夜の街の魔法使い・新月.03



この街に来て最初の頃は行きたくない場所の筆頭だった宮殿も今では通い慣れた場所になっている。主な目的は資料室だけど、騎士団本部にも同じくらいの頻度で顔を出す。ラジェルが食堂で食事をしたがらないから、宮殿で事務仕事をしている時はユティが自分の分も含めて簡単なランチを作っている為だ。

夜の夜でもユティは宮殿に出入り自由だ。漆黒の宮殿は夜の夜でも人が多くて、訪れてみればハーティンの言う通り、第一師団が丁度戻った所だったみたいだ。騎士や魔導師で溢れている。
「あ、ユティさん!いらしたんですね!お疲れ様です!」
「ユティさんだ!ラジェル隊長なら執務室にいらっしゃいますよ!」
既に顔パスになっているから気軽に第一師団の区画に入ればあちこちから声を掛けられる。通い慣れた上に既にラジェルの恋人だと知られていて、少々、だいぶ、恥ずかしい。裏口みたいな所があればいいのになあと毎日思っているけど、あるはずもなくて、毎回これだ。
でも皆無事だったらしい。ざわざわしているし人も多いけど、重傷者が出た話は聞こえない。良かった。それにしてもここでのユティはあくまでラジェルの恋人で第一師団長であるフェレスの客人であるとしか知られていないのに良くしてくれる。今もラジェルの執務室に向かいながら周りを囲まれてあれやこれやと討伐の話をされつつ両手にお茶とお菓子まで持たされた。トレイまで貸してくれたのでもう山積みである。何なんだ。そもそも討伐帰りの騎士や魔導師にお茶やお菓子を貰うだなんて、普通は逆だろうに。
「ふふ、今日も大量ですね。これは私からのお土産ですよ、どうぞ」
微妙な気持ちで歩いていたらツィントにまで土産を貰ってしまった。お菓子ではなくて綺麗な大振りの青い花だ。トレイの上に山積みになったお菓子の上に青い花が置かれて、にこにこしているツィントをじとりと見上げる。まあ見た目には怪我もなさそうだし元気そうだから今回の討伐は厳しい戦いではなかったのだろうと思いたい。
「・・・ありがとな、ツィント。これ絶対変だろ、なんで討伐帰りのお前らから土産もらうんだよ。俺が差し入れする方だろ」
「この前焼き菓子の差し入れを頂いたでしょう?そのお返しなんですよ、それ、みんな。それと、この前はありがとうございました。魔道書、探して頂いたので。その花は魔道書のお礼です。特に何の力もない花ですが綺麗でしたので」
「ああ、あれか。そんな手間でもなかったし、資料室に籠もってるから別に礼なんていいのに」
「そんな所もあなたらしいですねえ。ほら、隊長は部屋にいますよ。行ってあげて下さい」
「はあ・・・」
にこにこしているツィントに背中を押されて詰め所を出されてしまった。ラジェルの執務室は詰め所の奥にあって、隊長達はみな個室になっている。執務室の奥の廊下にも人が溢れていてここはいつも忙しそうだ。まあユティが訪れる時は討伐に出ていない時なので人が溢れていても変ではない。いつも忙しそうだなあと思うくらいだ。でも廊下の騎士や魔導師達にも囲まれてまたお菓子が追加されたのはもう笑うしかない。

「あははは、ユティ大人気だ。俺ちょっと嫉妬しちゃうよ、それ」
ほら、やっぱり笑われた。ラジェルの執務室に入った途端にけらけらと笑われて、でも元気そうだ。ラジェルが執務室にいる時は大抵が事務仕事で缶詰になっている時だから萎れている時が多いけど、遠征帰りの方が元気なのだから騎士らしいなあとも感心する。
両手に持った山になったトレイは笑われながらテーブルの上に置いて、改めて出迎えてくれたラジェルを見上げる。遠征前に見送った時と同じ、見える所の怪我もなければ黒の騎士服に汚れもない。じっと見上げて、ほっとする。これでも一応ラジェルが遠征に出る度に心配しているのだ。
「怪我がなさそうで良かった。お帰り、ラジェル」
「ただいま、ユティ。今回はそんなに大変じゃなかったからね」
ラジェルの無事を確認して、自然と二人一緒に手が伸びる。ぎゅっと抱きしめ合って、軽く口付けて笑みが浮かぶ。ラジェルも嬉しそうに青い瞳を細めてユティを見つめて、口付けをもう一度。
「あ、こら、ここでは絶対にこれ以上はダメだからな!」
幸せな気持ちでラジェルの腕の中にいたのに、悪戯な手が尻の方に伸びてくるからぺちりと叩く。ここは宮殿で外には人が山ほどいるのだと言うのに、全くもう。ぺちりとしたラジェルの手を指を絡めて握ればユティより強く握り返してくれる。ユティの指には相変わらず指輪が多いけど、ラジェルの指が愛おしそうに撫でてくれる。これも、もう慣れたし、言葉にはしないけど好きな事の一つだ。
「ちぇ。まあでもここじゃあ落ち着かないしな。今日はもう帰れるし、新月までは休みだから一緒に出よう、腹も減ったし」
「俺も。ラジェルが帰れるなら飯食ってからって思ってたけど、そう言えば新月ってまだ詳しく知らないな」
「あれ?プープーヤ様に聞かなかったの?」
「聞いたけどよく分からなかった」
「あー、プープーヤ様だもんなあ。帰ったら説明するよ」
指を絡めて握った手を二人で好き勝手に握り返したり持ち上げて口付けたりして、満足したら離す。一緒に帰れるのなら時間はあるし、やっぱり宮殿でラジェルに触れるのは落ち着かないからだ。

