フルムーン・グラスのちょっと読みです。途中で切れてます。



ようやく空が明るくなる大通りの歩道を凪季(なぎ)はのんびりと歩く。

この時間が好きだ。都会だけれど一番人が少なくなるこの瞬間。車もなく大通りを独り占め。まばらに歩く人はいても喧騒はなくて風の流れが気持ち良い。

ふわりと舞うのは一度も染めた事のない漆黒の髪。面倒で切るのを忘れていたからぼさぼさで仕事柄一つに括って何とかなっている。よれたTシャツに穴の空いたジーンズも面倒臭いが進んだ結果だがそれなりに今時のオシャレに見えているのが凪季のお得な部分だろう。ぱっと見た感じでは普通の若者だ。目鼻立ちもはっきりとしてそれなりに男臭く細身の身体は長身ではないものの、平均身長はある。意外と見た目で何とかなるものだと言われたのはバイト先の店長にだったか。

バイト先は二十四時間営業のレストランで凪季はウエイターとして働いている。大学は卒業したものの、就職を探すのも面倒だから今のままで十分。何もかもが面倒と言うか、ぼやけていて輪郭がない。凪季には全てがそう見える。

 

昔からそうだった。やる気のない子供は、そのまま成人を越えて二十二歳になった今でも流されるまま過ごしている。携帯電話も面倒だからと持たず、地方に住む家族とはもう一年以上連絡すら取っていない。便りのないのはよい便りだと勝手に思う事にして、まあこれも面倒だと言う事だ。

朝飯はバイト先で食べたものの、家の冷蔵庫には何もない。コンビニで適当に買うべきか、スーパーの開店を待ってちゃんと買いだめするべきか、そんなとりとめのない事を考えながら足は自動的に自宅アパートまで進み、結局は何も買わずに階段を上る。凪季の部屋は二階。早い時間だから一応気を遣って足音を立てない様にするものの。

 

「何で、コンクリに穴?」

踊り場に穴があいていた。いや待て。何でコンクリートに穴なんて。しかも黒じゃなくて白い穴が。これはいよいよもって凪季がおかしな人になってしまったのだろうか。のんびりと首を傾げても穴は消えず、足を伸ばせば跨げそうでもあり。

「ま、いいか」

突っ立っていても穴は消えそうにない。ひょっとしたら凪季が勝手に見ている幻かもしれない。跨げば穴には落ちなさそうだし。そもそも穴が白いなんてのも変だと思う。よいしょと足を上げて踏み出して。

「え?穴って落ちるんじゃないのか・・・?」

跨いだはずの穴はどうやら穴ではなかった様だ。上げた足がうっすらと色をなくして・・・消えていく。と言う事は足に繋がる凪季の身体だって。

「おお、消えてる・・・何で?」

少しくらい慌てた方がらしいのかもしれないなあ。なんて、指先が消えたのを眺めつつ首を傾げた時。世界から凪季の姿が消えていた。





フルムーン・グラス





つくづく思う。携帯電話は買っておいても良かったのではないかと。出かける時には財布と鍵だけではなく、もう少し荷物を増やした方が良いかもしれないと。いや、そもそも財布の中身だって身分証明賞になるものは何もなくて札と小銭が少しだけ。鍵はむき出しのまま。この状況じゃ何の意味もないけど。。

「この部屋に似合わないよなあ、俺。ってゆーか、豪華だなあここ」

落ちるでもなく何でもなく。白さが眩しくて目を閉じた一瞬の間に凪季は全く別の所に立っていた。ぽかんと口を開けながらもぐるりと辺りを見ればどうやら部屋、らしい。白い壁と白に青の模様が描かれた高い天井に豪華な飾り窓。雰囲気からするとヨーロッパの古そうな城と言った所か。けれど不思議な部屋でもある。広いのに、どうして部屋の真ん中に高そうなクッションが山の様に置いてあるのだろうか。しかも、どうやらクッションのある中央はくりぬかれている様で例えるならばクッションの池、だろうか。

「分からないなあ。どうしよう、動いた方が良いのかなあ」

驚いてはいるのだ。これでも。しかし、驚き以上に凪季を魅了するものがある。それは、色だ。壁の色が、天井の模様が、窓から見える外の、森らしい景色が、とても綺麗なのだ。今まで感じた事のない輝く世界。眩しい訳ではない、ただただ綺麗で驚きよりも見惚れる方が先になっていて動けない。どうしてだろう、見知らぬ部屋なのに、あの怪しいたぶん穴に入ったからこんな部屋にいるのだと思うのに。

「困ったなあ。俺、どうしちゃったんだろ。んで、どうしてズボンがきついんだろ」

何もかもがさっぱり分からない。その上、どうしてだかお尻の辺りがむずむずする。いや。分かってはいるのだ。何か、絶対に考えたくない事になっているのだと。確かめるのが怖い。

「・・・うん、尻尾、だよね。はは、ちゃんと動いてるよ・・・」

確かめたくない、考えたくない。そう思っていても現実だと思われる、いや、きっと現実だと思う、は厳しい。ジーンズのウエストの部分からひょこ、と出てしまったのだ。尻尾が!これはもう泣くしかない。笑うしかない。凪季はちゃんとした人だったはず、なのに、見なくても分かる尻尾が生えた。どうしてくれようか、この状況を。いやそれよりも、ズボンがきつい。けれど、今脱ぐのはまずい気がする。だってここは知らない場所。誰もいないけれど、絶対高級だと思われる部屋だからだ。何より、誰かが入ってきたら凪季は変態になってしまうじゃないか。と思えば本当に入って来た。

「何者だ!陛下の私室に忍び込むとは怪しい奴!」

「うわ、本当に怪しいですよ副長、何ですかあれ、ヒト?」

「そんな事知るか!お前!名を名乗れ!」

バン!と大きな音を立てて扉が開いた。同時に人が入ってきたのだが、いや、人だと思うのだがいろいろあり得ない!

