next will smile

02.01...ぬくもり




仕事帰りの一杯と言う物は非常に、格別に、旨い物だ。
それが国産の味の薄いビールと言うか発泡酒だったとしても、とても美味しいのだ。

アルコール度数の割には苦みと炭酸のキツいビールだってするすると呑めてしまうのだ。
間違っても仕事中のビールでは無い。
仕事中に飲んだって不味いだけだ。
仕事がキッチリ終わってから飲まないと旨くは無いのだ。
欲を言えば外国産で味が濃くてアルコール度数も高くてどっしりしてるヤツの方が好きだけれども、この際そんな贅沢は言ってられない。
だって、丸二日完徹の上に一週間も事務所にカンヅメにされて、これでもかと押し込められた仕事がようやくやっと一時間前に終わったのだ。

ふらふらしながら片づけて、一週間以上もカンヅメになっていた事務所(と言う名のボロアパート)をまるで監獄から出て来る元犯罪者の様な気分で(犯罪者になった事はないけれど)外に出る事が出来たのだから、これはもう呑まなければやってられない。

例え今が真っ昼間でお昼時だったとしても、呑まなければ気が収まらない。

あの、いろいろな意味での曰く付きの雑誌編集をようやくの思いで終えて、校了の指示が出て、それから溜まりに溜まりまくった雑誌以外の仕事を終えたのがつい先程。
実に一週間も事務所(と言う名のボロアパート)に寝泊まりしてしまったのだ。
今の時間は丁度正午だが、流石に一週間もこき使った自覚のある社長にそれはそれは偉そうに今日はもう帰っていいぞと言って頂けて、ふらふらとした足取りで街中を歩いている。


高野井 充(たかのい みつる)
今年で24歳になった彼は本人の意識はともかく、街行く人々の視線を集めてふらふらと彷徨っていた。

毛先をバラバラにカットした髪は自然の茶色で肩までさらりと伸びて、歩くたびにふわふわと揺れて柔らかそうな色合いを醸し出している。
視力が悪く手放せな眼鏡は細身の灰色で、眠たそうにとろりとした瞳と重なって、見る人に柔らかいイメージを与える。
顔立ちもすっきりと整っており、身長こそ平均身長程だが細身でバランスの良い身体付きに私服勤務の為、煤けた黒のシャツにジーンズと言う姿は、特に妙例の女性の視線と何故か男性の視線まで、チクチクと充に突き刺さっている。
けれど本人はそれ処では無く、今はただ眠いのと、何より仕事終わりの酒を求めているのだ。

そう、充は大の酒好きだ。しかもうわばみだ。
仕事終わりの酒はかかせない。
一番好きな銘柄は日本酒なのだけれども、仕事終わり直後はビールと決めているから、今一番求めているのはビールなのだ。

よって、充はふらふらとしながらも一番最初に目に入った店に入って店員の案内されるままに席に座ってメニューも何も見ずに「ビールお願いします」とお願いをしたのだ。
なのに店員から返ってくる視線は怪訝な物で、周りの客までもが怪訝な目つきで充を突き刺してくる。

確かに昼時だが、別にビールくらいいいじゃないかと全く周りの状況を分かっていない充は一人ぶすくれるまま、ぺたりと座った席のテーブルに頬をくっつけた。

要するに、寝不足と疲労とで今現在の充は少々イっちゃっているのだ。
眠る寸前の意識は朦朧として、疲労の重なった身体はだるくてどうにも動きが鈍すぎる。
既に周りの状況も何もかもが充の意識からも視界からも無くなっているのだけれども、本人はそれに気付かず再度ビール飲みたいなぁ等と呟いてしまった。

妙な注文をするへたれた客に店員は固まったままだ。
どうしてそんなに固まっているんだろうと充は不思議に思うものの、いい加減眠さが増して、きっと後1分もこのままで居たら寝てしまっただろう充と困りきっている店員。