山積みになったお菓子は半分を執務室に置いて、残りは適当な袋に詰めてラジェルと一緒に宮殿を出た。ラジェルも黒い騎士服からさっぱりとした私服になってご機嫌そうだ。
気持ちの良い夜の風を感じながら二人で街を歩いて、適当な店に入って食事を取った。軽く酒も飲んで、家に戻ればとても静かな二人きりの時間になる。
静かな時間のない街から切り離された静かな家は魔法を使えない不便さはあるけれど、落ち着けるし、何より二人だけの時間をゆっくりと楽しめるのが良い。ユティもラジェルも日頃忙しくしているから、二人揃ってこの家にいる時間は実はそう多くない。
そんな二人だから一緒に家にいると自然と手が伸びて肌を触れ合わせる。外はいつでも夜だから、まあ、いつでもそんな時間になるし、静かな家でゆっくりと肌を合わせるなんて中々に贅沢な事だと思う。

お互いの熱を含む呼吸と囁き声を重ねて、たっぷりと肌を合わせて、どちらからともなく手を握って笑い合う。ラジェルと一緒に住む様になって一年。ラジェルの肌に触れて安心する様になるくらいには慣れたと思う。いろいろに。
身体に余韻を残しながら、ベッドに転がったまま気まぐれに手を伸ばしてラジェルの髪を摘まんで遊ぶのも、この一年でユティが得た好きな事の一つだ。
「ユティ、これ好きだよね。髪伸ばそうか?」
「いや、別に短くてもいいぞ?こう、ちょっと摘まむのが楽しいだけだし」
「そう?」
「そう。あとキスするのも好きだぞ」
「それは俺も。キスしていい?」
「今更、聞くのか?」
「それもそうか」
散々したのに。ふふ、と微笑むラジェルが顔を寄せてくるのでユティも瞳を閉じてちゅう、と口付けてくすくすと笑って起き上がる。
「喉渇いたから酒持ってくる。ラジェルは?」
「んー。そろそろ酒抜かないとだから果実水がいいかな。新月が来ちゃうし」
「ああ、新月な・・・ん?酒飲んだら駄目なのか?」
月が無くなると禁酒なのだろうか。そう言えばまだ新月については何も知らないユティだ。起き上がってガウンを羽織ったけど、ベッドに腰掛けて寝転がるラジェルに手を伸ばす。手を伸ばすのはただ触れたいだけだ。
「駄目ではないけど、戦いっぱなしになるだろうから念の為かな。そうだった、そろそろ説明しないとな。俺も一緒にキッチンに行くよ」
「分かった。それじゃあ俺も果実水にして、何か軽く食べよう」
結局ラジェルも起き上がってガウンの羽織るから二人で一緒に寝室から出てキッチンに向かう。
平屋のこの屋敷は寝室から出ると直ぐにリビングで、その奥がキッチンだ。キッチンで適当に果物と、ユティも果実水にしてリビングのソファに腰掛ける。テーブルの上には宮殿から持ち帰ったお菓子がそのまま置いてあるので丁度良い。
リビングのソファに座れば庭が見える大きな窓があって、森に囲まれているから開けっ放しだ。気持ちの良い夜風を感じながら隣に座ったラジェルに身を預けて果実水を飲む。
「はー、本当は酒が飲みたいんだけど、後でたっぷり酔っ払うとして、新月ね。俺も経験したのは一回だけなんだけど、新月って月がなくなるだろ。で、夜の街が闇に包まれる。魔物がわんさか沸く。月の力が及ばないから闇も魔力も濃くなって強いのばっかり沸く。新月の日は魔物カーニバルって訳」
ラジェルも果実水の瓶に口を付けて、大きく息を吐いてから外を眺めて嫌そうに呟いた。そうか、確かに月の光りは僅かではあるけれど夜の街を照らしている。詳しくは知らないけど魔物よけの意味もあるんだろう。そして、この街はどこでも魔物が沸きやすくて毎日どこかしらで、ユティの見える範囲だけでも大賑わいになっていて。
「・・・なあ、それって人間を襲うタイプの魔物ばっか沸くのか?」
「もっちろん。と言うか、誰彼構わず襲うタイプの魔物ばっかり沸くのはユティも知ってるだろ」
知りたくないけど知っている。そもそも街に沸く魔物は闇と魔力と、大勢の、例えば人間の欲や悪意まで糧にして唐突に発生するタイプばかりだ。これは大きな街特有のもので、夜の街は特別数が多いけど、他の街でもだいたい似ている。人の想いはどうしてだか魔物の発生に関与してしまう。特に王宮等の大規模で欲の渦巻く施設があると、まあ、やっかいな魔物が発生してしまう。
「ここ、王都だったよな」
「しかも闇しかないし魔力も濃い。あ、でも王宮近辺は師団長が完璧に守るから大丈夫。問題は、俺らの暮らすこの辺り」
「ん?」
「夜の街の中でも北の方が魔力が濃いから厄介なのが沸きやすいんだ。もちろん師団を総動員して戦うし、人以外のみんなで戦うけど、それでも数が多かったんだよなあ・・・」
ラジェルの声からだんだん元気がなくなっていく。前回は本当に大変だったみたいだ。思わず肩を抱き寄せてしまうくらいにはラジェルから魂が逃げ出しそうだ。そんなに大変なのか。
「だから新月まで休みなの。たっぷり休んで英気を養って・・・延々と戦う。新月キライ・・・でも月も街も古代魔法ばっかで誰にもどうにもできないから・・・戦うしかない」
そもそも街全体が自然の摂理に反しているから、その反動もあるんだろうなあと思う。完全にしょんぼりしてしまったラジェルをしっかりと抱きしめたら甘えてくるので金色の髪にちゅ、と口付ける。何やら新月は大騒動になりそうだけど、せめて始まるまでは甘やかしてあげよう。