そうして世界はつながって、の冒頭部分です。



空気に湿気が増えてきた。季節は梅雨になって、何となくむわっと暑くなってくる頃だ。
朝から降り続いた雨は夕方になって強くなって、まるで台風みたいだ。風も強くなって、コンビニエンスストアの前で肩を落とした裕真には辛い天気だ。ビニール傘が壊れそうな雨風に、いっそずぶ濡れのまま帰った方がいいのかもしれないと思う。そんな気持ちだし。
「・・・五回目、かあ」
しょんぼりと肩を落として、ごうごうと吹き荒れる風と雨をぼんやりと眺めて歩き出す。制服だけど、明日は休みだし、ずぶ濡れな気持ちだからいいのだ。
だって、また、面接で落ちてしまったのだから。

この春から高校生になって、帰宅部だからアルバイトでも。なんて軽く考えたのに、もう五回も面接で断られてしまっている。
理由は全て同じ。男子高校生に見えない、だ。
確かに同級生より身長はないし細いけど、面接をしてくれた全員が男子高校生、を強調しなくてもいいと思うのだ・・・ハッキリ、男に見えないって言ってくれていいと思うのだ。
きっと気を遣ってくれているんだろうとは思う。全員が申し訳なさそうに断ってくれるけど、お願いだから制服姿を見て驚いて、履歴書の名前と性別を見て二度驚くのは止めて欲しいと思う。
どうせ女顔ですよ。細くて小さくて白くてぴちぴちですよ、ふん。

あっと言う間に雨風でびしょびしょになりながら心の中で盛大に愚痴を呟いて、溜息が零れ落ちる。
本当はアルバイトをしなくてもお小遣いは普通に貰えているから働かなくてもいいけど、意地なのだ。断られる理由が理由だけに大人しく諦めたらあんまりにも切ないじゃないかと思う。最も表立って文句を言えるほどの強さもないけど。
「うう、やっぱりびしょびしょ。でも、もう歩いちゃったしなあ」
雨風は酷くなるばかりで、びしょ濡れの裕真をこれでもかと虐める。別に天気だから裕真を狙って虐めている訳でないのは分かっているけど、そんな気持ちなのだからしょうがない。
トボトボと歩いて家を目指して、思っていたより落ち込んでいたのかもしれない。小さな交差点を渡る前に信号を確認しなかったなんて。
雨風の所為じゃなくて、裕真がトボトボと歩き続けて、赤信号なのに確認しないで横断歩道を渡ってしまって。
「・・・え?」
気づいた時には全てが遅かった。
歩道が赤信号だったら車は止まらない。天気の良い日だったら気づいてくれたかも知れないけど、歩いていても視界の悪い大雨なのだ。急ブレーキの音が聞こえて、何でだろうと思った時にはもう裕真の身体は少しだけ浮いて、思い切りアスファルトに叩きつけられていた。
その僅かな、一秒にも満たない時間に裕真は不思議な感覚になる。

『・・・し・・・ますっ、どうか・・・っ』

誰かに呼ばれている。大勢の人に。
急ブレーキの音と同時に、裕真を呼ぶ声が聞こえた。

誰も歩いていなかったのに、誰だろう。あれ、普通はこう言う時って走馬燈の方じゃないのかな。
それとも、裕真の走馬燈はこの沢山の声なのだろうか。変だなあと思った瞬間、裕真の意識は真っ黒になって、ぷつりと切れた。





『そうして世界はつながって(サンプル)』





どれくらい経っただろう。ふと、とても寒くて目が覚めた。大雨だったから身体が冷えたのだろうか。
うう、と唸りながら目覚めた裕真が最初に見たものは、石の天井だった。え?
「な、なんで・・・?」
驚いて身体を起こして、驚いた。天井が石なら周りも石で、訳が分からない。
ここはどこ。そう思うより前に自分の身体を見てまた驚く。服が違うのだ。制服だったのに、今来ているものはぺらぺらで白くて、ネグリジェみたいな変な服。しかもあちこちに赤い汚れがあって、それは石だけの部屋に、ぞっとするくらいにあって。
「・・・も、模様・・・?」
よく見てみれば赤い汚れは模様だった。裕真の身体ごと部屋全部に描かれているみたいだ。汚れではなかったけど、余計に混乱する。
そもそも石の部屋って。このネグリジェもどきって。
呆然と部屋と自分を見て、やっと気づく。部屋はあまり広くなくて、窓はないけど扉がある。その向こうから人の声が沢山していて、揉めているみたいだ。大人の声で、聞き覚えがある。雨の中をしょんぼり歩いて、車に跳ねられた時に聞こえた声。
「僕、車に跳ねられたのに・・・病院じゃ、ないし・・・ど、どうして」
そう。裕真は確かに車に跳ねられた。そこまでは覚えてる。なのに、目が覚めたら石の部屋だなんて。
せめて布くらい敷いていて欲しい。身体が冷たい、ではなくて。