しばし両方が無言でいると、何処からともなく天の助けが現れた。

それはどこか気の毒そうな声だった。

「珈琲2つ。お願いします」

すっきりと通る声で困り切っている店員に注文をくれた声の主はそのまま充の方に向かって来て、何も言わずに充の前の席に腰を下ろした。
ガタ。と椅子を引く音を聞きながら、やっとマトモな注文を言ってくれたとばかりに「すぐにお持ち致します」なんて爽やかな笑顔すら浮かべた店員はさっさと店の奥に消えてしまって、テーブルの上に伏せたまま、充は非常にやさぐれそうになってしまう。

「とりあえず珈琲でも飲んで下さい。俺、奢りますから」

どうやらその声は充に用事があったらしく、奢ります、なんて言ってくれているから、充はよけいにやさぐれてしまいそうになる。

こんな昼間からナンパに合うなんて本当に世の中世知辛い。

本来ならば、親切で声をかけてくれたんだと思っても良さそうな物だけれども、残念ながらやさぐれた充はそうは思えない。

何せ何をどう間違ってしまっているのか、自分の容姿がいわゆるソノ毛の野郎の興味を非常に良く引きやすいと言う自覚はある無いに関わらず、口煩い保護者変わりである2人とこれまた口煩い会社の先輩達にも常日頃からそれこそ嫁入り前の箱入り娘状態で煩く煩く言われているので理解せざるを得ない。

曰く、お前の顔つきと身体は危ないんだ、だの、充君は雰囲気が優しいから危険だよ。だの、お前は押し倒しやすそうに見える。だの、その雰囲気が危ないんですよ、だのとまぁ、聞き様によってはかなーり失礼臭い事を言われまくっているもので、流石にそれなりにナンパらしき物には期を使う事にしている。

それに、言い含められる前に、自慢じゃないけれど、高過ぎず低過ぎない身長とデスクワークで鍛えた色白の肌に同じく毎日事務所に監禁されながら鍛えられた細身の身体に親譲りのほややんとした容姿は、言われるまでもなく、これまでの過去の経験上で女性よりも野郎からのナンパ率が非常に高い事を充に教えていた。

だから、古ぼけたテーブルは狭いし固いけれど、ひんやりとしていて気持良いからべったりとくっつけたままの頬はそのままに、充は目線だけを上に上げて声の持ち主、ナンパしてきた奴を上目遣いでギロリと睨んだ。

「どーもありがと。でもいらないしナンパもお断りだよ」

こんな風な態度で追い返せば相手は大抵すぐに逃げてくれる。と計算の上で態と不遜な態度を示しているのに勝手に前の席に座っている男は面白そうに笑って突っ伏しっぱなしの充と同じ所まで顔を下げてきた。

「何でこんな昼からナンパしなくちゃいけないんですか。この店アルコールは置いてないみたいだから、あれ以上店員さんを困らせたく無かっただけですよ。ほら、起きましょうよ。いくら拭いてあるテーブルでもあんまりべったりしてるには汚いですよ」

どうやらサラリーマンらしい男は本当に可笑しそうに笑っているから、充も顔を上げてじぃっと目の前の男を観察してみる。

見た感じ、年は充と同じくらい。
真っ黒でさらさらな髪に切れ長の目が柔らかく細まって笑顔を作っているその表情は暖かい感じで、ちょっと、どころか世間標準で言えば十分に、格好良い。
充と動きを合わせて起き上がった身体の感じもやっぱり充と同じくらいの身長だと言う事が分かる。けど、向こうの方がちょっとガッシリしてるし、何て言うか、ひ弱な印象の充に比べて随分と男らしいと感じさせる。
スーツ姿もばしっとしていて、見た目だけだけどエリートサラリーマンなんて単語がすんなり浮かんできてしまう位に、イイ男の部類に入るんじゃないかと思う。

けど。

「何で珈琲奢ってくれるの?」
男に興味なんてありません、て言ったってその表情があんまりにも柔らかいからつい訪ねてしまえば、男は笑う、と言うよりは微笑んで取り出した煙草を銜えて火を付けた。その仕草も悔しいくらいに格好良い。

