途中までのサンプルです。だいたい文庫本の50Pくらい分です。





ラハラの日常はとても穏やかだ。

気持ち良い風の入る窓はいつも適度に開かれていて、向こう側には緑が輝いている。
ふかふかのクッションはラハラ専用のもので、ちんまりと座るのに丁度良い。
ぴんと背筋を伸ばしてクッションに座って、気持ちの良い風に尻尾を小さく動かす。

ラハラは人だけれども、猫みたいな三角の耳とふさふさで長い尻尾がある。
これは『祝福』と呼ばれる珍しいものだ。
人々の間で言われているのは、『祝福』は世界からのお祝いで、生まれつきラハラみたいに動物みたいな耳と尻尾がある。この『祝福』があると魔力が多くて、複雑な魔法を使える才能が出やすいとも言われている。だから祝福なのだと。実際にはちょっと違うけど、態々訂正したりはしない。

ラハラの耳と尻尾はふさふさで真っ白で艶々だ。
尻尾はふかふかのクッションに半ば埋もれているけど、先っちょだけを出して小さく動かしてぱたぱたとしている。
身体もクッションに埋もれているけど、ちゃんと背筋を伸ばして腰まで伸びている金色の髪を窓から入る穏やかな風にふわりと流しいている。

周りには誰もいない。この部屋はラハラの部屋で、とても大きな王宮の奥にある。最高級の家具と、過ごしやすい様にと揃えられたいろいろに囲まれていて、でも、それだけだ。
誰もいない部屋なのに、気持ちの良いクッションに座っているのに、ラハラはきちんと背筋を伸ばしておすまししている。これが普通だからだ。
気持ちの良い風が入る窓は開いているけど外に出る事はない。そもそも部屋から出る事もない。クッションに座っておすましして、ぼうっとしながら尻尾の先っちょだけを遊ばせて、一日が過ぎる。

これがラハラの日常だ。
何の動きもないけれど、快適で穏やかだ。普通の人ならば退屈だと思うかもしれないけれど、ラハラにとっては当たり前の事・・・ちょっとだけ眠たいなと思う事は多いけれど、特に思う所はない。
こうしているだけでもラハラは全てを知る事ができるし、不自由はない。むしろ出歩く方が他の人の迷惑になる。
別に虐げられているとかではない。王宮の人達はラハラにとても良くしてくれるし、もう少しすれば王様がお話しに来てくれる。
誰からも好かれているしみんなに褒めてもらえる。じゃあ、どうしてこんな生活をしているのかと言えば、ラハラがとても綺麗だからだ。

綺麗過ぎて誰もラハラの顔をきちんと見られないくらいに。
誰もラハラに触れられないくらいに。
綺麗過ぎるラハラを見るとみんなが泣いたり呼吸を止めて見惚れてしまったり気絶してしまったりするので部屋から出ない様にしている。ただそれだけだ。
まず、見た目が綺麗だと言われる。
真っ白くてふさふさの、三角の耳と尻尾である『祝福』と、腰まで伸びたさらさらの金色の髪に、不思議な色の大きな瞳。他の人の瞳は一色なのに、ラハラの瞳は違う。なぜか虹色になっていて、これは自分でも綺麗だなあと思う。
顔の造りはみんなが綺麗だと言うからそうなのだろうとは思う。身体も程よい長さと細さで、肌の色は白。全てが整っていているみたいだ。

そして、中身も綺麗らしい。
これはきっと性格的なものではなくて、魔力が関係しているのだと思う。思うけど、誰かに言った事はない。告げても理解して貰えないだろうと分かっているからだ。
全てを知っているラハラは他人から向けられる想いも全部分かっているので口に出したりはしない。ふんわりと微笑んで話を聞きながら想いを受け止めるだけだ。
この国の王様だって例外ではない。

「今日も美しいね、ラハラ。毎日同じ挨拶ではあるけれど、この言葉しか出ないのだから仕方がないねえ。さてさて、今日はどの話にしようか?」
部屋に入ってくる王様はいつも一人だけで、犬みたいな茶色い耳と尻尾がある。王様も祝福されている人で、だいぶ強い。だからラハラにも耐性があるのだろう。
見た目の綺麗さはどうしようもないけど、魔力に対する耐性があるから王様はラハラと普通にお話ができる数少ない人だ。
そう、普通の人だとまともに話もできないので、部屋に入ってくる王様は自らお茶とお菓子を持ってきてくれる。でもあんまりラハラに近づくと緊張して呼吸が止まってしまうので程々に離れた、床の上に直接座る。
お茶とお菓子はラハラの魔法で近くに引き寄せるから問題ないけど、王様なのに床に直接座るのはそろそろ止めてほしいなあと思う。思うだけで言いはしないし、もう十年以上こんなんだから諦めてもいるけど。
それに、王様くらい強い人でもラハラと目を合わせてお話はできない。
ラハラを見ている様で視線は明後日の方だ。
「おうさま、こんにちは。みなとで、おおきなお魚をみたとききました。おうさまは、しっていますか?」
「騒ぎになっていた巨大魚だね。海軍の報告で良ければ聞かせてあげられるよ」
「ききたいです」
部屋から出ないし、話す人も極僅かなラハラが遠く離れた港の話を知っていても王様は不思議に思わない。それがラハラだからだ。だから本当は報告も知っているけど、王様から聞きたいので構わない。王様もそれを知っているから教えてくれる。
そろそろ壮年になる王様は体格が良くて、ラハラ相手じゃなければ威圧感溢れる強面と言われる人だ。今はでれでれしていて緊張もしているけど。