呆然としたまま立ち上がって、改めて部屋と自分を見てみる。部屋は見直してみても石って感じの冷たい部屋だ。
狭くはないけど広くもなくて、窓はない。扉は一つだけで、向こう側が揉めている。家具も何もなくて、四角い空間にあるのは赤い模様だけ。模様は複雑で、みっしり部屋中にある。裕真のネグリジェもどきも巻き込んでいるから、寝ていた裕真ごと模様を描いた、のだろうか。
「この服、なんだろ・・・裸足・・・なんで」
次に自分の身体を見てみる。違和感はないものの、着ている服がおかしい。薄くて、足首まであるネグリジェと言うかワンピースと言うか。ただ、露出はなくて上も手首までちゃんと布がある。ひらひらしてるけど。
どうしよう、あの扉を開けたほうがいいのだろうか。怖いから近づきたくもないけど。あんなに大勢の声が揉めている所になんて行きたくない。
「そもそも、ここ、どこなんだろ・・・」
全く分からない。石と模様と扉だけ。裕真が向かうのはきっと扉なのだろうけど、行きたくない。逃げたいけど、窓がない。
どうしよう。扉にも近づけず、窓がないから外も見られなくてうろうろしていたら唐突に騒ぐ声が消えた。
な、何だろう。びくびくしながら扉を見ていたら、また声がする。
「成功しようが失敗しようがお前らの罪は変わんねーよ、全員連れてけ」
「しかしハノス様っ、我々は」
「うるせー、黙ってろ」
今度は会話が聞こえるけど・・・意味が分からない。裕真の知っている単語が出てこない。分かるのは、誰かが誰かを責めている、のだろうか。それすら曖昧だ。
もっと会話を聞いた方がいいんだろうかと思ったら、扉の外から、ぎぎ、と重たそうな音が聞こえる。
外側から開かれてしまう。でも、裕真には止められない。誰が入ってくるのか、扉から一番遠い壁に背中をつけて怯えていたら、重たそうな音を立てながら開いてしまって、外の光が入ってくる。部屋の中より眩しくて、目を細めれば光の中心に誰かが立っていた。
「おーおー、成功してんじゃねーかどうすんだこれ・・・・ん?」
その人は、裕真の知らない人だった。いや、人なのだろうか。明らかに、全てがおかしい。
長い黒髪に黒の瞳は裕真と同じ色だけど、違う。だって、衣装が、変。上から下まで映画でしか見たことのない、ファンタジーだと思う真っ黒な衣装で、びっくりするくらい綺麗な男の人が裕真を見て驚いている。背も高くて、外国の俳優さんより綺麗で、怖い。
「おい、ユマ、なんてそんな端っこに突っ立ってんだよ。成功したんならしょうがねぇ、これから・・・んん?」
知らないのに、全部おかしいのに、怖い人は裕真を見て当たり前みたいに声をかけてくる。怖くて震える裕真に首を傾げて。
「うっわ、どーすんだこれ!っと、お前らちょっと待ってろ。ユマと話してからそっち行く。俺が開けるまで待ってろよ」
怖い人だけが部屋に入って、扉が閉められてしまった。逃げ場がない。なのに怖い人は真っ直ぐ裕真の所に歩いてきて、逃げる前に手を捕まれてしまった。
「・・・っ」
「いや何もしねーし。つーかお前、ユマ、じゃないよな」
・・・ユマ?裕真を知らないのに名前を呼ばれてると思ったけど、ちょっと違う。やっと気づいて首を横に振れば怖い人がだから何もしねーって、と呟きながらじっと裕真を見下ろしてくる。近くで見ればますます綺麗で、綺麗すぎて怖い。
「そんな怯えんなって。ユマの見かけで震えられるとびっくりするわ。んで、誰だ?」
ユマの見かけ?何を言っているんだろうこの人は。裕真なのに・・・え、まさか。
「あ、あの・・・僕は裕真です。ユマじゃないです・・・ないはずですけど、僕は、僕じゃないんですか?」
鏡がないから分からないけど、身体に違和感はなくて、裕真だと思ったのに違うのだろうか。怖いけど、もし違うのであれば・・・嫌な予感しかしないけど、聞かずにはいられない。どきどきしながら怖い人をそろりと見上げて、恐る恐る聞いてみればまた驚かれた。
「お前・・・可愛いな」
「え?」
なのに怖い人は裕真をじっと見つめて、とんでもないことを言ってくれた。可愛いって、言われたことは多々あるけど、今は違うと思う。
怖さも忘れて裕真も見つめ返せば、ふわりと微笑まれる。うわ、この人、普通にしてても綺麗なのに笑うともっと、きれいだ。
「ふうん、ユマじゃねーのは確かだな。あーっと、裕真?」
「う、うん」
「響きが似てんのか。へえ。そんじゃあ裕真、悪りぃけど話は後だ。ちっと待ってろ」
え。裕真に対する質問とか、ユマの見かけとか、その辺りの答えはないのか。怖くて綺麗な人は裕真に対して可愛い、しか言わないでまた扉に向かってしまう。せめて名前くらい教えてくれれば、と思うけど、聞けない。
だって、どう見ても日本人じゃない。それに、裕真だって見かけが変わっている、んだろうと思う。それも、怖い。
黙って扉に向かう怖くて綺麗な人の背中を眺めて、また震える。
今度は自分の考えが怖くて震えてる。どう見ても日本人じゃない怖くて綺麗な人と、見かけが違うかもしれない裕真と、この異常な部屋と。
扉を開いた怖くて綺麗な人が向こうの人達と何か話してる。声がやたら遠く感じてよく聞こえない。ただ、じっと背中を見ていたら直ぐに話が終わったらしくて、また裕真の方に来る。
「まーた震えて・・・寒いのか?」
寒い?震えているから寒いと思われたのだろうか。言われてはじめて気温を思い出すけど、寒くはない。
小さく首を横に振っても怖くて綺麗な人は信じてくれなくて、羽織っていたマントを外して裕真をくるんでくれた。薄くてふわりとしたマントは漆黒で、もうこのマントだけで裕真の考えが最悪の方に進んでいく。
ここは、日本じゃない。でも、外国でもない。じゃあ、ここは、どこ?
「帰って洗ってから話すぞ。我が名********、扉よ開け」
考えるのが怖い。でも、止められない。
震えながらじっと固まっている裕真に怖くて綺麗な人が何かを呟いた。聞き取れる言葉と、聞き取れない言葉が混じっている。発音が違うみたいだ。
そう、思った瞬間、怖くて綺麗な人を中心にぶわりと、淡い光が舞う。部屋にある模様と同じ様な、淡い光がぐにゃりと形になって、瞬きをしていないのに、部屋が、変わった!
「転送魔法も知らねーのか?目、開きすぎて落ちるぞ」
「て、てんそう・・・ま、魔法?」
「ん?そんなに驚くことか?ほら、行くぞ」
石の部屋じゃない、白くて、やたら豪華な部屋になったのに怖くて綺麗な人は当たり前みたいに先に進もうとしてる。慌てて先に行こうとしてる怖くて綺麗な人の服を掴んで止める。今、何て言った?
「ま、待って・・・魔法って、ここって・・・」
「魔法って、魔法は魔法だろ。転送魔法はまあ珍しいかもだけど、って、裕真?」
有り得ない。魔法なんてない。
なのに怖くて綺麗な人はちらりと振り返ると裕真を見下ろして当たり前みたいに告げる。
お伽噺でもなくて、映画でもなくて、魔法が当たり前にあるのが、現実なのか?

だったら、ここは。

「うそ・・・じゃあ、僕は」
「おい、裕真?真っ青だぞ。まあ細かい話は、の前に風呂入ってその赤いの洗わないとな・・・裕真?」
分かってた。何となくだけど、違うんだろうなって。そもそも見た目が違うのなら、身体が裕真じゃないのなら、そこからもう、違うんだって。まだ信じたくはないけど、覚悟しないと倒れそうで。
がたがたと震える裕真に怖くて綺麗な人が心配そうな表情になる。
「おい、どうした?」
「い、いえ・・・あの、お風呂って」
「その塗料洗いたいだろ・・・それと、鏡もあるしな」
「あ・・・」
裕真の服には赤い、塗料だったのか、があちこちについていて確かに洗いたいし、着替えたいとも思うけど。
・・・鏡。そうか、今の裕真は違う人だから、確認しないといけないのか。
「まあ何だ、ユマは見かけだけはいいし、ラッキーって、は、思えねーよなあ。悪りぃ。でも直ぐに分かることだし、最初に見ておいた方がショック少ねーとは思うんだよな」
「は、はい」
聞けなかった。ここは、どこですか?
怖くて、聞けなかった。
歩き出した怖くて綺麗な人の後をついていきながら、もう一つ、聞くべきことを思い出した。さっきは怖かったけど、今はもっと怖いから、聞ける。
「あ、あの、名前、教えてもらっても、いいですか?」
「は?・・・まさか、俺を知らないのか?」
「・・・え?」
とても驚かれた。歩いていたのにぴたりと足を止めて、裕真を見る。思いがけず真剣で、怖い表情だ。名前を聞いただけなのに、何か駄目だったのだろうか。
「いや、そうか。思ったより不味いなこれは。あー、俺はハノスだ。そのまま呼んでくれていいぞ」
「ハノス?」
「おう。ま、詳しい説明は後だ。まずは風呂。着替えも用意しないとだな。行くぞ」
驚いていたけど、直ぐに表情も柔らかくなって名前も教えてもらえた。
この何もかもわからない中でハノスだけが頼りだ。
素直にハノスの後を追いながら、ここはどこなんだろうと周りもみる。長い黒髪が揺れる綺麗な背中を中心に、とても広くて豪華な部屋に来たみたいだ。足には真っ赤な絨毯が真っ直ぐ敷かれていて、あちこちにキラキラしている飾りもある。さっきの石の部屋とはだいぶ違うけど、ここにも家具らしきものが一切ない。例えるなら豪華な通路、だろうか。真っ直ぐに結構な距離を歩いて、やと出口らしき扉が見えてくる。
「あーっと、一応説明しとくか。この部屋は転送魔法で出る用の部屋だ。巻き込み防止で人はいねぇ。だから俺らだけなんだけど、風呂入るにゃちょっと歩いて移動しないとだから、悪りぃけど着くまで」
そのまま出口に向かうかと思ったらハノスが立ち止まって、いきなり、裕真を抱き上げた!驚いて動けずにいればハノスはまた歩き出す。
「あ、あの・・・っ」
「大人しく運ばれとけ。ついでに俺にもたれ掛かってぐったりしてるとイイ感じだぜ」
ええ、そんな。まるで子供みたいに片腕で抱えられているのにもたれ掛かるなんて。
緊張と恐怖でガチガチになる裕真にハノスが安心させる様に微笑むけど、迫力があって余計に怖い。そんな裕真にハノスが軽く笑うと、そのままでいい、と早足で歩いて、部屋から出た。
「ハノス様お帰りなさいませ。報告は既に受けております」
「おう。そっちは任せる。俺は風呂入って飯にでもするわ。後、俺の部屋に集まっとけ」
部屋の外には大勢の人が待ち構えていて、全員が膝を床についていた。
沢山の、映画みたいな衣装の・・・人、じゃない人も混じってる!背中に羽根があったり、犬みたいな耳とか尻尾の人がいる!
ど、どう言うことなんだろう。驚き過ぎて裕真がおかしくなってしまったのだろうか。ハノスは人に見えたけど、ひょっとして、ここは人じゃない人もいるんだ、ろうなあ。魔法もあるみたいだし。
そろそろ感覚が麻痺してるみたいだ。怖くて震えていたけど、いろんな気持ちが溢れて受け止めきれなくて、ハノスが望む通りにぐったりと持たれかかった。もう力も入らない。
ハノスが歩く度に周りの人が立ち上がって何か話してるけど、また声が遠くなる。疲れた。このまま気を失って、目覚めたら夢だったらいいのに。
ゆらゆら揺れながら麻痺した心が疲れを訴えて、ぼんやりと周りの人と話すハノスと、歩いている場所を見る。
部屋から出たから廊下、なのだろうか。ここも豪華で広い。お城、宮殿って言えばいいんだろうか。そんな感じの建物だ。ハノスを中心に沢山の人が移動してるからあまりよく見えないけど、全員が映画みたいなファンタジーの衣装で、見た目もそう。やっぱり、ここは。

『・・・ごめんね。ここは、君の世界じゃないよ』

疲れて麻痺した心でもういいかな、と怖くて考えなかった結論を思い浮かべようとしたら、声がした。裕真の内から、裕真じゃない声が。悲しくて、泣いている様な声が。だ、だれ?

