途中までですごめんなさい。

努力の成果、なんて言葉は好きじゃないけど、それなりに頑張ったのだから結果は残したい。そう思うのに努力は報われない。
「俺の腹を見てそう言われても。だいたい彩稀(さいき)は筋肉つきづらいんだから諦めろ」
からからと笑う腹筋を凝視しつつ睨みつつ彩稀は溜め息を落とす。本当に、努力って報われない。毎日腹筋五〇〇回もしていると言うのに報われない!
「うるさいよ、この筋肉ダルマめ!どうせオレはモヤシだよ。くそ。モヤシに吹っ飛ばされたくせに」
「本当にその細い身体のドコに俺らをぶっ飛ばせる力があるんだか。むしろ関心するぜ」
「けっ」
ここはとある高校の更衣室。何やかんやと言い合いながら着替えているのは部活動の終わった高校生達だ。
この時間に終わるのは武道館を使用する部活動で、要するに筋肉ダルマ共があちこちで見事な裸体を披露しながら雑談して大変暑苦しくてどいつもこいつも憎たらしいと言う訳だ。そして、そんな筋肉ダルマの仲間に入れない彩稀は筋肉のつきづらい体質でどうしても太くなれない。別に細い部員達は他にもいるのだが、彩稀の細腕には全国連覇がかかっていて、こう見えても空手の猛者だ。なのに、筋肉ダルマへ続く道は遠い。
着替えつつ己の腕を見て、隣に立っている奴の腕と比べて、毎日の事ながらがっかりしてしまう。
「あと一〇キロくらい筋肉つけたいんだけどな」
はあ、と溜め息混じりに呟けば周りから笑われる。身長は低くない、むしろ長身なのにどんなに食べても肉がつかない不憫な身体だ。
「そんな事したら女子が泣くぞ。で、帰りは何食ってくんだ」
「オレの筋肉に文句は言わせねえ。だから肉!肉に決まってんだろ、肉!」
好物は肉だ。このモヤシから抜け出す為にも肉を食うしかない。一人で騒ぐ彩稀に周りがまた笑いつつ帰り支度を急ぐ。

小宮山彩稀(こみやま さいき)。この高校の二年生で空手部に所属する極々普通の学生だ。すらりと伸びた長身に甘く整っている顔立ちとさっぱりした性格が人気で、特に女子からの人気が高い。けれど本人としては彼女を作るよりも強くなる事が一番だ。
「おーい、彩稀。行こうぜ。焼き肉の割引券持ってる奴らがいるって」
「マジでか!やった!明日の乱取りで超サービスするから!」
「お前のサービスはフルボッコだろうが。それサービスじゃないから普通にお礼で良いから」
「何だよ、めっちゃサービスじゃんか。ほら、肉、肉!肉が待ってるぜ♪」
「はいはい。本当に彩稀は肉が好きだよなあ」
スポーツバッグを背負って友人達と騒ぎながら更衣室を出る。外はもう冬で冷えた空気が肌を突き刺すが部活を終えたばかりの男子高生達には気持の良い風だ。
わらわらと外に出てじゃれ合いながら、空腹で鳴く腹を宥めつつ、星の出る空の下をバタバタと駆けた。



ワルツ




そこは不思議な空間だった。
今から思えば足を踏み出したのが間違いだったのだと分かるのだが、あの時は不思議と気にならなかった。
部活を終え、安い焼き肉屋でしこたま肉を食べてご機嫌なまま帰宅する予定だった彩稀なのだが、現実はやはり彩稀に厳しかったと今なら言える。

帰り道、毎日見かける公演に不思議なものがあったのだ。それは光る模様らしきもので、ふわふわと浮いているだけでも不思議なのに模様がまた不思議だった。
「何だありゃ。虫・・・な訳ないか、真冬なのに」
首を傾げつつ見なかったフリをすれば良かった。そう思うのはだいぶ先のことで、彩稀の足は満腹でご機嫌なままその不思議な模様に向かう。
夜の公園はしんとして寂しく、冬ともあって誰もいない。天気予報では雪が降るかも、と言っていたから余計だろう。彩稀と不思議な模様だけの空間になっていて、特に危機感もなく空に浮かぶ模様に手を伸ばす。
淡い光を放つ模様は絵文字みたいだ。色は黄色と青、その他沢山。確認できる色が二色だけで、複雑に絡み合ってとても綺麗だ。そして、不思議だ。
「絵?じゃないよな。んー、文字、かな?」
そっと手を伸ばして触れた瞬間、ぐい、と何かに引っ張られた。衝撃が大きくて持っていたスポーツバッグを落としてしまった事にも気づかず、慌てる間もなく彩稀の身体が不思議な模様と共に移動する。

身体が引っ張られる感覚と、暖かい空気。何も見えず、かと言って暗闇でもなくて、引っ張られる右腕は少し痛むものの我慢できない程ではなく、左手には持っていたスポーツバッグの変わりに違う感触があって。
「何だ?」
恐怖はなかった。ただ訳の分からないまま移動したという感覚だけは彩稀の中にあって気づけば周りが公園ではなくなっていた。何故か、一面の緑色と青空と、正面に立つ強面の大きな男が一人。
「・・・どう、言う、事だ?」
男が呆然と呟いた。険しい表情でかなり恐い。大人でも泣き出しそうだが、今の彩稀に男の表情を見る余裕なんてない。
「それ、俺の台詞・・・あのさ、ここ、どこ?」
ふわりと地面に足を付けて、最初に見たものが険しい顔の大きな男だなんてちょっと切ない。いや、そもそも夜の公園だったのに、どうして?
呆然と男を眺めていたのだが、驚きは彩稀より男の方が大きかったのかもしれない。辺りをきょろきょろ見回す彩稀に対して男は呆然としたまま動かないからだ。

仕方がないので改めて辺りを見て、首を傾げる。
森なのだ。それでも、快晴の空で空気が暖かく何て言うか、綺麗としか言い様のない、森。
どう考えてもあの公園じゃない。鳥の囀りと風の音が微かにする、こんな状況じゃなかったら気持ち良いとしか思えない所。
そして、気づいた違和感に左手を見ればどうしてだか、クマのぬいぐるみの手を握っているではないか。スポーツバッグを持っていたはずなのに、いつの間にすり替わったのか。呆然とぬいぐるみを持ち上げてみればクマで、テディベアと言うべきか。大きさは両手で抱えるくらい。つぶらな瞳にクマの耳。色は薄い茶色でふかふか。それは良いとして彩稀のスポーツバッグはどこに消えてしまったのか。
そして、何より不思議なのが目の前に立っている男だ。

大きい男だ。黒髪と黒目、ではなくて青の目になるのだろうか。珍しい。
身長は彩稀よりかなり上で体格も良い。薄着でラフな格好なのに履いているブーツだけはやたらしっかりしていてちょっと不思議でもある。何も持ってはいない様で身軽だ。そして、格好良いとは思うのだけれど、かなり面構えが恐い。表情が険しすぎる。
じっと彩稀を睨んだまま止まっていて少々心配になってきたが、それより思う事はこの場所の暑さだ。目の前に立つ男はラフで薄着。確かにこの気温ならばその格好が正解だろうが、今は冬のはず。何でこんなに暑いんだろう。
彩稀の格好はコートと、その下にブレザーの制服だ。しかも今はクマもプラスされて大変暑い。
「あっついなあ・・・。ねえ、ちょっと。ここ、どこ?分かる?・」
仕方がないのでクマを片手に持ちつつコートを脱いでみるが、それでも暑い。男に声をかけながらブレザーも脱いでネクタイを緩めてようやく丁度良くなった。その間、男は彩稀を睨んだままで、脱いだコートとブレザーをクマと一緒に抱えなおした所でようやく動いてくれた。
「お前は・・・いや、まさか」
が、答えになっていたい。いったい本当にどうしたのだと言うのだろうか。さっぱり訳の分からない状態なので目の前にいる男がさくさくと答えてくれれば早いのに。一歩前に出て男を下から見上げてみれば、ぱちりと瞬きされる。
「あのー、目、開いてるのに寝てたりする?」
「そんな訳あるか馬鹿」
今度は直ぐに答えが返ってきてほっとするけど、彩稀の欲しいものではない。
「カナロイファ、ゼベーニツ、ロンダホーロ、ラフォナ。聞き覚えのある言葉はあるか?」
その上、呪文を唱えられてしまった。全く聞き覚えのない言葉だからと素直に首を横に振れば男はがっくりと肩を落とした。
「やっぱりな。お前、魔法は使えるか?」
「使える訳ないじゃん・・・・は?」
今度は彩稀が呆然としてしまう。
今、何て言ったんだこの男は。魔法?
「そうか、お前に魔法はないのか。じゃあ何てマジックアイテムを抱えて出てきたんだろうな」
「・・・へ?」
また分からない。唖然とする彩稀に男が軽く首を捻ってから彩稀の抱えるクマを指差してうっすらと笑みを浮かべた。
この男は笑みすら恐い表情になるなあと関心してしまう。ではなくて、クマが、アイテムだとでも言うのか?
「そんな形では見た事がないが、それはマジックアイテムだ。似合ってるが役目が良く分からんな。何だ?」
「はあ?いや、あのさあ。って言う事は・・・いや、ちょっと待って!考えたくないんだけど!」
今度は彩稀が気づいてしまった。この、有り得ない状況と男の言う不思議な言葉達とで勘の良い彩稀は気づいてしまった。呆然とクマを抱えて男を見上げていたら大きな手でぽんと頭を撫でられる。
「まあ、何だ。事情は後で説明するから、まずは出るか。お察しの通り、ここはカナロイファの中央大陸、ゼベーニツの中だ。お前はその言葉を知らないと言う事は召還されちまったって事だろうからな」
「しょうかん・・・は、え・・・ええ!?」
見覚えのない景色に知らない言葉に知らない男。全てが信じたくはないけれど、うすうす違和感には勘づいていたけど、やっぱりそうなのそれしかないのか!
「って、そんなあっさり言うなよ!召還って、俺が!?俺を召還したのかアンタが召還したのか!」
「そんな目で睨まれても恐くないが、俺は伝説の武器を召還しただけだ。まさか人だとは思わなかったんだけどな」
「あっさり言うな!今すぐ戻せ!」
「それは無理だ。何せ召還に戻す方式がない」
「だから、どうしてそう人ごとみたいに!」
いったい何なのだこの男は!
怒鳴る彩稀に平然としながら歩き出してしまった。
この状況で彩稀を置いていくと言うのか!
慌てて後を追いながら、驚きよりも怒りと戸惑いで大きな背中に蹴りを入れたくなる彩稀だ。いっそ一発蹴れば少しは落ち着くのかもしれないと思うけれど。
「ああ。お前の細腕にゃその荷物でも重いだろ。持つぞ」
くるりと振り返った男が彩稀の抱えるコートとブレザー、それにクマを取り上げる。
「サンキュ、って言いたいけど、細腕って何だよムカツクな」
男の大きな手には軽過ぎる荷物だろう。笑って取り上げられて彩稀が膨れればざあっと男の表情が変わる。また恐い顔だ。
「※※※※、※※※※?」
突然、男の言う言葉が変わった!全く聞き取れない言葉だ。驚いて足が止まる彩稀に男も驚いているのだろう。今まで普通に喋っていたのに、どうして、突然。
「何で、分からないんだ・・・?」
これは困る。突然でぞっとする事実だが男は彩稀よりも落ち着いていて、手に持っていたクマを押しつけてくる。どうしてクマを?と思うより前に素直に受け取って、抱えなおした所で男が口を開く。
「俺の言ってる事が分かるか?」
「・・・!わ、分かる・・・な、何で・・・」
「俺にもお前の言葉が分からなかった。そのクマのお陰だろうな、分かるのは」
「クマが・・・」
ぬいぐるみが例えるならば翻訳をしてくれているのか。アイテムと言われてもピンとこない彩稀がしっかりと、今度は絶対に離さない様にクマを抱える。抱きしめる様にして両手で持てば男がはじめて見せる柔らかい表情になった。
「事は思うより深刻か。とりあえず案内しよう。俺はユーノ。魔導師だ。お前は?」
「・・・彩稀。高校生だよ。って言っても、分かる?」
「名前が分かれば十分だ。それと、言葉からして学生らしいと言うのも分かる」
「ユーノ、で良いんだよな。なあ、魔導師って、魔法って言ってたし、クマがアイテムって」
「歩きながら説明しよう。だから、そんな泣きそうな顔すんな」
「誰の所為だと思ってるんだ!これ、絶対ユーノの所為だろ!」
「そうだが、俺は別に彩稀を召還しようとした訳じゃないからなあ」
「すっとぼけんな!」
つい勢いのままクマをユーノに投げつけようとして慌てて止める。このクマは大事な翻訳機で壊れたりしたら泣くしかない。
暴れられずに歩き出したユーノの後を追いかけながら彩稀はじわじわと浮かぶ考えたくない現実に蓋をする事にする。だって、いきなりそんなの、無理。考えられないし考えたくもない!





ユーノと一緒に歩いてから暫く。着いたのは森の外にある大きな教会だった。森全体の管理をする所でもあると言う。
何もかも大きい教会はテレビで見かける古そうですごそうな繊細な造りだ。そして、真っ直ぐに中に入ったユーノに続いて彩稀も中に入って、驚いた。
「・・・すげ」
天井が高くて見えない。広すぎる空間にいくつものまるい球を浮かばせて照明にしているのだろう、ふわふわと浮かぶそれは彩稀の世界では絶対に見ないものだ。そして、内にいる人々もまた見かけない衣装で、それぞれ映画で見かける様な豪華な衣装だったり、それぞれ剣や杖を持っていたり。
「ユーノ、なあ、あの衣装が普通なのか?」
驚くと同時に違う事にも気づいた。どう見てもこの建物の中にいる人達とユーノの衣装が違うのだ。一応気遣ってくれているらしく、驚いて足を止めたままの彩稀に合わせて立ち止まっていたユーノの服を引っ張れば軽く首を傾げられる。
「普通だろ?何驚いてんだ」
「何って、建物にもあの浮いてるやつにもびっくりだけど、ユーノ、俺とそんなに変わらない服だよな。全然違うじゃん」
「あ?ああ、あっちは制服で俺は普段着。行くぞ」
制服と普段着・・・違うと思う。ユーノに背を押されてしぶしぶ歩くがどうも目立っているのだ。ユーノが。当然ながら彩稀も目立っているけれど、小さく聞こえる人々の声からユーノの名前がちらほら聞こえる。
「ユーノって有名人?」
「どうだろうな。目立つと言うなら目立ってるんだろうが、彩稀だって目立つぞ。アイテム持って可愛らしいとさ」
「それは俺じゃなくてクマが可愛いんだと思う。絶対そう思う」
「分かってんじゃねえか」
「うるさいよ。で、ここって何なの」
「教会であの森を管轄する部署って所か。俺の滞在する部屋があるから、まずはそこだな」
「ユーノはここの人?」
「いいいや違う。俺は根無し草の旅人だ。ま、いろいろと説明しないとな」
説明は当然ながら聞きたいけれど、聞いてしまったら戻れない気もして少し恐い。クマを抱きしめつつユーノと一緒に豪華な建物の中を歩く。