入ってきたのは二人。その後ろにも沢山いる。剣を凪季に突きつけているのと、凪季を見て驚きながらも槍を構える人。うん、人だと思いたいけど、あれは違うだろう。だって、その人達にはふさふさの耳と尻尾があるのだから。剣を構える方がたぶん犬の耳でで、どうしてだかファンタジー映画の騎士が着る様な衣装だ。槍の方も耳と尻尾・・・猫だろうか?衣装は同じで白地に青の刺繍と宝石。格好良いなあと思うけど、違うだろう。あからさまに凪季に敵意をむき出しで、まさか本当に切れそうな剣と槍を向けられるとは思ってもみなかった。

しかし、あの三角の耳はともかく、尻尾は凪季と同じみたいだ。いや、同じと言っても凪季の尻尾は生えたてだから詳しいことは分からない。

呆然とイヌとネコを見ていたら怒っているイヌがずんずんと凪季に向かってくる。怖い。

「ちょ、待ってよ!俺、怪しくないよ?」

慌てて後ずさっても部屋の中ではあっという間に壁際になってしまう。背中が壁にべたりと付いてもイヌは許してくれず剣の先が凪季の喉をちくりと突く。

「侵入者が何を言う!何者だと聞いている!ヒトであるのになぜ陛下の私室へ侵入した!応えろ!」

侵入者、はきっと正解だろう。侵入した覚えはないけど勝手に入っているし。けれど、その後が良く分からない。陛下?ヒト?

「何言ってるか分かんないよ。俺だって分からないのに」

もう泣きたい気持だ。イヌは怖いし剣も怖いし、何より生えたての尻尾が分からない。全部、確かめるのが怖い。どうしてこんな事になってしまったのだろう。面倒臭がって生きていた罰なのか。罰ならもっと分かり易くせめて車に跳ねられるとか階段から落ちるとかにしてほしい。答えたくとも混乱して答えられない凪季を剣を構えたイヌが睨んでまた怒鳴られそう。このイヌの声は大きいから嫌だ。

「何にしても怒鳴りすぎだろう、副長。侵入者にしては様子も変だ。まずは剣を下げろ」

いっそ大声で泣きたい。いろいろと限界値を超えた凪季がガタガタと震えて本当に泣き出す一歩前、また増えた。今度は黒いイヌだ。

偉そう、と言うかきっと偉いのだろう。他のイヌネコとは明らかに違う。三角の黒い耳に毛先が少しカールしたふさふさの尻尾。黒い髪は崩れたオールバックで瞳は翡翠色。衣装は白に青の刺繍と宝石だけれど、明らかにこっちの方が豪華だ。騎士服、と言うのだろうか。こんな状況でなければ素直に格好良いと思うし、衣装を纏うイヌもまた格好良い。男前、と言うのだろうか。妙な迫力があるのに不思議と怖くはない。年齢は凪季より少し上だろうか。二十代には見えるのだが良く分からない。

「李織様!この様な怪しい侵入者に情けは不要ですぞ!」

また茶色いイヌが怒る。声も大きくて剣も突き付けられたままで本当に怖い。もう壁にべたりと背中が張り付いているから下がれないし呼吸すらできなくて、苦しくなってきた。

「だが酷く怯えている。貴方の威勢の良さは美点だとは思うがまずは落ち着け。私が来たのだ、剣を下げた程度でどうにかなるとでも?」

男前のイヌは李織と言う様だ。静かに茶色のイヌを諭して、あっさり凪季に向けられていた剣が下ろされる。やっと息ができたついでにずるずるとしゃがみこめば忘れてはいなかったけれど生えたてだから配慮もできずに尻尾をそのままお尻と床の間に挟んでしまって。

「ぎゃ!痛い!」

文字通り飛び上がった。何て痛さだ。経験のない痛みは鈍痛に似ていてけれど違う。お尻に両手を当てて今度こそ涙がぽろりと零れれば周りのイヌネコが首を傾げる。

「ヒトに見えるが違う様だな。もしかして、尻尾があるのか?」

代表して李織が床に膝をついて凪季を見下ろす。膝をついても見下ろすなんて大きい人だ。ではなくて。

「な、な、な、ないよ尻尾なんてっ」

凪季自身がまだ受け入れられないのに見られるなんて!けれど逃げようにも周りは囲まれているし目の前には李織がいて、ひょろくて細い凪季なんてきっと一ひねりだろう。さ、逆らえない。

「やっぱり尻尾があるな。しかしヒトとネコの間か。これは困ったな」

「み、見るなよ!何でネコだって分かるんだよ!俺は普通の人だってば!」

一瞬後には凪季は後ろ手に李織の手で拘束されて、ウエストからひょこひょこと覗く尻尾を見られてしまった。触られないのは良かったけれど見てほしくない。そう思って思い切り暴れているのにびくともしない。しかも何で見ただけでネコの尻尾だと分かるんだ。聞き出したい事が沢山でも混乱して暴れるだけの凪季に意外な所から助け船が来た。

「そうだなあ。とりあえず尻尾用の着替え用意してやれば?んで、弱そうだし面白そうだし客で良いんじゃね?」

ぎゃあぎゃあと騒ぐ凪季と、尻尾を眺めて首を捻る李織と、周りを囲むイヌネコの外から声がした。凛と響く良い声だとこんな状況なのにちょっと聞き惚れたと同時に部屋の空気ががらっと変わって、凪季を囲んでいたイヌネコが音を立てて一歩下がる。李織がとても悔しそうに、そして残念そうに凪季から手を離してくれつつ呟いた。