『また後で、ね』

外からじゃない。どうしてだか裕真の内側だと分かった声はとても小さく聞こえて、直ぐに消えてしまった。問いかけても返事はない。どう言うことなんだろう。全てが分からないのに、裕真の内側でさえ分からない。
もうそろそろ混乱と恐怖で気絶してもいいと思うし、開き直って逆ギレしてもいいと思う。
外側も内側も裕真にはさっぱり分からなくて、疲れ過ぎて麻痺した心がふと軽くなった。うん、もういいじゃない、夢だろうが現実だろうが。あんまりにも訳が分からなすぎて少しくらいオカシクなっても、いいじゃない。
「・・・ま、裕真、おい、大丈夫か?」
内側の声と混乱でぼうっとしていたみたいだ。いつの間にかハノスに抱えられたまま、また違う部屋に入っていた。呼びかけても返事をしない裕真をハノスが心配そうに見ている。まだ慣れないけど、近くてみても、もう怖くない。
「だ、大丈夫、です」
「ぼけっとしてるから抜け殻になったと思って焦ったぜ。ほれ、到着だ。風呂はあっち。一人でいけるか?誰かつけるか?」
返事をすればほっとしたハノスが降ろしてくれた。
ここも広い部屋だけど、今までの部屋と違って何だろう、豪華さが上になってるのに誰かが住んでいる感じがする。ふかふかの絨毯に降ろされて、お風呂の場所を指差してくれるハノスを見上げる。ひょっとして、ハノスの部屋なのだろうか。
「一人で、行けます。あの、ここは?」
「俺の部屋。ちっといろいろ例外でな。まずは風呂入って暖まってこい。それからだ」
「はい」
やっぱりそうか。上から下まで漆黒のハノスと、黒の家具が多いこの部屋が似ているのだ。軽く背中を押されて、お風呂まで案内される。
「好きに使え。何かあったら直ぐ呼ぶこと。あんまり浸かってたら覗くからな」
「大丈夫です。ありがとうございます」
まだ何も分からないけど、この人、怖くて綺麗なのに親切だ。背の小さい裕真にちゃんと目線を合わせてかがんでくれる・・・・ん?
そう言えば裕真は裕真の見かけじゃなくなったはずだけど、やっぱり身体に違和感はない。お風呂なら鏡もあるだろうし、ご対面、しなくてはいけないのだろうか。
怖いけど、そのうち見ることになるだろうし、妙にふっきれた今なら受け入れられる気がする。
「あー・・・鏡、嫌なら今のうちに布でもかけるけど、ユマは見かけだけはいいから、まあ、何だ、駄目だったら叫べ」
ハノスも気づいたみたいだ。綺麗な顔を微妙な感じにして気を遣ってくれる。その表情が面白くて思わず笑ってしまった。声は出ないけど、随分長い間、笑っていなかった気がする。
「お前、やっぱり可愛いな・・・ゆっくり暖まってこい」
そうしたらハノスが微笑んで頭を撫でられた。

