午後八時、仕事を終えたら異世界に



寒さが厳しい二月の頭の木曜日。仕事を終えたミキは通勤用のリュックを背負って会社を後にする。
私服勤務の会社はまあまあ忙しくて、今日はちょっとだけ残業だった。これから電車でアパートに戻ってと考えつつスマートフォンで時刻を確認する。
『向こう』に着くのは八時くらいになりそうだ。だったら丁度良い。昨日聞いた予定と合いそうだし、何なら少し時間に余裕もある。コンビニエンスストアに寄って気になると言っていたお菓子でも買っていこう。
スナック菓子は『向こう』にはない。なので気が向けば買って行くし、一緒に買い物もしたりする。しょっぱいお菓子なんかは酒のツマミにもなるので丁度良い。
会社からミキの住むアパートまでは二駅で、そこから歩いて十分程度。途中にあるコンビニエンスストアでお目当てのスナック菓子と、目に付いたから新商品のプリンも買う。
スナック菓子は一袋。プリンは二つ。

ビニール袋を下げてアパートに到着して、寒い室内に入る。アパートは何処にでもある独身者用のやつで、広くはないし使い勝手もそこそこで、その分家賃がやや有り難いお値段だ。

「はー、寒い。部屋も寒いし、ほんっと寒いのイヤ・・・早く行こうっと」

玄関に入るなり愚痴が出るのは許して欲しい。ミキは寒いのが嫌いだ。あまりにも寒いのがイヤで故郷の北海道を飛び出して都内で一人暮らしをしているくらいには嫌いだ。本当はもっと暖かい所に行きたかったけど、気温差で死ぬぞと家族に脅されたので都内で妥協した。でも、都内も結構寒くて毎年冬になると悲しくなってしまう。
まだ学校を卒業して数年目、二十二歳のミキだから自由になるお金もそこそこなので、南国は遠い。でも、つい数ヶ月前の出来事で焦がれていた南国がとても近くになった。どれくらい近くになったのかと言えば、自室から歩いて行ける距離になった
。正確には。

「うん、やっぱり八時だ。いるかなー。いなかったら先にお風呂入らせてもらおうっと」

寒い部屋は暖房を入れずに、気合いでぱぱっと着替える。いわゆる部屋着と言うヤツで、ハーフパンツに薄手のトレーナーだけになる。寒さは直ぐに解消されるから気にしないし、これから行く場所は常春なので冬服を着ると返って暑い。
寒さとは明日の朝までお別れできるから、だいぶ冷えているけどご機嫌でスマートフォンと充電器、コンビニエンスストアの袋だけを持って小さな浴槽へと繋がるガラスのドアを右手で開ける。
小さな部屋だけあって本当は浴室も狭いけど、右手でドアを開けた先にはアパートとは似ても似つかない豪華で、暖かい風の流れる、ミキの認識で言えば大浴場に近い空間へと繋がった。
貧相なガラスのドアには似ても似つかない、天井もアパートよりずっと高くて明るくて、浴槽の床全体に流れるお湯の匂いと暖かさに頬が緩む。
大浴場は全体が白い石でできていて、ミキの部屋より広くて、床をくりぬいて大きな浴槽が存在してる。床を流れるお湯はくりぬかれた浴槽から溢れ出ているもので、これは湧き水を絶えず浴槽に流していて魔法で暖めているそうだ。

そう、魔法で。

一歩踏み出して、お湯の温かさにじんわりとしながら貧相なガラスのドアを閉めた瞬間に、ドアは高そうな模様入りのガラスのドアに変化する。それも一人用のドアじゃなくて、両方から開ける大きくて綺麗なドアに。
毎日通っているから今更驚きはないけど、何回見たって綺麗だなあと感心しながら大きなドアを左手で開ける。
開けた先はもうミキの狭いアパートじゃない。立派な石で造られた広い脱衣所に繋がっていて、その先にはこれまた広くて豪華な寝室がある。


どうしてなのかは今も不明だけれども、ミキには全く見知らぬ違う世界の魔法がかかっていて、右手でドアを開けるとこのお風呂に繋がってしまうのだ。
それも、どこのドアでもじゃなくて、どうしてだか、これこそ不思議過ぎるけど、お風呂に繋がるドアを右手で開けると『こっち』に繋がる。
左手で開けると元の世界に戻る。
なので、行き来しているのだけれども、少々込み入った事情があって、魔法の所為でミキは完全に『こっち』の世界の人間になっているから毎日来ないと体調が悪くなってしまう、らしい。

