駄菓子屋ブルーハワイの半分くらいです。
後でnovelページに移動するかもです。本はこの後も続いてます。
長い上に重たいです。



蝉が鳴き太陽が全てを焼いて湿度に蒸される季節。

風鈴を下げても風はなくて絶好の熱中症日和でもある。大人はぐったりと日陰で腐っているが夏休みでもあるこの時期は子供ばかりが元気だ。

 

蜃気楼が見えそうな景色はアスファルトの道路と寂れた商店街。駄菓子屋の軒先で扇風機を抱えた章人(あきと)は拭っても拭っても落ちてくる汗に苛つきながら笑顔で近づいてきたチビっ子を睨む。

「あっぢー。ガキんちょ、帽子はしっかり被れ。死ぬぞ。で、何味?」

「あーちゃんの方が死にそうだもん。オレ、イチゴミルク!」

「わたし、メロン!」

「あいよ。暑いからって腹冷やすなよ」

「あーちゃんのお腹出てるよ?」

「俺は大人だからいいの」

よいこらせと座っていた竹細工の長椅子から離れて、冷凍庫から大きな氷を取り出せばチビっ子達から歓声が上がる。この暑さでその歓声とは元気な事だ。げんなりしつつも古めかしい機械に氷をセットして手動でハンドルを回せばまた喜ばれる。壊れないからと買い換えることもないかき氷機は電動ではなくて全手動。有り得ない古さだができあがるかき氷は一緒。いや、手回しの方が若干舌触りが良いと評判だ。もっとも氷の舌触りよりも冷たさを味わうものだからあまり関係はないが。

しゃりしゃり。しゃりしゃり。暑いからと気持ち氷とシロップをサービスして、チビっ子達を今まで座っていた竹細工の長いすに座らせて扇風機の風をあててやる。小学生以下のチビっ子には特性の子供料金で、一杯三十円だ。もちろん容器も小さい。

「今日も暑いねえ。オレ達プールに行くんだ。良いだろ!」

「あーちゃんも来る?」

「いかねえよ。何だその年でデートか。良いねえ」

「違うよ。お兄ちゃんと待ち合わせなの」

暑い間は縛った方が涼しいからと黒髪は尻尾みたいな一つ縛り。日の下には極力出ない不精者だから全体的に白い。黒のタンクトップに短パン姿の章人は不思議とだらしなく見えないお得な部類の青年だ。例え首にタオルで腹をかきつつチビっ子に向けた扇風機をまた抱えて文句を言われていても見かけだけは良いと言うべきか。いや、正直に分かり易く言うならば女顔と言うべきか。あまりにも女性らしく見えてしまうので流石に悪いだろうと誰も口に出しては言わない程。

チビっ子のほぼ全員が章人の性別を間違って覚えていて、大人でも良く騙される。まあそんな感じの青年だ。

「こんにちはー。あーちゃんまた扇風機に懐いてる。かき氷メロン味!」

「僕も!いやー暑いね」

チビっ子達と扇風機で遊んでいたらまた違う子供が来た。小学生の高学年らしい二人組で真っ黒に焦げたチビっ子達のお兄ちゃんだ。二人にも小学生用の容器にかき氷を削ってまた賑やかになる。

この季節は駄菓子よりも氷の方が売れる、のは当然か。騒ぎつつかき氷を食べる子供達を眺めつつ、流れる汗を首のタオルで拭ってチビっ子から取り上げた扇風機を小学生の方に向けてやって。

「夏だなあ、ちくしょう」

鮮やかな青空に入道雲、蝉の鳴き声にうだる暑さ。

タンクトップをばたばたさせて腹を見せつつ呟く章人に、チビっ子達のお腹出しちゃダメーの声が重なった。



駄菓子屋ブルーハワイ

ここは古びた商店街の中心にある駄菓子屋。昭和初期辺りで時代が止まっているかの様な古めかしい、小さな店はこれまた小さな駄菓子で溢れている。

お陰で店内にレジも入らなければ店主の入る隙間もなくて、いつでも軒先に置いた季節の椅子で胡座をかくのが日常だ。今は夏だから竹細工の長椅子で型の古い扇風機もまた数十年物の古い物だ。

 

子供達が元気よく去って、扇風機を独り占めする章人はこの駄菓子屋の店主だ。五年前に亡くなった祖母から引き継いだのは高校を卒業したばかりの時で、進学する気もなく就職もどうだろうと思っていた時期だったのであっさりと駄菓子屋を継いだ。

時が経つのは早い物で、右も左も分からないまま駄菓子屋を継いでもう八年。駄菓子屋に居座る店主としては若いものの、すっかり『駄菓子屋の人』だ。


「だれてるなあ駄菓子屋。はい弁当。今日は鮭弁当だよ」

「おう。サンキュー弁当屋」

子供達にはあーちゃんと呼ばれている章人だが同じ商店街の店主達は店の名前で呼び合うのが普通だ。その方が分かり易い、と言うか名前を知らない店主達も多い。

寂れた商店街でも駅があるからそれなりに店はあって、朝の内に電話しておけば弁当屋が他の配達のついでに持ってきてくれる。

安っぽいエプロン姿の弁当屋はだらけきった章人の姿に笑いながら代金を受け取るとさっさと消える。弁当屋と言うか、商店街でクーラーも付けずにうだっているのは駄菓子屋くらいだからさっさと店に戻った方が涼しい。

「いい加減クーラー入れるかあ」

別に金がなくてクーラー導入をためらっているわけではなくて、この古めかしい駄菓子屋は祖母が気に入っていた店だから何となくそのままなだけだ。それに、開けっ放しの店でクーラーと言うのももったいない気もするし導入にあたって片付けなきゃいけないのが最も怠い。

店にある小さな冷蔵庫から麦茶を出し、かき氷の機械で氷を削って古びたコップに入れる。

かき氷の麦茶味と言うべきか細かい氷の入った麦茶と言うべきか、夏の定番である所のそれを用意していたら声をかけられた。

「それ、美味しそうですね。食べるんですか?」

「麦茶は食わねえよ、飲むんだボケ。で、何味?」

声は落ち着いた青年のもの。客だろうと振り向けばこの暑さの中でもきっちりとスーツを着込んだ、馬鹿としか言い様のない格好の青年が章人を見て驚いた顔をしている。

初対面の相手には大抵驚かれる章人だから気にもせずに目線を上にして青年を見る。青年は章人より頭一つくらい大きくて、商店街では見かけないタイプの男前だ。短い黒髪は整っていて軽く後ろに流して、ノンフレームの眼鏡に黒のスーツにネクタイ。手には何も持っていなくて額には当然の様に汗が浮かんでいる。

「味、ですか?」

変なことを聞くヤツだと思いながらもかき氷機の上に貼ってある黄ばんだ紙を指さして。

「イチゴ、メロン、レモンにブルーハワイ。オプションでミルクと言う名の練乳。で、そんな所に突っ立ってたら死ぬからこっち入れ」

変なヤツだと思いながらも炎天下の下で額に汗を浮かべながら立っているから手を掴んで日陰に入れる。

客だろうがそうじゃなかろうが章人の取る行動はいつも一緒だ。

日陰に入れた青年に扇風機を向けてやって、弁当を置いたままの長椅子に座る様に促す。

「あ、ありがとうございます。流石に暑いですね。それで、ブルーハワイとは何ですか?果物の味ではないですよね」

「お前、ブルーハワイ知らねえのか。んじゃそれにしてやる。・・ん?かき氷で良いんだよな?」

章人の麦茶を見て美味しそうだと言い、かき氷の味で首を傾げてブルーハワイ味を知らない。扇風機の風を気持ち良さそうに浴びる青年に今更ながらに章人も首を傾げる。

「ええ、かき氷食べたいです。ですが初めての味ですねブルーハワイと言うのは。ああ、そう言えばここはお店、で良いんですよね。随分と沢山の商品がありますね。すごいな」

どうやら駄菓子屋も知らない様だ。驚く章人だが出しっぱなしの氷は早く仕舞わないと溶けてしまうから、気にしない事にしてさっさとかき氷を作る。しゃりしゃりと音を立てる氷に青年の視線が釘付けだ。そんなに珍しいのだろうかと思うが、気になるのは変な青年よりこの暑さで素早く溶ける氷の方。手早く発泡スチロールの器に氷を盛って青いシロップをかけ、氷を仕舞う。

「これがブルーハワイな。二〇〇円」

どう見ても章人より年上だろうと思われる青年には大人料金だ。当然、器も大きめで氷もシロップもたっぷり。器を青年に差し出しつつ料金を告げればなぜか困った顔をされた。きっちりした身なりで金がないとは思えないのだが、それとは別に嫌な予感もする困り方だ。

