天丸を怒らせると怖い。しかも屈折した方向に怒らせると始末も悪い。
無事に部屋に戻った翔雅がふらふらになりながら寝台に倒れ込んで呟いた。翔愛を抱えて走った所為でさらに酔いが回ったのだろう、ぐでぐでだ。
「翔雅さま、お水です」
「・・・すまん」
寝台に沈んだままの翔雅に水を渡せば受け取る余力もないのか、俯せだったのを何とか仰向けにしただけで止まってしまった。仕方がないのでグラスを持ったままの翔愛が寝台に腰掛ける。
「まったくあの馬鹿・・・。もう少し待ってくれ、起きる」
「大丈夫ですか?・・・あ、まだ流星群が続いているのでお願いします」
「翔愛、それはそれで嬉しいがちょっと違うと思うぞ」
「そうですか?」
流星群はずっと続くものだから願い事もいろいろできるし、だったら今の翔雅を元気にしてほしい。と願おうとしたのに苦笑されてしまった。願い事とは中々難しいものだ。
小さく唸る翔愛に翔雅が笑って何とか身体を起こす。そのまま水を一気に飲み干して大きく息を吐いた。
「ふぅ。少しは覚めたが駄目だ。翔愛・・・すまん」
復活したかと思ったらまた倒れた。ばたんと音を立てて寝台に沈んで驚く翔愛の耳に寝息が聞こえてくる。
「しゅ、翔雅さま・・・眠ったのです、か?」
余りにも早い眠りに驚きながらそっと翔雅の頬に触れれば反応がない。寝息、と言うか鼾が聞こえてきたので本当に疲労困憊で眠ってしまったのだと分かる。
「ふふ、翔雅さま、気持ち良さそうです」
眠る翔雅を眺めて、そっと掛布をかけてから少しの間鑑賞をしてみる。
普段は翔雅の方が遅く寝て、早く起きるから寝顔はあまり見られない。気持ち良さそう、かどうかは微妙なのだが翔愛から見れば良い寝顔だ。
「良い眠りを良き夜を。翔雅さま、おやすみなさい」
翔雅の寝顔を鑑賞するのも楽しいが、翔愛はまだ眠たくない。
そっと翔雅に額に唇を落としてから部屋を出る事にした。
甲板ではまだ宴が続いている。
一人で戻った翔愛に気づいた子由が案内してくれたのは甲板の中央にあるテーブルだった。
「天丸殿は雷吾殿に回収されたから大丈夫ですよ。眠くなるまで暖かい飲み物でも作りましょう。夜風は冷えますからね」
「ありがとうございます。あ、リュティカさま」
案内された椅子に座れた正面にリュティカがいた。酒を飲みつつ花びらの砂糖漬けを指先で摘んでは興味深そうに眺めている。
「あれ、翔雅はもう寝ちゃったの?」
「はい。ぐっすりお休みです」
「なあんだ。年寄りは夜が早いよねー」
「リュティカ様、そんな事を言うものじゃありませんよ」
「でも夜が早いのは年寄りだもん」
子由と何やら言い合いながらもほろ酔いらしい。何となくふらふらしているリュティカが花びらを食べてこれも酒なのかと騒いでいる。
翔愛も一枚摘んで、思ったより苦かったから隣にあったシロップをスプーンに乗せて慌てて舐める。
「ふふ。翔愛は甘いものが好きなの?」
「はい。甘いもの、美味しいです」
「そっか、美味しいのか。じゃあわたしも」
リュティカも翔愛の真似をしてシロップを舐めて眉間に皺を寄せている。甘いものはまあり好きではない様だ。
「翔愛様の好むシロップは普通の物より濃度が濃いですからね。はい、お水ですよ。ついでにそのまま酔いを覚ましたらどうですか。また二日酔いになりますよ」
「だって楽しいんだもん。でも二日酔いはイヤだからお水飲む・・・」
翔愛の好むシロップはリュティカにはあわなかった様だ。苦い顔で味のない水を飲み干して、また酒に手を出している。ふらふらしていて楽しそうで、見ている翔愛まで楽しくなりそうだ。