「もう、お耳に入りましたか・・・陛下」

陛下!と言うことは偉い人か。ようやく李織の手から解放されて壁にぴたりと背中を付けて歩いてくる陛下を見てまた驚いた。ネコだ。陛下はネコだった。しかも、とびっきりの美人!衣装はもうここの色なのだろう、白と青の刺繍に宝石で、ゆったりと衣が跳ねる不思議なもの。腰まで伸びた金色の髪は毛先で緩やかにカールしていて頭上には真っ白な三角の耳。衣装の後ろからふりふりと振られている尻尾も同じ純白でなぜか優雅だと思わせる。何より顔の造りがびっくりするくらいに綺麗で、瞳はオッドアイだ。薄い紫と濃い青。しかも女性ではない。男性なのは間違いない。ただ、全ての造りが綺麗なのだ。年は凪季より上で、李織と同じくらいの年齢に見える。

訳の分からない状況でも度肝を抜かれる綺麗なネコに出会えばぽかんと口も開く。さっきまでの騒ぎが嘘の様に大人しくなった凪季を興味深そうに、とびきりの笑顔で陛下が膝をつく李織を見た。

「何で俺をのけ者にするんだよ、こーゆーのは一緒に楽しんでこそだろうが」

「それが嫌だからお伝えしなかったのです」

「どうせバレるのに。おいお前、名前は?」

とびきりの美人でも口が悪い。唖然と見惚れていれば今度は凪季に色の違う視線が向けられた。

「な、凪季・・・」

迫力に負けて答えれば陛下はうんうんと一人で勝手に頷いて後ろからまたがやがやと部屋に入ってきた人達をぐるりと眺めてにやりと笑む。

「よし。緯月呼んでこい。それと煉砥もだ。客室で空いてるの山ほどあるから手配しろ」

ざわざわと空気が揺れる。さっきまで侵入者で剣を向けられていた凪季をどうするのか。恐怖は和らいだけどまだ落ち着けるにはほど遠い。びくびくと綺麗な陛下と項垂れる李織を見て、膝を抱える。

「凪季、だな。そんな泣きそうな顔すんな。とりあえずは悪い様にはしねえよ。お前が侵入者じゃないんならな。後は着替えてからだ」

ぐすぐすと、泣いてはいないけれど気持はとっくに号泣だ。そんな凪季に綺麗な陛下がぽんと頭を撫でてくれた。驚いた。この状況でこんな優しい仕草をしてもらえるなんて。驚いて陛下を見上げれば吸い込まれそうな色の違う瞳がどうしてだか優しい色に見えて、うっかり涙が零れてぼろぼろと泣いてしまった。




子供じゃないのに沢山泣いてしまった。基本的に面倒臭がりで何もかもにやる気のない凪季は泣くことすら面倒だったのか、物心つく前には泣いていたと思うのだが、記憶には一度もない。ぐすぐすと鼻を啜る凪季を周りはどう見たのか。とりあえず弱っちくて侵入者にしても片手であしらえそうだから問題はなさそうだ。と見えたのだろうか。

大勢のイヌやらネコやら、それも全員が騎士服っぽい衣装で武器を持っていた人達に囲まれつつ案内されたのは立派な部屋だったからだ。

「・・・恥ずかしい、な」

流石に恥ずかしい。あんな大勢の前で泣くなんて。それも、こんな不思議な所で。

そう。もうそろそろ凪季にも分かってきている。ここが、どう考えても日本でもなく、全く違う世界だと言う事に。そうでなければあの耳と尻尾はあり得ないし、けれど、どうして凪季のお尻にも尻尾が生えたのかはさっぱりだ。

「本当に、尻尾だし・・・動くし・・・ネコ、なのか?」

案内された部屋で着替えろと。衣装一式と一緒に着替える部屋、と言うか恐らくは寝室に放り込まれた。まだ涙が止まらなくてぐすぐすしながら真っ先にズボンを脱げばやっぱり尻尾はそのままあって、しかも窮屈な所から解放されて若干の気持ちよさまで感じてしまった。恐る恐る尻尾を見てみれば、ふわふわの薄茶色の尻尾だった。長さは結構あって、ふさふさしている。触ってみればなかなか良い触り心地で、自分の意志でも動かせるしどうやら勝手にも動くらしい。泣いている凪季の気持ちにも反応しているのか、どことなく元気がない尻尾だ。

そして、渡された衣装は当たり前だけれど騎士服ではなくて普通だと思われる衣装だ。広げてみればTシャツに似たものと上着。上着はジャケットっぽくて柔らかく、色は白と青の模様。ズボンには・・・穴が空いていた。お尻に。ここに尻尾を通すのだろうか。あの人達はみんなこのズボン、なのだろう。めそめそしながら穴の空いたズボンを眺めていてもはじまらないし、正直有り難い。足を通して尻尾も通せばズボンに空いていた穴は若干大きくて困る。と思ったら穴の周りには紐が通されていて大きさを調節できる様だ。素晴らしい。

「おーい!凪季—!着替え終わったのか?早く出てこーい!」

ひっそりと便利なズボンに関心していればドアを思い切り叩かれて陛下の声がした。何でか、凪季の部屋には陛下や李織、それに数名のイヌが付いてきて賑やかだ。遠慮無くドアをガンガン叩かれて後ろでは李織の声もしている。陛下を止めてくれている様だが、どうやら聞いてはいない様子だ。