ユマ、と言う人の見かけはそんなに可愛いのだろうか。洗面所らしい、これまた広い部屋に入って、一人になって、鏡を見つけた。鏡まで大きくて、裕真の全身を余裕で映せそうだ。
どんな見かけになっているのだろう。裕真じゃないのは確かなはずでも、『可愛いらしい、見かけだけは』なんて強調して言うくらいだからひょっとしたら裕真より、なんて思いながら恐る恐る鏡に近づく。いきなり全身を見るのは怖いから、まずは指先だけを鏡に映して。
「指は、分からないや・・・手も、わかんない・・・」
身体の部分だけじゃ違うと言い切れなかった。仕方が無い。思い切って、一歩進んで鏡の前に立つ。目を閉じたまま鏡の前に立って、息を吸って、吐いて。
「・・・・え?」
どんな見かけでも叫ばない様に。受け止められないかもしれないけど、まずはちゃんと確認しないと。勇気を出して目を開いた裕真は、驚いた。
鏡には、見慣れない衣装を着た、裕真がいる。
「ぼ、僕・・・だよ、ね・・・」
顔も、髪も、身体も、手足も、全て。裕真だ。
年齢より子供に見られて、男子高生に見えないとアルバイトの面接を断られた、女の子にしか見えない、裕真だ。
鏡を見つめながら少し動いてみても、やっぱり裕真だ。顔を触っても、動いても、裕真だ。服を脱いでも、やっぱり鏡に映るのは。
「僕だ・・・え、ど、どう言うこと?」
だって、見かけが違うって言っていたのに。ユマって人だと、ハノスは確かに言っていたのに。
新たな困惑だけど、鏡を凝視して、やっと裕真と違う所を見つけた。髪が、少しだけ長くなっている。それでも裕真だけど。
「駄目だ、もう分からないよ・・・お風呂、入ろ」
考えても分からない。お風呂から出たら聞いてみるしかないだろう。
裸のままトボトボと浴室らしき扉を開けて、広い浴槽に足を入れる。どの部屋も広かったから浴室も広いんだろうなあとは思ったけど、やっぱりだった。裕真の家より広そうな感じで、白い石に観葉植物らしき木と葉っぱと花に、中央に刳り貫かれた浴槽。映画だ、映画のお風呂だ。
ココまで来ると驚くのも疲れて、力なく浴槽に沈む。
お湯は丁度良い温度でほっとする。
「はあ、気持ちいい・・・お風呂は一緒なんだ・・・」
『ごめんね、巻き込んじゃったと、思うんだ』
ちゃぷんと湯を跳ねさせて、やっと緩んだ心にまた、あの声がした。さっきよりは声が大きくなっているけど、いったい誰なんだろう。心の中で呼びかけても返事はなくて、声は一方的に裕真の内に響く。
『大丈夫、ここは安全だよ』
「・・・ねえ、誰なの?」
呼びかけても返事がなくて、焦れて声に出した。誰もいない浴室に裕真の声が小さく響く。すると。
『私は、ユマ。身体に残った魂の欠片。君は私の魂と間違えられて、呼ばれてしまったんだよ』
返事があった!
内側に響く声なのに、裕真からは外に出さないと駄目なのか。驚いて湯を跳ねさせれば内側の、ユマが小さく笑う。
『詳しい話はハノスに聞くと良いよ。私にも、今の、君が私の身体に引き寄せられた理由が分からないんだ』
「どうして、話ができるの?」
『どうしてだろうね。それも分からないんだ。ただ、私が死んでしまって、慌てた周りが魂の返還をしようとして、その結果が今だと思うの』
「え・・・し、死んじゃった・・・?」
『うん。でもね、その後は分からないことばかりなんだ。私は確かに存在しているけど、今、私の身体は君の魂を受け入れて、君が私になっている・・・ごめんね、私も分からなくて、とても、眠いんだ』
「え?ちょっと待って・・・ゆ、ユマ?」
『もう少し、慣れるまで・・・ハノスに、伝えて。わたし・・・』
「ま、待って・・・っ」
聞きたいことが沢山あるのに。内側からのユマを引き留めるなんてもちろんできなくて、眠たそうな声はすう、と消えてしまった。
ど、どうしよう。重要なことをさらりと、沢山言われた気がする。
まず、この身体はユマだった。そのユマは死んでしまった。なのに裕真が呼び寄せられた。それは。
「僕・・・車に跳ねられて・・・だから、呼ばれて、来ちゃった・・・の?」
裕真も、ユマと一緒、なのだろうか。いや、そうだ。だから呼ばれてほいほいと来てしまって。
「・・・身体、洗わないと。お風呂、いつまでも、入ってたら、覗かれちゃう」
暖かいお湯に浸かっているのに寒い。考えすぎてまとまらなくて、なのに裕真の中にはもう答えがある。
怖くて、怖くて、見知らぬ洗剤で身体と髪を洗って、良い匂いに心は休まらず震えるだけで。
脱衣所に戻って、服らしい布を広げて無意識に身体が動いて、ちゃんと着られて。
「変なの。着方、知らないのに・・・」
ユマが心の中にいるから、だろうか。ファンタジーな衣装は裕真のサイズぴったりで、複雑な刺繍が沢山はいった、淡いクリーム色で女性用か男性用か分からない様なデザインだ。
裸に近い恰好からちゃんとした服になって、一緒に置いてあったサンダルも履く。全体的にふわふわしていて軽装、に見える衣装だ。
不思議な気持ちでハノスが待っているだろう部屋に戻れば扉の向こう側には人が増えていた。ハノスと、他に何人か。広い部屋の中央にあるソファにハノスだけが座っていて、他の人達は立っている。
「おー、暖まった割に顔色悪いな。ユマの見かけがショックだったか?」
ハノスが裕真に気づいて歩いてくると、手を取ってソファに誘導される。心配そうだけど、別に見た目はショックじゃない。だって、裕真だから。
「あの、ユマの見かけ、僕と一緒でした・・・この身体は、ユマって人、なんですか?」
「はあ?あーっと、一緒、なのか?」
「はい。一緒だと、思います。あ、それと、ユマだと思うんですけど、僕の中に、少しだけいるみたいです」
「はあ!?」
ソファに座って、盛大に驚いたハノスと、周りの人達も声を上げて驚いて、全員が裕真を凝視する。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。それは確かなのか?見かけと、ユマがいるってのは」
「少ししか話してないけど、本当、だと思います。今はいないけど、ハノスに、聞いてくれって。僕がここにいるのは、ユマの魂を返還しようとしたからで・・・あと、何て言ったらいいか分からないけど、ユマの身体と僕の身体は、たぶん、一緒なんだと思います」
「・・・そうか。分かった」
誘導されたソファに座ればハノスが正面に座る。椅子は周りにいる人が持って来て・・・持って来た人は、背中に羽根があった。思わずじいっと見てしまえば羽根のある人は裕真から視線をそらした。
誰なんだろう、この人達は。ハノスも気になるけど、この人達も気になる。特に白い羽根のある人と、部屋の端っこに立っているウサギみたいな耳のある人が。
「すげー珍しそうに見てるみてーだけど、裕真ははじめてか?」
「はじめて・・・あ、あの、僕、この世界の人じゃないので、そもそも全部、はじめてです」
「・・・・は?」
また驚いた。裕真も驚いてるけど、ハノスも驚きっぱなしだ。綺麗な顔がぽかんとするのを近くて見て、ハノスには悪いけどちょっと落ち着けた。周りの人達も盛大に驚いているから、裕真だけじゃないと思える。
ただ、お茶を運ぼうとしていた人も驚いて、裕真とハノスの側にある小さなテーブルに思い切りがしゃんと音を立てて違う意味で驚いてしまったけど。
慌てて謝りながら零れたお茶を拭いている人は、犬みたいな尻尾があった。いったいここは、どうなっているんだろう。
「僕の世界に羽根や尻尾のある人はいません。魔法もありません。服も、部屋も、全て違います」
「まじでか・・・そりゃあ、まいったな。思ったより事は重大か。それもユマが言ったのか?」
「はい。違う世界、なんだって・・・」
まだ現実を受け止めるのは怖いけど、今は不思議と落ち着いている。驚いたハノスを見たからだろうか。しっかりと受け答えする裕真にハノスは少し考える仕草をして、だったら、と呟く。
「まずは自己紹介と、ここの説明からだな。もう名乗ってるけど、それだけじゃねーし。お前らもな」
確かに名前は教えてもらったけど、他は何も知らない。後ろにいる人達も知らない。
ハノスに言われて部屋にいた全員が少し後ろに並んだ。あちこちで動いていたから人数は数えてなかったけど、十人もいた。
「改めて自己紹介ってなんか照れるな・・・。裕真、さっきも名乗ったけど、俺はハノスだ。この国のトップで、そうだな、吸血王って言えば分かりやす・・・悪りぃ、知らねーんなら意味ないか」
「・・・・へ?あ、あの、今、なんて」
「アルバリオス国の吸血王、ハノス様です。全ての魔族の頂点に立つお方です」
「・・・・は?」
ハノスの、綺麗な顔がほんわりと赤くなっての自己紹介に聞き慣れないとんでもない単語が混じって、さらに後ろに並んでいる羽根のある人からもっとすごい単語がぽんぽん出てきた。
ぽかんと口を開ける裕真にハノスが顔をほんのりと染めたまま自分で言うの嫌なんだよなーなんて言ってる。
「あ、あの、ハノスは、人じゃなくて、ま。魔族?ま、魔族って・・・吸血王って、王様って?」
驚きがとうとう裕真の許容量を超えた。とっくに越えていたかもしれないけど、今度こそ、間違いなく越えた。
今までの恐怖や緊張が飛んではじけて、ハノスを見つめながら言葉が出てしまった。もう言葉にして外に出さないと裕真がパンクしてしまう。
「言葉のままだぞ。ついでに、ここはアルバリオス首都の宮殿で、俺の部屋、は言ったっけ」
「ま、待って。そんな、当たり前みたいに言われても、分からないよ・・・ハノスは、人じゃないの?後ろの人達も、違うの?ど、どうして、ここは、この世界は・・・」
どうなってるんだ。ファンタジーなのはもう知ってるけど、魔族で王様で、吸血王!?
とんでもない単語をぽんぽん言われても裕真はついていけない。慌てて正面に座るハノスに助けを求めるけど、裕真の焦りと驚きが伝わっていないみたいだ。不思議そうに裕真を見ている。これじゃますます混乱してしまう。
後ろに立っている人達も困惑している様子で、誰も説明してくれない。
ど、どうしよう。これは裕真から説明した方がいいのだろうか・・・と思って気づく。裕真のことを分かりやすく説明するのは難しい。ここがファンタジーな世界なのは知っているけど、でも、裕真の世界にファンタジーはなくて、魔法もなければ人じゃない人も・・・・ど、どうしよう。
じわじわと混乱が裕真とハノスを中心に広まって、部屋中が落ち着かなくなった時、また新たな人の声がした。
「ふむ、全く別の世界からいらっしゃったと言うことなのでしょうかのう。ハノス様、説明が雑過ぎますぞ」
「・・・ジジイ、何時にも増して不貞不貞しいぞ。誰だ呼んだの」
いつの間にいたのだろう、ハノスが睨んだ先に小さなおじいさんが立っていた。裕真より小さなおじいさんで、ヒゲが長くて飾りが沢山ついた杖を持っている。絵本から出て来たみたいだ。
「呼ばれておりません。ユマの緊急事態だと知って勝手に来たのです。さて、これだけの方々が揃っておきながら情けない有様ですな。ユマの内にいる方、まずは貴方のお名前を教えてくれますかな。ああ、私はオーシャスと呼んで下され」
おじいさんは杖をしゃらしゃらしながら裕真とハノスに近づいて来て、勝手に後ろの人を使って椅子を持って来させた上にお茶まで要求してる。
ハノスは睨んでいるけど何も言わず、おじいさん、オーシャスはにこにこしながら裕真を見上げた。
「ゆ、裕真です・・・」
「ほほう、裕真ですな。では説明致しましょう。ハノス様、ちゃんと聞くのですよ」
「うるせーよクソジジイ」
ちょこんと椅子に座ったオーシャスが裕真とハノスを見て、お茶を飲む。一緒に勧められて裕真とハノスもカップを取る。見た目は紅茶みたいな色で、飲んでみたら暖かくて甘いお茶だった。美味しい。

