都内の外れ。寂れた小さな街が瑛麻と和麻の生まれ故郷だ。
院乃都なんて全く馴染まないし、そもそもあの親が休日だからと言って迎えに来る訳もない。それは兄弟も、司佐も良く分かっているから当然の様に戻ってきたのは見慣れた、少し懐かしい街だ。
古い商店街と住宅地だけの、最寄りの駅まで歩いて30分もかかる都会の中の田舎。司佐の家は小さなビルの一階にある喫茶店と二階のアパートになっている一室で、大家業も営んでいる。
小さな駐車場に車を滑り込ませてドアを開ければ懐かしい空気にほっと心が緩んだ。
「はあ、やっと帰ってこれたね、兄ちゃん。落ち着くなあ」
「ああ。随分久しぶりな気がするぜ・・・司佐、だから歩けるってば!」
「ボロで捻挫してるヤツに言われても聞かねえよ。和麻、荷物悪いな」
「いいよ、お昼はチーズハンバーグスペシャルセットね」
どうしても瑛麻はボロ扱いだ。またお姫様抱っこで下ろされて、当然の様に拒否権はない。司佐に抱えてもらっているから暴れる事もできず、大人しく運ばれて喫茶店の裏口から入る。
裏口と行っても調理場とカウンターがセットになっている店だからそのまま店内だ。慣れた空間にほっとするものの、当然お姫様抱っこで入店した瑛麻に全員の視線が突き刺さる。救いとしては昼近くのこの時間、例え店が混雑していようとも地元の、顔見知りしかしないと言う事と、その全ての人達に瑛麻と和麻がこの喫茶店の家族だと思われている事くらいか。
「ただいま。瑛麻と和麻を持って帰ってきたぞ」
「おう、帰ったか。何だ、瑛麻は怪我でもしたのか?」
「あらあらお姫様抱っこなんて可愛いわねえ。お帰りなさい、瑛麻、和麻」
早速カウンターの内側にいた司佐の両親に歓迎されて店内の客にもそれぞれお帰り、なんて言われた。
「・・・ただいま。大したことないのに司佐が大袈裟なんだよ」
「ただいま、お父さんお母さん。兄ちゃんの怪我は大したことあるからね。駄目だよ騙されちゃ」
迎えられる言葉は家族そのもの。司佐父はエプロン姿で料理をし、司佐母はウエイトレス兼調理の助手だ。どちらも極々普通のおじさんとおばさんながら肝っ玉が据わっていて良い両親だ。
「どれ、俺も入るわ。お前らたっぷり食えよ。特に瑛麻はな」
客がいようが何だろうが司佐の行動が変わらないのもいつも通り。
お姫様抱っこの瑛麻をカウンター席の端っこに座らせて、その隣に和麻が座る。
荷物は足下に置いてこれも定位置だ。混んでいても満席になってもこの席は瑛麻と和麻の席で、いつも空けていてくれる。椅子は硬くて座り心地は悪いけど、落ち着く。やっと自分の家に帰ってきた気持だ。
司佐も定位置に座る兄弟を見て笑みを浮かべ、エプロンをつけて調理場に立つ。
司佐は正式には喫茶店の従業員ではないけれど、手が空いている時や忙しい時はこうして調理場で父を手伝っている。じゃらじゃらと音をさせているシルバーの指輪は喫茶店に立つ時は全て外してエプロンのポケットに入れるのも見慣れた姿で。手を洗うと素早く調理をはじめた。
程なくして昼食もできあがり、和麻の前にはチーズハンバーグスペシャルセット。和麻の好物で、手作りのハンバーグに山盛りのチーズが乗って、さらにパスタとパンが付いてくる食べ盛りメニューだ。
そして、瑛麻の前には和風パスタと焼きおにぎりが置かれる。一見、妙な組み合わせだが瑛麻の好物だ。和風パスタと焼きおにぎりが、ではなくてこの組み合わせが。ついでに渋い緑茶もあれば完璧で。
「ほれお茶な。ゆっくりたっぷり食えよお前ら」
もちろん司佐が忘れるわけがない。瑛麻と和麻のマグカップに並々とお茶を入れてくれて、どん、とカウンターに置かれる。もちろん店のカップではなくて二人専用のものだ。
「サンキュ司佐」
「ありがとね、司佐。いただきます」