建物の中だと言うのにだいぶ歩いて、階段を延々と登った先がユーノの滞在する部屋との事で最上階みたいだ。部屋に入ればびっくりするくらい広くて豪華で、やっぱりユーノの普段着とは似合わない。
「とりあえずは座れ」
ユーノは部屋の奥にある窓を開けに行って、彩稀は大人しく言われるまま中央にあるソファに腰を下ろす。もちろんクマは抱えたままだ。
しかし広い部屋だ。やっぱり映画でしか見た事のない西洋のお城、と言って良いだろう。色はアイボリーで統一されて、家具は漆黒。品が良いのだと彩稀でも分かる。
あちこちを遠慮無く眺めていたらユーノがずっと運んでくれていた彩稀のコートとブレザーを渡してくれた。
「荷物だ。しかし随分生地の厚い服だな・・・小さいし」
「それはコートだよ。冬だったんだよ俺は。って言うか余計なお世話。ユーノに比べたらみんな小さいだろ」
そう。さっきの広間でも思ったのだがユーノは誰よりも大きかったのだ。頭一つ分以上出ていてとても目立っていた。いや、目立っていたのは服装の所為かもしれないけれど。
受け取ったコートとブレザーを隣に置いて、一応ユーノを睨んでから小さく溜め息を落とす。あの森から一時間くらいか。疲れてはいないけれど心が倒れそうだ。
抱きしめたクマの頭に顎を乗せて正面に座ったユーノをぼけっと見る。
「なんか疲れてんな。茶でも飲むか?」
「んー。ありがたくいただく。茶って事は茶菓子もあるのか?」
「あるぞ。ちょっと待ってろ」
腰掛けたばかりのユーノが隣の部屋に消えて、ほっと息を吐いてみる。別に意味はないけれど、一人きりになって少し落ち着く。そうして、改めて思うのはやっぱり違うんだろうなあ、と言う事実。考えたくはないけれど、恐らくそうなのだろう。
「何で、なんだろな・・・」
もう一度溜め息を落として、またぼけっとして。窓の外には青空と白い雲、それに見覚えのない建物が少しだけ見える。この部屋だって彩稀には違和感しか感じなくて、抱きしめているクマだってぬいぐるみなのに、違うだなんて。
「溜め息ばっかしている幸運が逃げるぞ。お茶と、適当に持ってきた」
溜め息と幸せはここでも一緒なのか。ユーノの大きな手に湯気の立つカップが二つと、腕の上に器用に小皿が一つ。いや、ユーノの手が大きいからテーブルに乗せたらカップも皿も大きかった。
「これ、何?」
「何ってお子様用に甘くした茶と菓子の山積み。俺は食わねえんだけど置いてあるんだよな」
繊細な造りのテーブルに似合わない無骨なカップだ。しかも両手じゃないと持ち上がらない重さ。菓子に至っては皿の上に文字通り山積みでかなり適当だ。見かけはクッキーだと思うのだけれど、匂いも同じで一つ摘んでみればやっぱり。
「クッキーだ。お茶も美味いよ」
「そりゃ何よりだ。飲み食いしながらとりあえず聞いとけ」
ユーノもカップを傾けてから静かに話し出す。それは、彩稀の考えたくない事実を再確認する内容で、要するにここは彩稀の住んでいた所でも世界でもなくて、例えるならば映画の世界だと思えば早いだろうか。そう思えば少しは気も楽になるかもしれない。
唐突すぎる展開に全てが追いつかなくて彩稀は一人置いてけぼりだ。







この世界はカナロイファ。神と精霊の加護である魔法がある。空の守護者である聖なるドラゴンとの契約により人は空を飛べず、海の守護者、マーメイドとの契約により船を浮かばせる。
大地には底より生まれし魔物が徘徊し、人の歴史は繁栄と共にあり、カナロイファは光に満ちる。

「細かい説明は追々として概ねこんな感じだ。まずは元の世界に帰る方法を探らねえとな。質問はいつでも受け付ける。俺からは・・・どんだけ食うんだお前は。それかなり甘いぞって事か」
ひとしきりの説明が終る頃、皿に山積みだったクッキーもぺろりと彩稀の腹に消えた。
「だって美味かったよこれ。お茶もね。んでさあ、質問っても直ぐに浮かばないし」
「まあそうだろうなあ。俺だって彩稀に聞きたい事は山ほどあるんだが、直ぐには纏まんねえしな」
二人で同時に重たい溜め息を落として、幸せが逃げた。考えたいのに纏まらないのは彩稀もユーノも一緒か。そう思えば少し気が軽くなるけれど、何の解決にも近づかない。
「茶、もっと飲むか?」
「うーん、うん。お菓子も追加で」
「だな」
だから二人揃って現実逃避してみた。のだが、外がいきなり騒がしくなってユーノの表情が恐くなる。雰囲気ではなくて、そもそもの表情が恐いのにさらに険しくなる。綺麗な顔なのに強面なんて、そう言えばはじめて見るなあと変な所で関心していたら扉をノックする音がしたのに同時に開いた。
「ユーノ!戻ってるなら早く言って下さいよ。どうなりましたか!?」
随分と賑やかな声と同時にユーノが舌打ちした。彩稀は扉に背を向けて座っているから、振り向いて賑やかな声の主を見てみればこれまたファンタジーな、正式なファンタジーの人だった。
漆黒の、裾の長い衣装に細かい刺繍。年齢は彩稀よりもユーノよりもだいぶ上でおじさん、だろう。但しおじさんと言うには端正な、が頭につく容姿だけれど。
その人はユーノの舌打ちと恐い顔にも全くひるまずにすたすたと歩いてきて、彩稀を見てぴたりと動きを止めて。目を見開いた。
「事情は説明してやるから止まるんじゃねえって。立ってるついでに茶を入れてくれ。菓子も山盛りで」
「は、はあ・・・ええと、ユーノ?まさかとは思いますが召還をしに出かけたのにこっそり街に寄ってナンパとかしてきた訳では」
「阿呆。いいから早く茶と菓子だ。説明する」
「わ、分かりました。では、とっておきのお菓子を持ってきましょうか。少々お待ち下さいね」
驚いていた男ははっとした顔をするとそそくさと部屋を出て行ってしまう。切り替えが早いのか、事態を理解していないのか、恐らく後者だろう。賑やかだったのに部屋を出る時はとても綺麗な仕草で礼をしていくものだから一連の動きを見ていた彩稀は呆然と見送るだけだ。
「アレはここの責任者でジランだ。一応偉い奴な」
「その偉い人を扱き使っちゃうんだ」
「昔からの知り合いでもある。って事にしとけ」
「何それ。最初から説明する気ないだろ」
「だから追々な。どの道アイツには説明しないとここでの行動が面倒臭せえ事になるから少し待っていてくれ」
「それは別にいいんだけどさ、さっきの人を見て確信したよ。ユーノの服装、やっぱり浮いてる」
「だから俺のは普段着だっての」
どう考えてもいろいろおかしいと思う。しかし、残念ながら彩稀には情報が少な過ぎる。
クマを抱きしめつつ動く気にもなれなくてソファに沈んでいたら、また慌ただしい足音が聞こえてきた。あんなに綺麗な仕草だったのに何で足音は賑やかなのか不思議だ。
「全く、何であの足音なのかわかんねえ奴だな」
ユーノも同意見らしい。呆れた風に呟くのが何だかおかしくて吹き出したらユーノも柔らかい顔になって笑った。

「そうですか。それはまた大変な事になりましたね。召還が人を呼ぶとは聞いた事がありませんし、そのマジックアイテムも不思議ですね。似合いますが」
最後の一言が余計だが、説明を終えたジランは真剣な顔になって考え込んでいる。ジランの持ってきた茶と菓子はユーノのものより美味しくて話を聞いているだけの彩稀の腹にぺろりと収まった。食べ盛りだからまだ入る。
「本当に良く食うなお前、細いのに」
「だって美味いし。いや、食べたばっかだったんだけど、なんか腹減るんだよな」
確か彩稀の中では夜だったはずで、たらふく焼き肉屋で食事を終えたばかりだったのに腹が空いている。妙だなと思う前についつい菓子に手が伸びて最後の一つも美味しく頂いてごちそうだまだ。が、少々物足りない。そんな彩稀をユーノが顰めっ面で見て、考える仕草をしながら何やら呟く。
「ユーノ?」
呟く声は小さくて聞き取れないのだがジランの表情が変わった。困り顔の笑顔が真剣なものになる。
「やっぱりだ。そのクマ、魔力を吸い取って稼働するタイプだ。だから腹が減るんだろう。魔力と言えど体力の一部だからな。しかし恐ろしい量を吸い取ってるのに何で彩稀は普通なんだ?」
やがてユーノが重々しく彩稀を睨みながらクマも睨むが、魔力と言われてもさっぱりだ。
「は?俺に魔力がある訳ないじゃん。俺の世界に魔法なんてないっての」
当たり前だが彩稀の世界に魔法はなくて、魔力なんて言われても首を傾げるだけだが、確かに腹が減って仕方がない。
「彩稀、悪いが少しだけそのクマを俺に渡せ。魔力を見る」
「嫌だ。クマがいなかったら俺、ユーノが何言ってるか分からないじゃんか」
クマを手放したときの、ユーノの分からない言葉を思い出してざっと青ざめる。
離すまいと、今でも両手で抱きしめてちょっとでも離れるのが恐いのに。ソファの上で後ずさりながらユーノを睨んでも効き目はないが恐いものは恐い。
「少しの間だけだ。その間、俺もジランも何も喋らない。だったら良いだろう」
「そうですね、魔力を吸い取ると言う事は、最悪生命活動に支障が出る可能性もありますから」
なのにジランが恐い事を言うからしぶしぶと、本当にしぶしぶとクマをユーノに渡す。少し離すだけで恐怖がざわりと彩稀を包むが約束通りユーノもジランも一言も喋らず、ただ彩稀を眺めている。
ユーノは睨んでいる、にしか見えないが。
少しの間、二人に観察されて恐怖よりも居心地の悪さでもぞもぞしてきた頃、ユーノがクマを返してくれた。両手で抱きしめてはふ、と息を吐く。
「彩稀、お前には魔力がある。それもかなり多い」
「ええ、こんなにも多くの魔力を持った方はそう見かけませんね」
クマを抱きしめて安心する彩稀にユーノとジランが関心しているが、魔力があると言われても困る。
「って言われても俺、どうして良いか分かんないし」
「魔力云々はひとまず置いておくとして。当面の問題は、彩稀がそのクマを持っているだけで無限に腹が減ると言う事だ」
「それも困る!」
でもクマは手放せない。クマがいないと言葉が分からないのだから手放す訳にはいかないのだ。
「そもそも何でそのクマで言葉が通じるのかが分からん。いや、解読すれば良いのか。そうだな、俺とした事が、ちょっと待ってろ」
ユーノが一人で勝手に頷きながら席を立って隣の部屋に消える。いきなり何だとジランと二人で首を傾げれば直ぐに戻ってきた。そして、テーブルの上に指輪を一つ置く。恐らくユーノの物なのだろう。大きなサイズで色は銀色。細いリングに幾つかの文字らしき模様が描いてある。
「そのクマの中身をこの指輪に映す。そうすれば持ち歩かなくとも言葉は通じる様になる」
「そんな事できるのか?」
「俺なら可能だ。そうだな、少し時間がかかるからジラン、用意を頼む」
「はいはい。人使いの荒い人ですね。では」
「ちょっと待ってよ。俺はどうすりゃいいんだよ」
「直ぐにジランが戻る。旅の準備だ」
「はい?」
「ここでは手に入る情報が少なすぎるから大きな街に出る。ここからだと距離があるから準備が必要だ」
「ユーノ、もうちょっと分かり易く説明してくれよ」
「そうだな。直ぐにジランが戻るからそっちに聞け。奴の方が回りくどい説明が得意だ」
「回りくどいって・・・」
「ああ。クマの効果範囲を広げるからこの部屋の中であれば持ち歩かなくとも言葉が通じる様にする。外には出るなよ」
「・・・出ないよ」
指輪を摘みながらクマを突き刺す強さで睨むユーノに説明する気は全くなさそうだ。
それが彩稀の為だと言うのは理解できるのだが、そもそもの原因はユーノだと思うし何とも言えない気持だ。

それっきり無言になって、視線だけでぬいぐるみだけど殺せるんじゃないかと言うくらいの雰囲気になってしまったユーノを少しだけ眺めて直ぐ飽きて。クマを持たなくとも、と言われたので有り難く立ち上がって部屋をうろついてみる事にした。
広い部屋だが家具は少なくて、勝手に開けるのも気が引けるから窓の方に行ってみる。大きな窓はテラスに通じていてユーノが開け放っているから入ってくる風が気持ち良い。

本当に、違うのだ。彩稀の知っている景色と、空気と。テラスには出ず、部屋の中から見上げる空は快晴だけど暖かくて季節で言えば春みたいだ。・・・冬だったのに。
下を見ればこの部屋は森とは反対方向を向いている様で、地平線まで何もない大地が見えるだけ。いや、遠くには森があって山もあるし、草木があって石畳らしい道もあって、街路樹らしきものもあるけど、違う。
「・・・全然、違うや」
余りにも違う風景にうっかり涙が出そうだけれど我慢する。泣いたって何の解決にもならない。
ただ、絶望的に違うけれど綺麗だ。少しの間だったら何もかも忘れてこの綺麗な景色に見惚れていても良いんじゃないかと、そう思う事にしてまた考える事を放棄して暫く経った頃、賑やかな足音が聞こえてくる。

