next will smile...愛のえぷろん




颯也と綾宏の2人はとても目立つ風貌をしている。

まず外見が目立つ。

颯也は190cmを越す長身にバランスの取れた鍛えられた身体、それに目を疑う程の美貌を持ち、数年前までは恐ろしい程の勢いでモデルとしての地位を駆け上がり、国内は及び世界の一部でも颯也と言う男を知らない者は居なかった程の男であり、綾宏も颯也よりは劣るが180cmの長身である。誰もが目を見張る程の容姿では無いものの、全体的な雰囲気が柔らかく、また物腰も穏やかでふんわりと微笑まれれば誰しもが赤面してしまう程の色気がある。

そして、脳味噌も大変立派な構造になっている。

幼い頃からその優秀さを発揮し事有る毎のテストは満点が当たり前。そのまま駆け上がって国内最高学府と誉れの高い大学までを満点に近い成績で卒業している。
又、颯也は経済学に、綾宏は言語学にその優秀な脳味噌を遺憾なく発揮し、その気になれば世界の頂点に立つことすら容易い事であろうと彼等を良く知る者達に言われ続けている。

が。しかし。
世の中そんなに甘くは無いのだ。

何もかもが完璧な人間なんて居ないのだ。
だから、この2人にも立派な弱点が存在している。

そして、その弱点は『料理』と言う科目でもあるのだ。
(家庭かは掃除洗濯裁縫が出来る為に当てはまらない)


そう。

颯也も綾宏も壊滅的に、と言って良い程、料理が出来ない。
その悲惨さは彼等をキッチンに立たせた事のある者ならば誰しもが後日涙混じりにその才能の無さを腹がよじれるまで堪能した挙げ句に廻りに吹聴してようやく日常生活に戻れる程だ。

だから彼等は料理をしない。
例え、自宅のキッチンがそれはそれは見事な造りになっていようが、稀に料理根性を発揮して何か作りたいなぁと思ったとしても、絶対に料理はしない。
よって、彼等の住むマンションの見事なキッチンには料理器具と呼ばれるものは何一つ置いていないのだ。
そう、包丁も、鍋すらも、置いていないのだ。
置いてあるのは薬缶とカップのみ。それだけ徹底しているのだ。
何せ、間違ってそれらを購入した挙げ句、何かの間違いで料理なぞしようものなら確実に明日の朝日が拝めなくなってしまうと悲しい経験上良く分かっているから、颯也も綾宏も料理はしない。

絶対に。

何があっても。
絶対に。

料理はしない・・・・・・・・自宅では。


そう。自宅では料理はしない。と言うより出来ない。
何せ料理に関する器具が一切置かれていないのだから、したくても、出来ないのだ。

そう。したくても、出来ない。
だから、出来ない。

けれど、決して、したくない訳では無いのだ。

元から好奇心も探究心も旺盛で、何より努力と言う行為に何の躊躇も抱かない2人だ。
だからこそ、いくら出来ないとは言っても、出来るまで、いや、せめてちょっとだけ、齧るだけでも、出来ないからこそやってみたいと思ってしまうのが人間と言うものであり。

颯也と綾宏と言う人間である。
だから、今日も2人はこそこそと某所に忍び込んで肩を寄せ合わせて実験に勤しむのだ。

「ねぇ、この粉って何でこんなに散らばるの?」
「そりゃ粉だからだ、つか何してんだよ、綾宏」
「だって颯也が粉入れるって言ったんじゃない」
「入れろって言ったのは砂糖じゃなかったか?」
「え?そう?砂糖って入れるんだっけ?って言うか粉も砂糖もそんなに変わらないんじゃない?」
「そうか、そうだよな。どっちも粉だしな」
「そうそう、あ、これって何?胡椒?」
「そうなのか?胡椒って赤い色だったか?」

非常に危ない会話を繰り広げながら、それでも2人の表情は楽しそうに輝いている。
まるで小学生の様な無邪気さと、実験をしている様な楽しさでもって散らかりまくった小さなキッチンをこれでもかと汚していく。一応エプロンを持参して装着しているものの、何故だかどうしてだか、既に汚れは身体全体に及んでいて顔や髪の毛にもその被害は広がっている。
けれど、この場所は狭いながらも風呂もある。着替えもあるし、ベットだってある。
しかも誰にもバレずに実験いいそしむ事が出来るし、止めようとする者も今の所居ない。
やっぱり此処に会社を作って良かった、と颯也は目の前のボウルを箸で掻き混ぜながら非常に機嫌良く、徐々に出来上がってくる得ないの知れない物体Xに思いを馳せた。