「終わった!今出る!」

慌てて上着を引っかけてドアを開ければ迫力のある美貌が好奇心いっぱいで待ちかまえている。驚いて一歩引けば手を取られてぐいぐいと部屋の中に連れていかれ。

「ホントに尻尾だ。すげー。おい李織、これネコだぞ」

「やはりそうですか。しかしヒトにも見えますが」

「そこなんだよなあ。わっかんねえなあ。ま、とりあえず座れ。お茶持ってこい」

たっぷりと尻尾を観察されてから椅子を勧められた。陛下はどっかりと椅子に座って李織は側で立っている。護衛の人なのだろうか。凪季も勧められたし、と椅子に座ろうとして。

「・・・痛い」

またお尻で尻尾を踏んづけた。地味に痛い。立ち上がって、尻尾を持ち上げる気持で座れば今度は成功する。そして、そんな凪季の動作を観察しつつ陛下と李織が揃って首を傾げている。

「なあ、お前、何でそんなに挙動不審なんだ?」

「尻尾を踏むなんて有り得ないのだが」

そんな事言われても凪季の尻尾は生えたてだからしょうがないじゃないか。お尻の辺りに違和感を感じつつも、そう言えばまだ名前しか名乗っていない事を思い出す。

「だって、俺、尻尾なんてなかったし。どうして尻尾が生えたのかも分からないし。いや、そもそもここはどこなんだ?何でみんな耳と尻尾があるんだ?」

もうどこから不思議がれば良いのか。全てが分からないままで思いつく事から声にすればまた首を傾げられて、李織が嫌そうな顔になった。尻尾の揺れ具合も不快を示して、と言うかそれが分かってしまう凪季も不思議だ。

「あまり想像したくはないのだが、凪季と言ったな。その尻尾はついさっき生えたのか?そして、ここがどこだかも知らないと言う事は」

「信じらんねえ。けど、嘘吐いてもねえみてえだし、こりゃまた面白そうだな」

「陛下」

質問には何一つ答えてもらえずに陛下は楽しそうにしていて李織がぴしゃりと怒る。そんな二人を目の前にしていると気が抜ける。元々面倒くさがりで何事にも覇気のない凪季だ、多少慌てても尻尾が生えても、日本じゃない妙な所にいる事すら、もうそろそろ面倒になってきている。

「そう怒るな李織。どう見たって俺より弱い。んで、面白そうだしこのままじゃ話も進まねえし俺が質問を受け付けてやるよ。有り難く思えよ?」

そうして、陛下がとても綺麗な、と言うか本当に綺麗な人はどんな表情でも綺麗でお得な笑みを浮かべて足を組んでカップを手に取る。とても絵になる姿だし、正直有り難くもある。理由は分からないけれど陛下は凪季を好意的に見てくれているのだから。

「じゃあ、えーと、ここってどこ?」

早速質問をしてみる。基本的な質問だと思うし、何より全てが白と青で統一されているのもずっと気にはなっているのだ。凪季の質問に陛下は意外そうな顔をして、一度李織を見上げてすぐに視線を戻した。

「ここは湖訪国の宮殿だ。凪季のいた部屋は俺の私室な。ついでに俺が王様でこれ、李織が俺の護衛。他の騎士は親衛隊でお茶入れたりしてるのがメイド。後、この部屋は客室の一つだ」

すらすらと答えてくれた。しかし湖訪国なんて聞いたことがない。まあ、そもそもこの耳と尻尾の人達が凪季と同じ世界の国の人だと言われた方が信じられないので当然か。陛下はやっぱり陛下で、李織は護衛の人。親衛隊とメイド。全員に耳と尻尾がある。

「何で、耳と尻尾?さっきからネコて言われてるのは何で?」

凪季は尻尾だけだ。種類なんて尻尾ならみんな一緒だと思うのにネコだと言われているのがまた不思議。それ以前にどうして全員がそうなのかも、もっと不思議。

「耳と尻尾は当然だろ。同じ種類なら見ただけで分かる。一応、俺はネコで李織はイヌな。凪季はヒトっぽいけど尻尾がネコだ」

ヒト・・・?何度か出た言葉に今度は凪季が首を捻る番だ。ようやく気づいたけれど、どうやら凪季の思う人と彼らの言うヒトの意味に違いがある様な気がする。

「ヒトって?」

「見た方が早い。つか遅いぞアイツ等。何やってんだ?」

「もう来るでしょう。いえ、到着した様です」

部屋の扉が静かに開いてまた人が増えた。衣装に関しては以下略で、今度は羽根の生えている人だ!白くて天使みたいな羽根で小さく動いている。羽根の人はゆったりとした衣装で明るい、ふわふわの髪と同じ色の瞳で穏やかそうに見える。壮年にも見える年齢で不思議な迫力が透けて見える人だ。そしてもう一人。凪季と一緒だ。いや、今は尻尾があるから違うけど、普通の人だ!李織と同じ衣装で癖のある黒髪と深い海色の瞳。体格も李織と同じくらいだろうか。男前度までもが一緒で、けれどこっちの人の方が若干繊細な綺麗さだと思う。年齢も少し若そうだ。でも、耳も尻尾も凪季から見れば普通の人。ここに来てからはじめて見た普通の人に感動してじっと見れば向こうも凪季をじっと見る。一瞬、ほんの一瞬だけその人はとても凪季の心に響く顔になってから思い切り睨まれた。ちょっと怖い。

「丁度揃ったな。じゃあ人払いするぞ。李織」

「はい」

新しい二人を部屋に入れて、他の人達がぞろぞろと出て行く。何だろう。親衛隊と言った人達とメイドの人達が全員出ていって、最後に李織が確認して部屋の鍵を閉めた。ああ、そう言えば人払いだと言っていた。