「お待たせしました。彩稀、ちょっとよろしいですか?」
戻ってきたジランが両手にいっぱいの荷物を抱えて、それでも足りなかったのだろう、両腕にも幾つか袋を下げて戻ってきた。
「うわ、すごい多いな。俺持つよ」
「大丈夫ですよ。こう見えて力持ちなのです。ああ、そこのテーブルをお借りしますね」
この部屋にはユーノが彫像みたいになってクマと睨めっこしているテーブルから離れた所にもう一組のテーブルセットがある。そこにジランが抱えた荷物を置いて次々と広げては並べていく。
「何これ、すごいね」
「旅にはいろいろ必要なのですよ。さ、まずは衣装合わせですね」
「え?」
ジランがにこやかに一着の衣装を広げて彩稀に合わせる。当然ながら彩稀が着ているのは制服で、シャツにネクタイ、スラックスだ。ユーノと一緒に並んでもあまり違和感のない服だがジランと並ぶと違いが大きい。
「その衣装では目立ちますよ。素材も違う様ですし、何より動きやすく丈夫な方が良いですからね。ああ、ユーノも外に出る時は似た衣装になりますよ」
そうなのか。てっきりあのままだと思っていたが、旅と言う言葉とユーノの衣装はあまりにも似合わないからジランの言う通りなのだろう。けれど。
「うわ、何この服。なんか高そうなんだけど!」
ジランの広げた衣装はどう見ても高級品と分かる造りで、何も知らない彩稀でさえこれで旅は、と思う一品だった。濃い緑色のマントに上着、その下に着るシャツにズボン、さらに下着にブーツまで揃えてある。
その上、見えているだけで数着分。全ての衣装がどう見ても高級そうな刺繍に彩られていて触るのがちょっと恐い。
「そうですか?旅をするのであれば、このくらい丈夫でないといけませんよ。数着用意していますからお好きな物をどうぞ。彩稀の体格に合いそうな物ですが多少サイズが違うでしょう。それは後々揃えれば良いと思います。後、彩稀はどの武器を使用していますか?」
なのにジランは取り合ってくれず今度はどこから取り出したのか、武器一式を並べはじめている。
「俺の話は無視か。武器なんか持った事もないよ」
衣装の山を椅子の上に置いて、並べられたのは小降りの剣から大振りの、彩稀には持ち上げられなさそうな剣まである上に使い方の全く分からないものまで並んでいる。当たり前だが高校生である彩稀に武器なんて創造の世界の中でしか見た事がないのだ。それを当然の様に勧められても困る。
「しかし良い身体をしていますよ。細いけれどバランスが良い」
「・・・服の上から分かるのか。一応、空手はやってるけどさあ」
「カラテ?」
言葉が通じても通じない。首を傾げるジランにも、ユーノにも彩稀の説明はまだしていない。まだ出会って間もなくて、そう思えば冷静に見えて混乱しているのかもしれない。
「えーっと、体術、で分かるか?」
「ああ、体術ですね。では武具はこちらでしょうかね。ここにはあまり揃っていなくて申し訳ありませんが」
体術は通じるらしい。テーブルの上の武器一式をどけたと思ったら固い手袋の様なものを差し出してくる。彩稀から見ればテレビゲームで見かけた事がある、程度の認識なのだがこれが武器なのだろうか。いや、その前に。
「なあ、戦うの前提になってないか?」
当然の様に武器を差し出されると言う事は、これを使用するのが当然だと言う事になる。受け取った手袋の様なものは見た目より重い。
「そりゃあ街道を進んでも魔物は出ますし、運が悪ければ盗賊も出ますしね。ユーノが一緒ですので問題はありませんが自分の身は自分で守らないといけませんよ。どうしました?顔色が悪くなりましたが」
さらりと言われた言葉が物騒過ぎる。魔物って言えば文字通りなのだろうか。どうしても彩稀にはテレビゲームの世界しか思い浮かばなくて、当然ながら魔物と言われても出てくるのはそれだ。
「魔物って・・・ど、どんな?」
「そう言われましても種類が多いですし。見かけも強さも千差万別と言った所ですね。大丈夫ですよ、ユーノは最強ですから」
「そう言われてもさあ」
どうしよう。全くついていけない。魔物だなんて、そもそもまだ何も分からないのにいきなり戦えと言うのか。固い手袋を握りしめて呆然とする彩稀にジランの説明はどんどん続く。旅をするには相当な準備と荷物が必要なのだろう。しかし、この荷物を持ち運びするのは無理だと思うのだが。
「それから、これが臨時ではありますが彩稀の『シラ』です。本当に臨時ですみませんが何かと必要ですのでお持ち下さいね」
つらつらと続いた説明の最後にジランが何やら豪華な箱から指輪を取り出した。
また指輪だ。但し、ユーノの持ってきたものとは違う形で、幅が広く銀色に金の淵があって中央には小さくて彩稀には分からない複雑なカッティングをされた石が三つ埋め込んである。石の周りには絵に見える文字みたいな模様が彫られていて綺麗だ。
石の色は透明で水晶だと思うのだが違う様にも見え、ジランが指輪を持って彩稀に渡す。慌てて受け取って眺めてみるがこれもまた高級そうだ。
「まだ何も登録していませんが彩稀の名前と私の客人だと言う印を入れておきましたので直ぐに使用できますよ。細かい説明は後でユーノにでも聞いて下さい。とりあえずは、填めてみましょうか」
「え?」
「恐らく説明を飲み込めていないでしょうが使用していくうちに慣れますよ。利き手の人差し指です」
確かに全く理解できないし、指輪を使用と言うのも変な話だ。にこにことジランが見つめてくるから言われたとおり、利き手である右手の人差し指に指輪を填めればうっすらと光が灯って、ぴたりとサイズが合った。
「うわ!なんだコレ、すご・・・」
填める前は大きいなと思っていたのにどういう仕掛けなのか。驚いて指輪を眺めていたらジランも自分の手を彩稀に見せる。左手の人差し指に彩稀と同じ指輪があって、石の色だけが違う。
「これは身分を証明するものであり、荷物を運ぶものであり、まあその他いろいろできる指輪です。ユーノも持っていますし、ある程度の人達に配布されているものですよ」
「・・・はあ、すごいな。って、今何て言った?荷物を運ぶって言わなかったか?」
「ええ言いましたよ。これは装着者の魔力を媒体として小さな空間を生み出します。まあ原理の詳しい事は私にも良く分からないのですがある程度の魔力があれば使用できますよ」
説明が理解できないけど、理解できてしまった。
なぜならばジランが使い方を実際に見せてくれたからで、彩稀にはこの指輪イコール、とあるロボットが持っている別次元に道具やら何やらを仕舞う夢の道具に見えたからだ。まさかこんなファンタジーな世界で、端正なおじさん、ジランを眺めつつまんまるの青いロボットを思い浮かべる事になるだなんて思いもしなかった。

そうして、ひとしきりジランの説明も終わって荷物も整理しつつ貰った指輪、シラの中に片っ端から放り込んだりして。飲み物の追加と菓子と軽食も追加されてユーノに省かれた説明もいろいろとジランに聞く事ができた。
この教会にユーノの求める、彩稀を元の世界に返す情報はないとの事だ。そもそもユーノが召還しようとしたのはこの世界に古くから伝わる伝説の一つで、それは人ではなくて武器との事だ。
「曰く、今は失われた古代の知識により造られた英知の結晶であると伝わっています。残念ながらあまりにも古い伝説の一つで武器だと言う事しか分からないのですが、実はそれすら曖昧なのです。ユーノはその情報を世界中から掻き集め、召還の儀に適しているのがここだと判明して・・・彩稀が召還されたと言う訳です」
「はあ・・・。途方もない話だけど、ユーノが旅って言ってたのはまた情報を集める為?」
「そうなりますね」
説明はひたすら続いて、用意してもらった軽食もまたぺろりと彩稀の腹に収まりやっぱり満足しない腹に追加を持ってきてもらって。
ジランは何を聞いても穏やかに説明してくれるからついつい甘えていろいろと聞いて。話に熱中していたら外の色がいつの間にか暗くなっていた。
ジランが当たり前の様に魔法であの広間に浮かんでいた照明をいくつか飛ばして彩稀が思わず拍手をした頃、ようやくユーノに動きがあった。
恐い顔がさらに恐くなってテーブルで軽食を摘んでいた彩稀の所に来る。
「俺とした事が屈辱だ。あれは人の道具ではなく神の領域だ。彩稀と共に現れたのだから当然かもしれないが、人の手でどうこうできる物じゃない。くそ」
酷く疲れた様子でどっかりと椅子に腰を下ろし、彩稀の飲んでいた、今度は冷たい茶を一気飲みしてしまう。勝手に飲まれた事よりもユーノの様子に彩稀の表情が曇る。
「・・・失敗?」
恐る恐る聞いてみれば思い切り睨まれて、額を指先で軽く小突かれる。
「俺が失敗する訳ねえだろうが。ほれ、ある程度の条件付きだが写し取った。これを填めてりゃあのクマから多少離れても能力はそのままだ。そうだな、小さな街くらいの距離だったら範囲内だ」
小突かれた指先にはユーノの持っていた指輪があって、ころりと落とされた。完全な成功ではないけれど持ち歩かなくても良くはなったと言う事か。しかし貰った指輪がユーノのサイズでどの指にも合わない。
「それもシラと同じだ。好きな指にすれば勝手に合う。って言うかいつの間にシラを付けてんだ」
「ジランに貰ったんだよ。荷物を収納する使い方だけ教えてもらった。えーっと、どこがいいのかなこれ」
立て続けに指輪が二つ。今まで指輪なんて縁がなかったからどの指にしても違和感がありそうだ。シラだって人差し指に填めていても違和感があってまだ慣れないのに。
「オススメはシラの填めた手の親指だ」
「指輪にオススメの場所があるのか?」
「一応な。それぞれ相応する魔力の引き出しやすさがあるんだよ。ま、ある程度強けれりゃ関係ないが彩稀は初心者だから言うとおりにしとけ」
そんな原理があるのか。関心しつつ、素直にシラのある人差し指の隣、親指に填めればまたぴたりとサイズが合う。こっちも不思議だ。
「しかし神の領域と言うのも・・・。見かけは可愛らしいクマさんなのに」
「見かけに騙されるとどんでもない目に合うのは何でも一緒なのかもな。追々あれの内も探るさ。ああ、但しあれは特殊アイテムになるからシラの中には入らねえし使用される魔力を変える事はできなかったから腹の減りはそのままだ。それは謝っておく。すまん」
「えー。そこ大切じゃんか!」
「食料は俺が何とかしてやるさ。それくらいの力はある」
「じゃあ、ユーノに期待するけど・・・」
何とも不安だ。確かにクマを肌身離さずよりは改善されたけど、中々難しい。それに、ユーノの説明だと結局あのクマは持ち運ぶしかなくて、彩稀の腹具合も同じ。改善はされたのだろうけれど微妙だ。
疲れているユーノには申し訳ないけれど彩稀もぐったりだ。そんな二人にジランはにこやかなまま軽く手を叩いて立ち上がる。
「疲れている時は暖かい食事とお風呂に睡眠ですよ。明日、また考えましょう。ここを出るとしても今日はもう夜ですしね。では用意してきます」
また賑やかな足音と共にジランが部屋から出て行く。何だかんだとずっと動きっぱなしなのににこやかな表情を絶やさず、今更ながらにすごい人だ。





ジランの用意した食事は散々食べ続けていた彩稀にも大満足の量で、ユーノも見かけ通り沢山食べて満足そうだ。
後は風呂に入って眠るだけ。案内された風呂は広さはあるものの、彩稀の知っている風呂とそう変わらなさそうで安心して思う存分湯船に浸かってたっぷりの泡で洗ってすっきりできた。寝間着も違和感なく着られるもので安心して気持がほっとする。
ユーノも彩稀と入れ替わりに風呂に向かって、はじめての一人の時間になった。

広い部屋に一人きり。ソファに座って手放しても良いクマを隣に置いて、やっと思い出した自分の持ち物をテーブルの上に並べてみる。
別にユーノの前で広げても良かったのだが今まで忘れていたのだ。それだけ混乱していたのだろう。
慣れた、ではないけれど湯船に浸かって落ち着いて寝間着に着替えてから思い出すなんて相当だと自分でも思う。
「・・・やっぱり、バッグがなくなってるし。コートと制服と、携帯に財布だけ、か」
改めて並べればぞわりと身体が震える。この部屋には異質で、けれど彩稀の大切なもの達。その中でも特に大切なのは、携帯電話。
「圏外なのは当然でも、動くだけで良いのかな。ああでも、ホントに違うんだよな、ここ。どうしよう・・・このままじゃ」
充電をしたのは今朝で、満タンにして学校にいったはず。授業中は使わなくて、そもそも彩稀の使用頻度はメールくらいだ。電池の減りも少なくてまだ満タンに近いイラストになっているがこのままではあっと言う間に電源すら入らなくなるだろう。それが、恐い。このまま電源を切って温存させるのが一番だと分かっているのだが、切るのも恐い。どうしよう、泣きそうだ。何の解決にもならないのに。
「それ、面白いな」
「っ!ユーノ!」
携帯電話を眺めたまま泣きそうになっていたら背後からのそっとユーノが来て、文字通り飛び上がった。何の気配もなかったのにいつの間に!
「声はかけたぞ。で、それは何だ?彩稀の世界のもの、だよな」
驚き過ぎて声もでない彩稀をよそにユーノが首にタオルを巻いて彩稀の隣に座って携帯電話の画面を覗き込んでくる。見られても嫌じゃないからと、見せやすい様にして画面をユーノに向ければ興味津々な様子でじっと眺め続けている。
「これは、携帯電話だよ。えーと、遠くの人と話ができたり、文字のやり取りができたり、写真とか、映像を記録したりする機械。アイテムって言った方が早いのかな」
「ほう、彩稀の世界ではシラがそんな形になるのか。しかし、やはり文字は解読できないな」
説明の為に分からないだろうけど、画面を変えつつユーノに伝えれば驚かれるけれど、意外な答えが返ってきて彩稀も驚く。
「え?シラって、これだよな」
「ああ。概ね彩稀の言った事ができるぞ。他にはもう知っているだろうが空間を切り離して物質を保存したりシラそのものが身分証明になるから銀行とのやりとりも可能だ」
「すご・・・。そんな便利なんだ、シラって」
「まあな。で、その彩稀のシラは何で動いているんだ?魔力はないと言っていたよな」
「ああ、これは電気だよ。って言っても、分かる?」
「ん?分かるぞ。そうか、電気で動くのか。そんなシラもあるんだな」
「え、ちょ、ユーノ、電気が分かるのか!?」
つくづく驚く事の多い世界だ。まさか電気があるなんて思いもしなかった。だって、この建物には電気を感じさせるものが何一つないのに。照明も、風呂を沸かすのだって魔法で行っていたのに、電気があるのか!
「何をそんなに驚いているのかは知らんが、あるにはあるぞ。もっとも電気のあるのは違う大陸で実験用の小さい施設だけだが。と言う事はそのシラは電気を補充しないといけないんだな」
「分かるんだ・・・」
「電気は失われるものだろう。彩稀、驚くのは良いがすごい顔になってるぞ」
「だって、ないって思ってたし。じゃあ、ひょっとしたら充電できるかも、しれないんだな」
いや、できないだろう。呟いてすぐに心の中で否定してしまって、また落ち込む。電気があるからと言ってこの携帯電話に充電できるだなんて、そんな都合の良い話はないだろうし、ユーノの話からすると彩稀の知る電気とは違う様にも思うし。
一人で勝手にはしゃいで落ち込んで、携帯電話を握りしめて俯く彩稀にユーノが頭を撫でてくれた。慰めてくれているのだろうか。
「・・・その、何だ、あー・・・悪りぃ。俺の、所為だしなあ」
ユーノの手は大きくて彩稀の小さな頭なんて軽く撫でてもぐらぐら揺れる。やっぱり慰めてくれていてそれなりには悪いと思っているみたいだ。確かに彩稀がこの世界にいるのはユーノの所為だけれども、怒るよりも何もかもが違いすぎて怒りが湧かない。戸惑いと、ひょっとしたら、なんて、絶対に考えたくない恐怖はあるけれど。
「いいよ、とは言わないけどユーノに怒ってもしょうがないし、ちゃんと考えてくれてるから。その、いろいろとありがとな」
彩稀を戻す方法を探っているのは本当で、いろいろと与えてくれているのも本当だ。いや、与えてくれたのはジランだけれど、ユーノがいたから彩稀はこうして立派な部屋で安心していられる。
それは有り難いと思うから顔を上げて伝えれば小さく溜め息を吐かれた。失礼な。
「俺がどうにかするのが当然だろうが。礼を言われて悪い気はしねえから有り難く受け取っておくけどな。ま、遠い地になるが俺も調べるから泣きそうな顔すんな」
「ん。そうだよな。そう、思う事にする」
「じゃあ、シラに収納して今日は寝るぞ。疲れただろ。俺も疲れたしな」
ユーノから見れば彩稀は随分と子供に見えるのか、また頭を撫でられて、でもそれが嫌じゃないから不思議だ。いろいろありすぎて混乱するばかりの一日だったけど、眠る前は少し穏やかな気持なれてぐっすり眠れそうだ。