どんな魔法なんだと呆れたのは数ヶ月前で、それからほぼ毎日、ミキは仕事を終えると『こっち』の世界に帰宅している。但しドアを開けて繋がっている先がお風呂なのでハーフパンツじゃないとズボンが濡れる。


脱衣所に入ったミキは着替えたばかりだけど、予め用意してくれている『こっち』の衣装に着替える。なるべくミキの世界のものを『こっち』の世界の人に見せてはいけないからだ。
あまりにもミキの世界と『こっち』が違うから、混乱させないために。
用意してくれている衣装は数種類あって、ミキが勝手に選んで着る。広い脱衣所の一角をミキの専用スペースにしてくれているのだ。
選んだ衣装はトレーナーに似ている大きめのチュニックとハーフパンツ。常春だから薄手の衣装しかないし、足下は室内用のサンダルだけ充分だ。でも流石に下着までは着替えたくないのでそのままにしている。見えないから良いし。
そんな訳で、着替えは直ぐに終わって、持って来たスマートフォンとお菓子一式は脱衣所の向こうにある寝室に置く。
寝室もとても広くて、大きな窓から見える空はミキの世界と同じ、夜だ。時差がないと気づいたのも数ヶ月前の話で、もう懐かしいなあと思う。
楽な衣装とサンダルだけで豪華な寝室に入ったミキは持って来た手持ちの荷物を全部適当な椅子の上に置く。これは後で。

誰もいない寝室を通り過ぎて外に出る。ここに通う様になってから暫く経つので屋敷の中は第二の我が家状態だ。
寝室に人気はなかったけど、外に出れば声がする。寝室の外は廊下で、のんびり歩いていると屋敷に仕える従者の人達が忙しく働いていたりするので、ただいまと挨拶をする。従者の人達も笑顔で挨拶を返してくれて、ミキに教えてくれる。

「丁度お戻りになられましたよ、ミキ様。本日は正装でお出かけになられたので、まだ着替えの最中です」
「お、まじで。ラッキー。じゃあ着替え部屋に行くね。ありがと」

言葉にもしたけど正装はあんまり見られないので幸運だ。ぱたぱたと小走りで急いでお目当ての部屋に急ぐ。


この屋敷は国の中でも大きい貴族の人が住んでいる。
ここはワルムと言う名前の国で、ミキのいる場所は王都の中の貴族街だ。屋敷はその中でも大きい部類に入っていて、住んでいる人はワルム国の中でも大貴族になるスムナント家の三男、シスナ。正直この言葉の羅列だけで正気を疑われそうだけど、事実なのだから仕方がない。


横山幹人、ミキが数ヶ月前の、まだ寒さも厳しくなかった秋口にご機嫌で酔っ払いながらお風呂を沸かそうかなとドアを開けて、『こっち』、ワルムに繋がった。
繋がった先のおかしさに、けれども酔っ払いだったミキは全く気づかなかった。
大きな浴室をふらふらと歩いてから脱衣所もスルーして豪華な寝室に入って、ベッドの上でめそめそと泣きながら酒をあおっていたシスナに出会った。
婚約者に振られたらしいシスナはべそべそしつつ酔っ払っていて、ミキも同じで、そのまま意気投合して今に至る、である。


小走りで急ぐ先は着替えるための部屋でリビングの奥にある。
従者の人達はミキの行き先を知っているので行儀の悪い小走りをしていても咎めたりはしない。むしろ微笑ましい感じで見てくれている。
着替えるための部屋は大きい屋敷に見合った広さで、リビングを突っ切って、部屋の中に顔を出したらお目当ての人が数人の従者と部下に囲まれて立っていた。

お目当ての人は、この屋敷の主でミキより数歳年上の、シスナだ。
柔らかい金色の長い髪をハーフアップにしていて、あちこちを宝石で飾っている。衣装は映画で見る感じのファンタジーな感じで、ミキにはよく分からないけど、魔法騎士の正装らしい、全体を黒でまとめていてとても格好良いし綺麗である。
そもそもシスナも男性だけど美人と言い切れる顔立ちなのでまさに文句なし、見惚れる美丈夫が顔を出したミキを見て、海色の瞳を嬉しそうに綻ばせる。