「羽根が煉砥で宰相、ヒトが緯月で上級騎士だ。二人とも、これは凪季な。とりあえず座れ」

おざなりに紹介されてそれぞれが椅子に座る。今度は李織も陛下の隣に座った。その隣に羽根の人、煉砥が座って反対側に普通に人だと思われる緯月が座る。小さなテーブルをぐるりと囲んでみんなが凪季を見ている。いたたまれない気持だ。

「そろそろ分かってきたんだけど、まあ有り得ねえよな。緯月、これが俺の部屋に侵入してたって言う凪季な。どう見る?」

「正しくはヒトでしょう。恐らくその尻尾は生えたばかりだと思われます。ヒトであるのにネコの性質があったのでしょう」

「ふうん、生えたて言ってたし、こりゃますますどうしたもんか、だなあ」

なぜか陛下は緯月だけに意見を求めて、緯月も凪季を睨みながらすらすらと説明する。な、何だろう、この人。睨まれているのにどうしてか怖くはない。ただ、気になる。海色の瞳の奥に全く別の何かがある様な気がして凪季も緯月から目が離せない。どうしてだろう、はじめて会う人なのに。いや、それを言ったら全員が初対面だけれど、どこか現実離れしていて実感がない。なのに、この緯月と言う人は凪季のすぐ側にいる様な気がしてとても気になる。

「尻尾が生えたてなんて有り得ないと言う所ですが、緯月が言うなら本当でしょうし、侵入者と聞いていたのですが妙な話になってきましたなあ」

「そうなんだよなー。面白そうだし侵入者にしては弱っちいし俺は客で良いと思うんだけど、なあ李織」

「どうせ我々が何を言っても聞いて下さらないでしょう、陛下は。まだ詳しい事も何も分かっていないのです。当分は監視下に置くのが妥当でしょう」

「だな」

緯月と凪季が見つめ合っている間に煉砥と陛下、それに李織で何やら相談している。周りの声さえ耳に入らないなんて、そんなにも緯月が気になるのだろうか。見かけが同じだから?

「よし、詳しい話は会議室な。凪季、お前はこの部屋からでないで大人しくしてろ。大人しくしてりゃ悪い様にはしねえし面倒も見てやるよ」

凪季からすれば見つめ合い、緯月から見れば恐らくは睨んでいる。そんな視線のぶつかり合いを無言で続けていた陛下が立ち上がってぽん、と肩を叩かれる。今までの話を全然聞いていなかった。慌てる凪季に陛下が呆れた顔で両手を腰にあてる。

「聞いてなかったろ。そんなに緯月が気になるのか凪季は」

気になる。すごく気になる。素直に頷いてしまった。そうしたら他の人達がぎょっとなって、陛下はにやにや笑う。変な事なのだろうか。きょろきょろと辺りを見れば煉砥は苦笑して李織は溜め息なんて落として、緯月は変わらず凪季を睨んでいる。

「ふうん。だったら、緯月。凪季の見張り番で部屋に詰めろ。とりあえず会議が終わるまでな」

「お断りします」

即答で断られた。睨まれている事と言い凪季はどうやら嫌われているらしい。しかし話した事もないのに嫌われるとも妙な話だ。即答した緯月にけれど陛下は笑顔を崩さずびしっと緯月を指さす。

「勅命。俺の命令を断ろうなんざ百年早い」

「くっ・・・しかし、会議が終わるまで、です」

「何でそんなに嫌がるのかねえ。お前を長時間拘束できる訳ねえのは自分が良く知ってるだろうが。部屋付きの奴も選定するからそれまでだっての。俺らはいくぞ。見張ってる間凪季の質問に答えてやれよな。じゃあな〜」

本当に凪季と一緒にいるのが嫌みたいだ。ひらひらと手を振りながら笑顔の陛下と李織が部屋から出て行って、緯月だけが残る。・・・気まずい。

「あのう、聞いても良い?」

気まずいけれど質問は山ほどある凪季だ。このまま沈黙していたら何も分からない。せめて、この状況をもう少し知りたい。いくら面倒臭がりと言っても流石にこの状況で何もかも投げ出す訳にもいかないのだ。むすっとしている緯月に話しかければまた睨まれた。

「何だ」

一応返答はくれるらしい。嫌そうな顔なのは変わらないけれど、無言で返されるかもと思ったから良かった。

「どうしてみんな、耳と尻尾があって、緯月は普通なんだ?」

とりあえず一番聞きたかった事で、陛下に聞いても分からなかった事から。凪季にしてみれば当然の質問は緯月にとってはとても嫌な質問だったらしい。あからさまに舌打ちされた。ちょっと怖い。

「お前、本当に分からないのか?」

「分からいから聞いてるんだって。俺の尻尾が生えたてだって緯月も言ってたじゃん。本当は生えてないの。緯月と一緒なの」

「・・・お前は、本当に知らないのか」

同じ事を言われた。しかも質問の答えでもなければよく分からない。そもそも、それ以前に。

「俺、凪季。ちゃんと名前あるからね」

一応名乗ってはいるし陛下も言っていたのだから名前を呼んでほしいものだ。むん、と胸を張って緯月を見れば少し驚いた顔をされる。

「面白い奴だな。では凪季。本当に知らないと言うのか。そもそもお前はどの国から来た?」

名前を呼んだのにまた戻った。名前!と顔にでかでかと書いてあったのだろう、少しの間を置いてちゃんと凪季、と言ってくれたから満足として。

「日本だよ。絶対分からないと思うけど。俺のいた所に耳とか尻尾のある人はいないし、衣装もたぶん違うし。ああ、そう言えば俺、白い穴に入ったらあの部屋にいたんだよね。どうしてだろ?この部屋に落ちたって訳でもないし。尻尾は部屋にいた時には生えてたし」