そう、思ったのに。
やっぱり現実は厳しくて落ち着かないらしい。

そんな気持をしみじみと実感したのは翌朝、まだ日も昇らない夜明け前。夜中になるだろう時間なのにジランに起こされたからだ。
何となくクマを抱いてふかふかのベッドでぐっすり眠っていた彩稀は起こされてもすぐには目が覚めない。隣のベッドで寝ていたユーノは流石と言うべきか、ぱっと起き上がって魔法で小さな灯りを出した。
ちなみに、ユーノだけが滞在しているこの部屋だが元々は数人用との事でベッドが四つも並んでいた。だから悠々とクマと一緒に幸せな眠りを堪能していたのだが、本当に目が覚めない。
「こんな時間にどうした」
「申し訳ありません。想定外の事態です」
まだ眠っていたい。クマを抱きしめて掛布に潜る。
「夜も明けないのにか」
「彩稀が豊穣の御子だと言う話になってしまいました」
「ああ?」
彩稀の名前が出るが、その後の言葉が分からないので眠い頭は起きる事を放棄してまた夢の世界に入ろうとする。暖かくて気持ち良いのだ。
「ユーノが一人で森に入り、二人で戻った。ただそれだけですが、噂になってしまいました。箝口令を敷きましたが面倒には変わりありません」
「そうか。ありがとうジラン。直ぐに出る。後は任せた」
「ええ、お任せ下さい。彩稀、申し訳ありませんが、彩稀?」
何度も名前を呼ばれている気がするが、うん、気のせいだろう。まだ夜中なのに疲れも取れていないのに今すぐ旅立とうだなんて酷い話は悪夢に決まっている。
もぞもぞとクマに顔を埋めて掛布に潜るが、ユーノが溜め息と共にひょいと掛布とクマごと彩稀を持ち上げた。
「・・・ユーノ、酷いよ」
「悪いが少々緊急事態だ。起きて着替えて旅に出るぞ」
「えー・・・まだ夜中じゃんか」
「仕方がないんだ。ほら、起きろ」
そのまま揺さぶられて強制的に目が覚めてくる。昨日から酷い展開ばかりだ。そもそも彩稀の寝起きはあまり良くなくてむすっとしたままクマを両手にユーノを睨めば横から申し訳なさそうなジランが割って入る。
「申し訳ありません。まさかこんな事になるとは。残念ですがお別れです。彩稀、貴方の旅が正しき神と精霊に加護を受け良きものであります様に。さあ、急いで下さい」
あんなににこやかだったジランの真剣な表情と言葉にようやく彩稀の意識がぱっと目覚めて、同時に身構える。
「わ、分かった。着替えれば良いんだよな。ええと、どうしよう、俺、旨い事言えないけど、ジラン、いろいろありがとう。礼しか言えないけど」
ユーノはもう着替えをはじめていて一気に慌ただしくなる。旅立つとは聞いていたがこんなに急に、真夜中になるなんて思いもしなかった。
「良いのですよ。私こそ貴方に会えて嬉しと思っていますし今生の別れではないでしょう。いや、彩稀が無事に帰れればそうなるでしょうが、それは良い事です。だからそんな顔をしないで下さい。ユーノ、彩稀の着替えを手伝って」
「分かってる。彩稀、急ぎで悪いな。ひとまず離れないとマズい。着替えは分かるか?」
「わ、分かると思う」
バタバタと着替えて、はじめての衣装に驚く余裕すらなく、ユーノのちゃんとした衣装も見る暇もないままに慌ただしく用意を終えて、クマを抱える。部屋を出るのもちゃんとした出口ではなくて窓からだなんて、よほど急ぎなのだろう。
「じゃあなジラン。世話になった。礼は後で」
「構いませんよ。ユーノ、彩稀、お気を付けて。加護の祈りを二人に」
「ジラン、あ、ありがと。その、行ってくるから」
「ええ、いってらっしゃい」
「彩稀、しっかり掴まれ。でも悲鳴は上げるなよ」
窓を開け放ってテラスに出る。しっかりとユーノに抱えられて彩稀もしがみつく。テラスの下は真っ暗で何も見えないのにユーノは気にせず彩稀を抱えたままテラスの上に飛び乗って、そのまま飛んだ。
悲鳴を上げそうになるのを必死に耐えて、力の限りユーノにしがみつくこと数秒。きっと魔法か何かで着地してくれると思っていたのにどうしてか、ユーノは魔法を使わずにマントを広げてほんの少しの浮力だけで着地した!抱えられているから彩稀にかかる衝撃は少ないけれど二人分の着地した音は当たり前ながら大きくて辺りに・・・響かない?
「音だけを魔法で消した」
「・・・魔法って、飛べたりしないのか?」
「残念ながら人に空を飛ぶ資格はないんだよ。行くぞ」
資格?なんで空を飛ぶのに資格がいるのだろう。不思議に思う時間もない今だから彩稀の中では直ぐに疑問が消えて慌ててユーノを追う。
真っ暗で何の灯りもないから直ぐ見失いそうでついていくしかない。
空を飛ぶ資格がない。その意味を実体験と共に知るのはもっと後の事だ。











向かう先は分からないけれど、街道に出た彩稀を待っていたのはどこまでも続く石畳と、街路樹の様な淡く光る木々だった。
「光ってる・・・街灯?」
木々の背は低く、彩稀の胸元辺りまで。全体的にまあるくて可愛らしく見える。よく見れば光っているのは葉っぱで、それもまたまあるい。
街道に出た事でようやく足を遅くしたユーノも余裕が出た様で、彩稀が眺める木の側に寄って立ち止まる。街道はこの木のお陰でぼんやりと明るく、夜が明けなくとも歩くのに困らない。
「街灯と魔物避けだ。光っているのはこの木が精霊に愛されているからと言われているが古来からあるんで良く分かってはいない。しかし、その細い身体で良く走れたな。俺は途中で抱えて走る覚悟をしてたんだが」
「へえ、面白いって言うかそんな木もあるんだな。だって俺鍛えてるから。ユーノもすごいよな、息乱さないで結構走ってたろ?」
「そのままそっくり彩稀に返すぜその台詞」
教会から飛び降りて、街道に出るまでずっと走っていたのだ。それだけ急いでいるのだと走りながら説明され、ユーノを追って三十分程は走っていただろうか。正直に言えば新品だと思われるブーツは走りにくいのでいつもの彩稀よりスピードが出なかったのが残念だ。まあ新品にしては馴染んでいるから足が痛くなる事はなさそうで安心したけど。
「街道に出ればひとまず安心だ。服も旅装にしているしな。一番近い街は歩いて一日くらいか。あの距離を走れたんだから今日中には着けそうだ」
「で、何であんなに急いでたんだ?」
クマだけはシラに収納できないからと彩稀が抱えたままで街道を真っ直ぐに進む。まだ夜も明けず、深夜に二人だけ。寂しいけど街路樹の灯りが元気をくれる。
「彩稀が豊穣の御子だと言う噂になっちまったからだ」
「豊穣の、御子?」
「カナロイファにある古い伝説で、御子が出現した国には神と精霊の加護が与えられ繁栄すると言う。そんな類の話でな」
それはまた唐突な話だ。意味は分かるが理解できなくてユーノを見上げれば渋い顔をしている。
「俺がその御子になると何かまずいのか?まあ、違うんだけどさ」
「ああ、違うぞ。何せ豊穣の御子ってのは前文明の古代に出現した事のある神の化身だ。人ではないし、今はもっぱら権力者専用の話になっている。伝説は広く知られているが実情を知る奴が少ない。この手の噂は広まるのが早い上に真偽よりも御子を抱えて力を増そうとする輩に必ず追われちまうからな」
「うへえ・・・って、詳しいな」
「まあな。そんな訳で夜が明けて騒ぎがでかくなる前に消えた訳だ」
そんな事になっていたのか。ユーノの説明が本当だとすれば確かに逃げるべきだろう。
「あ、思い出した。俺に魔力ってあるんだろ。魔法とか使えたりするのか?」
「やればできる。但し、文字が読めるのが最低条件になるが」
「文字・・・」
「そう、こんな文字な」
「これ、絵じゃなかったのか」
「そう言うと思った。まあ、追々だな。覚えるにしても街道じゃ落ち着かないし、目的地に着いてからにしてくれ」
シラに彫ってある文字みたいな絵を指されて、やっぱりかとがっかりするがユーノには予想がついていたのだろう。からからと笑って背中を軽く押される。
「時間はたっぷりあるし、歩きながら話せば良いさ」
「そうだよな。うん、腹減ったし」
「魔力の減りはそのままだからな。流石に追っ手なんてのはないだろうが念のため夜が明けてから飯にする。それまでは悪いけどコレでも食っててくれ」
起き抜けで腹が減っているのに走りもして、クマを抱えている限り彩稀の食欲は無限に湧く。と言うか燃料を補給しないと腹が減り過ぎて倒れるかもしれない。
ユーノが手を揺らしてシラから良い匂いがする包みを取り出して彩稀に渡してくれる。
クマと交換で受け取って、紙の包装を剥がせばブロック状のやたら良い匂いのものが出てきた。色は茶色で、食べ物なのだろうとは思うけど、はじめて見る。
「匂いがすごく美味そうだけど、これ何?」
「携帯食料のかなり栄養価の高いケーキ。一本で数日分だが今の彩稀なら朝飯までに消化しちまうだろうな」
「数日分なのにオヤツ未満。俺、ひょっとして食い続けてないと駄目なのか」
「良い方に考えれば食い放題で太らないって事になる」
彩稀の両手で抱える、長さは三〇センチメートルくらいあるずっしりとしたこれが、オヤツにもならないのか。一口囓れば味は良くてかなり甘い。なるほど、高カロリー食だと関心するのに、これ一本を食べきってもオヤツ未満。
「全然嬉しくない。俺は元々食っても肉にならないんだ。食って食って食いまくっても太れないんだ!」
「それは・・・なるべく早く改善する方法を見つける。だから頑張れ」
「うー・・・美味いんだけど、美味いんだけどさあ」
意外な苦労だ。食べるのは嫌いじゃない、むしろ好きだがこれは酷い。むしゃむしゃと自棄になって齧り付くけどユーノの言う通り、満腹にはほど遠い。ただ、飽きる事なく最後まで美味しく食べられるのは嬉しいと思う。
朝日が昇る前に一本まるごと腹の中に入れて、少しだけ満足すればやっと彩稀にも考える余裕が出た。いや、甘い物を食べて脳味噌に栄養が行ったと言うべきか。歩く速度を落とさずに今度は質問タイムだ。まだまだ、聞きたい事は山ほどある。
「それは俺も同じだ。何、時間はたっぷりあるさ」

向かう先は花の大国『ロンダホーロ』。
ユーノの足で歩いて半月もかかる場所になる。途中で街や村があり、街道沿いであれば宿泊施設は整っていると言う。移動手段は徒歩しかないけど、おおむね野宿にはならず一日歩けばどこかしらには辿り着けるとの事だ。
「いろいろ整備されてるんだな。野宿も覚悟してた」
「その覚悟は立派だが俺には彩稀の言う移動手段が信じられん。徒歩以外だともれなく魔物の餌食だからな」
「俺にはそっちが信じられないっての。それに、街道には魔物は出ないんだから馬とかはないのか?」
「馬は肉食系魔物の大好物だ。馬で移動できなくはないが、人間の方が強くて安い。急ぐなら魔法で足を速める事ができる。至急であればシラもある」
「ま、確かにそうだよなあ」
真っ直ぐ街道を歩いてようやく日が昇って、朝食になった。街道の端に寄ってユーノがシラから取り出したのは折りたたみのできる椅子とテーブルにコンロと食材。至れり尽くせりだ。
朝の空気は冷えていてこれから日が昇れば暖かくなるとの事だ。食べたばかりでも腹が減っている彩稀はユーノが作ってくれたスープとシラから出した乾燥パンをたらふく食べつつ辺りを見る。
街道にいるのは見える範囲でユーノと彩稀だけ。とても静かだ。街道はどこまでも真っ直ぐで、朝日と共に光が薄くなった街路樹も延々と続き、周りは草原があって、森みたいな場所や、山も遠くに見える。けれど、街や人の住んでいそうな集落は欠片も見えない。
「何もかも、どこまでも続くんだな。俺、こんな風景はじめてだ」
「ほう、彩稀の世界は狭いのか?」
「狭いって・・・まあ、狭いと思う。俺のいた所は人が多くてこんな風に誰もすれ違わないなんて事はないし、どこにでも誰かがいて、建物もみっちり生えてる」
「大都市、と言うことか」
「そうだな、大都市って言えばそうだと思うよ。お代わり」
「残念ながら朝食分のパンはそれで終わりだ。後はこっちを食っていてくれ。で、食いながらで良いからそろそろ出発するぞ」
「それ美味いよな」
「味は保証するが、まあ何だ、一刻も早くその状態を何とかしないと俺が干涸らびそうだ」
片付けも簡単で、ユーノによればシラの内部を幾つかに仕切れるとの事だ。食事用、衣服にその他、便利な仕舞い方ができるみたいだ。彩稀のシラは全部一つだけど、これも後で教わろうと思う。