「えっと、カードって使えますか?」

案の定、財布は持っているものの小銭ではなくてカードを出しやがった。しかも黒。

「お前、この店を見てカードが使えると思うのか」

「使えない、ですよね」

どう見てもレジすらない店でカードを出すとはやっぱり変なヤツだ。が、作り終えたかき氷は直ぐ食べないと溶けるし、カードを仕舞った青年は見るからにがっくりしているし。

「しょうがねえな。やるよ。一回だけだかんな。次に来る時はちゃんと小銭用意してから来いよ。ちゃーんと忘れずに来るんだぞ」

何となくがっくりしている青年がお財布を忘れたチビっ子と重なってしまった。仕方がないので溜め息を落としつつもチビっ子相手と同じ様にツケでかき氷を差し出す。

子供相手だと良くある事だが今回は大人の、しかも商店街では見ない顔。二度と来ない可能性の方が高い相手だが、かき氷の原価なんてあってない様なものだしこの変わったヤツがブルーハワイのかき氷を食べてどんな顔をするのかも見てみたい。

「あ、ありがとうございます。あの、ちゃんと来ますから。他の商品も見てみたいですし」

「そりゃ有り難い。ほれ、さっさと食わないと溶けるぜ」

ちなみに、この駄菓子屋のかき氷にはストローの先がスプーンになっているものが刺さっている。良くあるものだが、それすら青年にははじめてだった様で。

「あの、これって吸うんですか?」

「・・・まあ見た目はストローだしなって違えよ。これは掬って食って最後に飲むんだ。こんな風にな」

本当に変なヤツだ。が、不思議と嫌な気持はなくてチビっ子に接している気持になる。男前が眉を下げて情けない顔をしているのが妙に楽しい。

長椅子に座る青年を少し押しやって隣に座り、見本を見せるべくストローでかき氷を掬ってやれば納得した様でぱあっと顔が輝く。ちょっと可愛いかもしれない。

「美味しいです。青い色も涼しそうで良いし甘いですね。でも不思議な味だなあ・・・冷たくて気持ち良いです」

「気に入った様で何よりだよ。俺は飯食ってるけど気にしねえでかき氷を堪能してくれ」

「はい!」

何だろう、この、どうみてもきっと立派で男前な青年がはじめてのお使いなガキんちょと重なるのは。

微笑ましいと微笑むべきか、笑うべきか。章人の隣で興味津々と笑顔でかき氷を食べる青年を眺めつつ遠慮無く昼食にさせてもらう。

そもそも駄菓子屋は章人一人の店だ。昼食だろうが夕暮れのビールだろうが構わず店内で飲み食いだ。

弁当を広げつつ摘みつつ、すっかり氷の溶けた麦茶を飲んで一息。夏でも食欲の落ちない章人は綺麗に弁当を平らげて小さく息を吐く。なぜかブルーハワイを堪能しているヤツから観察されていた様で、ちろりと隣を見れば笑顔を返された。

「何か楽しかったんか?ずっと見てたろ」

「はい。美味しそうに食べる人だなあって」

「あ、っそ」

つくづく変なヤツ。悪気がないのは輝く笑顔で分かるしどうも調子の狂う明るさだ。青年の方はとっくにかき氷を食べ終えていて、空の容器を持ったままで妙に嬉しそうな顔をしている。

何をそんなに輝く笑顔なのかは分からないが、青年の持つ空の器を取り上げて空になった弁当箱と一緒にビニール袋に入れて地面に置く。

「お前さあ、せめて上着くらい脱げば?どう考えても暑いだろ」

何でこの暑さで上着まできっちり着込んでいるのだろうか。不思議、と言うよりもただの馬鹿だとしか思えない格好だ。なのに、章人の言葉で青年ははっと何かに気づいた表情をした。ひょっとして、気づいていなかったのだろうか。いやまさかそんな。

「そうですよね。これじゃ暑いや」

そんなまさか、の方だった。がっくりと肩を落とす章人に青年はようやく上着を脱いで白のワイシャツ姿になる。思ったよりしっかりした身体で着やせするのかとぼんやり見ていれば青年が立ち上がった。

「ああ、涼しくなった。でもやっぱり暑いですね。かき氷、ありがとうございました。あの、絶対に来ますからね。小銭持って」

「そんなに気にしなくても良いよ。来てくれりゃ嬉しいけど、まあ一期一会って言うだろ。そんな暑苦しい格好して倒れるなよ」

「大丈夫ですよ。それじゃ」

「おう」

きっちりとお辞儀をする青年にひらひらと手を振ればまた嬉しそうな笑みを見せられた。

本当に変なヤツだった。

 

駄菓子屋に来る客は千差万別老若男女だが、あんな感じのは珍しかった。

別に二度と来なくとも章人としては構わないのだが、また来てくれれば楽しそうだな。と思いつつも一日はゆっくりと過ぎてようやく太陽の光が薄れてきた。涼しくはならないが気分の問題で灼熱の太陽が隠れはじめれば何となくほっとできる。

 

そして、夕食前の時間は一時的に商店街が賑やかになる。会社帰りの人達や夏休みでも部活動のある学生に学習塾に通う子供達とか。

この時間帯の駄菓子屋には主に部活帰りの汗臭い中高生と、塾帰りの学生に商店街で買い物をする主婦達を待つ小さなチビっ子達で溢れる。文字通り溢れるのだ。

「あーちゃん、これしたいの」

「一回二〇円な。お、もう金の計算ができるのか。将来有望だなお前。偉いぞ」

ようやく歩きはじめたチビっ子が糸ひき飴をしたいと小さな手に硬貨を握りしめていれば頭を撫でてやりつつ相手をし。

「腹減った!コロッケ頂戴!あとは・・・」

「五八〇円。食い過ぎじゃねえの、これから夕飯だろ?」

真っ黒に焦げた学生達を相手しつつ肉屋から仕入れているおやつコロッケを手際よく包んで渡して。

「やっぱりイチゴミルクだよねー。あーちゃん手伝おうか?」

「さんきゅー。ミルク増量して良いぜ。氷はちゃんと仕舞ってくれな」

やたら薄着の女子高生が勝手に手伝ってくれたりで、わらわらと集まる大小揃った子供達にてんやわんやだ。椅子も一つでは足りないものの、そこは子供達同士での役割分担がある。

小さな子を椅子に座らせて扇風機を独占させ、大きな子供はその周りで世話を焼きつつ飲み食いをして、ちゃんと片付けてから帰る。

躾の良い子供達、と言う訳ではなくて章人の教育によるものだ。祖母から店を継いで直ぐは躾のなっていないガキんちょも多かったものの、今ではそれなりに店から溢れても章人の怒鳴り声が響く事はない。

ついでに暗記と暗算が得意な章人には計算機もいらず客を待たせる事も少ない。

「はー。やっと帰ったか。毎日元気だねえ」

完全に日が落ちて夜も過ぎた頃にようやく一息付ける。

 

商店街からも人気が少なくなり、街頭が付く頃になればちらほらと会社帰りの客が来る様になってごっそりと駄菓子を買っていってくれる。

大人にも人気、と言うか章人の気分次第で遅い時間までやっている時もあるから興味を持ってふらふらと入ってくる大人が多いのだ。

もちろん馴染みの客も多い。

「はい、いつもありがとさん。オマケで糸ひき飴する?」

「わ、嬉しいな。えっと、じゃあこれ」

「はい外れー。さんきゅな」

ぽつぽつと訪れる大人の客を相手しつつそろそろ章人も夕食だ。と言っても普段は店を閉めてからが夕食で今夜は腹も減ったし少し早めにしようか。なんて思えば閉めたくなるもので、夕食時が閉店時間だ。

店先に出た椅子と扇風機を仕舞って、店の中を大ざっぱに片付けつつカゴに入れた売り上げを袋に入れて。

小さな店だからそう時間もかからず、閉店準備も終わり、シャッターを下ろそうとすればゴツゴツと響く音を立てて見知った顔が近づいてきた。

「はあ〜い、章人。飲みに行かない?」

「相変わらずな音立ててんのな和弥(かずや)。いいぜ」

「もう!和弥じゃなくてエンジェルって呼んでくれなきゃイヤよ!」

「お前、自分の身長と筋肉と少し相談しろよ。有り得ねえだろうが」

「煩いわね!そんなオヤジ臭い格好してもまだ女の子に間違われる章人にはアタシの悩みなんて分からないわよ!」

「ボディビルダーが何ほざいてんだか」

幼なじみの和弥だ。明らかに商店街だろうがどこにいようが異彩を放つ不自然なイキモノと言えば良いだろうか。二メートル近い長身に分厚く鍛え抜かれた筋肉で、凛々しい顔立ちに金色に脱色した短髪。

なのに何をどう間違ったのか、オネエさんなのだ。

どう見ても似合わないピンクの可愛らしい、胸板に押されてキャミソールと言いたくないキャミソールと、ラメ入りのジーンズに素晴らしい音を立てる厚底のサンダル。確実に二メートルを超えているだろう恐ろしいイキモノだ。

