夜の街の魔法使い・星を掴む人 65



夜しかかない街だから酒場はいつだって繁盛していて、一日中酔っ払いを大量生産している。ハーティンとプープーヤに連れられたユティも目出度く酔っ払いの仲間入りになって、二人に生暖かい視線で微笑まれつついろいろと聞き出されて、ついでに同じ酒場でラジェルの安否も知れた。どうやらかなり大掛かりな緊急依頼だった様で一ヶ月以上は戻れないらしい。今頃どんな思いで戦っているのだろうかと気にはなるけどユティにできる事はない。歯がゆいとは思わないけれど、微妙な気持ちのまま酔っ払って宿に戻って爆睡して、目が覚めても当然ながらラジェルはいなくて少しだけ寂しく思った。これが気持ちの変化なのだろうか。滞在している宿にはラジェルの私物も溢れているから余計に寂しく思うのだろう。
「・・・まさか俺が寂しい、なんてなあ」
今までずっと一人で世界中を旅してきたユティだ。寂しさはあっても種類は違っていた。ラジェルの私物を眺めながら小さく笑って、のろのろと風呂に入る。風呂に入ればまだ身体のあちこちに残る跡があって寂しさが増してしまった。
「ああもう、駄目だ駄目だ。切り替えて、そうだ、図書館だ!」
街に戻ったら図書館に行く予定だったのだ。いつまでも寂しさを引きずっていたら何も進まない。それに、前々から考えていた事もあるのだ。それには大量の資料を読み込まないといけないし、この街や草原、雪原も知らなくてはならない。星を掴む人は日々の地味な努力の積み重ねが必須なのだ。
ラジェルが戻らないのであれば図書館に住み込む気持ちでいろいろと調べたい。師団長から紋章をもらっているから封印でも禁忌でも全てが調べられる。ああ、でもまだ紋章を魔導師のローブに刺繍していないから、まずはそこからか。
「いろいろと忙しくなりそうだな。よし、張り切って行くか」
図書館での調べ物に紋章の刺繍、それに新しく購入した魔法の使えない家もある。ラジェルがいないのは寂しいけど、やる事は山積みだ。
気合いを入れたユティは自分で使っている方の寝室に入ってこっそりと仕舞ってある夜カイコの糸を手に取る。基本の編み方ではない、ユティだけが知る複雑な編み目はまだまだ完成までに時間がかかるものだ。これが完成したら、最初は南の草原でと思っていたけど、今は冷え切った雪原で星を掴むのだ。基本の星網で星なる白石を掴めた雪原で、今度はきっちりと下準備をして、ユティの思う星の形で。この糸に出会った時から考えていたのだ。ユティの持つとっておきとはまた違う贈り物になるだろう、聖なる石を。
「喜んでくれると・・・そうか、最初から、ま、そうだよな」
とっておきの贈り物。糸に出会った時から、その前からユティの心は既に決まっていたのだ。だって、とっておきの贈り物はこの街で出会って、ずっと一緒にいたラジェルへのものなのだから。自覚のない想いはずっと前から形なくユティの中にあって、だからすんなりとラジェルを受け入れて肌を重ねて、ようやく、朧げながらにだけど形になってきて、たった今、自覚した。手に持った網かけの星網をぎゅっと握って訳もなく照れてしまう。今更自覚して恥ずかしいなんて、我ながら馬鹿で、嬉しい。
「ふふ・・・」
ひょっとしたら形にしようとしていた星はユティの想いだったのかもしれない。もう一度ぎゅっと抱きしめてから元の場所に仕舞って、まずは紋章の刺繍からはじめようと着替える。

紋章はユティが刺繍する訳ではなくて、専門の店に依頼する。師団長から渡された図案を店に預けて身につけるもの全て、魔導師のローブはもちろん、服やブーツにも入れてもらう。もちろん普通の店には依頼できないものだから、前にハーティンとプープーヤと訪れた王直轄の店にお願いしてそれなりの数のローブと衣装を注文する。師団長の、王族の紋章は好意の印でもあるから衣装の料金は全て師団長に行く。その辺りを含めての便宜だからだ。
何度か経験しているユティだから遠慮なく依頼をして、仕上がりを待つ間に図書館に通ったりエクエクや違う店にも通う。紋章のある衣装はまだ出来上がらないけど、既にフェレスから贈られたと通達があるから図書館でも研究施設でも入り浸りだ。けれど今は夜の街の初心者らしく一般でも見られる図書で十分だし、まずはここから勉強しなければいけない。街の歴史、配置、温度や湿度に土壌、そして草原や雪原、東西にあると言う森林と湿地、その全て。読み込む資料は膨大だし、そろそろ活動範囲も広げたい。毎日図書館に寄って大量の本を読み込んで、街を歩く。夜しかない街はいつだって気持ちの良い夜風が流れていて満天の星空に青と黄色の月が浮かぶ。日々の忙しさで寂しさを紛らわせながら、けれど調べる楽しさを感じながらラジェルのいない毎日が過ぎていく。きっとラジェルが戻る頃には星網も編み終わっているだろうから、そうしたら一緒に雪原に行こうか。ラジェルの目の前でとっておきの贈り物を掴めたら、とても嬉しい。