「では、何からお話しましょうか。この世界はとても広くて、様々な人々が住んでおりましてな」

オーシャスの話はとても分かりやすかった。
この世界はやっぱりファンタジーで、魔法の力で人々は暮らしている。この部屋の明かりもお風呂を暖めるのも魔法だ。
そして、人と、人じゃない人達が一緒に住んでいる。
人々は大きく分けて三種類。人間と、ハノスを代表とする魔族と、街の外を闊歩する魔物。

「ハノス様を代表としますが、後ろにいる方々も高位の魔族ですな」
「一応な。丁度種類別にいるから分かりやすいかもな。ああでも、いきなり覚えられる訳ねーから聞くだけ聞いとけ」
話の途中ですがの。とオーシャスが笑いながらハノスの後ろで立っていた全員を紹介してくれた。
全員がハノスの部下で、魔族が半分、人が半分だった。
これから顔を見るだろうから、ゆっくり覚えればいいとハノスが言ってくれて、当然ながら覚えられなかった裕真は有り難く甘えることにした。

「では、この場所をお教えしましょうかの。ここは世界でも有名な国の中枢、アルバリオス国の宮殿ですな」
アルバリオス国を治めるのはハノスで、ハノスは魔族の頂点に立つ吸血鬼。だから吸血王として国よりも有名、みたいだ。宮殿の中も国も人と魔族が交じっているのが特徴の国、とのことだ。

それから、裕真の身体の、ユマの話も少ししてもらった。ユマはアルバリオス国の人じゃなくて、遠く離れた小国の王子だったそうだ。
「ユマは人間ですがの、生まれつきの天才と言うのでしょうかのう。幼い頃から恐ろしく頭が良く、全てを知ってる風でしたのう。もっとも、まだまだ子供でしたがのう」
ユマは裕真と同じ年だった。なのに、世界中に知られる有名な人で、びっくりするくらい頭の良い人だった、とオーシャスは言うけど、ハノスはぼそりと最悪に頭が良いって言うんだ、オマケに魔法まで強いし、と呟いている。

ともかくすごい人らしい。でも、あんまりにもすごくて、周りの大国がユマを欲しがって戦って、大規模な戦争になりそうだったから。

「混乱を治める為に俺の所で保護する予定だったんだよ。なのに、俺が行く直前に死んだって報告が来て、慌てて転送魔法で向かったら、裕真になってたって訳だ」
「そっかあ・・・」
オーシャスの説明でやっと大まかな世界が見えて、ユマのことも分かった。
情報がある程度揃えば不思議と安心するみたいだ。何度かお茶を交換してもらいながら話を聞き終えた裕真はほっと息を吐く。
「その様子ですと、裕真の世界はまるで違う様ですのう。聞いてもよろしいですか?」
「う、うん。でも、僕はユマと違って普通の人だから、あんまり上手くは言えないけど」
「構いませんよ。混乱してらっしゃるでしょうし、話して落ち着ける所もあれば、何でも良いのでお話下され」
「そ、それじゃ・・・僕は、僕の世界は」
何て言ったらいいんだろう。
裕真は、極々普通の高校生で、目立つ所もなくて、毎日学校に行って、偶に遊んで、折を見てアルバイトの面接を受けて落ちて凹んで。それくらいだ。
ただ、ファンタジーの世界じゃないし、人じゃない人もいなければ、魔法もないし魔物もいない。
たどたどしく、オーシャスと会話する形で裕真のことを話して、偶にハノスの質問にも答えていたら随分と長い時間が経った様に思った。大人しい裕真だからこんなに沢山喋ることもなくて、疲れた。
「なる程、お疲れの所ありがとうございました。ハノス様、後は頼みましたよ」
「任せろって、ジジイに言われたかねーよ。裕真、お疲れさん。今日はここまでにして、休もうぜ」
裕真の話も終わって、オーシャスとハノスが立ち上がると部屋の人達も動き出す。裕真はぐったりして立ち上がれないけど、そのままでいいと言われたので有り難くソファに沈んだままだ。
「裕真、重ね重ね悪いけど、部屋は俺の部屋の一部で用意した。暫くはここにいてくれ。ちょっとこっちも混乱しててな」
「部屋の、一部ですか?」
「ああ。あっちの書斎を裕真の部屋にした。もう準備終わってるから見てくれ」
ハノスが指差したのは今いる部屋の左側で、扉の前にウサギの耳の人が立っている場所だった。なる程、部屋の一部だ。
ハノスと一緒に用意された部屋に入れば今までいた部屋と同じくらい広くて、本棚が四隅に設置されている。
そこにベッドとテーブル、椅子を運んだみたいだ。
部屋の一部と言われても扉もあるし、ちゃんと独立した部屋だと思う。もっと狭くてもいいのに。
「狭くて悪いな。足りなさそうなのがあったら遠慮無く言ってくれ。俺の部屋だったら出入り自由だし、どこでも使っていいぞ。後で案内させる」
「僕には広いです・・・本がいっぱい」
「そうか?まあ狭くねーんならいいんだけど。ああ、本も好きに読んでくれていいぞ・・・読めるか?」
四隅に設置されている本棚は裕真が縦に三人くらい重なってもまだ高くて、本がぎっしりだ。しかも全部分厚くて古めかしくて、背表紙にも難しい言葉がいっぱい並んでいる。
ざっと見る限り、ジャンルはばらばらで、政治経済、歴史、魔法学と並んで妙なタイトルの本も多い・・・あれ、すんなり読める。全ての文字が裕真が見たことのない文字なのに。
「よ、読めます・・・でも、僕の知ってる文字じゃ、ないです」
「そうなのか?そう言えば裕真の名前も不思議な響きだもんな・・・ああ、ユマが内に残ってるから読めるのかもしんねーなあ。アイツ、頭だけは最悪に良かったから、その原理で読めるんだったら読めない本はないぞ、たぶん」
「そ、そうなんですか・・・ユマって、すごい人なんですね」
「凄い、なあ・・・まあ、凄くはあったぞ」
そんな人の身体に裕真がいるなんて、しかも同じなんて、不思議だし、少し申し訳ない気持ちにもなる。
「俺は裕真の方がいいと思うけどな。っと、長話し過ぎたか。少し休憩したら夕飯の時間だ。飯食って、今日はゆっくり休もうぜ。好き嫌いはあるか?」
「いえ、たぶん大丈夫だと・・・」
「飯見て決めればいいか。ああ、それと、臨時だけど裕真に従者っぽいのをつける。サーディス、こっちこい」
「え?」
従者?また聞き慣れない言葉だ。
ハノスが入り口に声を掛けて、呼ばれてきたのは部屋の入り口に立っていたウサギの耳の人だ。
先っちょがちょっと垂れてる、真っ白いウサギの耳にふわふわの金髪で碧眼。綺麗なお兄さんだ。衣装も裕真の着ているものと同じ系列で、ふわふわだ。
静かに歩み寄って来たウサギ耳の人はハノスに綺麗なお辞儀をして、裕真にも同じ仕草で頭を下げた。仕草も綺麗だ。
「サーディスです。裕真様の身の回りのお手伝いをさせて頂きますね。どうぞ遠慮無く扱き使って下さい。普段はハノス様の私室におりますので、いつでもお呼び下さいね。何か分からないことや心配事等も随時受付中です」
ふわりと微笑んだサーディスはとても綺麗だけど、不思議な迫力があるし、ウサギの耳がどうしても気になってしまう。じーっと見ているのに気づいたのか、サーディスが微笑みながら裕真の前で軽く頭を下げた。
「気になるなら触っていいですよ。少々くすぐったいので長時間は駄目ですが」
「え、いいんですか?」
「ええ。ふかふかですよ。あ、ハノス様は駄目です」
「触んねーよ。ったく。そんじゃあ夕飯の時間まで休憩な。サーディス、頼んだぞ」
「はい。どうぞ宜しくお願い致しますね、裕真様」
サーディスがいいと言ったので早速手を伸ばして、ウサギの耳に触れてみる。見た目通りふかふかで、気持ちいい。先っちょを摘んで撫でて堪能していたらハノスが部屋から出て行って、二人だけになった。
「ありがとうございました。サーディスさん」
「呼び捨てで結構ですよ。さ、お茶でも入れましょうか。それともお一人でお休みになりますか?」
どちらでも裕真様のお好きに。サーディスが優しく微笑んで裕真を見る。どうしよう。夕食までそんなに時間はなさそうだけど、この大きな部屋に一人きり。休みたくはあるけど、今一人になったら・・・。
「時間があるなら、もう少しお話してても、いいですか?いろいろ、聞きたいんです」
近くにあった椅子に座って、サーディスを誘えば笑顔で来てくれた。よかった。
「まだ分からないことが沢山ありますものね。何か、そうですね、では私のことでも、見た目の違う種族の話でもしましょうか」
「見た目・・・サーディスの耳とか、ですか?」
「ええ。これから沢山出会うでしょうし、お話した方が良いでしょうね。私は見ての通りウサギの耳を持っています。尻尾はないんですよ。これは魔族の一部にある特徴で、魔力が濃くなればなる程、こんな風になる傾向が高いそうです。詳しい原理は不明ですけどね」
ふふ、と微笑むサーディスの耳が動く。か、可愛い。
不躾だけどつい見てしまう。
「あ、ごめんなさい・・・あんまりジロジロ見ちゃ駄目ですよね」
「構いませんよ。この特徴ある耳や尻尾、羽根は私達にとって誇るべきものなのですから」
「そうなんですか」
「ただ、特徴は完全に無差別と言うか、自分で選んで出現するものではないので、生まれつきの運なので。あまり大きな声では言えませんが、厳つい大男に可愛らしい尻尾があると・・・ねえ」
生まれつきで耳や尻尾や羽根があるのか。それは大変だ。
サーディスの説明によれば、魔族は人とは全く違う種族でありながら見た目は同じで、力が強い人だけに特徴が出るらしい。うーん、難しい。この場合の力は魔力だそうで、魔法の力、と説明されたのだけれども。
「・・・魔法。サーディスも魔法が使えるの?」
「ええ、使えますよ。この国は魔族が多く、力強き者が多いので魔法の国とも呼ばれていますね」
「あの、魔法って、どんなのですか?」
「裕真様は魔法のない世界の方でしたね。では、こんな魔法はどうでしょう」
ウサギの耳をふわふわと揺らしながらサーディスが何かを呟いて、上に向けた手の平からほわりと、光る球が浮かんだ!ふわふわと漂う球は・・・灯り?
「簡易照明です。宮殿内の照明は全てこの系統ですよ。条件は多々ありますが、この球は半日くらい持ちますね。裕真様、触っても大丈夫ですよ。熱はありません」
「わあ・・・」
サーディスが指先で突くとふよふよと裕真の所まで来る。恐る恐る触ってみれば、ふわりとした感触で、熱はない。不思議だ。
「そうそう、話は少し戻りますが、魔族の頂点に立つお方、ハノス様は見た目に特徴はありませんが、吸血鬼と呼ばれる種族です。ハノス様は魔族としても、吸血鬼としても頂点に立っているのですよ」
ふよふよした灯りで遊んでいたらハノスの話をされる。そう言えば軽く説明されただけで、詳しくは聞いていなかった。
裕真をたぶん助けてくれた、最初に出会った人なのに。灯りから手を離して、微笑むサーディスを見る。
「あの、ハノスはどんな人、ですか?とても偉い人だと思うんですけど」
偉い人、だと言うのは分かるけど、分からない。一般人の裕真に王様とか頂点とか言われても全く実感がないのだ。それに、気安いと言うか、怖くて綺麗だけど少しだけ慣れた今では優しい人なんだなあと思っているし。
「ええ、偉い人ですよ。まあご本人があれですのであまり気を遣わなくても良いですし、知りたいのであれば本人に聞いてみて下さい。喜びますよ」
「え?よ、喜ぶ?」
「裕真様をだいぶ気に入っている様子でしたから。私からお伝えできるのは、魔族の中でも突出して力が有り余ると特徴がなくなる、と言うことですね。ハノス様、オーシャス様、それにユマ様。このお三方は魔力が有り余って溢れておりますが、見た目に特徴はなかったでしょう?あ、ユマ様は人間でしたね」
さらりと大きなことを言われた気がしたけど、その後の説明で直ぐ忘れてしまった。だって、ユマが、裕真とそっくりな人がそんな場所にいる人なんて。それに、オーシャスも気の良いおじいさんにしか見えなかった。ハノスも。
「あ、でもハノスは吸血鬼、なんですよね・・・僕の世界にも同じ言葉があって、ええと、伝説とか、そんな中に出る人なんですけど、牙があって、血を吸うんです。それで、あって・・・るんですね」
伝説と言うよりは映画とかの作り話の中だけど。
聞いてみたらサーディスが驚いた顔をしたから、同じみたいだ。
何もかも違う世界なのに、変な所で一致する。不思議だ。
「だいたい合っていますね。驚きました。ええ、そうですね。吸血鬼と言う種族は魔族の中でも上位にありまして、牙を持ち、その牙で対象者に噛み付き、他の種族の血と言うか、魔力や精気を吸います。ただ、噛み付かなくとも普通の食事や魔法で何とでもなるので、まあ、その辺りはいずれご本人から説明されると思いますよ。私とは種族が違うので裕真様に分かりやすく説明できないのです」
「分かりました、ありがとうございます」
種族が違うといろいろあるんだろうか。
裕真には全く分からない世界だけど、サーディスの説明は分かりやすくて、夕食までの間、楽しくいろいろ聞いて、知ることができた。