職業は駅前のスポーツジムのインストラクターだが趣味がボディビルダー。体格と筋肉に似合った趣味でもあり、他にも格闘技らしきものを趣味にしている。

ちなみに、和弥には双子の兄がいて、そっちもご同類。身長と体型、趣味までもが一緒で両親は毎日溜め息を落としつつも突き抜け過ぎた息子達に文句を言う覇気もない様だ。

「まったく毎日暑くてイヤになっちゃうわ」

「お前の所はクーラーあるだろうが。どれ、風呂入ってくるから勝手に寛いでろ」

「はあい」

やいのやいのと話しながらも駄菓子屋を閉めて和弥と一緒に移動する。店の裏が中庭になっていて、その向こうが章人の家だ。

これまた古い家で昔は地主だったらしく、この辺りにしては広い。が、この時間だと誰もいなくて真っ暗だ。

両親と兄も住んでいるのだがそれぞれ仕事で忙しく、それもあって一番若い章人が駄菓子屋を継ぐと言ったときにあまり反対がなかったと言う曰くもある。

 

章人にとっては生まれ育った家で、和弥にとっては勝手知ったる、な家になる。

縁側から家に入って窓を全開にし、扇風機を回しながら章人は風呂に向かい、和弥は冷蔵庫から麦茶を出してテレビを付ける。

風呂も古いものでヒノキ風呂だ。が、夏の間はシャワーしか使われないもったいない風呂でもある。

 

一日の汗を流せばようやくスッキリして、伸びた髪を拭きつつ和弥のくつろぐ居間に入れば睨まれる。

「アンタ、何でパンツ一丁でも女の子なのよ。にくったらしいわね」

「毎度の事ながら煩いよ。生まれつきだ。恨むなら親を恨め」

「くっ、性格はオヤジなのに、見かけが美少女だなんてカミサマも不公平だわっ」

「いやだから、もう美少女って年でもねえからな?つか扇風機独占すんな。髪乾かねえんだよ」

「ドライヤーにしなさいよ。手入れもしないくせにツヤツヤなんだから。あ、髪留めあるわよ。可愛いのよ」

何で坊主頭の和弥に髪留めを持つ必要が、なんて言ってはいけない。言ったらまた愚痴られるだけだ。

確かに章人は女顔で体型も男らしいとは言えないし、日焼けもできない体質だから夏だと言うのに真っ白だ。ただし、中身はちゃんと男、ではなくて既にオヤジ。飲みに行くというのに自然と身体が動いて冷蔵庫からビールを取り出し腰に手をあて。

「やっぱ風呂上がりはこれだよな。旨めえ」

「ちょっと、これから飲みに行くのよ!まあ良いけど、早く用意しなさいよ」

「へいへい」

堂々ったる飲みっぷりに和弥も呆れて溜め息を落とすが、しっかりと章人に可愛い髪飾りを押しつけてくれた。

和弥の双子の兄は商店街の近くにある小さな歓楽街でバーを経営している。

小さくて人目を避ける様にあるそこは雑居ビルの地下二階。扉も店だとは分からない造りで、見せるつもりのない小さなネームプレートにさらに小さく店名が書かれているだけ。

「いらっしゃーい」

店に入ればマスターである和弥の兄の野太い声に迎えられる。何から何までそっくりなこの双子、当然の様に兄である和郎(かずろう)も和弥と同じ様な格好で髪だけが銀髪。兄弟揃って非常に目に優しくない。見慣れた顔であっても優しくない。

「あら、エンジェルと章人じゃないの。ここはバーなのよ。また夕ご飯食べにきたわね」

「いやねえジュリア。ご飯食べに来てるのは章人だけよぉ」

カウンター席に腰掛けて章人一人がげんなりする。ちなみに、ジュリアとは和郎の事だ。もちろん章人は呼んだ事なんてない。

「とりあえず生中。飯何がある?」

今更気にしても何もはじまらないと、さっさと注文すれば和郎が迫力のある顔でにっこりと微笑む。

「アタシ特性のオムライスがあるわよ〜」

「じゃあ特性じゃない方のオムライスで」

「まあ、ほんっと可愛くないんだから」

いつも通りのやり取りをしつつ和郎が大ジョッキを置いてくれる。和郎の手には小さいが章人の手にはもちろん大きい。ぐいっと一息で半分くらい飲み干せば風呂上がりのビールとはまた別の旨さに顔が緩む。

「やっぱビールは大ジョッキで生だよな。和弥、お前もそう思うだろ。だからグラスビールは止めておけ」

「良いのよっ。ダイエット中なんだから!アタシにジョッキを見せびらかせないで!」

「ダイエットって・・・」

その鍛え抜かれた筋肉のどこにダイエットが必要なんだと目を半分にすればぎろりと睨まれて首を竦める。

これはあまり構わない方が良いだろうと、さっさと一杯目を飲み干して二杯目を注文しぐるりと店内を眺める。

 

薄暗い間接照明のみの小さな、隠れ家の様な店。カウンター席は明るくてテーブル席は薄暗く奥まった、秘密の話をするのに絶好な雰囲気を見せる。客層は男女まちまちだがこの店には暗黙のルールがある。誰でも気軽に、は入れないかもしれないが一応制限はない。但し、この店では同性にしか声をかけてはいけない。まあ要するに、そう言う店だ。

カウンター席とテーブル席、それぞれにちらほらと客がいるが皆向かう嗜好は同性のみ。この双子も向かう嗜好は同性のみ。が、章人は違う。店に出入りしているからと言って章人の嗜好がそうかと言えばどちらでもないと言うべきか。男女どっちでも気が合えば良い章人はこの店ではイレギュラーだが、主に夕食を取りに来ているのと、頼まれごとをされる時があるので違う意味でもイレギュラーな存在だ。そして、今宵は章人以外にもイレギュラーな存在がいる様だ。

 

テーブル席にスーツ姿の男性客が数名と女性客が数名。一見すればコンパか?と思う所だがこの店では明らかに異質だ。

「はじめて?」

「そうなのよー。ちょっと困ってるんだけど、追い出すわけにもいかないし今夜は運が悪いと言う事かしらね」

「ふぅん。まあ騒がしくなったら言えよ」

「大丈夫だと思うわ。お行儀は良い人達だし」

章人と和郎とで小声で話しつつそれとなく様子を伺えば、店内にあるのは何となくがっかりした空気と一カ所だけの妙な空気。

確かに男女入り交じった席なのに盛り上がりが一切ない。あれはお行儀が良いんじゃなくて、何か違う様な気がする。と思えばその異質なテーブル席から一人の青年が立って真っ直ぐ章人を見た。章人も立ち上がった青年を見て驚く。

「あれ、アンタ」

「さっきの・・・」

テーブル席から見つけたのだろう。立ち上がった青年は昼間に出会った変なヤツだった。スーツは一緒で、でも着替えたのだろう微妙に色と形が違って、このクーラーで冷えた店で見ればとても似合っていて変なヤツでも男前度が増して見える。

「偶然、ですね?」

章人を見るなり嬉しそうに近づいてきた青年がカウンターの前で立ち止まって首を傾げる。確かに出会う場所としては不思議かもしれないがなぜ首を傾げるのか。

「偶然以外の何者でもねえだろうが。って座んな。お前の席はあっちだろうが」

「良いんです。別に一緒に飲んでいる訳じゃないんです。無理矢理連れてこられれただけなんです」

「・・・あからさまに聞こえる様に言うなよ」

「いいんです。知りません」

大きな男が随分と子供っぽい仕草で怒っている、のだろうか。唖然とする章人にオネエ兄弟も驚いて首を傾げている。

「あのなあ」

「何勝手に移動してんだよ。せっかくのコンパだってのに。ほら戻ろうぜ」

「そうですよ、貴方がいないと話が進まないんですから頼みますよ〜」

何はどうあれ勝手に来ても良いのかと言おうとした章人の声に青年の同行者らしい声が重なる。

一人は気の強そうな、少々いけ好かない感のあるスーツ姿の青年で、もう一人は気弱そうな同じ様なスーツ姿の青年。どちらも二十代の後半くらいだろうか。慌てた様子で近寄ってくるものの男前の青年がくるりと椅子ごと振り向くとぴたりと足を止める。何なんだろう、こっちの方が偉いのか?