王様の話を聞きながらラハラは尻尾の先っちょを動かしてクッションを小さく叩く。退屈の動きじゃなくて楽しい尻尾だ。
この祝福された耳と尻尾は勝手に動くけど、自分の意思でも動く。
ラハラは完全に自分の意思でしか動かさない。これは王様も知らない事だ。
「こんな所だね。ああ、そろそろ時間だ。では、ラハラ」
「はい。おうさま、またおはなししてください」
「もちろんだよ」
魚の話から港の話も聞いて、そうしたら時間になったみたいだ。王様は忙しい人なのであんまり長居はできない。それにラハラをとても可愛がってくれるけど、緊張していてそろそろ部屋の外にも出たがっているのを知っている。
それだけラハラの美しさが桁外れなのだ。それも知っているからラハラはふんわりと微笑んで、耳を小さく動かして王様を見送る。
見送るときに立ったりはしない。ラハラが動くとより一層視線を奪ってしまって、王様の息の根を止めてしまうから危険なのだ。

王様のいなくなった部屋にはまたラハラだけ。
王様の持ってきてくれた、半分だけかじったお菓子と、一口だけ飲んだお茶をそっと魔法で消化して、食器は食堂に送っておく。これも魔法だ。
このお茶はちょっと甘すぎて、なのにお菓子は辛くてあんまり好きではない。でも王様の好物だから、お話ししている間は普通に口にする。
ラハラに好き嫌いがあってはみんなが心配してしまうので、魔法で消化して栄養分だけ取り入れている。一応口にできない食べ物はないから食べたりもするけど、一人になったら許して欲しい。

また静かになった部屋で気持ちの良い風がラハラの髪を揺らして、ゆっくりと一日が過ぎていく。



虹色にゃんこと花の王子さま



穏やかな日常を送るラハラに変化があったのは慌てた顔の王様が突然部屋に来た時だ。いつもはちゃんと、前もって訪れる時間を魔法で教えてくれるのに、いきなりバタバタと走ってきた。
王様は足が早いなあ、なんて思っていたらノックもなく扉が開いて、ちょっとびっくりしてふさふさの耳がぴくりと動く。
「す、すまない、突然。ちょっと困った事に、いや、困ると言ってはいけないのだが」
「どうしたんですか?」
いつもの様にクッションでおすまししているラハラに汗だくの王様が一枚の紙を広げて見せてくれた。ちょっと遠いけどラハラだから見える。
外国からの手紙で、転送魔法で送られてきたのだろう、濃い魔力を感じる。
内容は、この世界で一番大きな国の、王子がラハラに会いに来るみたいだ。
会いたいではなくて、会う。
決定事項で書かれている手紙は一番大きな国らしい物言いだなあと感心して尻尾をふわりと動かす。
「返答を求めない一方的な通達所でもあるんだ。ラハラなら心配はいらないと思うのだが、念の為、部屋の外に騎士を多めに配置する様に・・・」
「だいじょうぶです。おうさま、ありがとうございます」
今までにもラハラを一目見たいと、自分のものにしたいと思う人は沢山来た。
綺麗過ぎるラハラの話はもう世界中に知れ渡っているから、今回も同じだと思う。
ラハラに会うまではいろいろと考えているのに、実際に一目見ると真っ白になって、酷い時はそのまま気絶したりする。王様も知っているけど、今回は慌て方が大げさだ。
そんなに凄い人が来るのだろうか。
「今回は『花の王子』だ。ラハラも知っているだろう。現在、かの国には花の王子がいる。今までラハラの話を知らなかった様なのだが、どこぞで知ってしまったのだろうな」
「花の王子さま・・・そうですか、ボクをしったのですね」
「時間の問題だったが、一応気をつけてくれ。かの王子は私よりも、いや、現時点で世界で一番強いとも言われている。だからこその花の王子なのだがな」
「はい」
王様が疲れた様に大きく息を吐き出して、警備を増やすのだと部屋を出て行った。
一人になったラハラは特に何も思わずに、けれど花の王子と言う存在を思い浮かべる。

『花の王子』。
王様が言った通り、現時点で世界で一番強い魔力と力を持つ人の敬称みたいな言葉だ。世界で一番大きな国に希に出るらしい花の王子は、いろいろな逸話がある。
『花』は言葉通り、花しか食べないから、『王子』もそのまま、必ず王族から出る。
でも見た目は普通の人間で、ラハラみたいに耳と尻尾はない。だから花の王子は生まれ持った魔力の強さと、人々が天才だと言う中身で勝手に呼ばれる俗称だ。もっとも正確な称号も何もないから俗称が全てでもあるけど。

「ボクに会いに来る・・・」
ぽつりと言葉が漏れる。独り言を言わないラハラにしてはとても珍しい。
だって世界で一番強いなら、ラハラよりも、かもしれない。そう思えば今までとは違って興味がわくし、あんまり動かない心がとくりと鳴る。
でも、期待はしない様にしよう。
誰もがひれ伏す美しさを持つラハラに勝つ人はいなかったのだから。

耳をぱたりとさせて気持ちの良い風を感じながら、外が騒がしくなったなと尻尾を小さく振る。きっと、ラハラの日常は変わらない。


そう思っていたけれど、現実は意外と変わるみたいだ。
穏やかな日常を終えて、そうそう、ラハラの食事は専門の人が部屋の入り口まで持ってきてくれるし、着替えも日用品も全て同じ感じだ、眠るだけになった夜。

