夜の街の魔法使い・新月.05



エクエクは大通りから少し遠い。走って向かう途中で何度も魔法の発動する音と魔物の雄叫びらしい声を聞いた。本当に魔物が沸き放題なのだと、もういっそ感心するしかない。到着したエクエクのある裏通りも騎士や魔導師、それに街の人で溢れていた。皆が戦闘態勢だ。
「あ、ユティだ。いらっしゃーい。さあ入って入って。あ、美味しそうな匂いがする!」
「なんつーか、ハーティンは普段通り何だな。有り難く入らせてもらうよ」
でもエクエクの前に立っていたハーティンは普段通り、可愛らしい笑顔とエプロンのままでユティを見つけて猫のふんわりとした尻尾を振っている。
「だって僕コントロールヘタクソだし、出番はもっと後になると思うんだ。大型が出たら上半分吹き飛ばすよ」
ウサギの耳が可愛らしく揺れて本人もにこにこしているのに発言が物騒だ。ハーティンの持つ力は見た事がないけど、可愛らしい見た目に反してだいぶ強いとは聞いている。人よりも、精霊よりも。もしもの時には出るのだろうと納得する事にして、持って来たパウンドケーキとクッキーを入れた袋を渡したらとても喜んでくれた。
「ユティも来たのか。まあそなたなら頼りになりそうじゃからなのう。私は暫く何もせぬぞ。ああ、嫌だ嫌だ、新月は嫌いじゃ」
そして店の隅っこでプープーヤがうぞうぞしていた。とても偉い方なのに神格付きの精霊なのに店の隅っこの床の上でぷるぷるしている。本当に嫌なんだ。
「プープーヤ様、昨日からずっとああしてるの。この感じが嫌なんだって。僕はよく分からないんだけどね」
「ハーティンは感じないのか?」
「うん。僕はどうも特別製らしくて。だから暖かいお茶を煎れるよ。ユティも飲んでから出ればいいと思うよ。大通りに人間の詰める所があるんだって。休憩所だったかな?」
「師団が手配した食堂じゃ。そこで補給や治療をする。どの様な者でも出入り自由じゃからユティはそこに行け。ラジェルも立ち寄るじゃろうて」
隅でぷるぷるしていてもきちんと教えてくれるプープーヤに苦笑しか出ないけど、有り難いので礼を言いながら椅子に座る。もう外では戦闘が始まっているみたいだ。音が激しくなってきた。
「なあ、新月って一日続くんだったよな。ずっとこんな感じなのか?」
「うん。僕も一度しか経験してないけど、闇が増すから魔物が沸き放題なんだって。今はまだ始まったばかりだから小物が多いけど、時間が経つと大物が出るよ」
「うええ。この騒ぎで小物か」
「人の摂理から外れた街だから仕方がないのじゃよ。ああ嫌だ嫌だ」
ハーティンの煎れてくれたお茶はほんのりと甘いハーブ入りで美味しい。外の騒ぎが気になるけど、ハーティンは全く気にならないのだろうか。
「うーん、僕はそんなに気にならないかなあ。あ、でもお茶を飲んだら一応手助けに行こうかなって思ってるよ。攻撃は最終手段だけど、お茶を煎れたりとか食事を出すくらいならお手伝いできるから」
「じゃあ俺も一緒に行こうかな。プープーヤ様はどうするんだ?」
「私は放っておけ。外には出ぬ。絶対に嫌じゃ」
本当に嫌なんだ。お茶も飲まずにまだ隅で灰色のモップがぷるぷるしていて何だか気の毒だ。精霊にとっては大変な事なんだなあとしか思えないけど、ハーティンを見ればころころ笑っていて、こっちはこっちでまた微妙な気持ちになれる。
「僕はね、どちらかと言えば人間の感性に近いんだって。だからユティの気持ちの方が分かりやすいとは思うんだけど」
「そもそもハーティンはまだ赤子じゃ。性質は人の子に近いがのう。私のことは構わぬ。ここで一日引き籠もるより外の方が良い経験になると思うぞ。行って来い」
「プープーヤ様から見たらみんな赤ちゃんじゃない。まあ僕は本当に子供だから仕方がないんだけどね」
にこりとウサギの耳を揺らしながら笑うハーティンは確かに見た目通りの年齢の子だ。ハーティンの様な見た目の種族は亜種と呼ばれているけれど、大抵は見た目より数十倍くらいの時を生きている。ハーティンは亜種ではないけれど、見た目通りの年齢だと言うのはこの世界でも特別に珍しいみたいだ。
「俺にはその辺はさっぱりだけど、経験としては確かに良いかもな。プープーヤ様はずっとここにいるのか?」
「その予定じゃ。新月が終わったら飲むぞ」
「じゃあ俺とラジェルも良かったら混ぜてくれな。もちろんハーティンも」
「僕はまだジュースだけどね。じゃあ行こうか」
のんびりとお茶を飲んでいる間にも外の音は大きくなるばかりだ。飲み終えたカップをハーティンと一緒に片付けて、動く気のない隅のプープーヤに挨拶をしてから店を出る。

