夜の街の魔法使い・新月.08



ずるずるとハーティンを食堂まで引っ張りながら夜空の戦闘を確認したら、良かった、大型の魔物が全て消えていた。ラジェルの姿も確認できた。力強く夜空を駆けているから大丈夫だろう。
ほっとしながら負傷者と休憩をする者で溢れる食堂に入って、奥の方に行く。奥の方にはテーブル席が並んでいて休憩所になっているけど、ユティは立ち止まらない。ここで説明すると周りに聞こえてしまうからだ。
目指す場所は人気の無い安全な場所。休憩所のさらに奥には二階に上がる階段がある。階段は螺旋になっていて下の空間が丁度良く誰もいない。ずるずると引っ張ってきたハーティンと一緒に狭い階段の下に滑り込んで、ようやくほっとできた。
「ハーティン、ハーティン?大丈夫か?喋れるか?」
「・・・はぅ!?あ、あれ?ここどこ?」
「俺が引っ張ってきた。食堂の奥だよ。何だか驚かせたみたいで悪いな。ちゃんと説明するけど、出来れば聞かれなくないから、ここで簡便な」
「あ、うん・・・びっくりしたあ。僕あんな攻撃魔法初めて見たよ。ユティ凄い。どうやったの?上級魔法だったよ、ね?あれ?ユティの指輪がなくなってる」
「全部説明するよ。でも今はまだ終わってないから後にしていいか?」
「うん、いいよ。僕魔法苦手だからよく分からないし。でも凄かったのは分かったよ。ユティ凄い!」
「ありがとな。でも大声は止めてくれな。それと、外に戻ったらラジェルを見てくれると嬉しい。怪我してないか・・・心配だから」
狭い場所で残ったアクセサリーをつけなおしながら驚くハーティンの毛並みを見る。良かった。ぶわりとしていた毛並みも元に戻ったし、ハーティンはユティを見上げてにこにこしている。
落ち着いたみたいだし、それじゃあ戻ろうかとハーティンの手を取って階段の下から出ようとした時だ。店の方から大きな足音がして、あ、やばい。
「こんな所にいた。ユティ、話がある。ハーティン、悪いけどユティを借りていいか?ああ、外は大丈夫。さっきのとてつもない魔法で落ち着いたから。ね、ユティ?」
ラジェルが来た。しかも怒ってる。どう見ても怒ってる。ハーティンも気付いたみたいだ。何も言わずにユティから手を離すと駆け足で外に逃げた。
「ラジェル、怪我は?吹っ飛ばされてただろ?大丈夫なのか?」
「俺は平気。ちょっと汚れたけど怪我も打ち身もないよ。ユティも無事で良かった・・・もう、あんまり心配させないで」
怒った顔のラジェルが言葉の途中でへにゃりと崩れた。ああ、怒っているのではなかったのか。心配してくれたのか。
へにゃりと、泣き出しそうな顔になったラジェルに思わず両手が伸びて抱きしめる。ラジェルの方が背が高いけど頭を抱きしめる様に、ユティが背伸びして抱きしめれば思いきり抱き返された。ちょっと痛い。
「ごめんって。でも見ちまったし、俺にはどうにかできる知識と力があったから」
「知ってるけど、驚いた。あんな魔法初めて見た・・・待って、ユティの感触が変。指輪の感触が・・・まさか、あれ、多重詠唱だったのか!?」
ラジェルはユティがどうやって上級魔法を使うかを知っているし、頭を抱きしめている指からごつごつした感触も今は全てなくなっている。そりゃあ気付くよなあと抱きしめていたラジェルの頭を離したら思いきり睨まれてしまった上に、両手を捕まえられた。じとりと指輪のないまっさらな指を凝視されている。
「ユティから指輪が一個もないなんて。え、だっていっぱい付けてたのに、全部使ってあの魔法だったのか」
「あー・・・その、ごめん。俺の魔力は使ってないから」
「指輪全部使っただろ!?」
そうか、ラジェルはまだ気付いていないのか。他にも減っているのに。これは言わない方が良さそうだ。
そろりと睨んでくるラジェルから視線を逸らして誤魔化しておく。申し訳ないけど正直に言ったら泣かれてしまいそうだし、そもそも人間の耳じゃあ多重詠唱は聴き取れない。聞き取れるのは人外だけど、あの場で聞いていたのはハーティンだけだから後で口止めをお願いして、と思ったら。
「すごいね、星の力なんて久しぶりに見たよ、綺麗な瞳の人。魔法を十七も重ねるなんて人間にしては素晴らしいね。ぼくたちでも出来ないよ」
そうだ。ここにも亜種の人がいた。ずっと食堂で治療をしてくれている黒猫の亜種が音もなく階段を降りてきてさらりと言ってくれた。ここは治療する部屋の下だから黒猫が通りがかるのは当然で、亜種だからきっと多重詠唱の気配も感じていたのだろう。
「・・・じゅう、なな」
呆然とラジェルが呟きながら黒猫を見る。捕まった両手はだいぶ強く握られていて痛いけどユティは何も言えない。
「うん。最初に十七。次に十三、最後に八だね。すべて上級中の上級だし聞き慣れない詠唱もあったから瞳の綺麗な人がアレンジしていたのかな?見事だったよ。ぼく拍手しちゃった」
「な・・・」
あーあ、全てばれてしまった。申し訳ないから黙っていようと思ったのに、亜種の人はやっぱり人とは感覚が違うのだなあと感心するしかない。ユティの多重詠唱どころか使用した魔法の全てを理解していて、すらすらと絶句するラジェルに全部説明している。握られた手が痛い。ちょっと、だいぶ、逃げたい。
「こんな所かな。よかったね、ラジェル。あなたには似合いの人だと思うし、ぼくも瞳の綺麗な人に出会えてうれしいよ。あ、呼ばれているからもう行くね」
しかも黒猫はラジェルを知っていたらしい。ふんわりと微笑んで食堂に行ってしまって、残されたのは引き続き絶句したままのラジェルと、両手を握られて視線を逸らしたままのユティだけ。さて、どうするか・・・申し訳ないなあ。
「あー、その、ラジェル・・・?」
心配をさせてしまっただろうなあ。驚かせてしまっただろうなあ。ユティは無事だし、あの判断は確実に使いこなせるからの多重詠唱だったのだけれども、ラジェルに言うつもりはない。これはユティの持つ力の問題だし、やっぱり申し訳ない気持ちが大きいからだ。
そろりとラジェルに視線を戻せばまだ呆然としているけど、握られていた手からは力が抜けたのでするりと一度離れて、ユティからそっと握り返す。
「・・・俺より知識があるだなんて・・・つか、俺も知らない魔法ばっかりで驚いた。いや、その、やっぱ心配するけど、しちゃうけど・・・どうしよう、今、すげえユティを尊敬した。元から尊敬してるけど、さらに、すげえなって」
「え?」
泣かれてしまういかもしれないと思ったけど、実際にラジェルの表情はくしゃりと崩れているけど、違った。じっとユティを見つめて、これは、苦笑なのだろうか。
「ユティの力は知ってるつもりだよ。普段からどんなに努力してるかも。だからこそ俺らは助けられたってのも。でも、やっぱり心配するし、指輪全部使うだなんてゾッとする・・・でも、良かった、無事で。ありがとう、助けてくれて」
ああ、ラジェルと言う人の優しさと強さをとても深く感じる。苦笑して、それからふわりと微笑むラジェルに我慢できずに抱きついて口付けする。誰に見られても構うものか。恋人なのは皆が知ってるんだし。
「・・・ん、ありがとう、ラジェル。惚れ直した。あと、心配掛けてごめんな。もうやらないって約束はできないけど、これからも気をつけるし、助けられるなら助けたい」
「分かってる・・・あー、もう帰りたいなあ。ベッドに直行したい」
「俺も同じだけど、まだ終わってないだろ。気をつけて、怪我しないでくれな」
「ユティこそ。じゃ、また後で」
「ああ。後で、ゆっくりしような」
まだ新月は終わらない。名残惜しいけど、ラジェルから手を離して、でも最後にもう一度だけと顔を寄せたら嬉しそうな笑顔が見られたのでユティも笑った。