気候の穏やかな土地だから夜も窓は開けっ放しで、そろそろ眠ろうかなとベッドに移動しようとした時だ。
ふいに魔力の動きを感じて、部屋の真ん中に、唐突に、彼が出現した。
膨大な魔力が動いたのに部屋の外まで魔力が漏れない、素晴らしい転送移動だ。
そして、静かに出現した彼はまるで今の空みたいな、夜を切り取ったかの様な色をしていた。
背中まで伸びた夜空の髪に同じ色の瞳で、中々に整っているけど、きちんと男性だと分かる美しさだ。体型も細いけど力強さを感じて、衣装は王宮ではあまり見ないラフなもので、寝間着のラハラとどっこいどっこいな感じだ。
「よお、突然で悪いな。貴方がラハラか・・・こりゃあまた、うん、綺麗だな」
突然出現した彼は、ベッドに移動しようと立っていたラハラをしっかりと見た。
視線がかちりと合うなんて、何年ぶりだろうか。この人はラハラと視線を合わせてお話ができるくらいに強い人になるのだろうか。
「その瞳、不思議な色だ。と、名乗りもせずに失礼した。俺はヒュープ。花の王子って呼ばれてるが、貴方ならば全て知っているだろう。とりあえずは、今晩は、だな」
「ボクのいろは虹色というみたいです。こんばんは、ヒュープ」
「へえ、虹色かあ。確かに虹だな。色も綺麗だが、いやあ、本当に綺麗だな、俺が緊張するくらいに」
ラハラを覗き込みながら話している彼、ヒュープは確かに緊張している。でもこんなに近くで、それも見つめ合いながら会話ができる人なんていない。
夜色の瞳が、はじめてじっと見る他の人の色に見惚れていたらにっこりと微笑まれた。思わずラハラも笑みを返す。
「気に入った。まずは見たいのと反応を知りたくてこんな夜に失礼したが、良いな。また明日、改めて正式に訪れるとしよう。よろしくな、ラハラ」
そうして、ヒュープはラハラに手を差し出す。これは何の仕草だろうか。ラハラから見たら大きな手が真っ直ぐに差し出されて、首を傾げる。
全てを知っているラハラだけど、知らない事だって沢山ある。
「ん?何で不思議そうにしてるんだ?ほら、握手だ握手。よろしくの挨拶だ」
首を傾げるラハラにヒュープは笑いながら手を差し出して、ああ、少し遠いなと呟きながら近づいてくる。
握手。言葉は知っているけど、ラハラには縁のないものだから思い浮かばなかった。
そうか、ヒュープはラハラと握手・・・無理だ。ラハラに触れられる人なんていない。
これまでだってそうだった。何人かは触れようと手を伸ばしてきたけど、全員近づくだけで逃げていった。
でも。
「小さくて柔らかい手だな。緊張しているのが伝わってしまって少々恥ずかしいが、よろしくな」
ヒュープは違った。首を傾げてぼうっと立っているラハラに近づいて、手を伸ばして、触れられた。

大きな手がラハラの手を軽く握って、人の温度が、感触が、伝わって。
はじめてだ。触れられるなんて。人の温度は、こんなにも熱くて柔らかくて、ラハラの心が真っ白になる。
いつも真っ白になっていたのは会いに来た人達だったのに、今は逆になった。
握られた手はとても優しい力で、熱くて、柔らかくて、でも一部堅い場所があるみたいで。
「ちょ、おい、何で泣いてるんだ。何で泣いてるのに、そんなぼろぼろ涙が零れてるのに、動かないんだ、貴方は・・・」
ヒュープが驚いている。涙、それはラハラから溢れるものだろうか。
確かに視界がぼやけているし、心が苦しい気がする。触れられた驚きが涙になっているのだろうか。ラハラには知らない事が沢山あって、この気持ちも分からない。
「わかりません。ふれられたのがはじめてなので、おどいて、いるのかもしれません」
「はあ?はじめてって何馬鹿な・・・いや・・・ん、そうか。はじめてなのか」
「はい。はじめてです。とても、あつくて、やわらかくて、ちょっとかたいです」
「そりゃあ剣ダコだな。今の俺じゃあ涙を拭うまではできなくて、すまん。今宵はもうお別れだが、明日、朝一番で来る。楽しみにしていてくれ」
「あした・・・はい、たのしみに、しています」
「期待していて良いぞ。では、名残惜しいが。おやすみ、ラハラ」
「おやすみなさい、ヒュープ」
ぼろぼろと溢れる涙をそのままに、ヒュープがちょっと困った顔になってから笑顔になって、お別れの挨拶をしながらラハラの手を力強く握って、消えた。
見事な転送魔法だ。
誰にも知られず、綺麗に消えたヒュープにラハラは涙を落としながらベッドに移動する。
眠る挨拶をしたし、時間だからだ。

ぽすんとベッドに座って、落ちる涙を不思議に思いながら、ヒュープに握られた手をじっと見る。
熱くて柔らかくて剣ダコのある手は大きかった。はじめて、触れられた。

ラハラだって一応は人間だから、きっと幼い頃は沢山触れてもらっていたのだろうけれど、実は記憶がない。気がついたら王宮にいて、ふかふかのクッションでおすまししながら座っていたからだ。
そんなラハラだから人肌の温度の知識はあっても経験するのは本当にはじめてで、今になって尻尾がシーツをぱたぱたと叩いている。
ああ、無意識で動く尻尾もはじめての経験だし、これは、嬉しい仕草だ。
祝福の耳と尻尾は心と連動しているのが普通で、こんな風に自分でも知らなかった気持ちを教えてくれるものだった。
そう、ラハラは嬉しく思っている。
突然出会ったヒュープに手を握られて、嬉しくて、尻尾がシーツをぱたぱたしている。








はじめてのいろいろで、これまた初の寝不足になってしまった。
握った手をじっと見つめて、嬉しくて、いつの間にか止まっていた涙にも気づかずに、そのままころりと転がって、眠っていたみたいだ。
起きる時間は毎日同じラハラだけれど、はじめての寝不足で眠たい。
耳も尻尾も力なく下がっていて、これはいけないと思うけど、気を取り直す前に夜と同じ色が部屋に出現した。また転送魔法で静かに来たヒュープだ。
「おはよう、お寝坊さん。朝から可愛いなあ、ラハラは」
「おはようございます。ヒュープ、きのうとずいぶん、ちがいます」
「まあな」
ふふん、と笑うヒュープは昨夜のラフな衣装じゃなかった。
夜を切り取ったみたいな色はそのままで、王宮の中にいる騎士の人みたいな衣装になっていた。長い髪もきちんと一つに結っていて、すっきりした印象だ。
まだベッドに転がったままのラハラとはだいぶ違う。
ラハラも起き上がって着替えないとと思いつつ尻尾をぱたりと動かしたら、ヒュープが近づいてきて、頭を軽く撫でられた。びっくりして耳が伏せてしまう。
昨夜も驚いたけど、あれは夢じゃなかったみたいだ。ヒュープは本当にラハラに触れられて、覗き込んで視線を合わせて、にこりと微笑む。
「ヒュープはどうして、ボクにふれられるんですか?」
「ん?そりゃあ触りたいって思ってるからじゃないか?ほら、そろそろ起きてくれ。今日は忙しくなるぞ」
「いそがしい?」
ラハラの日常は穏やかで変わらないのに、忙しくなる事なんてないのに。
頭を撫でてくれたヒュープはラハラの部屋をぐるりと見渡すと動き出す。
何をするのだろうか。寝転がったまま見ていたら衣装を置いてある小部屋に入っていってごそごそしている。ラハラの衣装に用があるのだろうか。
ヒュープみたいな人ははじめてで、全てを知っているラハラでも理解できない。