答えになっているのかいないのか。つらつらと話しながら凪季自身も疑問を声に出して確認している。有り得ない話だけれど現実で、尻尾を挟んだ痛みは本物だった。首を傾げれば嫌そうな顔をしていた緯月が真剣に考え込んでいる。

「有り得ないな。が、事実か。となれば話はやっかいであるし陛下にも後で報告せねばならない。凪季、お前は全く違う世界から来たと言う事になる」

ああ。そうだろうなあ。そんな重たそうに言われなくとも凪季はとっくにそのつもりだ。何せ尻尾が生えた時点でいろいろと諦めもつく。あっさりと頷けば思い切り溜め息を落とされて、けれど凪季の質問にはまだ答えてもらっていない。

「常識ではあるが、を前提に言う。この国は湖訪国。別名猫の国だ。国王が代々猫だからだ。そして、人の種類は大きく分けて5種類。猫、犬、ウサギ、羽根、ヒト。それぞれ種類の特徴である耳と尻尾、羽根を持つ。ヒトだけは何も持たない。俺がヒトだ」

なぜかするりと納得した。やっぱりそうか。しかしウサギもいるとは驚いた。そして、緯月がヒトという種類・・・種類?

「種族じゃないのか?種類?」

「その者の性質により出る特徴だから種類だ。遺伝も何も関係ない。俺の両親は犬だし先ほどいた李織の弟は猫だ」

どう言う世界なんだろう。だから種族ではなくて種類なのか。ごちゃ混ぜと言う印象だ。なのに緯月の様な人もいるのがまた不思議でもある。

「こんがらがってきた。後で考えるからもう良いや。で、さっきから不思議なんだけど、ヒトって何か違うのか?俺から見ればヒトの方が普通なんだけど」

凪季から見れば緯月が一番安心できる見かけなのだ。素直にそう言えば思い切り睨まれて、それから呆れた様に肩を竦められた。

「ヒトは例外なく突然変異の種類だ。耳はどの種類より性能が悪く尻尾もない。が、どの種類よりも強靱で頭脳も良いとされる。出現する数は少ないがな。現在、湖訪国にいるヒトは私を含め7人だ」

「たった、7人?」

驚いた。それは少ない。ここに来てから凪季が見かけた人数だけでも既に数十人になるのに、国全体でその数とは。ん?と言う事は凪季の様なヒトであって、でも尻尾もあるなんて言うのは。

「もちろんいる訳がないだろう。全体未聞だ」

やっぱり。がっくりと肩を落とせばはじめて緯月が笑った。少しだけ、口元を緩めるだけの笑み。たったそれだけなのに印象が変わって可愛く見えるのが不思議だ。もちろん口には出さないけれど。

「俺、どうなるのかなあ」

ちょっと不安になってきた。そもそも右も左も分からない世界だ。今こうして落ち着いて居られるのだって奇跡かもしれない。しょんぼりと、凪季に自覚はないけれど尻尾が垂れ下がって先っちょの方が不安げに揺れる。

「大人しくしていれば問題ない。お前は湖訪国の客になるだろう。陛下がそう言っていただろう。ああ見えて誰よりも懐が広く深い方だ」

「そ、そうかな・・・」

確かに陛下は優しい人だと思う。綺麗で暖かくて、でも、あの悪巧みをする笑みが似合い過ぎているのも少々不安にもなる。

「多少玩具になる程度で衣食住が確保されるのだから、良いだろう」

やっぱりか。あの綺麗な陛下から受けるイメージだと絶対そうだと思った。




そうして、凪季の身は緯月の言ったとおり、ほどほどに陛下の玩具になりつつもちゃんと衣食住を保証された上に宮殿のお客としての待遇になった。陛下達がどんな結論を出したのかは知らないけれど、良い待遇なのは確かだ。客室はそのまま使用して良い事になり、何もかも分からない凪季の為に専属のお手伝いさんまで良いしてくれた。

それが今、部屋のあちこちをちょろちょろしながら衣装の片付けをしてくれている葉津菜だ。この国では珍しい部類になると言う垂れ耳のウサギでまだ十代前半の男の子。これがまた可愛い。ふわんと揺れる垂れ耳とふわふわの丸い尻尾は濃い茶色。目鼻立ちはハッキリとして髪と瞳は淡い茶色。成長が楽しみな造形で何より動きが可愛い。一日眺めていても飽きない。むしろ構い倒したい。

「また僕を見てますね、凪季。そんなに楽しいですか?」

「うん。楽しい」

「変な人ですね」

この国の、と言うか宮殿の衣装は全て白と青の刺繍で統一しているらしい。葉津菜の衣装は白に青の刺繍と、裾に小さな青い宝石が飾ってあるチュニックに半ズボン。可愛い。一方、凪季の衣装は葉津菜の大人版と言った所か。色は同じでチュニックに似た形の上着に下はゆったりしたズボン。もちろん尻尾の穴付き。気候は穏やかで騎士以外はサンダルが標準との事だ。

「もう一週間かあ。今日は誰が来る?」

「時期に煉砥様と陛下がいらっしゃいますよ」

「そっか」

今日も来るのか。は言わないお約束だ。

 