「戻りませんよ。商談だと言われてみればこの始末。僕は貢ぎ物ではありませんしこの様な商談の進め方は同意できません。報告もしますから早くお帰りになったらどうですか?」

なる程。隣に座りつつも部外者な章人は勝手に納得して静かに怒られたスーツ二人を見れば一人は顔を真っ赤にして怒鳴り出しそうで、もう一人は真っ青になる。何で正反対の色になるのかが少し不思議でもあるが。

「貴方達、ここはお酒を静かに飲んで楽しむ所であって騒ぐ所ではないし、何よりコンパを開く様な所でもないでしょう。お酒を静かに楽しく飲んでくれるなら良いけど、そうじゃなかったらアタシが怒るわよ」

騒ぎになる一歩前、マスターである和郎がカウンターから出て怒鳴り出しそうな青年の前に立ち、和弥も隣に立って腕を組む。兄弟揃って厚底サンダルを愛用しているものだから立っているだけで二メートル超え。睨み下ろされればかなり怖い。

「な、何だよ、俺たちは客だぞ!そんな態度許されると思ってんのかよ!」

このまま二人の迫力に引き下がれば良いだろうに少し酒の入ったいけ好かない方は思いきりひっくり返った声で怒鳴って後ずさる。その態度に章人の隣で動く気配がするが、片手で止めて椅子から下りた。

大ジョッキを片手にあえて笑顔を作って仁王立ちの二人の前に立てば章人は完璧な女性に見える。それもかなり綺麗な。

にっこりと笑う章人にスーツ二人が息をのむ。

「まあまあ、兄さんだってお酒は楽しく飲みたいだろ?とりあえずは席に戻ろうぜ。で、俺と飲み比べな。もちろん勝つよな、こんなひょろい俺に負けるなんて思わないよな。そうだよなあ?」

一歩前に出て大ジョッキをいけ好かない方に押しつけつつもう一歩。さらにもう一歩。微笑む章人から妙な力を感じて二人とも怒鳴る事もできずに後ずさり、そのまま仲良くテーブル席まで後ずさる事になり。

「よっしゃ、飲むぞ!ジョッキとりあえず十杯な!あ、お姉さん達はカクテルなんかどう?甘いのが好きならこっち、甘くないのならこっちがオススメだぜ。アンタらはこっちでビールだぜ。男なら飲め!さあ飲め!間違っても俺に負けるんじゃねえぞ。な?」

不思議な空気がバーを支配する。その中心は一人で騒ぐ章人で、宣言通り十杯の大ジョッキを和郎が一人で軽々と運び、テーブルに無理矢理置く。

こうなればもう誰も逆らえない。

怒鳴った青年は訳が分からないと言う顔で大ジョッキを抱えて、もう一人も青い顔のまま大ジョッキを抱え、恐らくは商談相手になるのだろう、二十代に見える着飾った女性には章人の微笑みとカクテルが付いて。

「かんぱーい!飲むぞー!」

一人笑顔な章人に釣られて一方的な飲み勝負となった。

最高の喉越しを味わい輝く笑顔になる章人に和弥はカウンターに戻り呆然としている青年の肩を叩く。

「大丈夫よ、ああなったら誰も敵わないから。貴方は大人しくしてなさい」

 

体質と血筋。章人は酒が好きだがそう多く飲む方ではない。味と喉越しでビールが好きではあるが、風呂上がりに小さい缶を一缶で十分。それ以上飲んでも酒代がかかるだけで全く酔わないのだからもったいない。

そう、章人は酒に酔う事がない。何をどれだけ飲んでも酔わない、と言うか、どうやら体質的にアルコールと水が一緒になる人種の様で、これは家族全員がそうだ。

 

「生ビールは大好物だけどな。いやあ久々に飲んだぜ。んで、何がどうしてああなった訳よ」

「その、本当にいろいろと申し訳ありません。お酒、強いんですね」

「強いってか水と一緒だし。何そんな顔してんだよ」

「ちょっと驚き過ぎてしまって。本当にすみません」

章人の一方的な飲み勝負と言うかビール飲み放題と言うか、お代はきっちりいけ好かない感じの方からむしり取りつつ大ジョッキ二十杯を飲み終えた所で向こうが降参し、あっさりお開きになった。

着飾ったお姉さん達と店の全員から拍手を貰った章人はこの為に呼び出されることもある歓楽街の名人だ。

 

名人は笑顔とジョッキ、時にはウォッカ片手に相手をある程度気持ち良く潰してあげて店から放り出す。

ついでにこの分かり難い店に二度と来ない様に記憶すら混濁させる喋りも得意技で、これは歓楽街の他の店からも依頼される程で、名人はタダ酒が飲めると予定さえ空いていればほいほいと名人芸を披露してくれる。

綺麗なお姉さん、ではなくて、この手のトラブルに慣れきった章人にすっかり飲まれたスーツの二人はぐでぐでになって店を出て、着飾った女性は章人の飲みっぷりと話術にほんわりと良い気分で帰っていってくれた。もちろん騒ぎの原因である男前の存在は忘れてのご帰還である。

 

そんな名人の隣ですっかりしょげている青年は肩を落としつつもすっきりとした笑顔なのが印象的で。

「あの男性二人は僕の社の先輩と後輩です。商談があるからと呼び出されたのですが、時間が妙だなと思ったらこんな事になっていまして。あ、名刺です」

「ふーん。篠田 静壱(しのだ せいいち)って言うんだ。あれ、この会社俺でも知ってる」

差し出された名刺はシンプルなもので、白地に社名と役名、名前のみ。住所も電話番号もないものだが、それだけで章人の隣に座る青年の身分が分かるものでもある。

「あらスゴイ。若そうなのに部長なのね。でも、そうなるとさっきの怒鳴ってたコは?」

「あの人は違う部署の係長ですが、親戚でもあるのです。それであの様な感じで。重ね重ねすみません」

ぺらぺらと貰った名刺を裏返してみたり団扇にしてみたりの章人とは違って、ちらりと見えた役職名にオネエ兄弟が驚く。

「じゃあ静壱って呼べば良いのか。あ、俺は章人な。こっちのヘンなのは金色が和弥で銀色が和郎。見ての通りの双子だぜ。で、この名刺って住所も電話もないのな。不便じゃないのか?」

全てをさらっと流して自己紹介しつつも名前の判明した変なヤツを見てにかっと笑う。その笑みに青年、静壱は驚いた顔をしてから気の抜けた笑みを浮かべた。

「よろしく、章人さん。住所と電話番号がないのは役職によりけりなんですよ。折角だから僕の携帯番号を書いておきますね」

「かき氷代は請求しねえぞ?」

「違いますよ。それに、お店の場所は覚えましたから後日ちゃんと行きます」

「じゃあ期待してる。俺のも書くか。いや、普通に交換した方が早くね?」

「それもそうですね」

二人で笑って、携帯電話を取り出して赤外線通信をしてあっと言う間に終了だ。顔を見合わせて静壱はにっこりと嬉しそうに、章人はにやりと面白そうに笑う。そんな二人のやり取りを呆れてみているのはもちろんオネエさん達だ。

「アンタたち知り合いなの。随分良い雰囲気で。けっ」

「全くねえ。お客さんも章人もいちゃつくんなら奥に行って頂戴。けっ」

最後の舌打ち部分だけ野太い野郎になってカウンター席を追い出されてしまった。

店中の視線も二人に集中して突き刺さる。が、章人は分かっていても静壱は全く分からない様子だ。

そう言えばコンパだと言っていたのだから当然でもあって、仕方がないので奥の席に静壱を引っ張っていってから説明してやる。

「え?そ、そうだったんですか。それじゃ、僕たちは随分と邪魔してしまいましたね。改めて申し訳ない」

普通は説明されて驚き引くものだが、静壱は申し訳なさそうに頭を下げるから章人の方が驚いてしまう。本当に変なヤツだとは思うものの悪い気はしない。

「あの、それだと章人さんも、その?」

「俺はどっちでも。気が合えばな。今はフリーだぜ?」

にやりと笑って静壱を見上げればなぜか真っ赤になられてしまった。からかったつもりもなく、章人としては普通に言っただけなのに。

「そんな顔されると俺が困るっての」

「す、すみません」

きっと真面目なのだろう。駄菓子屋の時と言い、今の態度と言い。章人の周りにはいないタイプで楽しくもあるが、からかって遊びたいわけではない。

「いや、俺も悪かったよ。ま、飲むか。って飲めるのか?」

「章人さん程強くはありませんが程ほどには。あの、改めてありがとうございました。今更ですけど、助けて貰ったんですよね、僕」

「ばーか。そう言うのは気づいても言わないもんだ。まあ余計なお節介だったかもな。あの意地悪そうなヤツに虐められたら泣きに来いよ。おやつコロッケくらい奢ってやるぜ」

「大丈夫ですよ。社では大人しい人ですし。でもおやつコロッケに興味があります。泣きながらは行かないと思うので買いに行きますね」

改めて注文した酒を飲みつつ良い雰囲気だ。

落ち着いた、まさに店に似合う雰囲気の静壱はその容姿もあって店中から注目を集めてはいるが本人は全く気づいていなさそうなのもまた楽しい。だからと言って章人が惚れるかと言えば首を傾げるしかない。良い奴だとは思うがそこに情が絡むかと言えば今はまだ分からない。