まずは起きないとと、ようやくベッドから出て身支度を調える。
着替えは衣装がないと駄目だけど、耳や尻尾の手入れや、身体を綺麗にするのは魔法で一瞬だ。
毛先が絡まる長い髪も一瞬でさらさらになって、耳と尻尾もふさふさになる。
「ラハラ、手持ちの衣装はここにあるだけか?王宮住まいなのに少ないぞ」
「そうですか?ふべんはないです」
「あー、確かになあ。ま、後は追々揃えるか。しばらくは寝間着でも問題ないし、行くぞ」
「?」
ヒュープの行動と言葉がさっぱり分からない。
首を傾げれば衣装部屋から出てきたヒュープが昨夜と同じ様にラハラに向かって手を差し出した。また、手に触れられるのだろうか。触れても大丈夫なのだろうか。
それが握手の仕草だともう分かっているから、でも、ラハラから触れるのはちょっと怖い。
差し出された手をじっと見ていたらヒュープが軽く笑って、動かないラハラの手を握った。熱くて柔らかくてちょっと堅い、あの感触に心がじわりと暖かくなる。
「今朝、ここの王様を叩き起こして全部聞き出して、許可を得た。ラハラは今から俺の家で暮らす。誰も触れられない、そもそもマトモに話もできないなんておかしいだろ。だからだ」
「だから・・・?」
そんなの当たり前の事なのに。ヒュープは違うけど、他の人はみんな同じなのに。
おかしさなんてラハラの中にはないから、手を握られたまま不思議にしか思えない。
するとヒュープが苦く笑って、道のりは遠そうだけどな、なんて呟く。
道のり。ラハラは何かの道を進むのだろうか。
「進むのはどっちかって言えば俺だな。んで、俺だけの小さい家に、そうだな、ラハラをご招待って所だ。俺一人だけだから出入り自由で、好きなだけ外も中も見放題。転送で飛ぶから、戻りたかったらいつでも戻っていいし、俺が一緒なら世界中のどこにでも行ける。これでどうだ」
「どう・・・?」
突然すぎて追いつけない。
つらつらと並べられる言葉はまるでラハラの全てを知っているかの様で、ああ、王様から聞いたのだと言っていた。じゃあ、ヒュープは全てを知って、ラハラを誘ってくれているのだろうか。
正直に思えば部屋の外に出たいと思う事はあるし、こうしてしっかりとラハラと視線を合わせて、ましてや触れてくれるヒュープを知りたい。
じっとヒュープの夜色の瞳を見上げて、握られた手の熱さを感じながら、ラハラは頷く。
「そうこないとな。良い子だ」
頷くラハラにヒュープが嬉しそうに笑って、次の瞬間には王宮から転送魔法で飛んでいた。





飛んだ先は建物の中じゃなかった。
まだ寝間着だったラハラだから裸足のままで、足の裏に柔らかい草の感触がして驚く。家の中に飛ぶと思っていたのに到着したのは外で、緑の上だった。

「しまった、サンダルくらい履いてからにするべきだったな。服は持ってきたんだが、履き物を忘れていた。ちょっと待っててくれ、好きに動いてていいぞ」
素足に触れる感触に驚いてふさふさの尻尾がぶわりと膨らんでいるのに、ヒュープは軽く笑うと消えてしまった。
転送魔法の力を感じるからラハラを置いて王宮に行ったみたいだ。

どうしよう、一人になってしまった。
いつも一人だったけど、今は意味が違う。抜ける様な青空の下に立っている。

「そと・・・みどり、たくさん」
呆然と見てしまう。外に出るなんてはじめてだ。
いつもあの部屋の中でおすましして座っているだけだったから、こんな風に全身で外の空気を感じているなんて、本当に、はじめてだ。