そうして、歩き続けて半日と少し。昼食も誰もいない街道で取って暫くした頃にようやく街道で人とすれ違う様になった。
「人が増えれば街が近いと言う事だ」
「これだけ歩いてやっとかあ・・・。ユーノは全然疲れてないんだな」
「俺は旅人だからな。それなりに慣れている」
「ふうん」
ならば言う訳にはいくまい。既に足がぱんぱんで休みたいなんて。いや、休みたいのだが足を止めたらもう動けなさそうだなんて。そもそも新品のブーツはまだ足に馴染まずそれも疲れの原因だ。唯一の荷物であるクマはずっとユーノが抱えていて手ぶらで歩いているのがまだ救いだが、ほぼ何かを食べながらの一日で、それにも疲れている。
「そう言えば彩稀の世界は徒歩で移動が少ないんだったな。足、痛いんだろ」
「痛いけど痛くない。今休んだらもう動けないって確信してるから歩く」
「歩き方が俺達と違うのにもっと早く気づけば良かったな。街はもう直ぐ見えてくるだろうから、ふんばってくれ」
「言われなくても」
話題を振った事で気づかれたもののどうしようもないのだ。それに、足は痛いけれど街道を行く人がちらほら見えるだけでだいぶ気が紛れるし、周りの草原には羊みたいな動物も見えてきていて人の生活圏が近いのだと思えば我慢もできる。考えない様にして足を進めればユーノが歩く速度を落としてくれる。
「気、使わなくていいよ。俺、まだ動けるから」
「とは言っても俺から見れば彩稀は小さくて細くて子供にしか見えねえんだよ」
「悔しいけど言葉通りだけど、まだ踏ん張れるし」
大きいユーノからすれば本当に彩稀なんて子供だろうし、実際まだ子供だ。気遣いは嬉しいけど、甘える訳にはいかない。彩稀だって子供なりの意地がある。と、内心で歯を食いしばっていたらふと思い出した。
「そう言えばユーノって何歳なんだ?」
「年か?俺は二十六になったばっかだけど。彩稀はいくつなんだ?」
「俺は十七だよ。もうちょいで十八。ユーノ、結構年上だったんだ」
「彩稀こそ意外と・・・いや、何でもない」
「どうせもっと子供だって思ってんだろ。でもな、ユーノがでかいだけで俺だって結構でかい方になるんだぞ」
「まあ。そうなんだろうが、細いしな」
「!・・・き、気にしてるのに」
「わ、悪い」
本当に気にしているし、この細い身体は彩稀のコンプレックスでもあるのに!
ぎ、っとユーノを睨めば本当に申し訳ないと思った様で視線を反らして、もごもごと謝ってくれるが誠意が感じられない。これは疲れた身体に鞭打ってどつくべきか。なんて思った彩稀と、視線を反らしたままのユーノの耳に突然悲鳴が聞こえる。
遠くからで、声は小さいが悲鳴と同時に辺りの空気がざわりと揺れる。
「な、何・・・」
「魔物だ!彩稀、クマ持ってじっとしてろ!」
反応は当然ながらユーノの方が早くて、ざっと前方を見るとクマを彩稀に渡して駆けていってしまう。彩稀も前方を見れば何か、見た事もない物体が街道の中央にあって、その周りを沢山の人が囲んでいる。
「何だよあれ・・・魔物って、えー・・・」
それは、木に見えて獣にも見える不思議なものだった。
肉眼で見える距離、そこに魔物、と呼ばれたものがいる。作り話でしか見た事のない魔物は彩稀の常識を越えていて奇妙な動きと魔法なのだろう、怪しい光を纏っている。
彩稀にはあの魔物が何なのかが分からない。だからユーノに言われた通りにじっとしていたのだが、騒ぎはあっと言う間に大きくなって人々が彩稀の方に逃げてくる。と言う事は魔物の向かう先は。
「彩稀!何で逃げねえんだよ!」
「だってじっとしてろって言ったから・・・ユーノ、あれ、何なんだ」
「魔物だって言ったろ!木と獣が合わさった肉食で魔法を跳ね返すオマケつきのやっかいな奴だ。護衛団が相手をしているが大きすぎるし数も多い。何だってこんな時に」
ユーノも駆けてきて突っ立っていた彩稀を怒鳴るが戦闘の場所を移動したのはそっちだ。直ぐに気づいたのだろう、ちゃんと説明してくれて同時に呪文らしき何かも唱えている。
「俺の側から離れるな。その方が安全だ」
「う、うん・・・」
そうこうしている内に魔物と、ユーノが言っていた護衛団がユーノと彩稀に近づいてくる。
移動速度は遅いものの明らかに人が負けていてじりじりと押され絵いる。魔物の数は十以上。人の数は魔物の倍以上はいるのに押し返す様子がない。
近くになって分かるのは木と獣と言うユーノの説明通り、表面に葉っぱが生えていて大きさは見上げる程。四肢を地面につけてのそりと移動しているのだが、頭がなくて見た目に優しくない。
ユーノが唱えているのが何なのか分からないが街道を柔らかい光が包んで護衛団から歓声が上がる。防御なのだろう。そして、次々に光る矢の様なものがユーノから放たれるが魔物はたじろがない。
「攻撃が効いてないみたいだ・・・」
「魔法が跳ね返される。弱点は四肢の裏側、腹っぽい所なんだが踏み込んでも剣じゃ切れねえんだよアイツ」
「え、じゃあどうするんだ?」
「一般的な方法だとアイツ以上の力で腹を叩き割る、になるがあの護衛団の力じゃちょっと厳しい」
「腹って、だって見えてるじゃん」
そう、あの魔物の大きさだと人から見上げた位置にユーノの言う腹があるのに。
「見えてるのに手出しできねえから困ってるんだ。特にあの場所は魔法が無力化されるから純粋な力じゃないとだし、叩き割るって言うからには、ひっくりかえさないとなんだが魔法でひっくり返したら人ごと飛んじまう。もうちょい街道からずれてくれりゃ良いんだが、奴らもその辺は理解していると見えて絶対街道からどきやしねえ」
「うわあ」
それって、八方ふさがりと言うのでは。じりじりとユーノが後ろに下がるから彩稀も下がるしかなくて、護衛団の人達が剣や槍、矢で攻撃しては跳ね返されるのを見ているしかできない。そもそも彩稀には何もできない。
決定打がないまま戦闘は続き、明らかに護衛団の方が押される様になってきてしまった。ユーノの魔法による防御があるから重傷者は出ていないものの逃げ出す訳にもいかず苦戦している。彩稀もじっと戦闘を眺めているのだが何も思い浮かばない。だって、つい昨日まで普通の高校生だったのに何を思いつくと言うのか。あの魔物の弱点が分かっていても攻撃ができないんじゃどうしようもないじゃないか。
何もできないふがいなさにぎり、と唇を噛む。役に立ちたいと思うより前に何も行動できない己が悔しい。
「彩稀、避けろ!」
「え・・・うわっ!」
つい気をそらしたら前方から何かが飛んできて慌てて避ける。と言うかユーノに抱えられて飛んだ。同時に今まで立っていた場所に大きな木が地面に突き刺さっていてぞっとする。
「魔物の一部だ。この調子じゃ夜が明けちまうな」
「一部って、あれ、木・・・」
「ああ、獣と合わさってるが木の部分が大きいんだよ。仕方ねえな。彩稀、悪いけど今日の宿は諦めてくれ」
「え?」
「本当は宿に入りたかったんだが、これ以上は長引かせられん」
「は?」
ユーノに抱えられたまま顔を見上げればにやりと、とても悪い笑顔で見下ろされた。どう言う事だろうと思えばまた呪文を唱えて、ひらりと返した手には大振りの剣が握られているではないか。しかも彩稀を抱えたまま、何で魔物の中に突っ込んで行くんだ!
「ちょ、ユーノ!?」
「黙ってろ、舌噛むぞ」
軽々と彩稀を抱えたままユーノが跳躍する。そのまま剣を片手で構えたかと思えば横に払って魔物を、飛ばした。あんなに手こずっていた魔物をたった一降りで、しかも全部の魔物を。なのにユーノの表情は変わらず悪い笑顔のままで輝く矢を魔法で出して次々に魔物に向ける。
全てが弱点である腹に、魔法を無力化すると行っていた腹に刺さって魔物の呻き声がものすごい音で辺りに響く。
いったい何なんだ。護衛団が束になって、ユーノだって敵わなそうな事を言っていたのに何なんだ!
この突然の展開に周りの人達も唖然としていて、なのにユーノは休む事なく彩稀を抱えたままなぜか街道から外れて草原の向こう、森に向かって真っ直ぐ駆け足で向かうではないか。
「ユーノ!ちょっと、何で!」
「仕方がねえだろ。あのままじゃ街に被害が出るが、かと言ってあんな大技かましたら俺と彩稀の話が教会に届いちまう。俺だって宿に入りたかったし、彩稀を休ませたかったんだが非常事態だ」
「だからって、何で森に向かってんだよ。もう夜になっちゃうじゃんか」
「闇に紛れてロンダホーロまで向かう。運の悪い事に街道は一本道でな、一度暴れたら確実に全ての街に話が行き届いちまうんだ」
もう少しで休めると思ったのに何て切ない事だ。しかし彩稀を片腕で抱えたままで良く走る。スピードは全く落ちずに息もそのまま。どれだけ体力があるのか、恐ろしい。けれど。
「俺も走るから。流石に重いだろ」
このまま抱えられて楽をするのは嫌だ。しかも片手でクマを、もう片手でユーノにしがみつくしかなくて不安定でもある。
「走るって疲れてんだろが。安心しろ、俺は彩稀一人抱えたくらいじゃ痛くも痒くも重くもねえ。もうすぐ人から離れるから待ってろって」
「でも」
「これから暫く歩き通しだから今の内に休んどけって言えば納得するか?」
「う・・・分かったよ。ありがと、ユーノ」
喋っている間もユーノの走る速さは変わらない。恐ろしい体力だ。彩稀にできる事は何もなさそうだし、疲れているのも事実だから大人しくユーノにしがみついておく。
草をかき分けて夕暮れの、もう夜になりそうな暗さなのにユーノは全て見えているかの様に走り続ける。彩稀には絶対真似できない圧倒的な体力と力が、少し悔しい。



ユーノが駆け足を緩めたのはとっぷりと夜になって深い森に入ってから。
魔法で出した薄暗い灯りだけで森の中を進んでいく。彩稀もようやく自分の足で歩いて、腹が減ったので既におなじみになった美味しい高カロリー食を囓りつつふらふらと歩く。いくらユーノに運ばれたとは言え一日中歩き通しだ。こんなに歩いた事はない彩稀には辛く、慣れない世界での緊張も疲労を蓄積させる。
「よし、この辺りで休むか。彩稀、頑張ったな」
「ユーノに言われてもさ」
もう疲れすぎて口を開くのもおっくうならば、食べ続ける事も辛くなっている。ユーノは疲れを見せず、悔しいと思った気持ちもすっかり削がれてただ呆れるだけだ。
「ロンダホーロに入れば人が多く紛れられる。それまでの辛抱だ」
「分かってるよ。ちょっと疲れただけ」
「そうだな」
立ち止まったユーノをぼんやり眺めていたらこれもおなじみになったテーブルセットを出して、側で簡易コンロを組み立てている。旅と言うには便利だと思うがやはり不便さはあって、固い椅子に座った途端に疲れが彩稀にのし掛かる。普通に座っているのも辛くてテーブルにクマを置いて顔を埋めればユーノに笑われた。
「飯食ったら寝ちまえ」
「寝るって、どうやって寝るんだ?」
まさかこの椅子で寝るのか。いや、それとも地面か。疲れ果てているからどこでも良いけど、ちょっと嫌だなあと思えばユーノがシラから布を取り出して呪文を唱える。すると、布がするすると広がってテーブルと簡易コンロを包むテントになった。しかもユーノが立って歩ける広さだ。夜の気配も布一枚で遮られ、浮かぶ魔法の灯りがほんわりとテント内を明るくする。
夜の、森の空気に多少なりとも恐怖を感じていた彩稀だ。仕切られた空間と灯りに少し疲れを忘れてクマを抱いて起き上がる。
「すごいな、これ」
「魔物避けの魔法を編み込んだテントだ。下の重しが魔石になって一晩快適に過ごせるって訳だ。それと、寝るのはこれな」
またシラから取り出した布と木の棒が魔法で勝手に動いて、ハンモックになった!枕と毛布までついている。
「彩稀のシラにも入っているはずだぞ。出してみろ」
彩稀の道具は全てジランが用意してくれたもので、慌ただしく出立してしまったから中身の確認なんてしていない。出立した今日もさらに慌ただしくてシラから物を取り出すのははじめてだ。昨日、ジランから説明を受けている時に何度か練習はしたのだがちょっとドキドキする。
取り出す時の手振りをして、ハンモック、と心の中で呟けばふわりと脳裏に画像が浮かぶ。ユーノのハンモックとは色が違う。彩稀のシラに収納されている物だ。
「・・・あった」
確認したら取り出す手振りをする。すると、何もない空間からシラを通じてハンモックがするりと出現する。原理が全く分からないものの便利だ。
「良し。使い方は大丈夫そうだな。じゃあ飯だ。俺も腹が減った」
「俺にも手伝わせてよ。結局、今日は食ってるだけで何もしてないし」
「そうか?じゃあシラから食材を出してくれ」
本当に便利な道具だ。ユーノに言われた通りの食材はちゃんと彩稀のシラに入っていて、取り出して簡単な調理をすれば夕食となる。宿ではないし、風呂にも入れないけれど中々だ。落ち着いて食べる暖かい食事に心も落ち着いて、そうすれば眠たくなる。
クマを抱えながら食後の菓子と暖かい茶を飲みながら船を漕ぎそうで、うとうとしながら子供みたいだとひっそり笑えばユーノが呆れた風に口元を緩めた。
「一日歩き通しの上にあの騒ぎだ。彩稀、揺れるならちゃんと寝ろ」
「ん、分かってる。でも、まだ食い終わってないし」
「起きてから食えば良い。ああ、落ちるぞ」
「んー・・・いや、ハンモックで寝たい」
「しょうがねえな。特別サービスだぞ」
眠たいけどちゃんと横になりたい。のに身体が動かない。ゆれる彩稀にユーノが呆れた溜め息を落としてひょいとハンモックまで運んでくれた。