「ただいま、シスナ。やった、まだ着替えてなかったんだ。いつ見ても凄いよな、その衣装、似合ってる」
「おかえり、ミキ。そう?ミキに言われると嬉しいな。でも着替えたいし着替えるから待っててね」

シスナはミキより年齢も身長も少し上だ。嬉しそうに微笑むシスナに近寄ってただいまのハグと頬に口付けをしてから用意してもらった椅子に腰掛ける。
周りにいる部下達はミキに軽い挨拶をしながら部屋を出て行って、従者達がわらわらとシスナの周りを囲んで着替えをはじめる。一人で脱ぎ着できないのではなくて、シスナが貴族でだいぶ偉い人だから、らしい。
もう何度も見ているから、椅子の上でこれまた行儀悪く膝を抱えつつシスナの着替えを観察する。
駄目な言い方をすればストリップショーに分類されるかもしれないけど、シスナの正装と言うか、この国の衣装は薄手の布を何枚も重ねて着るし宝石も沢山なので、正直に思うと美術品を見る気持ちになれる。

「正装だったって事は宮殿だったの?シスナにしては帰りが遅い気がする」
「そうなの、今日は会議だったんだ。お昼から延々と、正装で延々と。疲れたよ〜」
「うわ、それはお疲れ。疲れてるなら先にお風呂に入る?」
「お腹空いたからご飯が先がいいなあ。食べる時間もなかったし、私、まだ宮殿は苦手」
「あー、そっか。じゃあ食べてからお風呂にしよ。喜んで貰えるかどうか分からないけど、お土産持って来たし」
「わあ、ほんと?嬉しい。ありがと、ミキ」
「お礼は食べてからでいいよ。マズいかもしんないから」

とても綺麗な美術品がお手入れされているみたいなシスナの着替えを眺めつつお喋りをして、そうしていれば従者の人がお茶を運んで来てくれる。シスナはまだ着替え中だから飲めないのでミキの分だけだ。
お礼を言ってから透明なグラスに入った淡い桃色の、花びらまで浮かんでいるお茶を美味しく頂く。こっちの食べ物はミキ好みが多くて嬉しい。

「いいな〜。お茶、私も飲みたい。つーかーれーたー」
「泣く子も黙る警備師団長が何言ってんの。もうちょっとだろ、頑張れ」
「うう、最近ミキが厳しい。慰めて」
「誰が?俺が?」
「ミキしかいないでしょ」

もう、と頬を膨らませるシスナにミキも周りの従者達も笑って、ようやく着替えが終わる。長い髪を後ろで一つに軽くまとめて、衣装はミキと同じ感じ、薄手のチュニックにハーフパンツになったシスナは軽くなったと喜びながら真っ直ぐにミキの所に寄ってきて、飲みかけのお茶を奪われた。頼めば直ぐにシスナのお茶も来るのに。

「シスナ、行儀が悪いよ」
「だって美味しそうだったんだもの。外の部下にちょっと話しがあるから、もうちょっと待っててね。ごめんね」
「気にしないでいいし、今日は一緒に食べないの?」
「疲れたからミキだけがいい。だから寝室で食べる」
「ん、分かった。先に行って待ってる」

外の、リビングで待っている部下ともミキは顔見知りだけどきっと仕事の話だろう。だったら邪魔はしないし、聞いてもさっぱり分からない。
だったらと着替えを終えたけど今度は身につけていた武器を片付けているシスナを置いてリビングに出た。
魔法騎士のシスナは沢山の武器を身につけていて、これは本人しか触らないらしい。ミキにはさっぱり分からないので特に気にせずリビングに出て、すっかり顔見知りになった部下の人達と少し話してから寝室に戻る。
本当はミキみたいな一般人と言うか部外者はシスナが着替えていた部屋にもリビングにも入れない。あの部屋達は仕事用で、部下や客人なんかの為の空間だ。
でもミキはどの部屋でも出入り自由だ。
それはシスナがミキを恋人だと認定していて、実際にそう言う仲だからだ。それに加えて、『不慮の魔法』でこの世界の人になってしまったミキに国王直々にとても偉い身分を与えられたからでもある。