呆然と空を見上げて眩しくて、慌てて周りを見てまた驚いた。
今度は尻尾は膨らまなかったけど、落ち着かない気持ちがそのまま尻尾を揺らして、耳もぴくぴく動く。

ラハラの立っている場所は森の中にある拓けた場所で、そうだった、ヒュープの家に飛んだはずだった。
視線を動かした先にその家があったから、ようやくヒュープの言葉を思い出して、そうして、同時に『花の王子』の事もやっと思い出した。
ラハラの視線の先にある色とりどりの花に囲まれた小さな一軒家がいかにも花の王子らしいと思って、一緒にラハラの中に沢山の知識も溢れ出す。
知識だけで知る普通の住宅、と言えばいいのだろうか。木造の二階建てて、屋根にも壁にも花がある。蔓の植物なのだろうか、色とりどりの花が一軒家を囲んで、周りも色で溢れている。
思わず足が花で溢れる家に進んでしまう。ぺたり、ぺたりと。素足で歩いて、空気の中に花の甘い匂いが混じって、少しだけヒュープの魔力も感じる。
そうか、この溢れる花はヒュープの力で育っているのか。
数え切れない種類の花々があちこちで咲いていて、花の王子の食べ物なのだろうと思う。花の王子は花しか食べないから、実際にはちょっと違うけど、確か普通の食べ物は一切口にできないはずだ。
「おいしいの、でしょうか・・・?」
沢山の花は溢れるくらいで、その一つに近づいて指先で赤い花びらに触れてみる。
指先にしっとりとした感触があって、美味しそうだとは思えないけど、もしヒュープのご飯ならラハラが勝手に取っては駄目だろう。
指先で撫でるだけにして、家の方に歩く。
ぺたり、ぺたり。足の裏の感触がだんだん楽しくなってきて、尻尾がゆるりと揺れる。
ラハラの耳と尻尾は意識して動かしているけど、こんな風に気持ちだけで動くのもはじめてだ。
楽しいなと自然と笑みが浮かんで、近づいてきた家をじっと見上げる。
大きくはない二階建ての建物の、玄関らしき所も窓も全て開け放たれている。風通しが良さそうで、ラハラの部屋みたいだ。
中はラハラの部屋より物が少なくて、でも何となく安心できそうだなと思う。
どうしてだろう。不思議に思ってぺたりぺたりと近づいて、中に入ろうとしたら遠くから魔力の移動を感じる。ヒュープの魔力だ。
「裸足で歩かせてしまって悪いが、そのまま入られると汚れるからストップだ。俺の家は土足厳禁でな」
「どそく・・・?」
「汚れた足で入っちゃ駄目って事だ。本当なら格好良く抱き上げて入れば良いんだが、んー、まだ俺が駄目だな。ちょっと待っててくれ」
「はい」
待てと言われたら大人しく待つ。戻ってきたヒュープは大きな袋を抱えていて、そのまま自分のブーツを乱暴に脱ぎ捨てて中に入っていった。
それから、少しの間尻尾を揺らしながら待っていたら小さな椅子と平たくて大きな器を持って戻ってきた。
「こっちに来てくれ。で、この椅子に座る」
「はい、わかりました」
ラハラの立っている所じゃなくて、玄関だろう場所から出てきたヒュープに呼ばれたので、ぺたりぺたりと向かう。椅子は小さくて背もたれのないものだ。ちょこんと座って尻尾を揺らせば足下に平たい器を置かれる。
「足はこの中。足を洗ってから中に入る。いいな?」
そうか。裸足で歩いたからラハラの足は汚れていて、だから駄目なのか。
ヒュープがラハラの前にしゃがみこんで、魔法で器の中に水を入れてくれて丁寧に洗ってくれる。抱き上げるのは駄目でも足を洗ってくれるのは良いのだろうか。
「俺でもまだ慣れないからなあ。いずれは慣れるし、そうしたらもっと触るぞ。足、気持ち悪いとかはないか?」
「ありません。なれるとボクにさわるんですか?」
「俺だからな。それと、ここが花で溢れてるのは俺の名前の通りだ。だが花しか、花の生気しか摂取できなかったのは初代だけで、俺くらい代が下がってるとだいぶ薄れているから普通に食べる。王宮に寄ったついでに食事を貰ってきたから朝食にしよう。ラハラも腹減っただろ」
「ヒュープもたべますか?」
「おお、食べるぞ。でも花もちょっと貰う」
「おはな、おいしいですか?」
「美味くないけど偶に美味いのもある。美味い花があったらラハラにも分けてやるよ」
ラハラを見上げたヒュープがにっこりと微笑んで、綺麗に洗い終えた足を拭いてくれる。
昨日から沢山触ってもらって、もうあの熱さは感じないけど、暖かさにじんわりと心が鳴る。
ヒュープはとても自然にラハラとお喋りして触れてくれるから、不思議に思うよりも前に嬉しくなって、尻尾がゆらゆらする。
「ご機嫌な尻尾だ。うんうん、祝福持ちはそう言う風に揺れてくれるのが良いよな」
嬉しそうに笑うヒュープがあらかじめ用意してあったのだろう、ラハラのサンダルを出してくれるから足を入れて立ち上がる。直ぐに家の中に入るけど、折角洗ってもらったから汚しては駄目だ。
立ち上がったラハラにヒュープが手を差し出すから、少し考えてラハラも手を伸ばす。もうこの仕草が手を握るもので、ヒュープは大丈夫だと知ったからだ。
「そうそう。やっと出してくれたな。じゃ、朝飯にしよう。それから服も着替えないとだけど、ここには俺しかいないからそのままでも良いかもな」
「ねまきのままでした。ボクのふく、ありますか?」
「もちろん持ってきてる」
「きがえます。ねまきのままだと、おうさまがないてしまいます」
「ここに王様はいないぞ。そして、俺はラハラが寝間着のままでも気にしない。楽ならそのままでもいいし、着替えたければ着替えると良い。ラハラに任せる」
「そうでした。おうさま、いません・・・ボクは・・・」
どうしたいのだろう。今まで起きたら着替えるのが当たり前で、寝間着のままで過ごすなんて考えもしなかった。
任せられて困ってしまって、ふさふさの耳が落ち着きなくぴくぴくしてしまう。
こんな風に困るのもはじめてで、そんなラハラにヒュープが小さく吹き出した。
どうしてだろう。
「悪い悪い、そんなに困った顔をされるとは思わなかった。そうだな、それじゃあ俺もラフな服に着替えるから、ラハラも同じ感じのにしよう。な?」
「・・・はい」
ヒュープが決めてくれて良かった。ほっとして、手を繋いだまま履いたばかりのサンダルを脱いで家の中に入る。