歩きの旅はどうしても距離が進まない。それも不慣れな彩稀であれば余計に進みは遅く、街道から外れている為に魔物も出る。
「もこもこで害はないし人に懐くがあれも魔物の一種だ」
「可愛いなー。触っても良い?この辺はあんな魔物が多いのか?」
「一般的に街道に出る奴は人を捕食する大型が多くて、この辺はあんなのが多いな。だからと言って魔物である事には変わりないし人を襲うのもいるから駄目だ」
「ちぇ。でも、ホントにいろいろいるんだな」
「土地が豊かだからと言うのもあるが、これでも襲われ難いエリアを選んで移動してるんだ」
ユーノの説明によれば目的地までは穏やかな気候が続く予定で、街道よりは危険だが大型の魔物にはそうそう出くわさないから安心して良いとの事だ。
相変わらず足は痛いし疲れもある上に腹も減りっぱなしだけれど、天気が良いだけで何となく元気も出る。
ユーノも気を遣ってくれていて休憩も多めに取っているから進みは遅くても順調だ。旅の衣装にも慣れ、ブーツにも慣れた。
クマは彩稀が抱えたりユーノが持ったりで二人の間を行き来しているけれど、数日も経てばぬいぐるみでも旅の仲間だ。
「しかし変な名前だな。ポチと言うのは何か意味があるのか?」
「ないよ。昔からペットの名前はポチって決まってるんだ」
「それはマジックアイテムであってペットではないぞ」
「いいんだよ。何となくポチって呼びたかったんだから」
クマでも良かったのだが、それだと見たままなのでポチにしてみただけだ。特に意味はない。
抱えていたポチをユーノに渡しつつ日課となった食事の時間になり、彩稀のシラからフルーツケーキを取り出して歩きながら食べる。
どうやらジランはとても気を遣ってくれた様で、シラの中身はユーノも驚く程に沢山だった。旅に使う日用品とマジックアイテムに食料に衣類。全てが上級品との事であんな別れになってしまったのが申し訳なさ過ぎる。彩稀がクッキーを気に入っていたのもちゃんと覚えていたらしく、食料の半分は日持ちする菓子で当分の間は困らない。種類も多く、甘いものはあまり好きではないが心遣いが嬉しくて、何より美味しいので有り難く頂ける。
「それでさ、ジランに武器?も貰ってるんだけど使い方がわかんないんだよ」
「なんで武器が疑問系なんだ」
「だって手袋だから。えーっと、ほら」
バタバタしていたからジランに貰った武器?の事もすっかり忘れていた彩稀だ。ふと思い出したのでシラから出してユーノに見せれば意外そうな顔をされた。
「ああ、ナックルだな・・・その細さで体術か」
「うるさいよ。で、これってどう使うんだ?」
「それは手袋で間違いない。手に填めて敵を殴る。それだけ。それには魔法が仕込んであって手を保護するから殴りたい放題だ」
「・・・何となくそう思ったんだけどさあ」
「別に俺がいるから戦わなくとも良いが、慣れておいても良いだろうな。移動が楽になる。しかしなぜ体術なんだ。一番難しいじゃないか」
「そうなのか?ってゆーか、俺の世界に剣持ってる人はいないんだよ。持ってたら法律違反で捕まるっての。俺の体術だって確かに相手を殴る蹴るするけどスポーツなんだからな」
「確かにそう聞いてはいたが、不思議だ」
「俺には魔法と魔物の方が不思議だよ」
説明してもらったのでナックルを手に装着すれば丁度良い大きさで動かしやすい。質感としては皮に近く、なのに指先までちゃんと動くのがすごい。わきわきと両手を動かしていたらユーノが前方を見ながらにやりと笑った。恐い顔がさらに恐くなる。
「丁度良いのがいた。あの魔物で試してみるか?」
造りが良いのに何と言うか悪役っぽいと言うか、恐い笑みだ。
関心しつつ眺めていれば前方の、ユーノが見ていた辺りからものすごい速さで何かが向かってくる。三本足の不思議なイキモノ、魔物だ!
「え・・・すごい速さでこっち来てるんだけど!」
「動くものを襲う性質で見た目に反してかなり弱い」
「ホントに!?」
見かけによらず、と言われても彩稀としては焦るだけで、そもそも弱いと言う割には大きいし動きが速いではないか。
獣の様なそうでない様な、判断のつきかねる魔物は遠目で見てもユーノより大きくて彩稀より早そうだ。
「俺がフォローするから気楽にいってこい。何事も経験だ。安心しろ、ポチは持っててやるから」
「そう言われてもあれは恐いって!」
イキモノであるはずなのに顔がない。どんどん近くなる魔物に彩稀がざっと青ざめるがユーノは静観の構えだ。せめて説明くらいしてくれても良いじゃないかと睨めばポチの手を持ってひらひらと振られた。むかつく。
「くそー!怪我したらちゃんと助けろよな!」
「大丈夫だって。とりあえず一回避けりゃ何とでもなる」
「本当だな!?」
言い合っている間にも魔物はすぐ側まで来てしまって避けるしかない。スピードで例えるなら全速力の自転車くらいか。避けられない速さではないが恐いので慌てて避ければ魔物はそのまま通り過ぎて、しばらく行った先でくるりと方向転換する。そして、また一直線に走ってくる。ひょっとしたらあの動きしかできないのだろうかとユーノを見れば悪い笑みを返されたのでそうなのだろう。だったら避けて足でも引っかければ良いのだろうか。
「そのナックルはジランが入れただけあって強度が強い。あれくらいだったら軽く殴るだけで倒せるぞ」
また信じられない事を言う。そもそもユーノには彩稀がどれだけ戦えるか何で分からないはずなのに、どうしてそう軽く言うのか。文句を言いたくとも魔物は待ってくれない。真っ直ぐに向かってくる魔物に狙いを定め、言われた通りにするのは悔しいからタイミングを見計らって足を引っかけて転ばせて。
「ああもう、何でこんな事になってんだよ!」
今の気持を思い切り叫びながら大きな魔物に拳を入れた。戸惑ったら危険だと本能が叫ぶから勢いのまま、全力で殴れば驚く程にもろかった。
「・・・あれ?」
彩稀としては一発くらいの拳じゃせいぜい動きを止められれば良いなと思ったのだが、拳はしっかりと金属質な何かを潰した感触があって驚くと共に魔物がまっぷたつに割れてしまったではないか。
「うお、一発でそれかよ。思ったより強いな彩稀」
「俺のがびっくりしてるってば・・・」
呆然と握ったままの拳を見ればナックルに傷も汚れもなく手も痛くない。これが武器なのか。魔物は割れた箇所からさらさらと黒い砂になって風に舞う。イキモノなのに、違うのか。
「金属と魔力のカケラ、それに獣の意志が少々混じったやつだ。弱い部類に入るが一発で仕留められる奴はあんまいないぜ。大丈夫か?」
「だ、大丈夫だけど。すごいなこの手袋」
「いや、確かに魔法で固くはなっているが彩稀の腕が見事だと素直に称えよう。良くやった」
ユーノが柔らかい笑みを浮かべてまだ呆然としている彩稀の肩をぽんと叩く。何だろう、レベルアップの音が聞こえる気持だが拳には確かに魔物を割った感触があって、これが戦うと言う事か。
「彩稀?」
「いや、何でもない・・・」
魔物を倒した事で彩稀の内をぞわりと何かが這う。
戦ってはじめて理解できた気持。それは、あまりにも違いすぎる世界の常識であり、彩稀にとってはどうしようもない絶望と、少しだけの高揚感。
ああ、本当に、当たり前だけどここは違う世界で。
「ほら、行くぞ。もう少し歩いたら休憩にしよう」
ユーノの声にはっとなった彩稀が首を傾げる。
何か今、考えた様な気がしたのだが、何だったのか。思い出すより前に歩くだけに酷使していた身体が久々の、彩稀らしい運動に少し軽くなって気持も軽くなる。
「やっぱ身体は動かさないとだよな。うん」
「何を一人で納得してんだ。いつまでも突っ立ってると日が暮れちまうぞ」
「ユーノ、歩くの速いってば!」
元の世界から切り離される様な気がしたなんて。そんな訳はない。

ユーノの背を追いかけながらポチを奪った彩稀は心の中で首を傾げつつも深く考える事なく歩き続ける。











日々順調にレベルアップの音が聞こえる気持だ。
相変わらず徒歩の移動は続いていて、明日くらいにようやく目的地になるらしい。
魔物も順調に襲ってくるので彩稀でも相手にできそうだったら戦闘に参加して、誰もいない草原でテーブルセットを出して食事をし、夜になればテントで眠る。
残念ながら風呂には入れないが水場を発見すれば水浴びをしている。飲み水は魔法で大気から摂取できるので不便はないが、彩稀に溜まる疲れは相当なものだ。
休憩はちゃんと挟んでいても慣れない旅と世界が与える負担は大きく、目に見えてやつれていく彩稀にユーノも心配そうなのだがどうなるものでもない。ならば戦闘に参加しなければ良いものの、身体を動かす事でストレス発散になっていると何度目かの戦闘で気づいてしまったのだからやめられない。襲ってくる魔物に対してのみだが好き放題暴れられると言うのは元の世界では滅多にない事で、特に彩稀の実力になると皆無に等しい。
そんな訳で深く考える事なく、むしろ多少無理をしてでも戦っていた方が良かったのだが、これにも限度がある。
「休憩を早めるが、歩かなくては進まない。しばらく運ぶか?」
「大丈夫。そこまで弱くない」
口数もすっかり減ってクマを抱える元気もない。空は相変わらず快晴だと言うのに彩稀だけが曇り空で、いや、遠くの空も何だか怪しい色になっている。
「どうも雨になりそうだな。やはり休憩を早めて、街に入るまで一気に進む。じゃないと身体に毒だからな。あの街は花の大国『ロンダホーロ』に繋がる大都市だ。宮殿まではまだ遠いが人に紛れられる」
「ふうん・・・」
まだ何も見えないのに大都市と言われても何の実感もなければ、そもそもここまで歩いてきて街どころか民家さえ見ていない彩稀には想像すら無理だ。覇気のない返事にユーノが肩を竦めて辺りを見る。歩いているのは草原の真ん中で、少し横に逸れれば林がある。
「あそこだな。彩稀、行くぞ」
「おー」
どうやら休憩になる様だ。ユーノが彩稀の背中を押しつつ移動して、便利なテントを張る。このテントは夜用と昼用があって、夜は魔物をしっかりと避ける防護魔法の強い、生地の厚いもの。昼用は天井だけを布で覆う風通しの良いものになる。今はまだ昼だから風通しの良い、日よけだけのテントに入り固い椅子に腰掛ければもう動く気力がなくてテーブルにぐったりと伏せる。額が木にぶつかる前にユーノがポチをクッション変わりに置いてくれて激突は免れるものの、溜め息しか出てこない。
「だいぶ疲れてるな。まあ無理もないが。どれ、食事しながら足湯でも作ってやろう。気持ち良いぞ」
疲れ果てた彩稀に気を遣ってくれたのか、ユーノが食事の準備をしながら思いがけない言葉を言った。
「・・・足湯?」
彩稀には聞き慣れている言葉だけれども、この世界で聞けるとは思わなかった。
「ああ、旅をしてるとどうも水浴びばかりになるからな。足だけでも湯に浸せば疲れが取れやすい。昔からの知恵だ」
本当に足湯だ。ユーノを横目で見ていればシラからタライの様なものを出して魔法で水を集めている。そう時間を置かず湯気の出るタライが用意されて彩稀の足下に跪くと少々乱暴だけどブーツを脱がしてくれる。何もそこまでしなくとも自分で脱げるとは思うのだが、気持に反して身体がぴくりとも動かない。
「ごめん。動けない」
「だと思った。ほれ、少し暖めて、食って寝ろ」
「うん。ごめんな、ユーノ」
「良いって。慣れない旅じゃしょうがねえって台詞を言うべきだが彩稀は見た目に反して体力があるな。正直、俺は三日前くらいに彩稀を荷物として運ぶ覚悟をしてた」
「褒められてる気がしないけど・・・気持良い」
動かない足をユーノが動かしてタライに浸けてくれる。とても、気持良い。うっとりとした息を吐けば立ち上がったユーノに軽く小突かれる。だって本当に気持ち良いのだ。やはり水よりお湯の方が彩稀は嬉しい。気候は暖かく冷える事はないのに疲れた身体は暖かさを欲していたのか。
テーブルの上に置かれたポチに頭を埋めつつ足湯を堪能して、ユーノには申し訳ないが久々に心からくつろげる。
「そのままで良いから飯を食え。腹が減って倒れるぞ」
「うー・・・ん」
ぽかぽか。身体が下から暖まってきて夢心地だ。ユーノに揺さぶられても、もう駄目だ。

「だいぶ無理をさせちまったな。すまん」
目を開けたら心配そうなユーノに覗き込まれていた。
そんなに心配する事はないのに、と思いつつも違和感を感じる。何だろう、何でクマに顔を埋めていた彩稀が覗き込まれているのか。
しかも何かが決定的に違う。・・・そうだ、ユーノの上に天井が見えるからだ。
「て、んじょう・・・?」
テントなのに天井だなんて変で、声を出したら酷くかすれている上に喋りづらくてまた驚く。
「ここはロンダホーロの宮殿に繋がる街だ。宿に入って二日目になる。彩稀は足湯をしたまま眠って、と思ったら熱を出して気絶してたんだ。慌てて運んでこの宿に入ったのが昨日。なかなか熱が下がらなくて、心配した」
ユーノが彩稀の額を手の平で包んでほっとしている。あの、気持ち良い足湯からそんな事になっていたなんて信じられない。けれど言われてみれば彩稀が横になっているのはふかふかのベッドで掛布もふわふわだし身体も若干だけれど熱っぽい。ユーノの手が冷たくて気持ち良く、ほうっと息を吐けば安心した様に笑われた。恐い顔のユーノだが笑えばかなり良い男だ。
「心配かけてごめん。俺、情けねえなあ」
体力にも力にも自信があったのにこの始末。熱を出して倒れるとは、しかも意識がないままこんなに時間が過ぎてしまったなんて。やはりモヤシはモヤシのままなのか。悔しい。
「謝る必要はない。彩稀が思った以上に体力があって俺が調子に乗っただけだ。しばらくはここに滞在するからゆっくり休め」
「そうは言ってもさ」
ダウンした彩稀に反してユーノは元気そうだから余計に差が目立つ。もぞもぞと起き上がって伸びればグラスを差し出された。有り難く受け取って一気飲みすれば甘くて冷たいフルーツジュースで熱っぽい身体には嬉しい。
「慣れない部分も大きいだろう。とりあえずは飯だな」
「あー・・・うん。腹減った」
起き上がった途端に腹が鳴って、溜め息も出る。
本当はユーノみたいに男らしくがっしりとした身体が理想なのだがモヤシの彩稀には遠い夢だ。しかも今はポチに魔力を吸い取られ続けているから食べ続けないと駄目なハンデまでついている。
「飯は下の食堂だ。風呂に入ってから行くか?」
「え、風呂あんの?」
「当然だ。汗でべとついてるだろ、湯は張ってあるから思う存分洗ってこい」
そうか。ここはもうあの草原じゃなくて宿屋なのだ。改めて見れば部屋は広くてベッドが二台。天井も高くて全体的に柔らかい色合いで統一されている。教会の部屋よりは狭いがかなりのものだ。
家具もちゃんと用意してあって、浴室は隣だからと教えてもらっていそいそと向かう。旅の間は水浴びをしても洗剤で洗う事はなかったから久々のちゃんとした風呂に心が鳴る。
浴室も広く、大きな窓が特徴的で猫足のバスタブにシャワーがついていて彩稀でも違和感なく使用できる。服は意識を失った時のものと同じで、上着は脱がせてくれたのだろう。すっかり慣れた衣装は中世ファンタジーと言うべきか。造りは彩稀の知っている服なのだがデザインや刺繍が高級品っぽい。それをばさばさと服を脱いでまずはバスタブに入る。
「うへ、汗臭・・・」
熱を出していた以前に歩いていて散々汗をかいていたから当然なのだが、お年頃の少年としては少々頂けない匂いだ。備え付けらしい洗剤をたっぷり泡立てて遠慮無く洗う事にする。シャンプーやリンスと言った概念はない様で、髪も身体も一種類の洗剤だ。ハーブやら何やらと説明してもらったのだが彩稀には良く分からない。分かるのはふんわりと花の匂いがして意外と使い心地が良いと言う事だけ。
ひとしきり洗って、それでも足りない気がしたので二度洗いをして、ようやく落ち着けた。バスタブの湯は一度抜いて新しくして至福の入浴タイムだ。
心が落ち着けば周りを見る余裕もできると言うもので、全く気にしていなかった外の景色を大きな窓から眺めてみる。

ユーノの言う通り、大きな街だ。この部屋は高い所にあるみたいで全体が見渡せる。石と煉瓦で作られたおとぎ話みたいな建物が延々と続いて、遠くの方にとても大きな宮殿みたいな建物がうっすらと見える。空はどんよりとして雨が降っているが綺麗な景色だ。
「彩稀、湯あたりしてねえか?」
飽きる事なく街を眺めていたらユーノが扉越しに声をかけてきた。だいぶ長い間浸かっていたらしい。
「してねえよ!今上がる!」
風呂は気持良いが腹も減ってそろそろ限界だ。
ざばっとバスタブから出れば心なしか痩せた様な気がして少々落ち込むものの、まずは食事だ。新しい衣装をシラから出して、旅のものではない普段着に着替える。この世界での衣装は概ね中世ファンタジーだが、彩稀の知る普段着もある。ユーノも出会った時はジーンズだったからいろいろと幅がありそうだ。
「近くて見るとジーンズでもちょっと違うのな」
彩稀の普段着もちゃんとシラの中にあって、取り出して感心する。ジランに感謝だ。
シャツにジーンズ、サンダルと言う軽装になって風呂から出ればユーノが軽く目を見張って彩稀を眺める。
「何?」
「いや、細いがバランスが良いから何でも似合うものだと関心しただけだ」
「一言余計だっての。飯行こうぜ」
「そうだな。ああ、ポチは部屋に置いておいて良いぞ」
まっすぐ枕元に置かれていたポチを取りに行こうとして止められた。ユーノのおかげで多少離れていても大丈夫だったのを忘れていた。
「そうだった。じゃ、行ってくるな、ポチ」
旅の間はずっとポチを抱いていたから癖になっていた。持って行かなくても良いけどポチを取りに行った足を止めずにベッドまで行って、ぽん、とふかふかの頭を撫でればユーノに笑われる。