そう、シスナはミキの恋人だ。
数ヶ月前の、酔っ払った出会いで意気投合して、まあその、そのまま一夜を共にして、恋人になった。
それからは違う世界と言うのもあっていろいろあったけど、結果としてはミキはシスナを好きだし、毎日こっちに帰ってきて美味しいご飯と大きいお風呂と綺麗な恋人と一緒に眠れるのでとても幸せだ。
それに、何と言ってもワルム国が常春だと言うのも素敵だ。
薄着で歩いていても丁度良いし、眠る時にはほんの少し冷えるけど、シスナがいるから暖かい。

寝室に戻ってきて、壁にある大きな窓を開ける。夜風は少し冷えるけどほんのりと暖かさも含んでいて初夏の夜みたいだ。
さっきまで真冬の寒さに震えていたけど、ここは暖かくて心地良い。
夜風に目を細めてから置いてあったスマートフォンを取って、適当な椅子に座って中身を見る。不思議な事に、この寝室はミキの世界が半分くらい混じっているらしく電波が通じるのだ。素晴らしい。
夜はほぼ毎日こっちにいるからニュースなんかは寝室でスマートフォンから見ている。テレビを見たい時は戻るしかないけど、最近は便利なのでスマートフォンでも見られる。画面が小さいから結局は戻って見るけど。
スマートフォンを弄りながらシスナがくるのを待って、気持ちの良い夜風を楽しんでいたら寝室のドアがノックされた。シスナだ。
スマートフォンを置いてドアを開ければシスナがワゴンと一緒に戻ってきた。

「お待たせ。晩ご飯とお酒だよ」
「待ってました。お疲れ様、シスナ。早く食べよ」
「うん。ミキもお疲れ様」

寝室は掃除する時意外はシスナしか入らないので、夕食を食べたかったらワゴンで運ぶ事になる。
従者の人達は嫌がるけどシスナのお願いは概ね絶対だ。
ワゴンを寝室に入れて、ローテーブルの上に二人で一緒にセッティングする。
こっちでの夕食はあんまり豪華じゃない。寝るだけだから割と軽くて、でもミキからすれば普通に豪華な食事だ。
今夜は大きな器に盛り付けられた具だくさんのスープと小さなパンが幾つか。それにデザートになる果物と飲み物。それが二人分。
ローテーブルにセッティングしたから絨毯の上にクッションを置いて座る。こっちの人達は基本はテーブルと椅子で食事をするけど、床や絨毯の上にも座るらしい。

「スープ美味い。さすが。あ、こっちは俺が買って来たプリンね。えーっと、新商品でイチゴプリン。季節だな〜」
「イチゴプリン?可愛い色してるね。ミキの方は季節が厳しいけど美味しい物が沢山だよね。楽しみ」
「本当に厳しくて嫌になるよ。俺寒いのほんっと嫌。こっちはツマミ用にしょっぱいお菓子。シスナ、前に食べたいって言ってたやつ」
「ありがと!気になってたんだ」

基本的にミキの世界の物はこっちで見せない様にと言われているけど、シスナは別だ。最初はミキにだけ不慮な魔法がかかっていたけど、今ではシスナにも同じ魔法がかかっている。
だからシスナからミキの世界にも来られるし、休みの時は世界を行き来して遊んだりもする。明日も金曜日だから『こっち』で夜を過ごして、朝になったら『あっち』で遊ぶ予定にしている。

「それで、シスナが見たがってた映画って、これ?」
食事中だけどスマートフォンを操作してシスナが気にしていた映画の画面を出して見せる。シスナは映画が好きだ。映画と言うよりは、映画館の大きなスクリーンと大音量と甘いポップコーンを含めてになるけど。

「そうそう、これ。楽しそうだから。ミキの方の演劇は凄いよね。感動しちゃう」
「俺からすればこっちの魔法に観劇するけど。映画見たらこっちで魔法劇見せてくれるんだろ。すごい楽しみ」
こっちの世界には魔法がある。魔法を見るだけでも楽しいのに、王都には魔法専門の劇場もあるのだ。
何度か連れて行って貰っているけど、ミキからすれば映画よりも魔法劇の方が凄いと思う。
お互いに無い物ねだりかもしれないけど、楽しいから良いのだ。