また素足でぺたりぺたりと歩く。ヒュープの家の中も風通しが良くて気持ち良い。
王宮は土足の場所だったから裸足の感覚も心地良い。
ふんわりと尻尾を振りながら案内されたソファに座る。
「ここは俺一人だけの、俺の持ち物だ。ついでに見える範囲は全て俺の土地で、魔法で閉じているからどこまで歩いても大丈夫だぞ。もちろん家の中もラハラが見て駄目な所はどこにもない。ああ、そうだ。まだ正式に自己紹介もしてなかったな。まあ知っているだろうけど、一応な」
案内してくれたヒュープはソファに座らないで、そのままばさばさと衣装を脱ぎはじめてしまった。ここで着替えるのだろうか。他の人の着替えなんて見るのははじめてだ。
ヒュープに出会ってからはじめてが多すぎて、全てを知っているラハラでも困惑してしまう。
無意識にふさふさの尻尾の先っちょが伏せて、それでもじっとヒュープの着替えを見てしまう。
「この世界で一番でかい国の第二王子だ。最も継承権はとっくに放棄している。理由は俺が花の王子って呼ばれる存在だからな。花の王子ってのも一応説明しておくぞ。ラハラの知っている情報と、今のとじゃあちょっと変わっていそうだしな」
ラハラがじっと見ているのに全く気にしないヒュープは騎士みたいな衣装をばさばさと脱いで下着だけになった。他の人の半裸もはじめてで、ラハラから見ても綺麗だと思う。
しなやかな長身とでも言えば良いのか。伏せた耳はそのままだけど、尻尾の先っちょがふわふわと揺れる。興味津々の振り方にちょっとだけ恥ずかしく思う。
そんなラハラにヒュープは半裸なのを全く気にせず、にこりと笑むと部屋の、壁に備え付けてある箪笥の方にすたすたと歩いて行く。
「花の王子もラハラみたいな祝福持ちも元は一緒なのは知ってるよな。祝福なんて言われてるけど、実際は大昔の人間が人外の力を欲して全ての存在から強引に吸い取った結果、希にラハラみたいに耳と尻尾のあるヤツが出る様になった。耳と尻尾のあるヤツらは人外の力をたまたま強く引いたって言う目印でもある。だから魔力が強い。そして、俺も一緒だ。ただ俺の場合は国の、王族にしか出ない特殊なやつでな。王族は他の人間よりもさらに多くの力を求め過ぎた結果、俺みたいに人外の魔力を持つ者が極僅かに出る様になった。初代から数えて、俺で五代目。約三百年ぶりだ」
その説明は知っている。
ラハラの耳と尻尾は祝福と呼ばれているけど、実際には大昔から続く人外からの呪いみたいなものだ。
それを祝福と呼ぶのは魔力の強さからで、でも、大昔から数えると今はだいぶ数が減っている。人外の力の強さに反省した人間が吸い取るのを止めて、血が薄まったからだ。
今は全人口の一割くらいしか祝福持ちは存在しない。その中でもラハラは異端だけど、ヒュープはさらに希だ。
あの国の王族にだけ出る、花しか食べられない、花の生気を吸い取る事でしか生きられない人間はもう人外に限りなく近くて、持っている魔力も同じだ。
ヒュープからも強い魔力を感じている。
「だいぶ血が薄まってるから、花も食うけど普通に飲み食いもできる。魔力の量も初代よりは減っていると思うが、それでも人外だな。ちなみに、花の王子ってのは初代が本当に花しか食えなくて、しかも花の似合う華奢で綺麗な人だったからと聞いてる。俺も若干近いけど、まー、自分で言うのも恥ずかしいな。でもって、普段は王宮で研究職に就いてるし、この家で休んでたりもする。名前の通りなのかどうかは分からんが、花が多い方が落ち着くんだ・・・と、ラハラの着替えはこれでどうだ?王宮から一揃え持ってきたけど、好みがあるなら自分で選んでいいぞ」
「ヒュープがえらんでくれたほうが、うれしいです。花の王子さま、きれいな人です」
「照れるからよせ。ま、そんな感じでよろしくな。朝飯の用意してるから、着替えたら服はその辺に転がしておいていいぞ。後で洗いに出す」
喋りながら着替え終えたヒュープは騎士服の方を部屋の隅に放り投げて、最後に長い髪をほどいて、また一つに結った。
きっちりじゃなくて、ゆるく結うのは何かが変わるのだろうか。
「かみのけ、しばるの、おなじです」
「きっちり縛ってるの嫌いなんだ。この方が落ち着く。ラハラも長いな。縛ってみるか?」
「しばる・・・やったことないです」
「だろうなあ。よし、軽く一つにしてみるか。その長さなら三つ編みもいかもな。着替えて飯食ったら外で、ブラッシングついでに」
「ぶらし・・・?」
「ちょっと待て、そこで首を傾げんな。祝福持ちは耳と尻尾の手入れに一日五回も時間を取るだろ。専用のクリームとブラシも持って・・・いや、ラハラの部屋にはなかったし持ってきていない・・・まさか」
何を驚いているのだろうか。髪を結ってもらえるのかなと尻尾がご機嫌に揺れているのに。
確かに祝福を持つ人達は耳や尻尾を手入れする。でもラハラは魔法で一瞬だ。それの何がいけないのだろうか。
首を傾げれば座るラハラの前にヒュープが立って、どうしてだろう、頭を撫でられた。
「飯食ったら道具を揃えないとな、あの王宮だったらあるだろ。じゃ、ゆっくり着替えていてくれ」
困った笑顔と言うのだろうか。ヒュープが苦笑をして、ラハラの頭を撫でるとするりと耳も撫でて行ってしまった。
魔法で手入れをしては駄目なのだろうか。ラハラには分からないから、まずは用意してもらった衣装に着替える事にした。


