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花咲く海で...01
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| 婚儀を終えて暫く、夏の焼かれる様な熱さが和らいだら羽胤国の季節は変わる。 ほんの少しだけ風が冷たく感じて日差しが柔らかくなれば暦が冬になるのだ。 もちろん一年中暑い羽胤国に寒さはない。ただ灼熱の夏よりも過ごしやすくなるだけ。 そんな暖かい冬になり、翔愛にも一つの変化があった。 もう婚儀も終えた事だしと、正式に羽胤国の王妃となった翔愛の服には翔雅とお揃いの薄衣がいつもある様になったのだ。 それは全てが翔雅とお揃いではなくて、真紅の薄衣の裾には銀の飾りのある、代々の王妃は皆銀の飾りと共に宝石を着けているのだが、翔愛は宝石よりも音の鳴る飾りが好きだからと小さな銀細工の鈴が付けられている。 だから、翔愛が歩けばちりん、ちりん、と小さな鈴の音が鳴る。 その音が好きだから翔愛は歩く事が尚一層好きになった。 そう。もう翔愛は王の私室に閉じこもっているだけではない。 ようやく体力も人並みになってきて、毎日歩き回っている成果も徐々に出てきて、今では元気に羽胤城の中を歩きまわっているのだ。 朝から夕暮れまでをちりん、ちりんと音を立てながら歩いて、城にいる全ての人々を先生とし毎日元気に勉強に励んでいる。 本来ならば王妃として、翔雅のパートナーとして側に立つのだろうけれど、翔愛にはまだまだ難しい事だ。 政務よりも今はまだ生きるための知識が必要な翔愛だけれども、翔雅も皆も優しく見守ってくれている。 だから翔愛は今日も城の中を歩いている。 ちりん、ちりんと音をさせながら両手に抱えた本を倫斗の所、大臣室に運ぶお手伝いをしているのだ。 例え王妃の衣を纏っていても翔愛は翔愛。もともと王妃に決まった職務は無く時に王の側に立つ王妃もいれば静かに暮らす王妃も居て、そんな中でも翔愛は異質の存在だが城の誰もが今や翔愛の虜だ。 素直で純粋。真っ直ぐに見上げてくる大きな瞳には一点の曇りも無く、人の言う事は素直に聞き奢り高ぶる所か日々勉強と必死に頑張る態度はとても真剣で、微笑ましい。 そんな翔愛を目の前に大人たちはただただ唖然とし、気づけば皆、翔愛の為に何かをしてやりたいと頑張ってしまうのだ。ただ、王が選んだ王妃と言うよりは、目に入れても痛くない可愛い子供に対する態度なのは大目に見てもらうしかないのだろうけれど。 ちりん、ちりんと微かな音をさせながらようやく翔愛の足が止まった。目的地に着いたのだ。 入り口は開け広げられたまま、大臣室と言うにはいささか無用心だが熱のこもりやすい羽胤では割と当たり前の事で、普段は城の中の人間であれば出入り自由なのだ。 だから翔愛も一度とめた足を動かして部屋の中央で書類に向かっている倫斗の側まで本を持っていく。 ちりん、ちりん。まるで翔愛の目印の様な音に倫斗が顔を上げた。 「倫斗さま。本を持ってきました。どこに置けば良いですか?」 「ご苦労様です。ではそこの机の上に。少し疲れましたか?」 「大丈夫です」 「そうですか。ではこのまま王の執務室へ向かって下さい。翔雅様がお呼びですよ」 「はい」 「くれぐれも無理はしない様に。疲れたら休んでから向かってくださいね」 「はい。ありがとうございます」 元気良く頷く翔愛に倫斗も微笑んで翔愛を送り出す。いくら人並みに近づいたと言っても翔愛の体力はまだまだ少ないのだ。 張り切りすぎればすぐに熱を出してしまうし、筋力もまだ幼い子供と変わらない。けれど翔愛は早く一人前になりたいのだ。いや、一人前なんて贅沢は言わないから、せめて人並みになりたい。こうして皆優しくしてくれるし毎日が楽しくて仕方が無いけれど、翔愛には何も出来ない。 天丸の様に翔雅の側に立つ事も出来ないし、椛の様に人を癒す事も出来ない。倫斗の様に賢くもない。 翔愛には何も無いのだ。 今はそれでも良いと言ってくれるけれど、これから先は駄目なのだ。何も知らなかった翔愛だけれども、こうして日々多くの人々と接するうちに己の不甲斐なさと、少しの欲が出てきた。 少しでも、役に立ちたい。翔雅の、翔愛を受け入れてくれた翔雅と、優しく見守ってくれる皆の役に立ちたいのだ。けれど悲しいかな、翔愛の身体はまだまだ不便でこうやって少しの用事でさえ、必要以上に張り切れば夜には熱を出して数日寝込んでしまう。 少しずつ、少しずつ。 焦りは禁物だと椛に諭され、急ぐことは無いのだと翔雅に撫でられて、でも翔愛は頑張りたい。 何も知らなかった頃と違うのだから。 