「ミキ好きだものね。魔法劇は早めに終わる予定だから少し散策しない?殿下がドラゴンを貸してくれるって」
「まじか。殿下に感謝だな。行く、空飛びたい!」
「明日会うから段取りしておくね。魔物が多いからちょっと心配だけど」
「心配なら無理には強請らないよ」
「大丈夫。私強いから」

こっちには魔法だけじゃなくて魔物もいる。それもかなり多くて大変みたいだ。
王都でもたまに魔物が入り込むからシスナが退治しているし、それが仕事だ。
自分で言う通り、シスナは国の中でも上位に入る強い人なのでその辺は心配していない。
シスナの言う殿下はワルム国の第二王子で、魔法の天才で、ミキにかかった不慮の魔法を調べててくれている人でもある。ミキの世界の物を見せない様にと決めたのも殿下だ。

「シスナ見た目は綺麗で美人なのに凄く強いよね。さっきも部下の人が教えてくれたよ。会議で鬱憤が溜まったから休憩時間に魔物退治してたって」
「やだ、恥ずかしい。だって面倒なんだもの会議なんて。それに宮殿は、ね」
「だな。そんな顔するなって。今は俺がいるだろ?平日だから程々にって言うけど、でも、シスナを抱きしめたいし、触れたいよ」
「ミキ・・・惚れ直しちゃいそう・・・」

シスナは宮殿があまり好きではない。宮殿にはシスナを振った元婚約者がいるからだ。
シスナと出会って数ヶ月、それはつまり、振られてからもまだ数ヶ月。泣きじゃくりながら酒を飲んでいたシスナだから、まだ傷は深くて宮殿を嫌がっている。もちろん仕事の場合はきちんと行くけど、本音はまだ辛い、になるみたいだ。
現在の恋人であるミキはそんなシスナを気の毒には思うけど嫉妬とかはない。出会った時のシスナの涙があまりにも気の毒で、それ以外の感情が未だにないからだ。早く傷が癒えればいいなと思うくらいにはこの数ヶ月でシスナを思う気持ちが深くなってもいる。
シスナには笑っていてほしい。

「そんな目で見られると流石に、その・・・照れるから。もう早く食べてお風呂入ろ」
「ふふ。お風呂ねえ」
「シスナ、その笑い方は綺麗でも美人でもない」
「嬉しい笑いだよ?うふふ」

全くもう。折角の綺麗な美人がただのスケベな人になっちゃったじゃないか。それも、いいけど。
シスナもミキを好きだと言ってくれるし、隙あらば触れてくる。本気だとミキに伝える為に自分自身にも不慮の魔法を殿下と協力して開発して、かけた。
元々こっちの世界の人だったシスナにはかける必要のない、でも、ミキの世界に行きたいからと頑張って、ある日帰宅したらシスナが出迎えてくれて本当に驚いた。
言葉でも行動でもミキを好きだと伝えてくれるシスナの気持ちを疑った事はない。でも、宮殿に行くと悲しい記憶が蘇るくらいにはまだ傷が深いのだとも納得している。
だから宮殿に行った日はシスナを甘やかしたいし、ミキだって触れたいからスケベな人になっても嫌だとは思わない。むしろ、嬉しい。


夕食を終えて、お風呂はミキが通ってきたあの大浴場に二人一緒に入る。大きいから一人ずつ入るより一緒の方が楽しい。それに、恋人なので触れ合うにも丁度良い。

「ミキ、最初の飲んじゃった方が良いと思うんだ。はい、あーん」
「やっぱりか。まあいいけど・・・あーん」

お風呂に入る前にあーんとシスナから飲まされた小さな粒、薬を飲む。
これは同性同士、特に男性同士が性行為をする為の薬だ。
魔法のあるこっちの世界は同性同士の結婚も普通にあって、その為にこの薬があるらしい。
薬とは言っても半分は魔法で、飲み込むと身体が男を受け入れられる様になる便利なものだ。
シスナと出会うまでその手の行為に縁がなかったと言うか、特に誰かを求めた事もなかったミキには有り難い薬だ。もちろん受け入れられると言っても身体が変化するのではなくて、シスナを受け入れる場所の準備を魔法がしてくれるだけだ。あとほんの少し痛みも軽減してくれるらしい。
薬は即効性で、効果は朝まで。特に味もしないし受け入れられると言っても身体に変化もない。便利な薬だなあといっつも感心するけど、シスナと身体を重ねる為に飲むものだから多少の照れはある。
飲んだらセックスしますと言っている様なものだからだ。
本当はお風呂から上がって眠る時に飲めばと思うけど、シスナは違うんだろう。