うん、音は聞こえていたけれど、外は既に戦場だった。通りには魔物が数体も入り込んでいて皆で戦っている。月のない夜空にも白い騎士服と魔導師のローブが見えて、既に大型の魔物も湧き出てしまったみたいだ。
「もう大型がいるのかよ。さて、まずは食堂まで走るぞ」
「大きいのだったら僕が消そうか?」
「いや、まだ大丈夫だろ。師団が上手く倒してる。それより通りの方を・・・ああ、もう倒したのか。流石だ」
通りに出没していた魔物はあまり強くない小型のものだ。恐らく倒したのは師団ではなくて街の魔導師の方だろう。良かった良かった。けれど急がないとユティも戦う事になりそうなので、ハーティンと手を繋いで通りを駆ける。
「僕、やっぱりコントロールを誰かに教わろうかなあ。不便だもの」
「コントロールは大事だもんな。でも普段は戦わないんだろう?」
「うん。店番と簡単な魔道具を作るくらいだからね。でもね、精霊も亜種も生まれつき魔法を知っているしコントロールも上手いんだよ。ちょっと狡いよね」
「それは同意するな。と、ハーティン少しスピード上げるぞ。空にも魔物が沸くのか!」
何て街だ。夜空から唐突に中型の魔物が沸きやがった。慌てて走るスピードを上げながら詠唱する。ユティはあくまで下級魔導師だ。とても弱い。でも身につけているアクセサリーの力で強くなれる。
夜空に沸いた中型の魔物は硬度が高いやっかいなやつだ。詠唱の中に指輪から魔力を出す言葉を含めて魔法を発動する。閃光に似た攻撃魔法を中型の魔物に繰り出して倒す。魔法としては上級のものだ。
「ユティさっすが!一撃すごーい!」
「ありがとさん。急ぐぞ」
「はあい」
ユティは星を掴む詠唱を紡ぐ為に魔法の知識を蓄える必要がある。その為に知る事の出来る魔法は全て習得しているのだ。のんびりと褒めてくれるハーティンを引っ張りながら大通りに出て、ちょっと泣き泣くなった。
「・・・大通りが戦場じゃねぇか。やばい、帰りたくなってきた」
「頑張ってユティ。あ、食堂はそこだよ」
大通りと言うからには広い場所で、戦いやすいのか、魔物が沸きやすいのか、普段の街からは想像が出来ないくらいにぐちゃぐちゃだった。建物はきっと専門の者が守っているみたいで被害はないけれど、わんさかと魔物が湧き出ていて師団の者達や街の人達が戦っている。音も怒声も凄い。いっそ感心してしまう程に、凄い。月がなくなるだけでこんなに魔物が沸いてしまうなんて。
ちょっと呆然としてしまったらハーティンが引っ張ってくれて何とか食堂に辿り着けた。大通りの中でも一番大きい食堂は全てを開放して休憩所にしているらしい。中は既に負傷者の手当てをしていて、食事を取っている者も多い・・・ん?奥で酒盛りもしているじゃないか。
「なんつーか、どんな時でも酔っ払いたいんだな。俺も飲みたい」
「お酒の力で強くなれるかもって思うのかな?僕は食事のお手伝いをしてくるね」
「お、おう。俺は、どうするかな。適当に動くわ。ハーティン、危なくなったら遠慮するなよ。一応俺も呼んでくれな」
「うん、ありがと」
エプロン姿のハーティンは違和感なく人の間をすり抜けてキッチンに走って行く。周りの人達はハーティンを知っているのだろう、何故か歓声が上がって皆嬉しそうだ。
「まあハーティンだしなあ。さて、俺はどうするか」
食堂に着いたもののユティの戦闘スキルは高くない。そもそも普段は魔物から見えない様に行動するのが専門だ。そうか、そっちでなら役に立てる。必需品を入れたバッグは腰の後ろに引っ掛けてあるし問題ないだろう。ぐるりと食堂を見渡して、ああ、いた。全体の指揮をしている様に見えるカウンターにいる第一師団の騎士の方に行く。白い騎士は第一師団で偶に話す青年だ。
「あれ、ユティさんじゃないですか。ユティさんまで出動されるんですか?」
「あんま戦えないけど、魔物から逃げるのは得意だから負傷者を誘導してくるよ。それでもいいか?」
「もちろんです、ありがとうございます!」
こんな時だからこそユティの行動を伝えないと後で混乱してしまう。顔見知りの青年はユティの提案にぱあっと顔を輝かせてくれたので、何でそんなに嬉しそうなんだ?
「ああ、すみません。実は戦闘を専門にする者は多いのですが、ユティさんみたいに補助をされる方って少ないんですよ。助かります」
「そうか。役に立てるなら嬉しいよ」
「でもお気を付けて。もしもの時は真っ直ぐ逃げて下さいね」
「言われなくても逃げるよ」
そんなの当たり前じゃないか。嬉しそうな青年に苦笑しつつ、戦闘の音が激しくなるばかりの外に出る。出たからには役に立ちたいし、誰かを助けられるなら持てる力を使うべきだ。