倫斗の言う王の執務室はあの謁見の間の裏にある秘密の執務室では無く、普段国王が執務を行う大きな部屋の事で許可があれば誰でも入れる表向きの執務室の事だ。 場所は城の奥まった所にあって少し遠い。ちりん、ちりんと鈴の音をさせながら向かう翔愛にはほかの人よりも遠い距離だ。 でも翔雅が呼んでくれたのだ。多少疲れても一気に歩けてしまう。 普段の翔雅はとても忙しくて婚儀が終わってからと言うものの、昼のうちはなかなか一緒に居られないのだ。ましてや仕事が絡めば翔愛は何も出来ない。昼食とお茶の時にしか合えないのだから俄然元気も出てしまう。 うきうきと元気良く一気に歩いて、道行く皆に声を掛けられながらたどり着けば開け放たれたままの入り口で天丸が迎えてくれた。 この執務室にももちろん天丸の席がある。他にも小さなテーブルがあって、椅子もいくつか。何人かで集まる事もあるこの部屋は翔雅の持つ執務室の中でも一番広い。部屋の一番奥に翔雅の机があって、天丸につれられて部屋に入ってきた翔愛を見ると何故か穏やかだった翔雅の表情が少しだけ怖くなった。 「翔愛、少し顔が赤いな。疲れているだろう?」 「だ、大丈夫です。疲れて、ません」 開口一番に咎められてしまった。あわてて首を振っても翔雅の顔は怖いままで悲しくなってしまう。 がたん、と音を立てて席を立った翔雅が翔愛の側にきてしゃがみ込む。そのまま大きな手を翔愛の頬に当てた。翔雅の手が冷たくて気持ちよい。 そう、本当は、翔雅が正解なのだ。でも、翔愛はまだ動きたい。だって今疲れているなんて言ったら寝台に閉じ込められてしまうではないか。 「翔愛、無理をして倒れたら基も子も無いんだぞ?」 「でも・・・疲れてないです」 「頑固者め。仕方が無いな」 誤る事も出来ずに翔雅を見つめる翔愛に翔雅は小さくため息を落としてひょいと翔愛を抱き上げてしまう。こんな翔愛も以前では見られなかった翔愛だ。少しだけ意地を通して頑固な所もあって。本来の翔愛がどういう性質なのかは誰にも、翔愛本人にも分からないが少しずつ我を通す様になった翔愛は微笑ましい。けれど体調が悪いのに無理をしては意地を通す所では無い。翔雅に見つめられて居たたまれない翔愛は見つめていた大きな瞳をしょぼんと伏せた。すると、翔雅の腕がひょいと翔愛を持ち上げて素早く部屋の隅にある大きなソファに運ばれてしまった。 「少し休んでから動けって言われているだろう?今茶を持ってくるから一度寝て、それから動け」 「でも、ぼくは・・・」 「でも、じゃない。いいな」 ソファに横たえられた身体は言われてみれば鉛の様に重くて、翔雅に言われるままに大きな瞳がとろりと闇に解けてしまいそう。 動きたいのに、動けない。まだまだやりたいこともお手伝いもいっぱいしたいのに。翔雅に呼ばれて翔雅のお手伝いが出来ると思ったのに。 「そんな顔をするな。起きたらちゃんと翔愛に用事がある。だから今は少し休め」 横になった翔愛の上に軽い布が掛けられた。元々執務室にそんな布は無い。これは翔愛の為に用意されているものだ。 「・・・ごめんなさい」 小さな小さな声で呟けば翔雅が苦笑しながら翔愛の額に小さな口付けをくれた。本当に、どうしてこんなにすぐ疲れてしまうのだろう。 しょんぼりとうなだれつつも、くたりとソファに沈む翔愛の髪を翔雅が優しく撫でてくれる。そのまま小さな頭も撫でられてもう目を開けていられない翔愛が静かに瞳を閉じようとした時。 「何だ何だ、随分可愛らしい嫁ではないか、翔雅」 執務室の入り口から聞いたことの無い声がした。 浪々と響く声に翔愛も驚いて落ちそうだった瞼をぱちりと開けてしまったけれど、それよりも翔雅が身体を揺らして驚いている。 「ゆ、雄禅(ゆうぜん)様!?」 翔雅の声と、天丸の声まで重なった。二人ともとても驚いて動きが止まってしまっている。 あまりの驚き具合に翔愛は驚くよりも不思議になって少しだけ身体を起こした。 まだ身体は重いけれど、それよりもずかずかと執務室に入ってきた人が気になるのだ。 その人は椛よりもだいぶ年上の男の人だった。薄衣が無いから城の人ではない。 薄い緑のゆったりとした服に大きな身体。身長は低いけれど体格ががっしりとしている。 白い髪、は白髪なのだろう。それに顎にあるのは翔愛が見たことの無い立派な髭。 初めて見る人にじぃっと視線を向けてしまう。穴が空きそうな程に見つめて、けれど何故かその人は豪快に笑うと勝手に執務室の椅子に座った。 そうして、何故か逃げる様にこそこそと部屋を出ようとしていた天丸の服をがしっと掴んだ。 |
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