了承して飲み込んだからミキもそのつもりでお風呂に入る。広いお風呂で泡を沢山作って綺麗になってお湯に沈んで、はーっと漏れればシスナがすすすと近づいてくる。お互いに身体は洗ったけど、髪はどうせ後からまたお風呂に入るからとそのままで、シスナの長い金色の髪はお団子みたいになっている。綺麗な人だから似合うけど、これからする行為にはちょっとばかり似合わないなあとも思う。

「ミキ、もう触っても、いい?」
「ん、いいよ。でものぼせちゃうから、少しだけ」
「分かってる。明日も仕事だものね。だから、少しだけ」
「ぁ、明日は、いっぱいして、いいから」
「ミキも私も、休みが一緒で嬉しい・・・口、開いて、舐めて」
「んっ、シスナ・・・」

少しだけと囁くシスナにお湯の中で抱きしめられて口付けられる。ミキも応じながら、何度も触れ合わせて唇を開いて受け入れる。
少しばかりの恥ずかしさはあってもシスナに触れられて触れるのは好きだ。
見た目は綺麗で美人なシスナだけど、戦う人だから細身でもだいぶしっかりした筋肉があって力も強い。事務職で運動なんてしないミキなんて一ひねりな力強さだ。
だからお湯の中でもベッドでもころころと軽く転がされるし、シスナの良い様にされてしまう。それも嫌じゃないし気持ち良いのだから人間って不思議だなあと思う。


汗だくになって鳴いて気持ち良くなって、でも明日も仕事だからと浴室の中だけで行為を終えて、ほっこりと茹で上がって寝室の大きなベッドに沈む。
体力の差はこんな時でも大きくて、ミキはくたくただけどシスナはまだまだ元気だ。

「ミキは可愛いよね。触り心地が最高だし、私、ミキの色、すき」
「そう?ありがと・・・もう触っちゃダメ。髪の毛乾かすんだろ」
「分かってるけど、ミキのお腹とても好きなの。ぷにぷに」
「うっさい」

どうせ運動なんかしてないよとベッドの上で、もう寝間着を着てるのにじゃれてくるシスナを追いやって早くと軽く叩く。
夜風は気持ち良いけど髪をまだ乾かしてないから風邪を引いてしまうじゃないか。ミキはそんなに長くないからまだ良いけどシスナは長髪なんだから。

「ミキが可愛いのは本当なのに。髪の毛乾かすよ」
「俺じゃなくってシスナが先だろ。長いんだから」
「魔法で直ぐだからそんなに心配してくても良いのに。ミキの髪は手触りが良いよね。いいなあ黒い髪。ちょっと憧れちゃう」
「俺はシスナのが綺麗だと思うよ」
「えへへ。ありがと」

シスナの手がミキの髪をくしゃくしゃにして楽しそうに笑う。お互いに軽く無い物ねだりをしてから、シスナが起き上がって髪を乾かす魔法を出す。
この世界に来て、魔法なんておとぎ話だと思っていたけど、実際に見てもおとぎ話だとしか思えない。
シスナの説明によると、魔法は空気中に漂う力を吸い寄せて発動するものらしい。吸い寄せるのに呪文を唱えて、自信の内にある力で魔法に変換してなんやかんや。この辺はもうミキの理解が及ばないので、シスナは魔法が得意、と言う事にしている。
そして魔法が得意なシスナの出す暖かい風は湿気も含んでいて、髪が乾けば艶々にもなるとても便利なやつだ。ミキは別にいいけど、シスナの長い金色の髪は艶々じゃないとダメだと思う。
直ぐにふんわりと髪の毛が乾いて、疲れているけどミキも起き上がってシスナの髪に手を入れる。さらさらで艶々だ。

「はー、この手触り、止められない」
「ミキ、好きだよねえ。はい、ブラシ」
「サンキュ」
「ミキもちゃんと自分の髪のお手入れしようよ」
「短いからいらないし。シスナのお陰でいっつも艶々だから最近同僚に言われるんだぞ。お手入れ何してるんですかって」