ヒュープの用意してくれた衣装は王宮から持ってきたもので、尻尾を通す穴のあるラハラ専用のものだ。
裾が膝まであるチュニックと五分丈のパンツ。どちらも色は淡い水色で、着心地はもちろん良い。
袖は手首をリボンで結ぶもので、一人ではできないけどラハラには魔法がある。
誰もラハラに触れられないから身支度は全て一人でしていた。だから身支度に関する魔法を沢山作り出した。
小さく詠唱して魔法で身支度を調え終えたらヒュープがじっと見つめている。
何だろう。
「器用なもんだと思ってな。でもその袖じゃあ駄目だ。ラハラ、こっちにおいで」
「だめ、ですか?」
「ああ。俺がくくってやる。髪も結ばないとだろ」
「そうでした。ヒュープにむすんでもらいます」
ヒュープが部屋の、窓際にある椅子に向かってラハラを呼ぶから素直に向かって座る。壁全面が窓になっていて、全て開いている。ガラスは両側の壁に仕舞う形の様だ。
気持ちの良い窓際だなと思えばふわりと尻尾が揺れて、椅子に座るラハラの後ろに立つヒュープに触れてしまう。
しまった。誰も触れられないラハラだから気をつけているのに。
「俺は大丈夫だっての。どれ、三つ編みがいいかな。髪に触れられるのははじめてだろうから、嫌だったら遠慮なく言えよ」
そうだった。ヒュープはラハラに触っても平気な人だった。それ所か髪を結ってくれる。大丈夫だと頷けば後ろからヒュープの大きな手がラハラの髪に触れる。
長く伸びた金色の髪がヒュープの手に触れて、ゆっくりと動かされていく。
髪に触れられて、感触なんか感じないはずなのに、どうしてだろう、とても心が温かくなる。
でも結ってもらった髪はいつもより重さを感じて、頭が少し後ろに傾いてしまった。
「直ぐに慣れるさ。鏡はあっち。ゆるい三つ編みだ」
「みつあみ」
後ろ側で結ってもらったからラハラからは全てが見えない。だからヒュープが部屋の奥を指差してくれて、鏡の前に向かう。はじめて結ってもらった髪がとても気になる。
鏡は姿見で、当然ながら見慣れたラハラの姿があるけど、違うラハラでもあった。
後ろ側で金色の髪がゆるく編まれていて、先っちょを紺色のリボンで結ばれている。
身体を動かせば結ばれた髪の先がちょいちょいと動く。これはまるで。
「みつあみです。りぼん、しっぽみたいです」
「ぷっ、そうか、尻尾に見えるか。本物の尻尾もご機嫌そうで良かったよ。ほら、次は袖を結ばないとな。ラハラ、手を出して」
「はい。ヒュープは、とてもきようです」
「そうだろ、そうだろ。俺は何でもできるんだぞ」
尻尾みたいな髪の先を動かしていたらヒュープが近づいてきてくれて、魔法で整えた手首のリボンを解いた。どうするのだろうと思えば大きな手が器用にラハラの袖をめくって、肘あたりで改めて結びなおしてくれる。
「これからは俺が結べるから、俺に言ってくれ」
「ヒュープに?」
「ああ。沢山ラハラに触れたいんだ。もちろん嫌なら嫌って言ってくれ」
「いやじゃないです。うれしいです」
誰も触れられないラハラに触れてくれる。
人肌の暖かさがとても嬉しいから素直に伝える。するとヒュープがちょっと驚いた様に目を見開いて、とても綺麗に微笑んだ。
夜色の瞳が優しく細まって、ラハラの瞳を見つめてくれる。
「俺も嬉しい。ありがとな、ラハラ」
ヒュープも嬉しいのだろうか。そうだっただったら。ラハラの心がじんわりと温かくなって、ふさふさの耳がぴくぴく動く。
祝福の耳と尻尾は何より雄弁に感情を外に出す事があって、今がそれだ。
ぴくぴくするラハラの耳を見たヒュープがどうしてだか目尻を染めて、嬉しそうに笑って、また頭を撫でてくれた。


ヒュープが王宮から持ってきてくれた朝ご飯はラハラにとってはいつもの食事だ。
綺麗に整えられた一口大のサンドイッチと、サラダと果物。でも、ラハラの朝食を見たヒュープが少ないし小さいと文句を言う。
「そうですか?ボクのあさごはんです」
「ラハラには似合いそうだなあって思ってしまうのがまたなあ。俺の分もと包んでくれたんだが、足りない。ちょっと足す、ああ、簡単なやつを作るって意味だよ。飲み物もないだろ?ラハラは何を飲んでたんだ?」
「のみもの、おみずと、紅茶、たまに珈琲にみるくを入れてました。ヒュープはおりょうりもできるんですか?」
「簡単なやつだけならな。ラハラは、まあ縁がないよな。でも俺と暮らすんだから、ゆっくり覚えていこうな」
「ボクが、おりょうり」
「直ぐには無理だろうけど、初めの一歩は今からってな。ラハラ、庭に出て適当に花びら摘んできてくれ。俺の朝食の一部だ」
「おはな、ですか?」
「そ、お花。両手で持てるくらいで良いぞ。色も形もラハラに任せる。サンダルはちゃんと履いて行ってくれな」
突然の申し出にびっくりして尻尾がかたまってしまった。でもヒュープは穏やかな笑顔でラハラを撫でてくれる。今朝から沢山撫でられていて、もうラハラに触れるのが当たり前になった気持ちになってしまう。
でもヒュープはまだ緊張している。たぶんまだ頭を撫でたり手を繋いだりしかできないのだとも知っている。それでも嬉しい。

驚いていた尻尾が直ぐに嬉しいなとふわふわ揺れて、ヒュープに促されるまま玄関からサンダルを引っかけて外に出る。
花びらはヒュープのご飯だ。できれば美味しい花びらを選びたいけど、残念ながら全てを知っているラハラでも花びらの味は不明だ。
「おいしいはなびら・・・おはなのあじ、むずかしいです」
外に出て花で溢れる庭みたいな場所に立ってぐるりと見渡しても、全く分からない。
すう、と気持ちを落ち着けて世界の情報を探ってみて、食用花なんてものもあるのか。食用ならば美味しいのだろうか。いろんな種類があるみたいだけど、ヒュープの庭にはあるのだろうか。
得た情報と庭の花々を見比べていたら、大きな窓からヒュープの声がする。
「残念ながら食用花は植えてないぞ。たぶんラハラも知らないだろうから、諦めて気に入ったやつを摘んでくれ」
当然の様に告げたヒュープは面白そうに笑っていて、そうか、食用の花はないのかと思ってから、驚いた。だって、ラハラは声に出していないのに。
驚いたまま窓の側に立っているヒュープをじっと見る。
夜色の綺麗な人。ラハラより大きくてしっかりしていて・・・内に、とても懐かしいものを感じた。