食堂は宿の一階、と言うのがこの世界では常識らしい。彩稀達が滞在している部屋は五階との事で、一階まで下りるのに使用するのは驚いた事にエレベーターだった。
「・・・いやでも、違うよなこれ」
「何を一人でブツブツ言ってんだ?」
正確にはエレベーターではなくてゴンドラと言った方が良いのか。使用者の魔力で動くとの事だ。
「だからこの宿はある程度魔力のある奴限定になってるんだぜ」
「へえ。そんな限定があるのか」
「一応な。ほれ、着いたぞ」
世界が変わればいろいろな違いがあるものだ。魔力、なんて彩稀には空想の世界の言葉だったのに今ではすっかり生活に馴染みきっている。
部屋の灯りも魔力だし、風呂だって魔法で湧かす。いろいろと便利だとは思うが魔力があると言われた彩稀は未だに何も使えない。いや、常時魔力は使っているのだが全てポチに吸い取られているから実感がない。
エレベーターを下りて食堂に向かえばこの世界ではじめてとなる人がちゃんといる空間に出る。全体的にがやがやとしていて中世ファンタジーな人達がぎゅうぎゅうに詰まっている。思えばこの世界でちゃんと接した人はユーノとジランの二人だけ。教会で見かけた人々は最初の混乱もあって記憶になく、街道は早々に離れたから後は魔物ばかり。久々に見る人間達、と言う事になる。
「うわ、人多いな」
「昼食時と重なったからな」
食堂にいる人達は半数は旅の衣装で、残り半分が普段着だったり旅の衣装程ではないものの軽装だったりだ。空いているテーブルをユーノが発見して席に着けばグラスだけがふわりと飛んできた。
「日替わりを二つ。それと適当にオススメ料理で。とりあえず五人前だ」
グラスだけが飛んできたのに驚いていたらユーノがメニューに直接喋っていてまた驚く。どうなっているんだ?
「そんなに驚くな。ここは魔力がある程度ある客限定だって言っただろうが。って言う事はだ、魔導師しかいねえんだ。当然全てに魔法が使用されている」
「はあ・・・すごいな」
グラスは店員がキッチンから直接飛ばしてくるらしく、注文もメニューに呟けば直接届く仕組みらしい。魔法って便利だ。関心しつつ驚いていれば程なくして料理がまた飛んでくる。
「うわ、美味そう〜」
「日替わりだな。たっぷり食えよ」
「うん!」
ほかほかの、旅ではないちゃんとした食事に彩稀の顔が輝く。旅の間でも食事はそれなりに良かったのだがやはり違う。日持ちのする食材ばかり、要するに乾燥させていたり塩漬けだったりの料理だったからこんな風に新鮮な食材での食事は初日以来だ。プレートに乗った料理はほかほかのパンと焼いた肉にサラダ。量が多くてとても嬉しい。ユーノに言われなくとも沢山食べるつもりの彩稀だ。にこにこと美味しく料理を頬ばっていたらユーノが表情を和らげる。
「お前は本当に美味そうに食うなあ」
「だって美味いよ。この肉とか最高!」
「見かけによらず肉が好物か」
「見かけって何だよ。言っておくけどユーノがデカイ過ぎるだけで俺だってそこそこデカイ部類なんだからな。肉は大好きだけど。おかわりしても良いか?」
「確かに彩稀の身長であればデカイ部類だが、分かった分かったテーブルの下でひっそり蹴るな。おかわりなら好きなだけすれば良い。追加は肉だな」
「もちろん♪」
大好物を好きなだけ食べられるとあれば誰でも上機嫌になるし、何より旅の途中ではなくて落ち着いた場所と言うのもプラスポイントだ。にこにこと食事を平らげて、ようやく満足して食後のデザートになった頃、食堂の空気がざわりと揺れた。
「何だ?」
どうやら誰かが入ってきたらしいのは雰囲気で分かるのだがざわめく理由が分からない。騒ぎの方をちらりと見ればとても目立つ人がいる。青色の騎士服、と言うのだろうか。彩稀から見てかなり格好良い衣装の人で、ユーノ程ではないが長身で男前。しかも金髪碧眼ときた。
男前の材料が揃いすぎで、ざわめく客達の言葉から見た目通りの騎士だと言うのが分かって有名みたいだ。
「・・・見つかるのが早すぎだ。アイツか」
その有名人を食堂の客達と一緒に眺めていたらユーノが嫌そうに呟いた。
「知り合いなのか?」
「ああ。こっちに向かってきてるだろ」
「ホントだ。目立つ人だなー」
客の多い食堂の中を堂々と歩くその人は本当に目立つ。見た目の良さもそうなのだが、それ以上に彩稀でも分かる強そうな空気がまたすごい。
「一発で見つけられるとは私の運も中々だな。ユーノ、久しいな」
「俺は見つけて欲しくなかったけどな、エルス。とりあえず制服で来んじゃねえよ。目立つんだよお前は」
「ユーノに言われても納得できないし、私は職務中だ」
ユーノの言った通り、真っ直ぐ彩稀達のテーブルに近づいて来たその人、エルスはユーノを見下ろして軽く笑う。近くて見るとまた素晴らしい男前だ。
「ここじゃ騒ぎになるだけだから部屋に行くぞ。彩稀、戻ったら紹介する。エルス、何も言わずについて来い」
「分かった。あ、デザート持って言っても良い?」
「追加も注文しておいてやる」
確かにエルスを挟んで会話していたら目立ちそうだ。溜め息混じりに席を立つユーノと一緒に立てばエルスの目が見開かれる。今まで彩稀に気づいていなかったのか。何度かユーノと彩稀とを見比べて、口を開く前にユーノが睨んだ。
「だから部屋に戻ったらって言っただろうが」
「わ、分かった」
追加で注文したデザートをユーノが受け取って、そんな姿にもエルスが驚いているみたいで不思議だ。
それよりも不思議なのはユーノがこの目立つ人と親しそうだと言う事か。ジランの事と言い、今更ながらにどういう人なのだろうと思うが見当もつかない。たぶん偉い人なのだろうなあとは何となく予想がつくのだが、どの程度の偉さなのか。この世界を知らない彩稀にとっては説明されてもさっぱりだ。
今の所、分かっているのは彩稀がこの世界に来た原因であろう事と、かなり強くて旅にも慣れて意外と面倒見が良いと言う事くらい。
それ以上は特に気にならないし、説明されても理解できないのだからこれからもあまり気にはならないだろうなあと思う。
「そうか。それはまた大変だったな。ならば改めて自己紹介でもしようか。私はロンダホーロ、青の騎士団長であるエルスだ。ユーノとは友人となる」
「はじめまして、彩稀です。ユーノってやっぱり偉い人?」
そんな事を考えつつ部屋に戻り、ユーノがエルスに大ざっぱな、彩稀が異世界から来た、ではなくて森で保護した少年だと伝えたので軽くおじぎをする。
追加注文したデザートはほぼ全てが彩稀の前に置かれていて、ユーノとエルスの前には珈琲だけだ。
「知り合いが偉いだけだ。エルス、余計な事は言うんじゃねえぞ。んで、彩稀の事は説明した通りの事情でできれば目立ちたくない」
「悪いがそうは言ってられない事情があってな。でなければ私が制服で来る訳がないだろう」
「やっぱりか。いや、宮殿に行けば目くらましもできるかもしんねえな。急ぐのか?」
「できれば今日にでも出立してほしい」
「出立は明日だ。こっちにだって準備と事情がある」
「分かった。では明日、向かってもらいたい」
「んで、何があったんだ?」
「それは・・・」
同じテーブルにはいても彩稀は特に会話に入る必要も感じられないから黙ってデザートを食べていたのだがどうやらエルスは彩稀が気になる様だ。偉い人らしいし彩稀に聞かれてはまずいのだろうか。
「俺が邪魔なら席外すけど。って言っても同じ部屋じゃ話聞こえちゃうから一回食堂にでも連れてってもらえれば食ってるぜ」
「彩稀に聞かれてまずい話じゃない。だろ、エルス」
「しかし」
「聞かれてまずい話だったら俺は宮殿に行かねえし、彩稀も一緒に移動するんだがな」
「一緒に・・・」
何だろう。一瞬エルスに睨まれた感があって、初対面なのに不思議だ。ユーノが動かなくて良いと念を押して言うものだからそのままデザートを食べ続けるがエルスが黙ってしまって微妙な空気になる。が、やはり急いでいるのだろう、なぜか彩稀をぎろりと睨んでから話し出した。
「雨が降っているだろう。かれこれ三ヶ月程、毎日が雨なのだ。気象に原因があるのではなく何か異常事態が発生している、とまでは宮殿の魔導師で突き止めたのだがそこまででな。できれば原因の究明をして欲しいがまずは雨を止めて欲しい。陛下からの正式な依頼であると同時に長雨に関しての現象原因に箝口令が敷かれている」
「三ヶ月も改善できねえのに箝口令も何もあったもんじゃねえだろうが。俺が丁度良く来なかったらどうするつもりだったんだよ」
確かにユーノの言う通りだと思う、が彩稀に口を挟む理由もないので黙って食べながら聞き続ければエルスが苦笑する。
「その場合は時間はかかるが直接ユーノを呼ぶ手筈だった。だから運が良いと言っただろう?」
「・・・けっ。まあ良い。こっちも協力を頼むかもしれないしな。彩稀、悪いけどまた移動だ。ま、明日になってからだけど休めなくて悪いな」
どうやら宮殿に向かうらしい。目覚めたばかりだと言うのに忙しい。
「いいよ。でも宮殿って遠いのか?」
「街を歩いて一日。明日の朝に出れば夜に着くくらいの距離だ」
「・・・遠いなあ」
また歩きか。仕方がない気もしたのだがうんざりもする。まだ身体は痛いままだし足も当然ながら痛いまま。せっかく建物の中でのんびりできると思ったのにそれも一日だけだなんて切ない。
しかし、そんな遠い距離なのにエルスも歩いてきたのだろうか。切なくなりながらもエルスを見ればまた睨まれる。嫌われているのか?
「その細い身体では無理があるかもしれんな。できればユーノだけで来て欲しいのだが」
あ、その言い方はカチンとくる。流石にむっとすればユーノが恐い顔になって立ち上がる。
「彩稀は一緒だ。エルス、無礼を詫びてさっさと帰れ。俺の機嫌が最悪にならない内にな」
言い返そうにも彩稀には判断材料が少なすぎてどうしようかと思っていたらユーノが怒ってくれて、ちょっと嬉しくなる。
反対にエルスは無表情になって一例だけするとさっさと部屋を出て行ってしまった。
「ったく。あの馬鹿め。悪いな、彩稀」
「いや、カチンっては来たけど、俺何もしてないよな」
「してねえけど、あれは昔から俺を神聖視してる節があってな。後でキッチリ締めておく」
「神聖視・・・なあ、ユーノってやっぱり」
「いずれ説明する。悪りぃけど、ちょっと自分からじゃ言いづらい」
「ふうん」
やっぱり偉い人か。でも言いづらいと言った表情が何となく可愛く見えたのでそれ以上は追求しないでおく事にする。
「分かったよ。で、明日になったら移動なんだな」
「重ね重ね悪いな。折角でかい街に出たから休んだら観光でも、と思ったんだが」
「いいよ。宮殿に行けば少しのんびりできるんだろ?」
「そうだな。この際だからそっちで滞在するか。それに、奴には明日出るとは言ったが三ヶ月も続いてるんだから少しのんびりしても構わんだろ。雨だし休みながら行こうぜ」
それはそれでいいのかなと思うが、まだ疲れは残っているし、エルスの態度に少々カチンときているので有り難く頷いておく。

翌朝、ぐっすりと久々に柔らかいベッドで眠れて彩稀の疲れもだいぶ取れた。まだ完全復活には遠いが熱は下がって動くのに支障はない。
宮殿までの道のりは街を歩くだけで、それだけで丸一日かかると言うのも途方もない広さだが、思えばもっと遠い場所だって彩稀の世界では電車であっと言う間だったから徒歩ならば当然なのだろう。それに街中を歩くだけなので休憩する場所は沢山だし買い物も、ついでに観光もできる。何より旅ではないので普段着でも大丈夫。
「雨だけどな。彩稀、雨避けから外れるなよ」
「うん。しかし傘も魔法だったとは、便利だよなあ」
「ポチを持ってるから傘じゃ不便だろ。それに雨避けは魔導師なら誰でも使える」
ポチは目立つからと宿を出る前に布でくるんで彩稀が抱えている。両手が使えるから傘より魔法の方が便利だが道行く人々を見ると全員が使える訳ではなく、むしろ魔導師と言われる人達の少なさにこっそりと驚いておく。ずっとユーノと一緒だったから魔法が当たり前になっていたが、魔法を使用する人は多くはないのだろう。だいたい彩稀の知る傘と同じ様なものを使っている人が多い。そして、雨は止む様子がなくてこれが続いたんじゃうんざりするよなあとも思う。
「朝なのに人が多いんだな」
「この大きさだからな。晴れていればもっと人が多いし店も外に出て賑やかなんだがな」
「雨じゃねえ」
ゆっくりと歩きながら街並みを眺めてみる。昨日、浴室から見た通りだけど実際に歩くと遠くから見た以上に綺麗だ。もちろん細部に汚れはあるし暗い場所もあるが石と煉瓦で統一された造りは見応えがあって街に生活する人達も中世ファンタジー。何より魔法があってそこら中に淡い照明が浮かんでいて幻想的だ。
草原をひたすら歩くよりも見応えがあって楽しい。
「あの看板が宿、あっちがアイテムで向こうが武器。それぞれ対応したイラストになってるから誰も分かる様になっている。食堂は言うまでもなく、だな」
「ホントだ。いっぱいあるんだな」
「この辺りは宿が多いから旅人も多い。そうなると旅の買い出しも、って訳だ」
「なるほど。これで露天とかあったら買い食いできたのにな」
「雨だから仕方ないが、窓を開けての販売は普通にあるぞ。ほら、あれみたいに」
ユーノに基本的な事を説明してもらいながら一件の店を見れば彩稀の世界でも良く見かけた対面販売と言うのだろうか、店の窓をそのままカウンターにしている所がある。
「旨そうなの売ってる!アレ何?食いたい!」
「そう言うと思った。あれは大きめの街ならどこでも見る食べ歩き用のオヤツみたいなもんだ。行くぞ、ってこら、雨避けから出るな」
「あ、忘れてた。早く!」
遠くから見た感じだとクレープっぽい。見慣れないけど美味しそうな、しかも食べ歩きの言葉にキランと彩稀が輝く。
ずっと食べ続けていていなければいけない彩稀だが目新しいものには素直に惹かれるし朝食も沢山食べたのだが既に小腹は空いている。はじめての町歩きともあってテンションが上がってうきうきと店に行こうとすればユーノに押さえられる。雨が降っているのを忘れていたのだ。それだけ雨避けの魔法が便利だと言う事だが今度はユーノを引っ張って店に行く。
「そう言えばまだだったな。彩稀、手を出してみろ。ポチは俺が持つ」
「?」
店に歩いて行きながら言われた通りにポチをユーノに渡して手を出せば手の平に小銭をのせられた。
「お金・・・そっか、そうだよな、必要だよな」
これもすっかり存在を忘れていた。そもそも買い物がはじめてだ。じっと手の平の上にある小銭を眺めれば銅貨と言うのだろうか。鈍い色に彩稀の知らない絵と文字がある。
「それ二枚で買える。って言うか、俺も忘れてたんだが彩稀の所の通貨は一緒・・・じゃないよな」
「うん、違う。えーっと、コインと紙幣があるよ」
「それは一緒だが文字が違うのであれば当然差はあるか。歩きながら勉強だな。金使えないと困るだろ」
「その前に一文無しだけど」
「何の為に俺がいると思ってんだ。変な遠慮はするなよ。とりあえず買ってこい」
「えーと、ありがと」
こう言う所はユーノが大人だなあと思うしとても気を遣ってくれているのだと思う。有り難く貰った銅貨で初の買い物をして、暖かいクレープの様な焼き菓子を手に入れた。ほかほかして美味しそうで甘そう。どうやら彩稀の知っているクレープとそう変わりはない様で、薄い生地に果物を甘く煮詰めたものとクリームが挟んである。美味い。
「折角だからユーノも一口食ってみるか?」
「俺は甘いものはあまり好きじゃないんだ。まあ、出来たては美味そうだと思うが」
「じゃあ一口くらい良いじゃん。はい」
折角なのでユーノにもお裾分けだ。クレープを持ったまま差し出せば少し嫌そうな顔をしながらも食べてくれる。が、嫌そうな顔のままでちょっと笑える。
そんな感じでのんびりと楽しみながら街を歩き続けた。エルスが急ぐと言っていたけどユーノに急ぐ気持はない様で、あちこちの店をのぞいて興味があれば買ってみたり、食堂にも多めに入ってあまり疲れる事なく進むことができた。