凪季がこの不思議な世界に来て一週間。いろいろと知識が増えた。ついでに尻尾の知識も。

この世界ではやはり耳と尻尾があるのが当然らしい。出会う人全てにふさふさの耳と尻尾があって、羽根の人も何人か。羽根の人は羽根の耳と尻尾でとても綺麗だ。種類は猫の国だから人口比率としては猫が多い。宮殿の中だけは騎士が多いから犬が多いとの事だ。どうやら種類による性質で向き不向きがあるとの事だ。葉津菜みたいなウサギは少なくて、宮殿の中に数える程度。街に降りれば少し増えるらしい。

けれど、ヒトは緯月ただ一人。もちろん凪の様なヒトで尻尾が猫なのは世界に一人。まあこれは仕方がない。

そして、凪季の暮らす宮殿は湖訪国の中心地で、よくもまあ狙って陛下の私室にいたものだと後から感心した。宮殿は全てが白と青で統一されていて、綺麗。明るくて水が多いのも特徴との事だ。文明的にと言えば中世ファンタジーと言う所だろうか。電気はなくて、夜は洋燈の明かりだけ。生活も凪季から見れば驚くほどに原始的でけれど居心地は良い。食べ物も美味しい。至れり尽くせりの現状では何の不満もない。

 

いいや、不満がひとつ。この一週間、緯月を見ない。凪季の部屋に近づかないのはもちろん、宮殿内であれば自由に出歩いても良い凪季が探しても見つからない。誰かに聞きながら探しているのに、陛下にも会いたいと言っているのに、だ。

 

「緯月、今日も逃げるのかな」

「どうでしょうね。緯月様は上級騎士ですからお忙しいですよ」

「本当かねえ」

そう言えば役職の事も軽く説明してもらった。まず、綺麗な陛下は国王で湖訪国の全ての権限を持つ人。代々続く血筋でとても偉い人。でも凪季を玩具にして毎日楽しそうにしている人でもある。それから、宰相。最初に紹介された羽根の人、煉砥がそうだ。何人かいて、国王に(次ぐ)権限を持つとの事だ。そして、宮殿を様々な形で警護する騎士の人達。凪季に剣と槍を突き付けた犬と猫を代表とする宮殿で一番多い人達の総称だ。国王配下の親衛隊、宮殿警護、城下町警護、衛兵。そのどこにも属さないのが李織と緯月からなる上級騎士との事だ。上級騎士は強さと頭脳、それに性格も吟味されるとても尊い立場で大陸でも数える程しかいなくて、宮殿では重要職を兼任しているらしい。大陸といえば凪季のいる宮殿は湖訪国。その隣に寿八国と言う犬の国があるらしい。何とも不思議な世界だけれど、まだそう多くの知識を詰め込んでいる訳ではないから理解も早かった。

「おー、今日も可愛いな、葉津菜。頑張ってるか?凪季、何だその湿気たツラは。俺が来たんだからもっと嬉しそうな顔をしろ」

一週間に覚えた事をつらつら思い出しつつ葉津菜を構っていたら陛下が勝手に入ってきた。背後にはいつも李織がいる。李織は陛下だけを守る騎士との事でいつでも側にいる。

「嬉しいよ。陛下、ありがとう。緯月は一緒じゃないの?」

「残念ながら違うぜ。薄情者は放っておいてお茶にしようぜ。李織と葉津菜もな。煉砥も来るぜ。とっておきのお菓子が来たからな」

毎日ご機嫌そうな陛下だけど、今日はさらにご機嫌だ。優雅な尻尾が機嫌良く振られていて、李織の尻尾も緩やかに揺れている。尻尾とは気持と機嫌で勝手に動くもので、それは種類に関係なく、だそうだ。だからとても正直に気持ちを出して、もちろん自力で動かせるけど無意識の方が多いし、この世界の人達はそれが当たり前になっているから気にしない。凪季の尻尾も正直者だから陛下が来てゆらゆらと揺れている。ちなみに、葉津菜の尻尾は動きがわかりにくいがとてもご機嫌だと膨らむらしい。

「とっておきの、お菓子?」

陛下ならどんなお菓子でも手に入るんじゃないか、と思いつつ席に着けば李織が持っていた紙包みを部屋付きのメイドさんに渡している。葉津菜はあくまで凪季の補佐で、メイドさんは別にいる。沢山いるメイドさんは人に付くのではなくて、部屋に付くとの事だ。

「ああ。李織の家からの差し入れな。中々旨いぞ」

李織の家・・・お菓子を作る家なのだろうか?上級騎士である李織とお菓子。結びつかなくて首を傾げれば李織が静かに笑んだ。この人は快活に笑う所を見た事はないし、しなさそうだけれど静かに笑む表情がとても綺麗だ。格好良くて男前なのに綺麗で羨ましい。

「私の家は城下町で食堂を営んでいる。今日の菓子は弟のものだ」

「はー・・・食堂」

また意外な言葉が出た。李織と食堂、申し訳ないけれど似合わない印象だ。驚いて李織を見れば陛下がぷっと吹き出して葉津菜は苦笑している。メイドさんが綺麗に盛りつけてくれたお菓子は厚みのあるクッキーと小さなパウンドケーキ。宮殿で出されるお菓子よりも無骨な感じがするけれど美味しそうだ。

「美味しそう。良い形だね」

整い過ぎたお菓子より、こっちの方が凪季の好みだ。知らず尻尾をご機嫌に振れば李織が珍しく微笑んだ。弟の作ったお菓子を褒められて嬉しいのだろうか。「やや、遅れましたな、申し訳ない。美味しそうなお菓子ですな」