本当にこの世界はファンタジーで、いろんな人がいて、外に出ればモンスターまでいて、空飛ぶ国まであるんだって・・・夢じゃないけど、夢みたいだ。

夢みたいな世界の夕食も夢みたい、ではなくて、普通だった。材料は分からないけど、洋食だ。
ナイフとフォークで食べる、たぶん普通の食事。
最初の部屋に丸いテーブルを用意して、ハノスと食べる。暖かくて美味しいけど、既にいろいろ麻痺していてあんまり食べられない。元からそんなに食べる方じゃないけど。
ハノスはとても綺麗な仕草で食べている。じっと見ても牙は見えなくて、こうしていると普通の人には、やっぱり見えない。綺麗過ぎる。でも口調は乱暴で、気さくで慣れれば話しやすい、のだろうか。裕真は慣れそうにもないけど。
「疲れてるんだから無理しなくていいぞ。こっちは部下共とオーシャスでいろいろ調べてる。分かったら教えるな」
「ありがとうございます」
「んー、なんか固いな。普通に喋っていいんだぞ。ってもまだ慣れないしなあ。ま、その辺はあんま気にすんな」
とても綺麗な仕草で肉を切りながらハノスが微笑む。全てが絵になる人だなあと、ちょっと見惚れて。
有り難いなあと思う。何も分からない世界でとても親切にしてくれて、全てが善意ではないのだろうけど、素直に嬉しい。
「・・・うん、ありがとう。ハノス」
少しだけ甘えて、お礼をすればハノスが嬉しそうに微笑んで、あ、牙が見えた。やっぱり牙があるんだ。思わず凝視して、気づかれた。
「サーディスから聞いたぞ。裕真の所にも俺と同じ様な話が残ってるみたいだなって面白かった。噛み付かないから安心しろ」
「う、ごめんなさい」
「謝らなくていいって。ここは魔族が多いけど、人の多い国じゃ畏怖の対象だし、まー目立つしなあ、俺ら」
「・・・そうなの?」
「おお、すげえ目立つ。俺はまだ良い方だぜ。サーディスとか、羽根の奴らなんかはすげー目立つ。だからそっちも気にしなくていいぞ。気になったらちゃんと聞いて、ついでに触らせてもらえ。サーディスの耳はふかふかだったろ。アイツ、俺は駄目だって言うんだよなー」
確かにサーディスの耳はふかふかで気持ち良かった。でも、ハノスは駄目なのか。偉い人なのに。
他にも尻尾を持つ人もいるから、気になったら話しかけてみろ、とも言われた。正面から聞いた方が触らせてくれるらしい。
「見かけは違っても中身は同じだからな」
誰もが等しく心を持ち、いろいろ考える。見た目は違っても、一皮剥けば一緒だろ、とハノスは軽く微笑んで、裕真を優しく見る。ハノスもとても綺麗で、怖いけど同じなのだろうか。分からない。

そうして、ハノスとの夕食も終わって、食後のお茶も飲んで、部屋に戻った。
この部屋にお風呂はついてなくて、暫くはハノスと同じお風呂らしい。もちろん時間は変えるけど。