「惚れたに決まってるでしょ!アンタじゃなくてアッチが!はじめてで困ってるイケメンを優しくナンパなんかしちゃった上にアンタの色気よ、落ちない方がオカシイって!」

 

翌日の昼前。駄菓子屋の客が引けると同時にまたゴツゴツと音を鳴らして怖いイキモノが来た。

昨日と同じくうだる暑さで章人も普段通りのタンクトップに半ズボン。首タオルに扇風機と麦茶入りかき氷の完全装備で寛いでいたらこの騒ぎだ。

恐らくは昨夜の話をしたいのだろう、と言うのは分かるのだが随分と失礼な言いぐさだ。

「人の顔見るなり失礼なヤツだな和弥。注文ねえんなら帰れ」

「あるわよ!ジムのコ達に差し入れするんだから」

「じゃあとっとと選んで帰れ。何が色気だ馬鹿野郎」

人の顔を見るなり好き放題言ってくれて腹立たしいイキモノだ。大きな身体を小さくしながら駄菓子屋のカゴを抱える姿に溜め息しか出てこない。

しかしまあ、確かに変わったヤツだったとは思うし、男前だったなあとも思うがそれだけだ。

ただ、あの姿で小銭を握りしめてくるのはちょっとわくわくするかもしれない、とは思うが。

「しっかし暑いなあ。また晴天だし、暑苦しいのは店を荒らすし」

「荒らしてなんかないわよ。はい、これでお願いね」

「へいへい」

駄菓子屋のカゴは店に合わせて当然ながら小さい。そのカゴを3つも抱えた和弥に引き続き溜め息しかでない章人だが客は客だ。店で一番大きな袋にざらざらと駄菓子を入れて一応小分けの袋も入れておく。その間に和弥は章人の席を奪って扇風機を独り占めしているから背中を蹴って。

「ほれ、さっさと行け」

「酷いわ!アタシだって客なのに!」

「人の顔見るなり馬鹿な事ほざくのは客であっても客じゃねえんだよ。それにもうガキ共が来る時間だからな。お前だって泣かれたくないだろ?」

「うっ・・・みんな酷いわよねえ。アタシの可愛い顔見て泣くなんて」

「中高生には人気者だろ。来るなら夕方に来い。じゃあな」

「分かったわよう。じゃあねっ」

怖い外見の和弥は当然の様にチビっ子には泣かれるが、不思議と小学生から上になれば人気者なのだ。若い奥様連中にも人気で、当人が希望する所の男性にのみ不人気を誇る。今日も似合う似合わない以前になっている赤のキャミソール姿だ。

目立つ姿でガツガツと音を立てて店から遠ざかるおっかいイキモノの背中を眺めていれば反対側から弁当屋が配達に来て章人の昼休みになった。

そう言えば昨日のこの時間にアイツが来たなと思い出す。うだる暑さの炎天下の下で、きっちりとスーツを着込んで汗を書いていた変なヤツ。

「ま、流石に昼間はないだろ」

約束通り来るとしても流石に今の時間はないだろう。好きこのんでこんな炎天下にでなくとも。の前に今日は平日だ。子供達は夏休みで章人は仕事をしている今でも夏休みと一緒の状態だが静壱は違う。

貰った名刺にあった社名は章人でも知っている有名な大企業のもので、いや、ならばなぜ昨日はあんな昼間にほっつき歩いていたのか。思い出せば手ぶらで鞄もなく仕事中には見えなかった。

・・・考えても章人には分からない世界だし気にもならない。パチンと音を立てて割り箸を割って日替わり弁当であるのり弁を食べようかなと思えば。

「ブルーハワイお願いします。おやつコロッケも」

考えていた声が降ってきた。

この炎天下の下、昨日と同じ様なスーツをしっかりと身に纏って、ノンフレーム眼鏡が知的に光る。

駄菓子屋の軒先にもっともに合わない男。まじまじと静壱を見上げた章人は目を半分にする。

「お前馬鹿だろ。何で昼間なんだよ。その前にその上着は脱げ。死ぬぞ」

「え、酷いですよ。お昼休みになるの楽しみにしてたんですよ僕」

「ああ。昼休みか。ってそれでも馬鹿だろ。いいから脱げ」

見ているだけで暑苦しい。手を付けていない弁当を置いて立ち上がり、静壱を座らせつつ上着を脱がせる。本当に何で着ているんだこの馬鹿は。

「今日も暑いですねえ。かき氷が美味しそうだなって思ったらもう止まらなくて。朝からお昼休みが楽しみなんてはじめてです」

「そりゃ良かったけどな、何できっちり全部着てるんだよ。その辺歩いてる奴らは全員半袖だぞ?」

「癖なんでしょうね。ああ、涼しい」

扇風機も静壱に向けてやって章人はかき氷機をじゃりじゃりと回しつつ呆れ果てる。良い年だろう大人がスーツ姿でかき氷が楽しみだなんて。と言う事は昼飯もまだだろうし、そもそも静壱がどこから来ているかも知らない。

「ほれ、ブルーハワイ。で、折角の昼休みを駄菓子で終わらせるつもりなのかお前は。だいたいどこから来てるんだ?」

出来上がったかき氷を渡しつつ隣に座れば嬉しそうに受け取った静壱がふわりと微笑んで。

「僕、静壱です。お前じゃないです」

「・・・いや名前じゃ、いや、まあそうだな。静壱、で良いのか?」

「はい」

「で。飯は」

「かき氷とおやつコロッケですまそうかな、と思っています。あ、何ですかその顔は」

「呆れてるだけだ馬鹿」

章人が名前で呼べばまた嬉しそうに微笑まれて、だが話はそこではないのだ。章人だって弁当一つじゃ夕暮れまで持たないと言うのに何をほざいているのか。

どう見ても章人より身長も高ければ重さもあるだろうし、それなりに食べるだろうに。

はあ、と溜め息を落として、渡したばかりのかき氷を取り上げてからまだ手を付けていないのり弁を静壱に押しつける。

「しょうがねえなお前・・・静壱は。食え。全部食ってコロッケも追加しろ」

「ダメですよ。これは章人さんのご飯でしょう?僕はおやつコロッケを」

「だったらコロッケも追加だ。つか、コロッケの前におやつってあるんだから子供用だって気付よ。お前じゃ一口だぞ。ほれほれほれ」

「わあ、こんなに乗せないで下さい。溢れちゃうじゃないですか」

「静壱なら食えるだろ。俺は後でいくらでも食えるから良いんだっての。食い終わったらかき氷も作り直してやるから心配すんな」

言い直したのはお前と言った所で悲しそうな顔をされた為だ。

だから何で大の大人がそんな顔をとは思うものの捨てておけないのが章人だ。弁当を押しつけて遠慮されるものの、成人男性が駄菓子を昼飯だなんて我慢できないのが章人だ。押しつけておやつコロッケを保存棚から五個出して無理矢理乗り弁の上に乗せる。

「章人さんに迷惑ばかりかけて、ごめんなさい」

「しょぼくれた顔する前にさっさと食え。麦茶くらい出してやるから」

どうもこのしょんぼりした顔に弱い。章人の迫力に押されてのり弁に手を付ける静壱だが申し訳なさそうな雰囲気に苦笑する。麦茶入りのかき氷を静壱の為に作って、隣に座ってブルーハワイのかき氷を食べる。しぶしぶと乗り弁を食べている静壱とかき氷を食べる章人とで、椅子に座って少しの間無言の時間が流れるが嫌な雰囲気ではない。不思議と落ち着く空気でブルーハワイ味なんて久々に食べたなと章人が思っていたらチビっ子達のはしゃぐ声が近づいてきた。

章人の前でワンピース姿のチビっ子が3人、元気よく駆けてきて立ち止まる。

「あーちゃんかき氷、メロン!あのね、プールに行くんだよ、おにゅうなんだよ!」

「何がおにゅうなんだよ」

「水着!ママにね、女の子なんだからビキニだよねって言われて、ほら!」

チビっ子は男の子より女の子の方が元気だ。わらわらと章人の前ではしゃぐチビっ子達が揃ってぺろりとワンピースを捲って新しい水着を披露してくれた。

確かに可愛らしいとは思うが幼女の水着姿に静壱が思いきり咳き込んでいるから内心で呆れつつ片手で背中をさすってやる。

「うん、水玉にイチゴにラメラメな。可愛いぞお前ら。でもな、女の子が人前でワンピース捲っちゃダメだ。悪い大人に浚われるぞ。それと捲ったまま扇風機の前に立つんじゃない!腹が冷えるだろうが!さっさと戻す!で、全員メロンなのか?」

