瑛麻の席はカウンターの端にあるソファで、瑛麻の指定席だ。
週末ともあって店はそれなりに混んではいるけれど、分かりづらい所にある店だからそんなに多くはないしほぼ常連客だ。
カウンターに入って酒を作る司佐は格好良い。
シルバーアクセサリーはバーの時は外さずそれもまた魅力だと思う。常連客の半分は司佐目当てだとも分かっている。いつもだったら専用席で司佐に見惚れているだけで良かったのに、今日は司佐を見ていると泣いてしまいそうだ。
「どした瑛麻?今日はやけに大人しいなー。その様子だと司佐に説教されたんだろ。お前も懲りないねえ」
「・・・君琉(きみる)、ウルサイよ」
ええそうですよ。説教されましたよ。口でも身体でも。
声に出さずに心の中で呟いて、声をかけてきたヤツを睨む。
君琉は司佐の友人でこのバーの共同経営者だ。
こっちもまたすこぶる良い男で司佐とは系統が別。鏑木みたい、と言えば早いだろうか。崩れたオールバックの黒髪にノンフレームの眼鏡。シャツとスラックスが嫌みな程に似合っていて、Tシャツとジーンズでカウンターに立つ司佐とは正反対の印象だ。
「何だ本気で凹んでるのな。どれ、お兄さんにお話してみろ。撫でてやるぞ」
「だからウルサイよ。良いんだよ。放っておいてくれって」
凹んでいるのに変に構われたらうっかり泣いてしまうじゃないか。
グラスを抱きしめる様に両手で抱えて、ちんまりとソファに沈んで、今は誰とも話したくはないのだ。
それでもほいほいとバーにまで連れてきてもらっているのだからどうしようもない瑛麻だけれど。
「久々に顔見せたと思ったら泣きそうな顔になってるし泣きはらした顔だし。心配すんだろうがボケ。司佐か?」
それ以外に誰がいる。いつだって瑛麻の気持ちをここまで左右するのは司佐だけだ。
もう君琉を睨むのも疲れて視線を下に落としたらぽろりと涙が零れてしまった。
どうも涙腺が壊れたみたいだ。
「・・・よし、ちと待ってろ」
そんな瑛麻に何を思ったか。店は暗いから見えないだろうと、涙をぬぐうのも面倒で、とっくに味のなくなった司佐特性のフルーツジュースを口に含めば君琉が消えていた。
やっと一人になれた。ほっとしてもう一口ジュースを飲もうとすればグラスを取り上げられる。
「全く、あれだけ弄ったのにまだ我慢しやがって。ま、俺も大人げなかったな。ごめんな、瑛麻」
司佐だ。取り上げたクラスをその辺に置いてソファの前にしゃがむ。
呆れた苦笑なのに優しくて、でも司佐が悪いんじゃないか。
「はいはい。俺が悪かった。久々ではしゃいだ俺が悪かったよ。だからそんな顔で泣くな。泣くならちゃんと声を出してくれ」
「司佐が・・・悪いんだ」
「ああ、俺が全て悪かった」
両の頬を司佐の手が包んでこつんと額と額がくっつく。
店の中なのに、いくら瑛麻の席が端っこでも司佐がこんな風に触れてくれるなんてなかった。驚いて目を見開けばまた涙が零れて、司佐の指に拭われる。
「君琉、悪りぃけど後頼むわ。裏に籠もる」
「そうしとけ。大人げないヤツで悪いね瑛麻。しっかり我が儘言ってこい」
そのまま抱き上げられてまた驚いた。まさか司佐が店を放り投げるなんて。
確かに司佐は酷いし瑛麻は悲しいけれど、だからと言って店を、仕事をサボらせる様な事はしたくない。
「いいよ司佐。俺、平気だし。一人で帰れるから」
慌てて司佐の腕から下りようとしても下ろしてもらえない。
店の中なのにとても目立って注目の的だ。まあ、こちらも喫茶店同様、顔見知りばかりだから騒ぎにもならないけど。
「せめて今日明日くらいはお姫様になっとけ。まだ痛むんだろうが。それと、本当に悪かった。ごめんな瑛麻」
移動しながら耳元で囁かれた。司佐の、瑛麻の大好きな声と内容にもう我慢できなくてまた涙腺が壊れる。
ぼろぼろと涙が零れて抱きつけば背中を叩かれて店の裏側にある部屋に移動した。
控え室になっているこの部屋は狭くて、椅子とロッカーと食材やら酒やらが置いてあるだけの部屋だ。司佐が椅子に腰を下ろした気配がしたけどもう瑛麻には何も分からない。
「・・・司佐が悪いんだ。あんな・・・俺、いろいろはじめてだったのに、説教と一緒なんて」
「ああ。ごめんな。今度はちゃんと、ロマンティックな場所にするから」
「べ、別にそんなんじゃなくても良い・・・でも、もうあんな司佐とじゃ嫌だ」
「分かってる。泣かすにしてもきっちり気持ち良く鳴かせてやる」
「だからそれは別に・・・も、なんで止まらないんだよ。全部司佐の所為だからな」
「分かってる。俺が全部悪い。ほら、擦るんじゃねえよ、腫れるだろうが」
「だって止まんない。司佐の所為で涙腺壊れた」
「思い切り泣け。誰にも聞かれねえよ」
「嘘だ。司佐は聞いてるじゃないか」
「当たり前だろう。俺が聞かないで誰に聞かせるんだ」
「・・・嫌だよ。こんな俺、みっともねえし、馬鹿野郎」
「ああ。俺が悪い。全部悪い」
こんなの瑛麻じゃない。子供みたいにぐずぐずして司佐を困らせるなんて。と思っても一度壊れた涙腺は戻らず、愚痴も止まらずに司佐にしがみつきながらずっと駄々を捏ねる。
瑛麻が愚痴を言う度にキスされて甘やかされて、なのにまた泣いて。
もうぐたぐたで、けれど、どうしようもなく幸せな気持もあって。
「司佐が悪いんだ・・・」
「そうだな。ほれ、眠くなったら寝ちまえ」
「嫌だ。寝たら司佐が離れる」
「離れねえよ。ちゃんと起きるまで抱いててやる」
「もったいないから嫌だ」
「お前なあ・・・」
狭い椅子の上で司佐はさぞかし窮屈だろう。なのにずっと付き合ってくれていて、いつの間にかうとうとと、もったいなくて眠りたくないのに疲れた身体はあっさりと眠ってしまって。