宴はまだ続いていて軽やかな音楽が甲板に流れ流れる星と船の灯りがとても綺麗だ。
良い雰囲気の中で花びらを摘みつつ、シロップを舐めてゆったりと流れる音楽に聴き入りながらリュティカと子由の話を聞いて。翔雅は寝てしまったけれど、幸せな時間だ。
どれくらいそんな時を過ごしただろうか。宴も流れ星もまだ続く中でリュティカがじっと翔愛を見ている事に気づいた。
両肘をテーブルについて、手の甲に顎を乗せて柔らかく微笑むリュティカに翔愛も同じ笑みを返せば小さな声が落ちた。
「ねえ翔愛。今、君は幸せ?」
「はい。とても幸せです」
突然の質問は普通ならば不思議に思う内容だが、翔愛はすんなりと頷く。素直な気持ちだからだ。
こっくりと首を縦に振る翔愛にリュティカが小さな声で笑う。
「そっか。良かった・・・翔雅も幸せそうだったし。嬉しいね」
ふふ、と笑うリュティカは嬉しそうなのに、少しだけ違う気持が見えていた。
いつの間にか子由が席を立っていてテーブルには翔愛とリュティカだけ。他にも何人かいたのにどこに行ったのだろうか。不思議に思うよりもリュティカの笑みに釘付けで翔愛の大きな瞳が真っ直ぐにリュティカを見る。
「ちょっとね、心配だったんだ。わたしは、翔雅達とは旧知だけれど、そう長い間一緒にいた訳でもないし、大陸も文化も違うからね。話は聞いていたし、あんなに人間不信の酷かった翔雅の、あんな笑みが見られるなんて思っていなくてね。良かった・・・」
リュティカは翔愛から視線を外して、テーブルを見つめながらぼそりと呟く音量で声を落とす。表情は俯いて見えないが泣き出しそうな声に驚く。それでもここで何か良い事が言えないのが翔愛だ。慌てるもののどうしようもなくてじっと見つめていたらリュティカが顔を上げて、微笑んだ。
「心配していたのは君の事もだよ、翔愛。いろいろと大変だったでしょう、辛かったでしょう。けれど、君の今が幸せだと言うのならとても良かったと思う。わたしにできる事は少ないけれど、折角の機会だからせめて祝福をさせてね。酔っぱらいで悪いけど」
とても綺麗な微笑みだ。酒を一口飲んで、それから花びらを摘むと翔愛の前にかざす。何だろうと思っていると小さな声で何かを呟いて花びらにふ、と息を吹きかけた。すると、酒と砂糖で漬けられた花びらがそのままの形でピキリと音を立てて固まった!まるで宝石みたいな色になって驚く。
「ふふ、びっくりした?わたしの力なんてこんなものだけど、ま、綺麗でしょ?はい、お祝いって言うには可愛い物だけどあげる。部屋の隅にでも置いておいて。でも食べちゃダメだよ」
「あ、ありがとうございます・・・」
本当に驚いた。食べられる花びらが宝石になるなんて。
大きな瞳をまんまるくする翔愛にリュティカが楽しそうに笑って、また酒を飲む。二日酔いになりたくないからと水を飲んでいたのを忘れた様だ。
「綺麗、です」
宴の席だから水よりも酒の方が自然だ、と翔愛は思う。だからリュティカが酒を飲んでいるのを気にせずに視線は貰ったばかりの花びらに映る。
手の平にのせられた固い感触の、本当に宝石になってしまった花びら。
どうして食べられる花びらが宝石になったのかは分からないけれど、これがリュティカの祝福だと言うのならとても嬉しい。薄いそれをぎゅっと握りしめたら割れそうだから、そっと握ってほんわりと笑む翔愛にいつの間にか酒を飲んでいたリュティカも優しい笑みで翔愛を眺めていた。