「うん。お揃いなの」

「へいへい、ちょっと待ってろ。椅子は今ご飯食べるのがいるから扇風機だけで我慢しろよな」

「いいよー。お兄ちゃん、ご飯おいしい?」

子供と言うのは好奇心が旺盛で警戒心が少ないものだ。特に通い慣れた駄菓子屋の軒先なら。輝く笑顔のチビっ子達に囲まれた静壱が一応笑顔を見せつつも困惑しているのが分かる。

ああ、子供が苦手なのか、いや、どうして良いのか分からないのかと、囲まれてロクに受け答えできない静壱を眺めて笑いつつ手早くかき氷を用意して渡してやる。ついでに静壱の麦茶も新しくして後ろに立って背中もさすってやる。

「ご飯食べてるヤツはほっとく方が良いんだぞ。それと、お前ら三人だけで行くのか?」

「違うよ。お姉ちゃん達と一緒なの。今コンビニにいるよ」

「待ち合わせなの」

良くこうして待ち合わせに使われる駄菓子屋だ。チビっ子の面倒を章人が見てくれるし、小さなお菓子で大人しくしているものだから毎日の事だ。

ようやく落ち着いた静壱の隣に座って、軒先でかき氷を食べはじめた途端にぴたりと口を閉じたチビっ子を観察する。

「あ、あの、章人さん、僕なら立っても大丈夫ですが」

「良いの良いの。基本俺らよりガキんちょの方が元気なんだし。それよか大丈夫か?」

「す、すみません・・・驚きました」

「まあなあ。ま、気にすんな。っと、来たぞやかましいのが」

またバタバタと駆け足の音が聞こえたと思ったらどうやら待ち合わせの相手が来た様だ。

確かにチビっ子が言った通り、恐らくは保護者だろう水着と変わらない格好の女子高生が二人と、水着を披露してくれたチビっ子と同じくらいの男の子を二人連れた真っ黒に焦げた男子高生が一人。

全員が駄菓子屋の常連で、チビっ子達は真っ直ぐに章人に向かって駆けてくるから静壱に弁当食うのはちょっと待てと合図を送る。この年頃の子供と言うのはほぼ全員が同じ思考回路と行動を章人に示してくれるからで。

「あーちゃん!おにゅうの水着なんだよ!かっちょイイの!」

タンクトップと半ズボンを勢いよく捲ってくれた。が、不器用なのと力強さが相まって。

「それじゃ水着じゃなくてチンコだ馬鹿。つーか、何でお前ら全員プールの前に水着着てるんだよ。ほら、泣きそうな顔になってねえで仕舞え。おにゅうの水着もちゃんと見えたから」

失敗して泣きそうになっている男の子を撫でつつ呆れ果て、隣の静壱はやっぱり驚いている。まあ驚くのが普通だろうが。

「ごめんね、あーちゃん、帰りにちゃんと買うから!」

「俺ら休みなモンで扱き使われちまってさ。ちなみに俺等も水着着てるけど、見る?」

「見るかボケ。ガキ共から目離すなよ。別に買わなくても良いからきっちり遊んでこい」

「はーい!」

全員が章人から見れば等しく子供だ。

元気よくチビっ子達の手を取って駆けだした元気の有り余る一団が台風の様に駄菓子屋を去っていく。

「賑やかですねえ。そう言えば夏休みなんですね」

「ああ、大人には関係ないけど毎年賑やかだぜ」

静かになった駄菓子屋で静壱が眩しそうに賑やかな一団を見送ってほうっ息を吐く。

大人にはなかなか味わうことのできない夏休みを実感したらしい。まだ若そうに見える静壱だが夏休みは遠く昔だろう。

「ごちそうさまでした。おやつコロッケ、美味しかったです。結局全部食べちゃいました。お代はちゃんと払いますからね」

「おう。その体格で全部食えねえなんて有り得ないから当然だ」

食べ終えてちゃんと小銭を用意してきたと嬉しそうに笑う静壱に章人も笑って弁当代込みで貰う事にした。普段は小銭なんか持たないだろうこの立派な大人で、偉い役職でもある静壱がおつかいの子供に見えるから不思議だ。

「残念ですけど、もう時間だ。また来ても良いですか?」

「もちろんだぜ。でも、今度来るならもっと涼しい時間にしたらどうだ?あと飯はちゃんと食えよ」

「分かってます。やっぱり暑いですものね。じゃあ、ありがとうございました」

律儀に一礼して、上着を抱えて駄菓子屋を去る静壱に、そう言えばどこから来るのだろうと聞きそびれて首を傾げた章人だが直ぐにチビっ子に来襲されて全てを綺麗さっぱり忘れた。



章人の日常は概ね子供達と戯れて終わる。

夕暮れが過ぎれば大人も若干来るが、客層は子供がほとんどだ。駄菓子屋だからそれも当然で、朝起きて店を開き、チビっ子共と戯れつつ夕暮れまで過ごして、気が向けば商店街の連中と店先で飲んだり、居酒屋に行ったり、怖いイキモノに誘われてバーに行ったり。

 

変わらない日常だが楽しくもあり、そして、そんな日常に変わったヤツも紛れる様になった。

 

なぜか日中に訪れる静壱の上着を剥いて扇風機を当ててやりつつ、とりとめのない会話をする事数回。

どうして一番暑い時間帯に来るんだと口をすっぱくして言っていたらようやく通じたらしい。

「やっと夜に来たか。今の時間のが涼しいだろ?」

「確かに涼しいですけど、暑いのは変わりないですよ」

そろそろ店を閉めようかと思っていた頃に静壱がふらりと来た。相変わらず何も持たずにふらふらしている様で、数回目の今回もきっちり上着まで着込んで、笑顔で駄菓子屋の前に立っている。既に夜になった時間で商店街は閉店している店の方が多くて静かだ。

「でも上着はきっちり着てるのな。さっさと脱いで座れ。いや、もう店閉めるから飯でも食いに行くか?」

「ええ、良いですね」

「よし、じゃあ行くか。焼き鳥の気分なんだよ」

一応客なのだがどうも客には見えない静壱だ。

駄菓子屋に通う様にはなっているものの、確かにかき氷と駄菓子は買っていくものの、何か違う。とは言え気にしてはいないし、章人からすれば変なヤツから楽しいヤツに変わったくらいだが。

「と、飯なら風呂入って着替えねえとな。悪いけど家で待っててくれるか?」

「はい。家は裏手なんですね」

「中庭抜けた先な。なんか昔の地主だったとかで広さはあるんだけど古いんだよな」

店を閉め、静壱を連れて裏に行く。店と店の隙間から行った方が早く、駄菓子屋を背中に現れたのは年代を感じさせる中庭だ。

それなりに整った日本庭園と言うべきか。月に一度、植木屋を手配している庭はこの古びた商店街には異質で、奥にある章人の家も又異質だ。

平屋の純和風住宅は章人にしてみれば古さだけが自慢だが、広さも一般住宅とは違い今では使っていない部屋の方が多い。

「すごい、ですね。年代物と言うか、文化財にはなっていないんですか?」

「管理が面倒だから親が必死に誤魔化して普通住宅のままだぜ。まあ古いだけが自慢の家だ。上がれよ」

「お邪魔します。わあ、中もすごいですね。そう言えば章人さん一人だけなんですか?」

「うんにゃ。両親と兄貴もいるけど全員仕事中毒だからあんまいねえな。今日も俺一人の予定だぞ。ああそうか、こういう時だと」

玄関には駄菓子屋とは違う通りまで出ないといけないので普段は縁側から入る。祖母の代から使っている無理矢理外鍵にした縁側の一部にまた静壱が驚いて、そのまま居間に通しつつにやりと笑う。

薄暗い室内は暑くて、窓を開けつつ振り返って静壱を見上げて。

「今日は誰も帰ってこないの、どうする?」

意地の悪い笑みを浮かべて可愛らしく小首を傾げる章人に静壱が驚いた顔をてくれて大満足だ。

「なんてな。一回はやっとかないとだろって、え・・・?」

章人としては当たり前の冗談だった。けらけら笑って一人満足していたら静壱に思い切り抱きしめられた。

夕日が邪魔で表情の見えない静壱から微かに汗の臭いがして妙に体温を感じさせる。そして、抱きしめられてはじめて気づいた体格差に苛ついた。身長は確かに静壱の方が高いが体格が恐ろしい程に違う。見た感じは細いのに全然違うではないか。