今日は裕真が疲れているからと、夕食の直ぐ後に二度目のお風呂をもらって、ネグリジェみたいな寝間着に着替えて、やっと、一日が終わる。
「夜の間、私は違う部屋にいますね。何かあったら遠慮無くハノス様を呼んで下さい。あの方、耳も良いから普通の声で聞こえますよ。では、おやすみなさい、裕真様」
「おやすみなさい、サーディス」
灯りがないと不便でしょうから、と眠る前にサーディスがふよふよ浮かぶ灯りを追加してくれて、ベッドの中に入れてくれた。眩しかったら外に出せばいいですよって。
ベッドは天蓋付きと言う種類で、大きくて、天井とカーテンがある。これを閉めれば裕真一人だけの空間だ。
夜の間のサーディスは自分の部屋に帰るから、同じ部屋にいるのはハノスだけ。そのハノスも部屋が広くていっぱいあるから、遠くにいる。
サーディスが静かに部屋を出て、カーテンを閉めて、しん、と静かになる。
ずっと、誰かがいて、人の声と気配があったから、ここに来てはじめての、静かな空間だ。

「・・・僕、どうなっちゃうのか、な」
誰もいないことを確認して、裕真だけの空間でやっと呟けた。ハノスに気づかれたくなくて、小さな声で。やっと、吐き出せる。不安と恐怖と、どうしようもない気持ちを。
はあ、と息を吐けば指先が震えていて、身体もかたかたと震えてくる。掛布に入って、頭もすっぽり覆って、身体を丸める。

慌ただしい一日で、訳が分からなくて、ファンタジーな世界で・・・裕真は、裕真の身体じゃなくて、きっと。
目をぎゅうっと閉じて、思い出す。あの時、車に跳ねられた裕真はきっと、ユマと同じ様に、死んでしまったのかもしれないと。
覚えてる。車に跳ねられて、呼ばれて、目が覚めたらここに来ていた。
「・・・・ひっ、ぅ・・・」
一人になって、不安が心をいっぱいにして、涙が出る。麻痺していた心が一人になって緩んで、怖くなる。
震える身体は止められなくて、歯を食いしばっても涙が止まらない。ぼろぼろと零れる涙は裕真の気持ち。
後から後から零れ落ちて、掛布に吸い込まれて。
「そんなことだろーと思った。こら裕真、泣くならちゃんと泣け。そんなんじゃスッキリしないぞ」
声を出さない様に気をつけていたのに、いきなり掛布を取られて、驚いて目を開ければハノスがいた。
裕真と同じ様な寝間着姿で、呆れた顔をして勝手にカーテンまで開けて。
「ふふん、俺様は何でもお見通しなんだよ。ほれ、詰めろ」
驚いて、涙を零しながら呆然とハノスを見ていたら勝手にベッドに入ってきた。
ハノスは大きいから裕真なんて片手で転がされてしまう。
涙は止まらないけど、転がされたから文句を言おうとしたら、ハノスがベッドの上に座って、カーテンを閉めてしまった。な、何なんだこの人は!
「そんなでけー目で見ても怖くなんかないぞ」
「・・・・な、んで・・・っ」
裕真はまだ丸まったまま、顔だけハノスを向いて睨んでるけど、全く効き目がなくて悔しい。
もう、放って置いてほしい。好きなだけ泣かせてほしい。
なのにハノスは放っておいてくれなくて、裕真を軽く抱き起こして、抱きしめられてしまった。
「泣くときは声出して泣く。思いっきり怒鳴るとスッキリするぞ。我慢は身体に毒だ。ついでに文句も言っとけ」
こんな時なのにハノスからはとても良い匂いがして、腹が立つ。裕真は一人でこんなに怖くて不安なのに。
うう、と唸ればハノスが笑う。涙は止まらなくて、ハノスが一言二言、裕真のタイミングを見計らったかの様にからかうから余計に止められない。
ハノスに文句はないのに。なのに、泣きながらハノスに抱きしめられて、縋って、文句が出てしまう。

どうしてこんな所にいなきゃいけないの。どうして帰れないの。早く帰りたい。僕はどうなるの。
・・・僕は、ユマと一緒に死んじゃったから、ここに来てるの?
あの時車に跳ねられたんだよ。駄目だと思ったんだよ。そうしたらここに来てたんだよ。

僕は、どうなるの?
泣きながら抱きしめられて、縋って、声にならない声でしゃくり上げながらハノスに八つ当たりしても、ずっと抱きしめてくれていて。

たった一日で溜まりに溜まった不安を全部ぶちまけてた。
ハノスは悪くないのに、出会ったばかりの人に甘えきって、泣きながら文句を言うのに疲れて、寝てしまった。



我ながら最悪だと思う。
誰も悪くないのに。いや、ユマを呼んだ人達は悪いかもしれないけど、少なくともハノスは悪くない。
むしろ何も分からない裕真を保護してくれた恩人だ。
なのに。

「ゆーまー。大丈夫だから、怒ってねーし、俺、すっごく機嫌いいから、いい加減出てこーい」
「大丈夫ですよ、裕真様。朝ご飯食べましょう、ね?」

朝起きたらハノスがいなかった。
カーテンもきっちり閉められていて、よく寝たなあ、なんて呑気に思った数秒後。全てを思い出した裕真はベッドから出られないでいる。
あんまりにも自分がダメダメで、出られない。
カーテンを握ったまま自己嫌悪の真っ最中である。
しかもあんなに泣いてぐちゃぐちゃだったのに顔はさっぱりしていて、きっとハノスが拭いてくれたんだろうと思うと・・・余計に出られない。
外にいる二人も分かってくれているのか、無理にカーテンを開けようとしないで裕真が出て来るのを待っていてくれるのが、また、恥ずかしい・・・。
違う意味で泣きたい。でも、いつまでもベッドに閉じこもってる訳にもいかない。
「・・・ハノス、あの・・・その・・・ごめんなさい。サーディスも、ごめんなさい」
恥ずかしいけどいつまでも心配をかけちゃ駄目だ。
よし、と気合いを入れて、カーテンを少しだけ開けて謝れば二人とも直ぐ側にいたみたいで、姿が見える。
裕真がベッドから顔の半分だけ出しただけなのにほっとした顔になって・・・心の底から申し訳ないなあと思う。
「謝ることはねーぞ。おはよう裕真。朝メシにしようぜ」
そろそろとカーテンを開ければハノスに軽く抱きしめられた。ぽんぽんと背中を叩かれて、見上げれば綺麗な笑顔がある。心配をかけてしまったんだろうか。
「顔色、良くなったな。身体はどうだ?」
「だ、大丈夫・・・。あの、ごめんなさい」
「それはいいっての。俺もサーディスも、誰も怒ってねーし、昨日は大変だったもんな」
背中にハノスの腕がまわったまま、今度は額にちゅ、て口付け、された!
おはようの挨拶だろ、なんて綺麗な顔でにやっとするハノスは楽しそうだ。
慌てて顔を真っ赤にする裕真をもう一度抱きしめて、笑いながら目線を合わせてくれる。
「今、いろいろ調べてるし、裕真の内にいるって言うユマのことも合わせて調べてる。時間はかかるかもしんねーけど、それまでは待っていてくれるか?もちろん裕真が快適に過ごせる様にするし、そうだな、その辺りの説明もしなきゃだけど、とりあえずは朝メシだな」
「・・・うん。ありがと、ハノス」
「どういたしまして」
いろいろ考えてくれているんだ。何も分からない世界だけど、まだ怖いけど、素直に嬉しいと思う。
それに、昨日さんざん泣いて八つ当たりした所為か、心はすっきりさっぱりしていて・・・恥ずかしい。
まだちゃんとハノスを見られなくて微妙に視線を逸らしてしまうけど、お礼はちゃんと言う。そんな裕真にハノスは笑ったまま離れて、後ろに控えていたサーディスが一歩前に出る。
「おはようございます、裕真様。さ、顔を洗って着替えましょうね」
綺麗に微笑むサーディスもまだ恥ずかしくて見られない。赤くなってどうしよう、と迷っていたらハノスに手を取られて、そのままサーディスに引き渡された。
「大丈夫ですよ。むしろ裕真様は賢く強い方だと思います。さ、行きましょうね」
顔を赤くしている裕真を褒めてくれているのだろうか。手を引かれながら歩いているのに褒められても、いや、慰めてくれている、のかな。