「ぴったりだな、煉砥。会議はもう良いのか?」

「陛下が抜け出されているのに何をおっしゃいますか。あまり年寄りを虐めないで頂きたいですぞ」

「はは。やぶ蛇だったな」

煉砥も到着してみんなでテーブルを囲む。ここに緯月がいれば最初のメンバーなのに、といつも思ってしまう。どうしたって凪季は気になっているのだ、緯月が。

「ほら、変な顔してねえで食え。緯月なら食ってから探しに行けば良いだろ」

「んー。見つからないし。ずっと探してるんだけどなあ」

「凪季がトロいからだろ」

うけけ、と笑う陛下がお行儀悪くクッキーに囓りついて李織に軽く怒られている。凪季もパウンドケーキに囓りついて。

「あ、美味しい・・・」

砂糖はきっと凪季の知るパウンドケーキよりだいぶ多い。けれど、不思議と暖かみがあって美味しい。緯月の事を一瞬忘れて感動すれば葉津菜も美味しいと垂れ耳をふわふわさせている。宮殿での食事でもデザートだったりお菓子だったりが良く出るけれど、これは別格だ。そしてまた思い出す。緯月も一緒に食べれば美味しいのになあ、なんて。

「凪季は本当に緯月が気になるのですな。ヒトだからですかの?」

煉砥も羽根を小さく羽ばたかせながらクッキーを食べている。凪季が緯月を気にするのは確かに同じ見かけだからもあるけれど、違う何かもある。睨まれて嫌われているみたいだったのに、質問には答えてくれたし笑ってもくれた。可愛い笑顔がまだ鮮明に思い出せる。

「それもあると思うけど、違う気がする。もっと話したいなと思うんだけど、捕まらないし」

「あれで忙しいしな。まあ頑張って探せや」

「陛下、人ごとだね・・・」

「人ごとだろ。んで、一週間経ったけど少しは慣れたか?」

「あー・・・うん、たぶん」

慣れた。とは思う。いろんな意味で。そもそも好待遇な生活だから慣れる慣れないより前に快適が先に来るけれど。この一週間を思い浮かべて曖昧な返事をすれば陛下に呆れられた。

「そうじゃねえよ。その尻尾だよ。生活が快適なのは当たり前だろうが。ここをどこだと思ってやがる。青の宮殿だぞ。葉津菜までつけたのに快適じゃなかったらぶっ飛ばす」

さらりと笑顔で言われてしまった。それは質問の仕方が悪いと思うけど、声に出したら怒られそうだから止めておいて、そうそう、尻尾だ。

凪季の尻尾は猫の尻尾。ふわふわで、自分で触ってもなかなかの触り心地で感情とか機嫌とかで無意識に動いたりしている。座るときは気持持ち上げるつもりで。トイレの時もそうだ。お風呂では髪の毛よりも丁寧に洗っているし、根元は触るとぞわぞわする。寝る時は踏んづけない様に気をつけているものの、無意識で勝手に避けているらしい。思えば便利なものだ。ただ、特に何かの役に立つと言う事はないけれど。

「尻尾も慣れたよ。たぶん。って言うか、その、結局尻尾って何かの役に立ったりするのか?」

凪季の尻尾は役立たずだけれど、他の人は違うかもしれない。強そうな李織とかだったら尻尾で攻撃できるかもしれない。と思ったのだけれど。

「役に立つ訳あるか馬鹿」

軽く一蹴された。そうか、役に立たなくて良いのか。少し気持を尻尾に向けて動かしてみれば陛下が満足そうに笑む。

「慣れたなら良い。尻尾があって挙動不審なんて猫の風上にも置けねえからな。俺の国の民として良い事だ」

そして褒められる。と同時に何かすごい事を言われた。国の民と言う事は。

「え?俺、国民になってるの?」

「当たり前だろう。戸籍一式既に用意してあるぞ」

「は、早いよ陛下」

何て事だ。凪季はとっくに猫の人になっていたのか。唖然とすれば今度は煉砥がからからと笑う。

「いつまでも客人、と言うだけでは不便ですからな。それに凪季はヒトと猫のハーフ、と言う事で早めに固めておかないと後々やっかいですぞ。何せヒトは少ない上にその能力を買われる事が多い。その上ハーフとなれば、面倒ですぞ」

な、何が面倒なのだろう。ヒトが少ないのは分かっているけれど、確かに凪季みたいにヒトでありながら猫の尻尾なんて珍しいけれど。

「珍獣って訳だ。悪い言い方だけど事実だし身分はしっかりしておいた方が良い。つー訳で、凪季は俺の親戚になってるから」

「は!?」

今度こそ声を出して驚いた。凪季が、陛下の親戚!さらっと言われた事実はよくよく考えればとんでもない事だ。侵入者と言われた、この世界の者ではない凪季を親戚にするだなんて。

「へ、陛下・・・良いのか?俺、この世界の人じゃないし、どう見ても偉そうじゃないし」

「偉そう、は余計だろうが。良いんだよ。俺の部屋にいたのも何かの縁だ。何、紙切れ一枚の事だし議会の了承もぶんどってあるし、まあ、のんびりしてろや。待遇は保証するぜ?」

どこまで良くしてくれるのだろう、この人は。縁なんてない。どこの誰だかも分からない。世界が違うとはっきり言ってあるのに、それでも面倒を見てくれるのか。これはもう、感動するしかない。クッキーを囓りながら嬉しさと申し訳なさと、いろいろな感情が湧き出てしまって言葉がでない。ただ、尻尾だけは雄弁に嬉しいとゆらゆら揺れていて。

「こういう時に便利なんだ尻尾は」

「同じ種類であればより感情が伝わりやすい。猫で良かったな、凪季」

ふふん、と陛下が笑んで李織も静かに微笑んだ。全く違う種類の笑みなのに、どうしてだか二人とも、とても優しい笑みに見えてますます何も言えなくなってしまった。




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