さらさらの髪を楽しみつつシスナに渡されたブラシで丁寧に梳いていく。魔法で乾いて艶々だけど、ブラシは最後の仕上げと眠る時には緩く三つ編みにする為だ。
毎日触っても楽しい手触りだけど、ミキの髪の毛はそんなに艶々じゃなくてもいいのになあと思う。同僚にシャンプーのメーカーを聞かれても困るのだ。

「ミキも伸ばせばいいのに。そしたら私が楽しいから」
「面倒だからイヤ。これでも結構長い方なんだぞ」
「えー」

長い髪をゆるゆると編みながらシスナの手が伸びてきて器用にもミキの髪を軽く引っ張る。
ミキの髪はショートカットを少し長くした感じで、社会人にしては長めなのだ。これも勤め先がゆるいからで、制服もスーツもないのでとても楽である。
だって短い髪を維持するのは何かと大変だし、寒い季節に切ったら凍えてしまうじゃないか。
髪に触れてくるシスナの手を自由にさせたまま、ゆるゆるの三つ編みが完成したので後は眠るだけ。でも。

「はい終わり。酒飲む?」
「ちょっとだけ飲みたい。ミキは転がってて。私が用意するから」
「ありがと〜」

夜はまだ長くて時間もある。だいたい眠る前にはちょっとだけ酒を飲むのがシスナの習慣で、ミキはお付き合いだ。
二人とも酔っ払って出会ってやらかしたけど、酒は嫌いじゃない。でも強くもない。程々でご機嫌に酔っ払えるし、シスナと飲む酒は美味しいので好きだ。
大きなベッドで転がりながら、持ち込んでいるスマートフォンを眺めて待って、直ぐにシスナが戻ってくる。
戻ってきたシスナは銀色のトレイを置いて、ミキの隣に転がるとスマートフォンの画面をふんふんと覗き込んで、ついでとばかりにミキの頬にちゅ、とする。くすぐったい。

「ミキ、明日の天気を見てヘコむのやめようよ。寒いだけなのに」
「だって確認したいだろ」
「でも最低気温が零度でしょ?寒いよ。最高でも七度かあ。ミキの世界は寒いねえ」
「こっちはずっと暖かくて幸せ・・・早く春にならないかなあ」
「もうすぐでしょ」
「うん。そうなんだけど、地味にシスナが勝手に詳しくなってるのに突っ込んだ方がいい?」
「ミキに突っ込む方がいいなあ」
「うっさい」

頬が触れ合う距離でスケベな事を言うので遠慮なく整った鼻を摘まんでおく。ふぎゃ。なんて可愛い悲鳴を上げたシスナは起き上がって持って来たトレイを二人の間に置いてくれる。まさに寝酒だ。
高そうな、綺麗な細工のあるグラスの半分くらいに琥珀色が注がれていて、でも一緒に乗っているのはミキが買って来たスナック菓子である。しょっぱいヤツだから酒のつまみにはなるだろうけど、相変わらず似合わないなあと笑ってしまう。

銘柄はさっぱり分からないけど、きっと高級な酒と一緒にスナック菓子で寝酒をして、今日の出来事なんかをつらつらと話ながら夜を楽しむ。
窓から入る夜風は気持ち良いし、隣にいるシスナの手が伸びてきて触れられたり、唇を軽く重ねたり、ミキからも動いたりして、穏やかな時間だ。
グラス半分の酒でも気持ち良く酔っ払って、静かで穏やかな時を過ごせば眠くなってくる。スマートフォンの時刻を見れば日付を超えて少し経つ頃だろうか。

「ミキ、まだ寝ちゃダメ。歯磨きしてから寝ようよ」
「んー、シスナ、運んで」
「甘えんぼさん。運んであげるから、ほら、まだ寝ちゃダメだってば」
「だって眠い〜」

軽く酔っ払ってるし、そもそもお風呂で身体を重ねていて疲れているのだ。
ぐでぐでのミキに対して基礎体力の違うシスナはまだ元気が残ってる。だったら甘えてもいいじゃないかと、ほぼ毎晩こんな感じだ。
細く見えても力のあるシスナに抱っこされて洗面所で世話してもらって、本格的に眠る頃にはもう意識なんてない。
眠る前の挨拶を微かに聞いて、両手を伸ばしてシスナを求めれば抱き寄せてくれて一緒に眠る。

日常が変わって数ヶ月、毎日がとても楽しい。
おわり。
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