そう、思っていたのに。
「討伐が延長・・・まじか、いつになったら戻るんだ?」
「さあのう、私の聞いた話では数ヶ月ががりだと言っておったぞ。気になるのであれば自ら宮殿へ赴けば良いであろう。歓迎されるぞ」
「絶対に嫌だ。なあ、ラジェルは無事なのか?」
「無事に決まっておろうよ、あれは師団で二番目の腕、一番はあの師団長じゃ。気になるのであれば」
「それは嫌。ありがと、プープーヤ様」
立ち寄ったエクエクで宮殿から話を仕入れてきたらしいプープーヤがうぞうぞしながらラジェルがまだまだ戻らないと教えてくれた。数ヶ月って、季節すら変わってしまうじゃないか。夜の街に季節はないけど。ようやく自分の想いを自覚したばかりだと言うのに世知辛い。ちょっと違うか。ハーティンの煎れてくれた甘い珈琲を啜りながらがっかりしてしまう。
「数ヶ月かあ。討伐に出かけたのって四日前だっけ?」
「五日前だ・・・」
「ユティ、分かりやすくがっかりしてて可愛い~」
「やかましい」
そもそも別れも何もなくて宿から師団長に拉致られたのだ。無事ならば良いけれど、それにしたって数ヶ月とは、どんな討伐なんだ。はあ、と溜息を落とせばプープーヤにも笑われる。
「よくある事ではある、なあハーティンよ」
「うん。いきなり半年くらい見ない時とかあるもんね」
「そんなに頻繁なのか」
「ユティも知ってると思うけど、ここって四方まるごと魔物に囲まれてる様なもんだもん。それに第一師団は強いから他の国の討伐にもお手伝いに行ったりするよ。今回も国境沿いだからお隣と合同だったんじゃなかったけ、プープーヤ様」
「そうじゃのう。ユティよ、気になるのであれば」
「宮殿には行かねぇっての。数ヶ月、なあ・・・」
長すぎる。また溜息が出そうになるけど喉の奥で止める。確かに魔物の多い土地ではあるし、宮殿で見たラジェルも他の人も忙しそうではあった。あれは事務処理だったけど、討伐が常に入っているからあの量なんだろうとも思う。宮殿には行きたくないし、行ったとしても恐らくプープーヤ以上の情報は入らないだろう。何より直接聞きに行ったとしてもラジェルが早く戻る訳でもない。今日も図書館から借りてきた本がユティの隣に山積みになっていて、表紙をトントンと指先で叩く。
「今日もいっぱいだねえ。ユティは読書家だったんだ」
「必要だから読んでるだけだぞ。まだまだ夜の街の初心者だからな」
今のところ借りている本は一般向けのものばかりだ。ちなみに、本の持ち運びには下級魔導師でも使用できる専用の魔法で浮かぶバッグも借りられるので重さは感じない。借り放題だ。暇さえあれば本を読み込みたいからいつも持ち歩いている。エクエクへ来たのはラジェルの安否をプープーヤに聞きたかったのと魔導区についてを訪ねたかったからだ。けれど思ったよりラジェルの戻りが遅くなりそうだと聞かされてすっかり目的を忘れているし、今日は尋ねる気にもならない。
「落ち込んじゃう時は美味しいご飯とお酒だよね。ユティ、今日は本じゃなくて僕達と飲みに行こうよ。ね!」
「それが一番じゃの」
「飲みって、まだ夜の朝が過ぎた時間だぞ。店はどうすんだ店は」
「休憩中の看板があるもん」
「臨時休業の看板の方が良いじゃろうて。ユティ、行くぞ」
「ええ・・・」
朝から飲む気か。それも決定なのか。プープーヤがうぞうぞと浮かんでカウンターの奥から古めかしい看板を持ってくる。確かに臨時休業と書いてあって、ハーティンが受け取るといそいそと店の前に置いてしまった。きっと気を遣ってくれているんだろうなあとは思うのだけれど、何でも直ぐに酒に行くのはどうかとも思う。本当にこの街の奴らは酒が大好きだ。まだまだ本も読みたいし数ヶ月も先ならばユティの予定だって考えたいのだけれど、直ぐにハーティンに腕を取られて頭の上にはぞくぞくしながらもぬたぬたするプープーヤに乗られてしまう。
「分かった分かった、飲みに行くし酔っ払ってやる。数ヶ月もあるなら今日くらい酔っ払っても・・・」
数ヶ月は、やっぱり長い。自分で声にして時間の長さを思い知って、もう止められない溜息を落としてしまった。腕にぶら下がったハーティンが尻尾を揺らしてユティのお尻を叩くけど、思ったより衝撃が大きかったのだからしょうがないじゃないか。


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