「だってこんな昼間っからくたくたになってビールなんて言うから可笑しくて」

本当に可笑しかったんだろう。
男はくすくすと声でも笑って灰皿を充の方に押しやって来る。
充の上着のポケットには明らかに煙草だと思われるふくらみがあるのを見ての行動だろうけど、そんな仕草一つにも何だか思いやり、なんて気持が受け取れてしまって、やさぐれていた充もちょっとだけ機嫌を持ち直して自分の煙草を銜えた。

「だって仕事はもう終わりだもの。仕事終わったらお酒飲みたいじゃない」
「お酒、好きなんですか?」
「うん。すごく好き。主食だから」

キッパリと言いきる充に男は声を上げて笑ってから、丁度来た珈琲の内の1つを充に差し出してくれる。

「主食って、お酒が主食なんですか。じゃぁ煙草は?」
「煙草も主食なの」

暖かい珈琲にドバドバとミルクを入れて一口啜れば昨日の昼から何も食べていない胃は少しだけ痛んだけれど、でも、目の前の男の笑みが優しいから、気持はほんわかとしてきて。

「それってめちゃくちゃ身体に悪い食生活じゃないですか。しかもどうやって栄養取るんですか」
「アルコールとニコチン。だから仕事も終わったし栄養取りたいからお酒飲みたかったの」

取り留めの無い会話をしながらすっかりやさぐれた気持の無くなった充ははふぅと息を吐いて暖かいカフェオレもどきの暖かさに少しだけ笑みを漏らした。

「アルコールからは栄養取れませんって。何か注文しましょうか?」

すると、男はちょっと驚いた表情をしながらも、すぐに笑みを浮かべて充にメニューを差し出して来る。
けれど、生憎疲れと寝不足で全く食欲は無い。

「いらない。何かちょっと食べ物入りそうに無いから」
「俺のおごりでも?」

きっと昼間の光の中では大層青白い顔色になっているだろう充を心配してくれているらしいけど、本当に食欲が無いから充はふるふると首を振って差し出されたメニューを奪って元の場所に戻してしまう。

「食べ物よりお酒がいいの」

ちょっとばかり大人げないなぁとも思うけど、本当にそんな気持だし、疲れきっているから他人を気遣う心なんてさっぱり消え去っている充に男はそれでも微笑んでくれる。

「じゃ、お酒奢りましょう。実はね、俺も仕事終わりなんですよ」

さらりと告げられた台詞にさすがに驚いた充は持っていたカップをカシャンと音を立てて置いてしまった。

「え?だ、だってまだ仕事なんじゃないの?」

どうみたって男の服装と雰囲気はサラリーマン以外の何者でも無いのに今から飲みに行けるの?と首を傾げる充に男はふふんと鼻を鳴らして。

「今日はサボりです。って言うか、俺、これでも社長なんで時間はいいんですよ。でもこんな時間から飲める店知りませんから教えてくれますよね?」
「・・・社長でもサボりはサボりなんじゃないの?お仕事まだあるんでしょ?」

充としては毎日顔を合わせているサボリ癖のある社長の顔がぽぽんと浮かんで来て思わず心配してしまうが(何せ社長がサボルとその秘書がとても恐ろしくなるのだ)、充に反して男はその返事のズレ具合と言うか、ほややんとして言い方にぷぷっと吹き出してテーブルの端に置かれていた伝票を取ると立ち上がって充に手を差し出した。

「いいんです。今日の仕事は終わってるし、サボりたい気分だったからここまで逃げて来たんです。これからどうしようかなって思ってた所で貴方みたいな面白い人に会えてラッキーなので奢らせて下さいね。さ、いきましょう」

あんまりにも可笑しそうに、けれど嬉しそうに微笑んでいるから、つい充は無意識で男の手の上に自分の手を重ねてしまう。

「あ、そうそう。俺、遼太郎(りょうたろう)って言います。貴方は?」

立ち上がってテーブルの上で手を繋いでいる姿はまた違う意味で店中の注目を集めているのに、全く気にせずに自己紹介する男に充もつられてしまう。

「充だよ」
「じゃぁ充さん。行きましょうか。道案内して下さいね」
「うん。いいよ」

繋がれた手がやたら大きくて暖かく感じてしまって。
充はにこにこと微笑む男、遼太郎につられるままにふんわりと微笑んだ。





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