「見た目は細いのに脱げばすごいんですかよムカツク。じゃなくて、えーっと、静壱?」

「ご要望でしたら今すぐ脱ぎます。好きです、章人さん。今、誘ってくれましたよね」

「・・・あー、あれか、静壱はゲイで俺がタイプだったって話しで良いのか?」

熱っぽく告白されて抱きしめられたまま章人が静壱を見上げれば近い距離にある男前が真剣な顔で熱の籠もった瞳に見つめられる。

「女性の方が好きですけど、章人さんの方が好きです。嫌、ですか?」

熱の籠もった視線で見つめられて思う。好きと嫌いで考えれば嫌う要素がない。静壱の様に熱を込めて見つめ返す程の好き、もないが。

「嫌じゃねえぜ。まー何だ、だからって行って好き!って訳じゃねえとは思うんだけど」

抱きしめられても振りほどこうとは思わないくらいには好きだと思う。あやふやな返答しかできない章人だがそれでも静壱は微笑む。

「誰も帰ってこないのでしょう?冗談だったんですか?」

「冗談だけど誰も帰ってこねえのは本当だ。あのさあ、本気で俺な訳?」

「ええ。正直に白状するなら章人さんに出会って五回目、懲りずにおやつ時に訪れた時にはこうしたいと思っていましたし」

出会って五回目はブルーハワイを知らなかった駄菓子屋から数えて一週間後くらいの事だ。確かに昼時ではなくておやつ時、一番暑い時間帯にきっちり着込んで汗だくなのに満面の笑みで、章人の横でブルーハワイ味のかき氷を食べていた。

「そんなに前からかよ。だったらもっと早くに夜に来て口説けば良かっただろうに」

今は出会ってから二週間以上が経っていて、今思えば確かに会う頻度が不自然だった。この男の職業を考えれば出会う時間帯もまた不自然で、今まで聞きそびれたことがいろいろと章人の頭を巡る。

「そんな事言わないで下さいよ。今日は一大決心して来ているのですから。僕だって男の人に惚れるの、はじめてですし、本当は僕から夕食を誘って良い雰囲気になれたら告白しようって、そう思ってたのに」

「悪かったよ。んで、本気で良いのか?」

「もちろん本気です。章人さんは、どうなんですか?」

「俺かあ」

疑問が頭を巡り抱きしめられたままの会話が続くがやっぱり嫌ではない。それが本音で、かと言って惚れているかと言われれば。

「嫌じゃない時点で同じなのかもな。どうも俺はその辺が多くて疎いらしくて気づいた時には大抵別れ話されてるから、良いんじゃねえのかと思う」

「・・・嫌じゃないって所で良しとしましょうか。じゃあ、キスしても良いですか?」

「聞くなよ馬鹿。ああでもヤるなら風呂くらい入らせろよな。汗臭せぇし、お前だって臭いぞ」

一日中クーラーのない駄菓子屋で汗をかいていた章人だ。今だって夕食に行くのに風呂に入ろうとしていた所なのだから当然の言葉だ。が、対する静壱の返事は言葉ではなくて口付けだった。ちょっとむっとした顔で、けれど嬉しそうに唇を合わせてくるから章人も応じる。

触れる唇も汗の味で少ししょっぱいのはご愛敬。微かに口を開けば静壱の舌が潜り込んできて、後頭部に手を添えられる。ああ、口付けされても嫌じゃないと言うことはそれなりに好きなんだろう、この名前しかしらない様な楽しいヤツが。

口付けを交わしながら妙に納得した章人は静壱が止めるまで口付けに付き合って、次第に荒くなる呼吸音を聞きながら両手を嫌みな程に逞しい背中にまわした。

が、爽やかな見かけに反して随分と体力のありそうな男は意外としつこくて。

「だから風呂入るって言ってんだろうが!苦しいんだよボケ!」

「嫌がらなかったじゃないですか。酷いです、蹴らなくても良いじゃないですか!」

「やかましい!俺が苦しいんだよ。だいたいなんだ、てめえのその身体は。何かやってんのかよ憎たらしい」

「ちょ、僕の服破らないで下さいよ。着替え持ってないんですから」

「破ってねえよ。ボタンが飛んだだけだろうが。ああもう、いいや。先に風呂入ってこいよ。俺も後から入るし、ヤりたいんだろ?」

「・・・なんか、雰囲気ぶち壊しで悲しいです」

「俺にンなもん求めるな!」

 

賑やかなまま煽られ煽ったままでは帰れない。それは当然としても風呂は絶対に入るのだと、お互い汗臭いからと先に静壱に風呂を勧めるものの遠慮されるから蹴り飛ばして風呂に放り込んだ。その後で着替えがない事に気づいて若干慌てるものの、融通のきく浴衣を思い出して事なきを得、下着類は買い置きしてある未開封の物で何とかしようと脱衣所に用意しつつ、小さく溜め息を落とす。

 

何て言うか、妙な気分だ。確かに章人の嗜好は女性にも男性にも向くし、抱く方も抱かれる方も経験がある。但し、先ほど静壱に語った様にどうもその辺りの感情に疎いらしく、付き合うものの相手に惚れているなあと気づく頃には別れ話をされてそのまますんなり納得してしまう始末だ。しかも、今までの全パターンが向こうから告白されての関係。今の静壱とほぼ同じ様な感じで口説かれて、だ。

「まあ、良いんだけどさ。いや、良いのかなあ」

この外見のおかげで章人は男女見境なくもてる。

ちょっと本気で口説けば相手が落ちるのはあっと言う間で良くオネエの双子に文句を言われたものだが、まさか静壱に告白されるとは、だ。

「なる様になるしかねえか」

「何がですか?」

ぶつぶつと洗面所で呟いていたら静壱が風呂から上がった。

改めて思う、何だその身体は卑怯だと。そして、細身なのになんででかいんだ、とも。

「せめて前は隠そうぜ。いくらこれからヤるって言ってもさ」

「だってお風呂上がりですし。あまり見ないで下さいよ、恥ずかしいじゃないですか」

「今更遅せえよ。とりあえず静壱が着れる服なんてないから浴衣な。これなら大丈夫だと思う。どうせ脱ぐんだから羽織ってりゃ良いよ。じゃ、俺も入るから、その部屋で待っててくれ。冷蔵庫から勝手に出して飲んで良いぞって言っても遠慮しそうだから出すか」

「いえ、良いですよ。確かに慣れない事ですが冷蔵庫くらい開けられますから」

「ビール冷えてるぜ」

「はい」

恥ずかしがる台詞を言っても態度には何も出ない変なヤツで、身体を拭く静壱を背中にぱぱっと服を脱ぎ捨て風呂に入ろうとすれば腕を取られて口付けされる。軽く口内をぐるりとされて直ぐに離れたがちろりと見た下半身はしっかりと反応をはじめていて、本気なのだとも分かる。無言で静壱から離れて風呂に入り、頭を洗って身体を洗って、念入りに下半身も洗って一応の処理もする。

「本当に、俺なんだなアイツ」

まだ信じられない。が、事実だし章人だって受け入れるつもりで風呂に入っている。

洗うことに専念して風呂から上がって、着替えがないけれどどうせ脱ぐのだからと湯気の出る身体を軽く拭いて腰にタオルだけひっかけて静壱の待つ居間に行く。

夜になってもまだ暑くて風呂上がりには余計に暑く感じる気温と湿気だ。全裸とあまり変わらない格好で静壱の前に出れば驚かれるものの、向こうも同じ様な格好だ。

「俺の部屋に行くぞ。本当に良いんだな?」

最後に念押しの確認をする。この、どこからどう見ても人の良さそうなお坊ちゃんが本当に、いや、あの反応を見てもまだ問うのは章人の悪あがきと、決心の為。

「何度聞かれても同じ事しか言えませんよ章人さん」

にっこりと微笑む静壱に章人も決める。ここまで来てぐだぐだするのは章人らしくないし、口付けは気持ち良かったし何より嫌じゃないのだから。

「だよなあ。まあ俺も覚悟決めたし、ヤるか」

「もうちょっとムードが欲しいです」

「俺を相手に何を言う。って言うかさ、ヤり方知ってんの?男同士の」

「知りません。でも何とかなるかなあって」

「勢いだけかよ。良いけど。あーっと、一応聞くけど、俺のこと抱きたい、で良いんだよな」

「はい。あ、嫌ですか?だったら僕が抱かれる方で」

「それは何か嫌だ。筋肉隆々の男の足を担ぐ趣味はないし俺はそんな拘りねえし、まあとりあえずは座れ」

移動して章人の部屋に到着した。万年床になっている布団を指さして静壱を座らせて、その上に章人が乗る。電気もつけず、カーテンを閉め忘れた窓からぼんやりと入る月明かりだけの暗闇で相手の姿は良く見えないが触れば分かる。

「やっぱりむかつく、この筋肉」

「良い雰囲気だと思うんですが腹を抓らないで下さい」

静壱の手が章人の腰にあるタオルを外す。章人も静壱の腹筋を抓ってから羽織っているだけの浴衣を脱がしてなぜか履いている下着に手を付けるが、その前に口付けされた。章人の髪を静壱が手でくしゃくしゃにしながら深く口付けて、唇が離れれば全裸になった章人を静壱が目を細めてじっくりと見る。章人も静壱の身体を見て無言で手を伸ばした。

 