道中で新たに得た知識としては、やはり通貨の事だろうか。この世界の通貨はコインと紙幣。これは一緒だ。けれど中身が違う。小銭に分類される銅貨と銀貨、少し大きい額になる金貨。普段使うのはコインだけとの事だ。価値としては銅貨一枚が彩稀の知る百円で十枚で銀貨一枚になる。と言う事は銀貨一枚で千円くらい。金貨は金貨十枚だから一万円。分かり易い。が、それだと結構な量を持ち運ばないと買い物をするには大変そうだ。
「その為に紙幣がある。決まった額は紙幣が発行される。毎日の買い出しだったり商談だったりの場合は紙幣が多いな。これは後で銀行に行って換金する」
なるほど、紙幣と言っても意味合いからすると小切手だ。彩稀の勉強の為にいろいろと買ってくれて、荷物は全てシラに放り込む。便利だ。
「ああ、それはシラに入らないからバッグも買わないとな」
「え?」
と思ったらシラに入らない物があるみたいだ。今まで全部放り込んでいたのにポチみたいな物なのだろうか。
買ったのはアイテム屋で買ったお守りみたいな小さな袋が数個。どれも身を守ったり身体能力をわずかに向上させたりする事ができる優れものとの事で金貨で支払っていた高そうなものだ。
まあ個数はあってもお守りみたいな物だからポケットでも構わないと思うけど。
「一定以上の魔力を持ったものと生き物はシラには入らねえんだ。登録した武器だけは入るけどな。だから小さめのバッグも必要って訳だ」
「へえ。そんな事になってるんだ。でもユーノはバッグ持ってないよな」
「俺のシラは特別製。それと、一応あるぞ、ほれ」
見せてくれたバッグらしき物はポケットから出した小さな紋章の入っている布袋で、それはバッグじゃないだろうと思うのだがユーノなら不思議と納得できる。
「でもさ、いろいろ買ってくれたけど良いのか?俺、本当に一文無しだし、これからもずっとユーノに頼りっきりだと思うけど」
荷物がないから実感がないもののいろいろ買って金額もそれなりに支払ったのだ。いくらユーノが良いと言っても気になる。だからと言って彩稀に金を稼げと言われても今のところは無理な話だから困ってしまうのだが。
「だから気にすんなって言ってんだろ。そもそもの原因は俺だし、これでも稼いでるんだぜ。別に彩稀の一人や十人養ってもビクともしねえんだよ。だから、絶対に遠慮すんじゃねえぞ」
「・・・うん。ありがと」
「そうそう、素直に礼だけ言っててくれ。いや、そっちは遠慮してもよいぞ」
「何だよそれ」
使うだけ使って礼はなしで良いのか。吹き出せば軽く頭を撫でられた。こんな風に頼りがいがあって気にさせてくれないからユーノと一緒にいるのが彩稀にとってストレスにならない。この旅に至る全てがユーノに原因があると言っても感謝は別。今の彩稀じゃ何も返せないけど、いずれはと思う。
「そろそろ夕飯だな。宮殿に入るのは明日で良いだろ」
「えー。良いのかそれで」
「今からじゃ夜中だ。別に一日くらい遅れても何ともなりはしねえよ」
「そりゃそうだけどさあ」
あちこちで買い物をしていたらすっかり遅い時間になって、街は既に夜の色だ。雨は止むことなく降り続いて多少疲れてもきた。休めるのは有り難いけど、この調子でのんびりと宮殿に向かったら確実にエルスに睨まれそうである。
「この辺りは大通りだからどこにでも宿がある。そうだな、今日はあそこにしてみるか」
「・・・なんか、高そうな宿なんだけど」
「良く分かったな。って言ってもあれも魔導師用の宿だ。そもそも専用の施設が高いのは当然だ。行くぞ」
見上げる宿は昨日の宿と比べて外観でも高級そうだ。白い石造りの重厚なのに細かい細工を彫ってある建物で、見上げる高さだ。
「宿の看板の他に建物に細工があるだろう。あれが魔導師用の目印になってんだ。入るにもそれなりの魔力が必要になる」
「はあ・・・なんつーか、ひょっとしてかなりの専用施設?」
「ま、そうとも言うな」
もしかしなくとも魔導師でもそれなりに強い人じゃないと入れない宿なのか。確かにユーノは強いけど、彩稀はどうなんだろうと思えばあっさりと入り口を通過できてロビーに入る。中は外観よりも質素な感じだがどうも妙な空気だ。首を傾げればユーノが感心した風に彩稀を見る。
「ある程度、いや、はっきり言えば上級になる魔導師にしか分かんねえ結界があるんだが、やっぱり分かるみたいだな」
「そう言われてもさ、なんか変だってのは分かるんだけど」
「それだけで十分だ。ポチをどうにかしたら覚えてみるか?文字からだが」
「そっちが先なんだもんなあ」
魔法は使ってみたいと思うが敷居が高すぎる。彩稀にはこの世界の文字は絵にしか見えないのが辛い。反対にユーノから見た日本語は記号にしか見えないとの事で差が大きい。ロビーを眺めつつポチを抱きかかえて受付を済ませているユーノを待っていたら程なくして戻ってきた。
そのまま部屋に向かうがここも例のエレベーターで、着いたのは最上階。昨日の宿と違う所はロビーにも、この階にも人の気配が少ないと言う事だろうか。
「そもそも上級魔導師が少ない上に宿に泊まるなんてそうそういないからな。この宿は飯を運んでくれるからゆっくりできるぞ。それに、面倒な奴も自動で出入り禁止だ」
「だからこの宿にしたのか?」
「いや、ただの顔なじみだ」
「・・・あ、っそ」
偉い人らしいけど身分も高いかもしれない。しかしユーノの言葉からするとエルスの魔力はそうでもないと言う事だろうか。
部屋に入ればまた広くて夜になった街並みが大きな窓から綺麗に見える。あちこちに魔法の灯りが浮かんでいてとても幻想的だ。雨はそのままだが。部屋の中にも魔法の灯りが浮かんでいて丁度良い明るさだ。
早速布で包んでいたポチを出して椅子に座らせて頭を撫でる。何となく閉じこめておいた気持がしていたのでほっとする。そんな彩稀にユーノが笑いながら食事をメニューに直接注文する。
「飯が来るのは少し時間がかかる。先に風呂だな。彩稀、先に入ってこい。俺はちょっと連絡がある」
「連絡?」
「ああ、そう言えばまだ見せてなかったな。シラでの会話だ。見てみるか?」
「見る!」
そう言えば最初の説明を聞いたっきりでシラが携帯電話と同じ機能を持っている事を忘れていた。ソファに座ったユーノが隣をぽんぽんと叩くからうきうきと座って見学だ。
「そう言えば彩稀のシラはジランが仮登録していたと言っていたな。見せてみろ。ああ、そのままで良いぞ」
大きな手に右手を取られてじっと見られる。
見ただけで分かるのだろうかと思えば小さな声で呪文を呟いたから魔法で見るのだろう。
「本当に仮登録だけだな。あー、どうするか。彩稀、お前の身分が教会の客人になっていて所属も教会になってる。これは変えた方が良いな」
「そうなのか?・・・あ、御子の話か」
「ああ。あれさえなきゃこのままで十分なんだがな。とりあえずは、俺の身内として登録し直す。それで良いか?」
「うん、良いよ」
手を軽く握られたまま、先程とは違う呪文を唱えて彩稀のシラがほわりと光った。これが登録なのだろうか。
特に変わったところもなくて何がどう変わったのか不思議だ。終わった様で手を離すからひらひらと振ってみても彩稀には何が変わったのか分からない。
「一緒に俺の魔力を登録しておいた。これで離れても会話と手紙のやり取りができるぞ。まあ使用する以前に文字と魔法を覚えないとだけどな。それと、俺のシラにも念のため彩稀の魔力を映しておいた」
「会話と手紙って言ってたよな。・・・ん?手紙?」
「言葉のままだ。そうだな、例えば」
ユーノがテーブルの上にあったナプキンを一枚取る。それを半分に切って、また半分に、四分の一の小さな、彩稀の手の平サイズにしてから折りたたむ。
「遅れるサイズはこれくらい。文字は魔力で添付するから当然受け取る奴も魔力があるのが前提で、添付する魔力の大きさによって機密文書にもなる優れモノだ。ま、大きさがこれだがな。で、これをシラに放り投げて相手を指定すれば届く。彩稀、シラを見てみろ」
「お!光ってる!」
「手紙が来たって印だ。取り出すのは荷物と一緒な」
荷物と手紙が一緒なのか。言われたとおり手を振って手紙を出せばユーノのシラに放り込んだナプキンが彩稀のシラから出てきた!
「すご・・・本当に手紙がそのまま来るんだ」
「便利ではあるがこれも上級魔導師以上しか使えないしただの手紙を送るんだったら普通に送った方が楽だし量も遅れるから滅多に使う事はないけどな」
「ふうん。って事はシラって上級魔導師以上じゃないと使えないのか」
うすうす気づいていた事ではあるのだ。シラ自体がかなりの貴重品ではないかと。
なぜならばこの街に入ってからシラらしき指輪をしている人を見ていないのだ。シラを着けている人を見たのはたった二人。ユーノとジランだけ。
「・・・気づくとは思っていたけどさらっと言われるとな。ああそうだよ。シラそのものが上級魔導師以上の魔力保持者じゃないと填める事すらできねえから、自然と身分がそれ以上だって事になる。彩稀が混乱すると思って説明しなかっただけだぞ」
「そうだなあ。俺、魔力って言われてもまだ良く分からんないし。で、上級魔導師って事はいろいろいるって事になるのか?」
だいぶこの世界にも慣れてきた彩稀だ。全てを知りたいとは思わないものの、自分が関連する事は覚えたい。ユーノをじっと見れば肩を竦められた。
「とりあえずは連絡だけさせてくれ。んで、飯食いながらお勉強だ」
「そうだ、シラで会話するんだよな。見たい!」
「はいはい。じゃあ茶を入れてからだ。俺だって小腹が減るんだぞ」
「そう言えばまだ何もしてなかったや。悪いんだけど俺、冷たい飲み物が良いな。買いに行けばあるのか?」
「いや、もともと部屋にあるだろ。これくらいの宿だったらある程度は揃ってるはずだ」
ユーノが指で示した所にまあるい、不思議な物体が浮いている・・・?
「何あれ」
「魔力で水と氷を良い具合に固めた冷やす玉。中から飲み物が取り出せるぞ」
色は水色でなるほど近づけば冷たい空気が出ている。夏場によさそうだ。が、ここに夏があるのだろうか。
まあとりあえずは冷たい飲み物だ。この世界の飲み物は種類が多くて炭酸っぽいものからフルーツジュースまで割と不便なくより取り見取り。そのまま手を突っ込んで取るらしく、街に入ってから飲んで気に入った甘酸っぱい炭酸の飲み物を取り出した。
ユーノは自分で珈琲を作ってソファに戻る。それぞれ飲み物で喉を潤して、ユーノが彩稀の知らない動きで右手を動かして呪文を唱え。
「我、汝に請う。ゼイロス、いるか?」
これがシラでの会話なのか。思ったより簡単だなあと思っていればシラに埋め込まれた石が淡く光って、何もない空間に人が出た!
ふわんと、部屋の中を切り取ったみたいな映像、とでも言うのか。でも立体的で本当に人がいる様に見える。
長い、ジランが着ていた衣装に似ているけど、もっとこう、豪華と言うか華美と言うか、全体的に赤くて綺麗な衣装の青年だ。
体格は彩稀より少し小さくて細さは同じくらい。腰に細くて綺麗な剣を下げている。柔らかい表情は整っていて綺麗の一言。長い茶色の髪と緑色の瞳がユーノを見てぱちりと瞬きすると嬉しそうに微笑む。
「いるぞ。久しぶりだなユーノ。何だ?」
「何だじゃない。エルスを出しただろうが。何でエルスなんだよ、もっとマシなのがいるだろうが」
「いやだってユーノって聞いた途端にダッシュしちゃったんだぜ。んで、お隣がエルスの言ってた人か」
「ちっ、もう着いたのか。ああ、そうだよ。彩稀、これはゼイロス。今向かってる宮殿の王子で一応殿下だが適当で良いぞ。ゼイロス、説明は受けているだろうが名前以外は忘れろ。彩稀だ」
随分大ざっぱな説明の間にとんでもない事が多数紛れていた気がするのだが気のせいではないだろう。
ぺこりとゼイロスに礼をすれば爽やかな笑みを浮かべて綺麗な礼をされた。
「えーと、彩稀、です。ユーノ、シラって会話だけじゃないのかよ」
「ん?そうか、言ってなかったな。距離と魔力の関係でこうなるんだ」
「最初に言っておいてくれよ。びっくりするじゃんか」
ゼイロスがじっと彩稀を見ているのが何とも気まずいがこうなるのであれば最初に説明しておいてほしかった。まさか映像が来るなんて思ってもみないじゃないか!
「はは、知らないんだったらビックリだよな。ユーノは大ざっぱな説明しかできないからしょうがない。ま、エルスには後で説教しとくからいろいろと悪いな。別に急いで来なくても良いんだぞ、どうせ長引いてるんだし」
「エルスにちゃんと伝えてたのか?あいつは大至急って言い張ってたぞ」
「ちゃんと伝えたって。書面も持たせたんだけど、その様子じゃ」
「知らん」
「あー・・・ごめん。説教にプラスして俺から締めておくわ」
「そうしてくれ。明日の昼過ぎには到着する。正面からじゃなく裏口から入る」
「分かった。彩稀、明日、実際に会えるのを楽しみにしてるな」
ばいばい、とゼイロスが手を振って映像が消えた。何だろう、エルスと比べてはいけないのかもしれないけど随分と良さそうな人に見えてしまう。
「エルスと比べんな。元々ゼイロスが俺の友人だ。ま、悪友の部類だがな」
「分かる気がする」
映像でも雰囲気は伝わっていたから納得できる。少しだけ、向かう宮殿の人達がみんなエルスみたいだったら・・・なんて思っていた彩稀だから安心もした。
「よし、飯も来たみたいだし引き続き彩稀はお勉強会だな」
「もう来たのか。よろしくお願いします、ユーノ先生」
シラでも会話も終わったので夕食と一緒に魔導師の勉強会だ。教わるのだから冗談めかしてユーノを先生と呼んだらものすごく嫌そうな顔をされて額を小突かれた。痛い。




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