そもそもの。
事の起こりは一週間程前の、春休みの夜だった。
それまでは極々一般家庭の子供だった瑛麻と和麻だ。
兄弟の仲は良すぎる程に良く、まあ、懐く一方の和麻にはちょっとした訳もあるのだが、まあ極々普通の一般家庭だった。
両親は仕事が恋人状態で家にいる時間は少なく、ファミリー用のアパートで極々普通に育ち、学校に通い、瑛麻が中学校を卒業して近所の高校に通う予定だった。
までは、本当に普通だったのだ。
それが音を立てて崩れたのは、とある夜の夕食時。
普段は家にいない両親が珍しく揃って夕食を囲もうとしていた時だった。
と言っても夕食の半分は瑛麻と和麻のお手製で、残り半分が母親の買ってきた総菜だけれど。
「まあ、いろいろあった訳でもないんだが。今日から俺と満瑠(みちる)は離婚する事になって、お前らは俺の実家に行く事になったから、よろしく」
最初に食べるのは味噌汁と決めている瑛麻がお椀を持った時、父親がさらりと言ってのけた。
今、ものすごい重要事項を言わなかったかこのクソ親父は。
無言で見るのはびっくりして箸を落とした和麻と、にこにこと笑う母、満瑠。
そう広くもない食卓が一気に冷えた。主に瑛麻の空気で。
無言で父を睨めば兄弟に良く似た男前が白い歯を見せて笑みを浮かべている。
「そう言うわけで、お前ら今日から院乃都(いんのつ)の直系で跡取り候補になったから。ついでに学校は皇乃院(こうのいん)に変わるからな」
「あらいいわね、超エリート高じゃない。やったわね、2人とも」
「明日から俺の実家な。豪邸だ、喜べ息子達よ。満瑠も遊びに来いよ」
「もちろんよ。さあ、ご飯が冷めちゃうから食べちゃいましょうね」
にこにこ。にこにこ。
両親そろって楽しそうなのは何よりなのだが、この短い時間でとてつもない事をぽんぽん言われたのは気のせいだと思いたい。
のだが、残念ながら優秀な瑛麻の脳みそは瞬時に答えをはじき出していた。
全てを問いただすよりもまず前に、未だにびっくりして動けない和麻の肩をぽんと叩く。
「和麻はどうする?」
驚いてはいるが和麻も馬鹿じゃない。あまりの事にちょっと涙目になりつつも、しっかりと見返してくる。
「僕は、しょうがないかな」
眉を下げる和麻はちょっと先の未来が見えているみたいで涙目だ。
可哀想だけど、こればかりは譲れない。
瑛麻よりデカイ頭を軽く撫でてやれば嬉しそうに目を細めて、いそいそと自分の食べる分を皿に取り分けはじめる。
「さて、父さん、母さん。とりあえずちょっとだけ聞いてやる。離婚って?」
もう食欲はない。椀を置いて両肘をテーブルにつきながら両親を睨み上げる。
ここで行儀が悪いと言えないのがこの親だ。
「別に喧嘩とか浮気とかじゃねえぞ。お互い仕事がしたくってな」
「私の方の研究が海外拠点になるの。明日から暫くヨーロッパなのよ」
軽く言ってくれる。
ほけっとお互い顔を見合わせて頷き合っている両親に、それでも仲が悪い訳じゃなかったと心の底でほっとしてしまうのは嫌な程に悲しい事実だが、今は見ないふりだ。
「天涯孤独で爺婆もいない、兄妹も親戚もいないってのは嘘だったんだな」
「いるにはいるんだが、爺婆も健在だが、俺ら、駆け落ちでな」
元々穏やかな質ではない瑛麻だが、こんなに静かに怒る子供だったとは知らない両親だ。
冷えた空気と子供らしからぬ眼力にたじろぎながらも、一方ではどうして和麻が料理を取り分けているのか不思議そうだ。
「んで、院乃都の直系って何だ?」
院乃都とは、この国では知らぬ者のいない財閥系の、まあ有名な名前だ。
グループ企業の創始者になる一族の名前であり、その名は全世界規模。
それの直系ともなればアホ顔下げた父親はもしかしなくとも。
「俺の父が今の当主で社長っつーか、代表なんだが、身体を壊した上に跡取り候補にめぼしいのがいないって泣かれてな。あの父に泣かれるなんて思いもしなくって、思わず頷いちまった」
「あの義父様がねえ。年って取るものねえ」
しんみりしたって瑛麻の機嫌は地の底だ。
なのに、そんな息子に気付かない両親はどこまでものんびりと構えている。
「和麻。寂しいからって泣くなよ。好きにやれ」
立ち上がってにこっと笑う瑛麻に和麻が一度だけ瑛麻のシャツの裾を握って、すぐに離した。
そんな兄弟の仕草に不思議そうに首を傾げる両親だが、もう終わり。
一息吸って、吐き出して。
「ふざけんじゃねーぞ、このダメ親共が!!!」
思いっきり叫びながらテーブルを蹴り上げて、家を飛び出た。