微かな水音と荒い呼吸音。布団は汗と違う液体を吸ってぐちゃぐちゃで、二人の動きを受けて位置がずれていく。男相手ははじめてですと言い切った静壱に章人がリードしつつ行為は進み、はじめての割には戸惑いなく章人に触れてくる手は熱い。

お互いの身体に触れ性器に触れ、静壱のものは章人の手で一度、それから口で一度達した。章人も静壱の手で一度達して、口でもとやる気満々な、今は眼鏡を外して妙に迫力のある男前を押しとどめて後ろをほぐす手順を教えて、ぐしゃぐしゃな布団がさらに乱れていく。

「ん、そこ・・・ふっ、んんっ、ちょ、痛てぇって」

「すみません。ここ、ですね?」

「あ、ん、そこ・・・ん、ふ・・・」

俯せて膝を立てる章人に覆い被さる静壱が汗ばむ背中に口付けながら指を探らせる。

乱れた髪と白い背中が月明かりの下で静壱を誘い、熱に浮かされたまま何度も口付けては章人に声をあげさせる。時間をかけて慣らしたそこは静壱の指を銜えこんで離さない。微かにくねる身体は何よりも静壱を興奮させるし、乱暴にもしたくなる何かがあるが、それを押しとどめて小さな声を上げる章人を唇で味わって跡を残しては怒られて。

「も、イイぜ。指、三本入ってるだろ」

「は、はい・・・章人さん、痛かったら直ぐ止めますから」

「良いよ、無理すんな。来いよ、静壱」

振り返って見せる章人の表情に静壱がふわりと笑んで、それからはもう止まらなかった。

後ろから挿れて最初こそ我慢していたのだろうが、それも直ぐに激しい動きになる。時間をかけて慣らされた章人だから多少の痛みを感じても気持ち良さの方が上で、感じるままに喘いで身体を動かしお互いに貪る、が似合う状態になり体制を変え何度も交わって止められなかった。

ぐちゃぐちゃになった布団はもう布団ではなく、畳にはみ出しても気づかず荒い息と肌を打つ音と章人の色づいた声が響き、偶に静壱の呟きが漏れて章人が笑む。

気持ち良さと独特の高揚感の中で汗に濡れた髪が章人を飾り、静壱の手がそれに触れて不器用に梳く。

時間が深夜になる頃には流石に疲れてそろそろ止めようかと思うものの、何となく繋がったままで動きを止め、壁に背を付けて足を投げ出した状態で畳に座る静壱の上、繋がったまぐったりと身体を預ける章人がくつくつと笑う。

「久々、だったけど、お前体力あるなあ」

「章人さんこそ、もうぐちゃぐちゃですね・・・綺麗、です」

「ぐちゃぐちゃの後に綺麗って言われても、な・・・ん、動くな」

「大丈夫ですか?抜きます?」

「いや、後一回くらい・・・いやホント、自分でびっくりだぜ」

「僕もですよ。まさか、こんなにとは思いませんでした」

「だから動くなっての。掃除、大変だなこりゃ」

「手伝います。だから、あと一回で止めて、片付けて寝ましょう」

静壱が視線を向けるだけで口付けを求められているのが分かる。近すぎる距離が自然になり舌を出して口付けて、ゆっくりと静壱の手が腰を掴んでかき混ぜる動きをする。

「あ・・あ、ん、そこ・・良い、もっと・・・」

「僕は動けませんから、章人さんが」

「分かって、る・・・ん、ん・・・静壱、手を」

「はい、もっと動いて?」

「や、待てって・・・あ、あ、んんっ」

身体を動かす章人に静壱が息を荒げながらも獰猛な、男の笑みを浮かべて胸元に齧り付く。跳ねる章人の身体を押さえながら動かして、章人も自ら動いてさんざん放った熱がまた身体に溜まり、次第に動きは荒くなる。酷い有様だとは思うが止められず、止める気もない。髪を振り乱す章人は両手を静壱の肩に置いて口付けながら良い所を重点的に攻めさせて、そのまま達する。静壱も少し遅れて達している途中の章人を揺さぶってその内に熱を放ち二人の荒い息と力なく口付けする音が部屋の中に響いた。

 

 

 

身体の相性が合うって言うのはああ言う事を言うんだろうなと、実感したのは章人も静壱もだった。

疲れ果てた身体で何とか部屋の換気と掃除をしつつ、主に動いたのは多少体力の残っていた静壱の方だった。そのまま二人で風呂に浸かり後始末をするものの、既に疲れ果てて色気は出ずそのまま泥の様に眠った。

 

熱帯夜であったのに暑さではなく熱さを感じ過ぎておかしくなっていたらしい。汗だくなのに不快ではなく、抱き合って眠ったのは章人の部屋ではなくて使っていない客室で。

章人の部屋は後始末をしたものの全てを掃除した訳ではないので避難しただけ。そんな、良い年した大人がまさに猿の様にヤりまくった翌日は寝不足と疲労で酷い顔だった。お互いに。

「百年の恋も冷めるって顔だよな、俺ら」

「それは認めますけど、まあ酷いですしね」

汗だくで朝に目覚める事ができたのは奇跡でも何でもなくて朝日が暑かっただけ。

同時に暑さに耐えられなくなって目を開けて笑ってしまった。余りにも酷い有様に。

「まだ五時だ・・・風呂、入って目ぇ覚ますかあ」

「ですね。一緒に入ります?」

「別に良いけど、流石に勃たねえなこりゃ」

「朝から下品ですよ章人さん」

「散々ヤりまくったくせに何言ってんだよ」

眠ったと言っても布団を出す余力もなくて畳にそのまま。かろうじてタオルケットだけを出してくるまっただけで服も着ていない。全裸のまま朝日を受けて、笑いながら軽く口付けして大あくびをすれば静壱に口付けを返された。

「今日も暑いなちくしょう。さ、風呂入るか」

「本当に。あ、大丈夫ですか?辛いなら抱き上げますけど」

「絶対に嫌だ。自分の足で歩けるっ」

朝日の中で全裸で家を歩くのも何か妙な気分だが汗を吸ったタオルケットを羽織る気にもなれず、そそくさと昨日の残り湯で身体を洗ってようやくすっきりできた。

章人のぼやく通り毎日の事だがうんざりする暑さで、ちゃんと服を着てから全ての窓を開けて、怠さと疲労と寝不足に居間でごろごろと転がる。

 

朝食は残り物を章人が大ざっぱに調理して、着替えのない静壱は新しい浴衣を着せて貰って携帯電話を片手に服を持ってくる様にと依頼する。その姿に聞き忘れていたいろいろな事を思い出した章人が味噌汁片手に正面に座った静壱を見上げる。

「あのさあ、聞き忘れてたんだけど静壱はどこから来てるんだ?んで、服持ってこさせるって言ったよな」

あまり聞かない言い方だ。思えば知っているのは名前と会社名くらいのもので身体は深く重ねたもののほぼ何も知らない相手だ。朝日に照らされつつ上品に箸を使う男前の事を何でも知りたいとは思わないものの、気になったので聞いてみる。

「どこからと言われましても、車を使っているので。そうですね、そう言えば何も言っていませんでしたものね」

そうして知らされるのは驚愕の付く事実だった。育ちの良いお坊ちゃんみたいな外見通り、聞けばかなりのお坊ちゃんで当然の様に従う付き人がいるとの事だ。服も付き人が運んでくれる予定で、現在大慌てで運ぶ最中で駄菓子屋に通う手段も運転手付きの車。商店街から近い駅に車を待たせて歩いてきていたとの事で。

「はあ。そんな世界があるんだな。ま、着替え持ってきてくれるんなら有り難いけど、時間は大丈夫なのか?」

「大丈夫ですし、そんなに違う世界でもありませんよ。それより、浴衣とかいろいろありがとうございました。今度はちゃんと着替え持参で来ますから」

「おう。って、いやそうだよな。来るよな」

「何です?」

猿の様にヤりまくった相手を前にしながらも数時間前の事がどうにも嘘の様だ。冷蔵庫の残り物を上品に食べる男前がそんな相手で、これからも付き合いは続くのだろうとは思うのだが実感がない。先に食べ終えた章人がぼうっと静壱を見つめていれば微笑まれて、ごちそうさまでしたと礼儀正しくお辞儀される。

「お粗末様でした。ああ、後で洗っておくから良いって」

「ダメですよ。お世話になりっぱなしですし、僕だって洗えます」

「ンな事言っても二人分だけだし」

食べ終えた食器を重ねて台所に運ぶ静壱を追いかけて止めようとはするものの、そのまま二人で洗い台に並ぶ事になり。

「章人さん」

「ん?」

直ぐに洗い終えた食器を拭きながら仕舞って、茶でも入れるかと湯飲みを出せば後ろから抱きつかれる。

暑くても程よく感じる体温にそう言う事なのだろうと妙に納得して、身体を預ければ顎を掬われて口付けされた。




ブラウザを閉じてお戻り下さいませー。