新月はあと少し。相変わらず戦闘は続いているけれど、どうやら終わりが近づくにつれ魔物の力も弱まるらしい。指輪の全てと幾つかのアクセサリーを糸屑にしたけど、まだ残りはある。
両手は落ち着かないけど、ユティは引き続き負傷者を回収しては食堂に運ぶ。ラジェルも続けて戦闘に出ていて、今も夜空を駆けている。ようやく気付いたのだけれども、ラジェルはずっと夜空を駆けている。地上で見かけないなと思って休憩が一緒になった時に聞いてみたら態とだと教えてくれた。

『自分で言いたくはないんだけどさ、俺、目立つから。だからこう言う混乱の激しいときは空で戦う。目立って見せつけて、勝ってるって教える役目もあるんだ』

柔らかく微笑みながら何て事のない様に告げたラジェルにもう今日は数え切れないくらいに感心した。ずっと目立ちながら派手に戦って、怪我も、汚れすらない。劣勢になったのはあのユティが手助けした一度だけだ。

夜空を見上げれば今もラジェルが駆けている。圧倒的な強さで魔物を押している。強くて、綺麗で、格好良い。食堂から出て夜空を見上げて、ユティも自然と笑みが浮かぶ。心配はするけど、ラジェルの強さを信じてる。もちろん戦っていない、普段の少し甘ったれなラジェルも、愛してる。
「俺、改めて凄い人と出会ったんだなあ・・・さて、残りも頑張ろう」
新月は残り僅か。ずっと感じていた濃密過ぎる闇の気配も徐々に薄れてきている。指輪のない両手にはまだ慣れないけど、ユティもまだ戦える。