これは、きっと、ラハラと同じ。

全てを知っているラハラと同じものを感じて、虹色の瞳が見開かれる。
だって、ラハラと同じ人なんているはずがないのに。
「驚くだろ?俺も驚いた。そう、俺もラハラと同じ『全知全能』だ。ただ、ラハラの方がより全知全能だろうとも思ってるし、実際そうみたいだなって短い時間だけど理解もした。花の王子なんて呼ばれてるけど、実際はただの人外で、大昔、神からも力を吸い取った呪いを受け取ってしまったのが俺だ。ふふ、びっくり顔も可愛いぞ」
小さく笑うヒュープにラハラは驚いたままだ。
ヒュープの言う全知全能、言葉の通りの力は誰も知らない、持っている人だけが知るものだ。
王宮の一室から一歩も出ないラハラが全てを知っているのはこの力のお陰で、魔法だって使おうと思えば全てを使用できる。人の中身だって簡単に知る事ができて、意識を探れば食用花みたいに直ぐに全部を理解できる。
だからラハラは異端で、外側の綺麗さと、この力の巨大さで誰も近づけない。
そんな力を持つ人がラハラ以外にもいたなんて。
「しって、いるんですね・・・びっくりしました」
「俺だってビックリしたさ。まさかってな。それも、俺より綺麗で力が強くて、可愛いのが。その辺の話は追々。今は俺の朝飯を選んでほしいな」
「そうでした。ヒュープのごはん。おはな、えらびます」
「楽しみにしてる」
ヒュープがラハラと同じ人だった。驚いたけど、全てを知るラハラだから直ぐに理解して、朝ご飯の準備中だったと思い出す。
ヒュープの事だから後からいろいろと教えてくれるだろうとも思うし。今はそれよりも美味しい花を選ぶのが先だ。
でも、食用花がないからどれが美味しいかなんて分からない。全てを知っていても分からない事だらけだ。
「どうしましょう、これ、おいしいですか?」
色とりどりの花の前で悩んで、赤い花びらを突いてみる。瑞々しい花びらはしっとりとしていて、甘い香りが僅かに漂ってくる。たぶん、美味しそうだ。
「きめました。おはな、ほかのおはなも」
一つを決められてほっとして、他の花もと選ぶけどやっぱり難しい。うんうんと悩むのもはじめての体験だし、とても楽しい。尻尾が無意識でご機嫌に揺れていて外の気持ちの良い空気と花の香りをかき混ぜていく。


一生懸命選んで、美味しいと良いなと思いながら両の手の平に色とりどりの花びらを乗せて、落ちない様にゆっくりと運んでヒュープの家に戻ったら朝食の準備が終わっていた。
両手から花びらが落ちない様にぎこちなく歩くラハラにヒュープが軽く笑って、お皿を出してくれる。
「ありがとな。俺が選ぶとワンパターンになりがちでな。うん、良い色だ」
「これ、おいしいですか?」
「そもそも食うもんじゃないから美味くはない。興味があるなら後で好きな花を摘まんでみるといいぞ。味は保証しないけど。よし、手を洗って、ちゃんと美味い飯にしよう」
「おはな、むずかしいです」
「食いもんじゃないからな。ほら、行くぞ」
「はい」
花に興味があったのだけれども、ヒュープからは明らかに美味しくなさそうな言葉しかもらえなかったので、でも、後で庭で一口くらいは囓ってみようと思う。
興味津々な心が耳をぴくぴくさせたらヒュープが笑いながら軽く背中を押してくれた。
背中にあたる手がじんわりと温かくて、嬉しいなあと思う。
ヒュープに出会ってから嬉しい事ばかりだ。
それから、言われたとおりに水で手を洗って、ヒュープが用意してくれた朝食の席に着く。
キッチンの側にある小さなテーブルで、椅子は元からあっただろう普通のものと、ラハラに用意してくれた背もたれのないものが一つ。ここは本当にヒュープ一人で生活している空間だと改めて理解する。
「簡易用の椅子で悪いな、後で用意する。んじゃ、朝食にしよう。いただきます」
「いす、ボクはこれでだいじょうぶです。いただきます」
「俺がお揃いの椅子にしたいから気にしないでくれ。もう古いから新しいのを、ラハラとお揃いで用意する」
「ありがとうございます」
ヒュープの提案が素直に嬉しい。えへ、と微笑めばヒュープも優しく微笑んでくれて、朝食に手をつける。
ラハラ用の朝食じゃ足りないと言ってヒュープが足したのは大ぶりなサンドイッチだった。ラハラのものよりだいぶ大きくて、中身の具材がはみ出している。
大きいサンドイッチだなあと関心しながら見ていたら、おもむろにヒュープが一つを手にとってがぶりと齧りついた。大きな口だ。
「そうか、ラハラにとってはこれも見慣れないものか。味はまあまあだけど、食べてみるか?ちゃんと大きく口を開くんだぞ」
「はい、ちょうせんします」
「おお、挑戦してくれ。中身はベーコンとトマトに、他にあった適当な野菜だ」
大きなサンドイッチのパンは茶色でまあるい。それを二つに切って具材を挟んでいる。
ラハラの口には余るけど、美味しそうに食べるヒュープに興味を引かれてつい手が伸びる。ヒュープは片手で掴んでいるけど、ラハラは両手で持たないと落としてしまう。
両手でしっかりと持って、大きく口を開けて、ひとくち。
「・・・ぷっ、それ、パンしか口に入ってないだろ」
「んん、ん・・・ぱん、おいしいです」
「中身も一緒に食ってくれ。ラハラは口が小さいなあ」
頑張ったけどパンしか口の中に入らなかった。




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