そう。キッチン有り、風呂有り、ベット有りのこの場所は颯也のお城で、その名前を有限会社アーツクルーズとも言う。





「お腹すいたよぉ。誰か外行かないのぉ?」
「無理だ。締め切りは一時間後だ」
「そうですよ。諦めて仕事を終えてからゆっくり食べに行きましょうね」

相も変わらず。本日も有限会社アーツクルーズ一同は残業中だ。
畳の部屋にパソコンデスクの事務所の中、そこかしこに散らばった書類の山に埋もれながら眉間の皺も厳しく殺気立ちながら作業に勤しんでいる。

銜え煙草で椅子の上に膝を立てているのは目の下のクマも限界数に達している充。
同じく煙草を銜えながら気合いを入れる為のタオルを頭に巻いているのは無精髭の眩しい高木。
変わらぬ笑顔すらも無くして無表情でひたすらキーボードを叩いているのは榎戸。
要するに、いつものメンバーで今日も残業中、と言う事だ。
ただし、普段であれば此所には社長である颯也の姿があるのだが、何故か今日は居ない。

「そういえば颯也さんは?」
「しらね」
「確か原稿を取りに行ってもうすぐ戻るはずですが」

口を開いても視線はモニターに。
マウスを操作する音、書類をめくる音、キーボードを叩く音だけが木霊する中で3人それぞれの疲れた声が響いている。

「帰りにご飯かってきてくれないかなぁ」
「だな、俺焼き肉食いてぇ」
「私は終わってからゆっくり食べたいですね」
「そうだねー。そしたら飲めるもんね」
「充、この時間から飲んだら明日死ぬぞ」
「分かってるもん、でも飲みたいじゃない。ねぇ、榎戸さん」
「私にふらないで下さい」

徹夜続きになると妙なテンションに陥る事がある。
疲れていて喋る気力も無いくせに、妙に何かしら喋りたくなってくる事がある。
別に内容はどうでもいいのだけれども、何かしらの会話をしていないと落ち着かない。
今まさに3人のテンションはそんな感じで。

「そー言えばご飯って言えばさぁ、颯也さん料理駄目だってホント?」
「ホントも本当、あの悲惨さは一度見たら忘れられないぜ?しかも颯也だけじゃなくて綾宏もぜんっぜん料理駄目なんだよ。今度飲みに行ったら一晩語ってやる」
「でも充君は一緒に暮らしていた時期があったじゃないですか?知らなかったんですか?」
「知らないよぉ。いっつもご飯は外か宅配だったし、あとは颯也さんの実家で食べてたもの」
「徹底して知られねー様にしてたんだな」
「ま、恥って言ってしまえばそうですからねぇ」

各自作業に没頭しながら、それぞれに銜えた煙草を吸い込んで部屋の中を白い煙で充満させていく。
そして、その白い煙は当然煙草特有の匂いがして、それ以外の匂いを完全にシャットアウトしてしまっていた。
元より一日中煙草にまみれて仕事をしている様なものだ。例え部屋の中に異質な匂いが少々入り込もうとも決して気付く事は無い。
だから、彼らはアパートの下の部屋で今にも爆発しそうになっている危険に気付く事は無かった。




「ね、颯也?何でこんなに膨れてるの?」

目の前のフライパンを差して綾宏が一歩後ずさる。

「膨れてるからいいんじゃねーのか?それより何で鍋から赤い煙が出てるんだ?」

コンロでことことと煮込まれている赤い液体の鍋を差して颯也はしかめっ面をする。

「だってちゃんと本の通りに入れたもの、ちゃんと材料だって刻んだし、調味料だって入れたもの。颯也のフライパンの方が危ないんじゃないの?」

赤い液体の鍋からは赤い煙が湧き出て、非常に怪しい匂いになっている。
一方、颯也担当の、蓋をされたフライパンは明らかにフライパンと蓋ごと膨らんでいて、危険度で言えばこちらの方が怪しい気配でむんむんだ。

「俺だってちゃーんと雑誌の通りの材料を入れただけだ。だから膨らむのも当然だ」

胸を張って言い切る颯也に綾宏は胡散臭いなぁと、徐々に身の危険を感じて後退しはじめる。
だって、材料が膨らむならともかく、フライパンと蓋が膨らむなんてあり得ない。流石にそれくらいは綾宏にだって分かっている。

「・・・ん?何か変な匂いがしてきたぞ。綾宏、お前の鍋危ないんじゃないか?

もちろん、どんなに赤い液体の鍋だとしても、その煙までもが赤くなる事なんてあり得ない。それくらいは颯也にだって分かっている。

「そんな事ないもん。ちゃんと本の通りだものっ」
「俺だってそうだっ」

狭い狭いキッチン。言い合いながら、お互いを貶す大人げない大人が2名。
そして、その上の階で平和に残業を続ける社員3名。

徐々に迫って来たリミットに誰も気付かずに、今日も平和な夜は更ける。






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