久々に食べる家庭の味だ。ほくほく顔で手を付ければやっぱり美味しい。学園の食堂も美味しいけれど、家庭の味は別格だ。食の細い瑛麻も久々だからとぺろりと平らげる。和麻に至ってはお代わりまでして大満足だ。
「はあ・・・落ち着く。向こうも悪かねえけど、やっぱこっちだよなあ」
「本当だね。美味しかったあ」
兄弟揃って満面の笑みだ。お腹もふくれてとっても幸せ。
和麻はデザートのカステラを突きつつ、瑛麻はもう満足してお茶を飲みつつようやく帰ってきたのだと実感できた。
そんな兄弟に周りも頬を緩めて、司佐の母が食器を片付けてくれながら和麻の肩をぽんと叩く。
「和麻、後でお買い物付き合ってくれないかしら?」
「うん、いいよ」
「ずるいぞ母さん、お父さんは連れて行ってくれないのか?」
「あら、もちろん一緒よ。瑛麻と和麻の春物を見にいくんだから。でも瑛麻は家でゆっくり休んでいること。司佐、ちゃんと見張っていなさいよ」
「へいへい。程ほどにな。和麻だって疲れてるんだから」
「分かってるわよ」
瑛麻と和麻を囲んで家族の会話だ。店は司佐に任せてお出かけらしい。和麻も嬉しそうで片付けを手伝いながら学園では見せない笑顔を浮かべている。
そんな可愛い弟を見ていれば瑛麻だってにこにこ顔で、ぼけっと和麻と司佐の両親を見ていれば額を突かれた。司佐にだ。
「良い顔してんな瑛麻。食い終わったから上行くか?」
上とは司佐の家だ。足を怪我している瑛麻では手伝いもできないし邪魔にもなるからその方が良いだろう。もう少しこの家族と和麻を見ていたいけれど邪魔をするのも申し訳ない。
「ん、行く。司佐は店?」
「いや、俺も瑛麻と一緒に行く。今日は三咲(みさき)が帰ってるから呼ぶ」
「そうか、今日は休みだもんな。良いのか?」
「ガキが変な気使うんじゃねえよ」
司佐には瑛麻の考えなんて全てお見通しで嘘もつけない。くしゃりと頭を撫でられて司佐が一度店から出る。三咲とは司佐の姉で会社員だ。今日は土曜日だから家にいるのだろう。司佐に良く似た姉で目鼻立ちのハッキリした美人さんだ。
「瑛麻!和麻!帰ってるなら言いなさいよ、私をのけ者にしてズルイんだから」
司佐が出て行って、直ぐに三咲も店に入った。これで司佐の家族が勢揃いだ。
休みだったからなのか、薄化粧に普段着の三咲だけれど相変わらず美人で綺麗なお姉さんだ。身長も女性にしては高く、瑛麻と和麻の間になる。カウンターの裏に入って司佐と並べば迫力のある姉弟だ。
「ただいま三咲。のけ者にしたのは司佐だと思うぞ」
「久しぶり、三咲。今日も綺麗だけど寝癖、ついてるよ」
「あらヤダ、休みだから良いのよ。ちょっと見ないウチに和麻は大きくなったわねえ。一ヶ月ぶりくらい?」
「ちょっと待て、三咲。俺は大きくなってないって事か?」
「んー、瑛麻は少し痩せたんじゃない?ちゃんと食べてるの?ダメよ和麻、甘やかしちゃ」
三咲が店に入ると途端に華やかになる。雰囲気が華やかだからだ。
「どうせ俺はチビでガリだよ」
一人拗ねれば皆に笑われて和麻にはカステラを一口分、口に突っ込まれた。
拗ねながらもぐもぐとしていれば後ろからひょいと持ち上げられ。
「じゃあ俺ら上にいるから。三咲、後よろしくな」
「はいはい。じゃあね、瑛麻。ちゃんと休むのよ」
またお姫様抱っこ。歩けると言うのにどうしても下ろしてはくれなさそうだ。
大人しく司佐に抱き上げられたまま店を出て、階段を上がれば懐かしの、もう瑛麻の家じゃない部屋と、その隣の司佐の家が見える。
ファミリー用だけれどそんなに広くないアパートが好きだった。狭い分、近い様な気がして。
表札のないドアを司佐に運ばれながら見ていれば、ぎゅっと抱き上げられる力を強くされるから瑛麻もぎゅっと司佐に抱きついた。