大人しく手を引かれて移動して、気づけば違う部屋に来ていた。昨日の浴室とはまた違う部屋だ。
恥ずかしいのも落ち着いてきたからサーディスにもお礼を言って、ここもハノスの部屋なのかと聞けば頷かれる。
「ええ、そうですよ。ハノス様の私室と言いますか、規模としては小さめの宮殿ですね。ここは衣装部屋の一つです。裕真様はお好きなデザインと色はありますか?取りそろえますよ」
聞いてみたらあっさりと言われて驚いた。
私室と言っていたけど、小さな宮殿って、どれだけ部屋があるんだろう。しかもこの部屋は裕真用に用意したらしい。
大きな洗面台に姿見とソファにテーブル、ずらりと並んだ色とりどりの衣装に軽く目眩がする。
「こんなにいっぱいあると、選べないよ・・・あ、選べないです」
「私にも普通に喋って下さい。その方が嬉しいです。では、今日は私の見立てでよろしいですか?」
「う、うん・・・あの、ここの衣装って、みんなこの形なの?」
ずらりと並んだ衣装の全てが中性的なデザインで、裕真が着たら完全に女の子だ。
サーディスも昨日と同じ様な性別の分からない衣装だし、これが普通なんだろうか。
でもハノスは真っ黒で、恰好良い衣装だ。
「衣装は職業や地位でデザインされているんですよ。ただ、裕真様は、その、申し訳ないのですがユマ様を基本に用意していたので王族であり賢者の衣装なのです。お好みがありましたら用意致しますね」
「え・・・えっと、ユマは王子なのは教えてもらったんだけど、賢者って?」
また聞き慣れない言葉だし、衣装にそんな決まりがあるのも驚きだ。
サーディスが持って来た衣装は淡い水色の、ふわふわしていて、銀色の刺繍と宝石みたいな石が裾に飾られている、とても綺麗なものだ。高そうだなあと思う。
「賢者とは全ての魔法を学び習得された方の称号ですね。職業とはまた違いますが、そうですね、裕真様の負担にならないのであれば今日はその辺りを説明をしましょうか。それと、お好みの衣装の聞き取り調査もしますよ」
「ぼ、僕は何でもいいよ・・・でも、できたらもう少し男に見えるのがいいなあって」
顔を洗って歯磨きして。歯磨きは裕真の知っているブラシじゃないけど同じ様なので安心した、衣装はサーディスがてきぱきと着付けてくれる。
ふわふわの衣装は昨日のものより豪華で、着方が複雑で、他人に着せてもらう用、らしい。
ふわふわの衣装の下にはちゃんとズボンもあって、こっそり安心した。
「男性らしい衣装ですか。そうなると、うーん、どの様な衣装が良いでしょうかね」
「え?」
着せてもらいながら衣装の話をしていたらサーディスが男らしい、で首を傾げてしまった。困った顔にもなって、心なしかウサギの耳も垂れている。そ、そんなに難しい要求だったのだろうか。
「ああ、申し訳ありません。私が全く拘らないので、男性に見える衣装が思い浮かばなかったのです。裕真様の思い浮かべる男らしい衣装はどんなものですか?」
サーディスは綺麗な人で、衣装も中性的で、なる程、拘りがないのか。とても納得して、裕真の思う男らしい・・・ハノスが直ぐに浮かんだ。ハノスはサーディスより綺麗だけど、真っ黒で男性らしい衣装だと思う。
「ハノス様ですか?ああ、あれが男らしい・・・裕真様は明るい色の方がお似合いになると思いますが」
「色じゃなくて形だよ・・・僕に似合わないのは分かってるけど」
「そんなことは・・・いえ、すみません。そうですねえ、では詳しそうな者に聞いてみますね」
「あ、でも、そんなに拘りがある訳じゃないから、無理だったらいいよ」
「ふふ、大丈夫ですよ。裕真様に気持ち良く過ごして頂くのが私の役目なのですから。さ、着替えも終わりましたし、朝食にしましょう」
性別に拘りたい裕真だけど、綺麗な仕草のサーディスに見惚れるからあんまり気にしない方がいいのかもしれない。そう素直に思うくらいにはサーディスは全てが綺麗で、すごいなあと思う。

着替えも終わって朝食の席に行けばまた違う部屋だった。本当に何部屋あるんだろう、ここ。
昨日とは違って窓大きくて外が沢山見える。窓の向こうは庭みたいで芝生と花しか見えないけど・・・この世界の外はどうなっているんだろうか。やっぱりファンタジー、だよねえ。
「どうした?ああ、外が気になるのか。だったら飯の後に散歩でもするか」
「いいの?」
窓の外を見ていたらハノスが気づいて、窓を開けてくれた。外は暖かくて気持ちよさそうだ。建物が見えないからどうなってるのか分からない。外を歩いてみたいとは思うけど、裕真はユマでもある。いんだろうか。
「もちろん、いいぞ。ああ、そうだな。飯食いながらちょっと説明するか。サーディスも一緒に食え」
「はい。私だけですか?」
「後はそのうちだな。裕真、昼は外で食おうな。気持ちいいぞ」
ハノスに軽く背中を押されて、一歩だけ外に出る。庭が広すぎて何も分からないけど、綺麗でいい天気だ。すう、と息を吸い込めば花の匂いが微かにする。
散歩は食事の後だとハノスが笑って、でも気持ちいいから窓は開けたままで朝食になった。
丸いテーブルにハノスとサーディスが座って、裕真も座る。周りでは何人か食器やポットみたいなのを持っていて、ハノスが当たり前みたいに指示を出して飲み物や暖かいパンを持ってくる様に言っている。そうだ、ハノスは偉い人だ。やっと思い出して、首を傾げる。ハノスと一緒にサーディスも飲み物や果物を、なんて指示を出しているからで。
「ねえ、サーディスも、偉い人?」
裕真には偉い人の基準が分からないからこうして見てると二人とも変わらなく見えてしまう。不思議に思って聞いてみたらハノスが吹き出して、サーディスに腕を叩かれてる。
「悪りぃって。ちょっと新鮮で笑っただけだ。裕真の従者としてつけたけど、サーディスの正式な紹介はしてなかったな。こいつはシドナの王の一人だ」
「え?」
さらりとすごいことを言われてしまった。ぽかんとする裕真にサーディスがハノスの腕をもう一回、今度は強めに叩いて怒る。
「裕真様はまだシドナの名も知らないのですよ。全く。すみません、裕真様。混乱させてしまって。正式に説明するのはもう少し後にしようと思ったのですが」
「お前の態度がでかいからだろ」
「煩いですよ」
ぽんぽんと裕真の目のまで気安い会話が飛んで、呆然と眺めていたらサーディスが気づいて、ウサギの耳が垂れた。
「シドナはこの世界で唯一、空に浮かぶ国です。私はシドナの王の一人ではありますが、元々、普段からアルバリオスに滞在しています。シドナの王は八人程おりまして、割と暇なのですよ」
空飛ぶ国。昨日軽く説明してもらった、まさにファンタジーだなと思った国の、王様!?
ハノスはサーディスの説明に一人で笑ってる。な、なんなんだろう。昨日とはまた違う方向に混乱してしまう。
「・・・王様、たくさんいるの?」
「シドナはアルバリオスとはまた違うのですよ。沢山いるから半数は他の国で過ごすことが多いのです」
「変な国だよなー」
「貴方に言われたくありません。ああ、それと、裕真様の従者になるのは私から立候補したので、どうかお気になさらず。細腕ではありますが私より強い方はこの国ですとハノス様だけですので」
しかも強いみたいだ。ハノスも頷いているから本当なんだろう。はあ、と呆然としたまま感心した裕真にハノスが笑いながらパンを囓る。
「細かいことは気にすんなってことだ。こいつが好きでやってるから扱き使っていいぞ。俺のこともな。とりあえずは飯食ったら散歩だな。宮殿見てもつまんねーから外行こうぜ、外」
楽しそうに外はいいぞ魔物はいるけど、なんて軽く言うハノスに驚くけど、興味はある。暖かい、コンソメみたいなスープを飲んで、頷く。美味しい。見た目も味も裕真の知っている洋食だ。量はあまり食べられないけど美味しく頂いて朝から大満足だ。




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