聖域の神子と魔法の石のサンプルです。だいたい40Pくらい分です。





まだ春の空気が遠い夜、咲哉(さくや)はゆっくりと家に帰ろうと、帰りたくないなあと足踏みしていた。
学校帰りで帰宅部だから帰らないとだけど、あの家は暗くてかなり気が進まない。自分の家だけど。
はあ、と息を吐けば白くて、空もどんよりしていて雪が降りそうだ。いっそ降り積もって家を潰してくれればいいのに、なんて現実逃避して、いい加減寒いからしぶしぶと足を進める。
冬の夕暮れは早くて、そろそろ夜になりそうな、そんな時だ。

目の前に犬が座っていた。

いつの間に。驚くけど、犬は近所で飼っている、確かボルゾイって名前のやたら高そうでふわふわしてるやつだ。真っ白で暖かそうで、道の真ん中にお座りしたボルゾイはじっと咲哉を見上げている。
「逃げちゃったの?君のお家は暖かいんだから帰りなよ」
咲哉の家と違ってボルゾイの家は普通の家だ。こんな大きな犬を三匹も飼っているから大きい家だけど。
犬だけど声をかければボルゾイが口を開いた。
「ようやく見つけましたよ、聖域の神子。私と共にきて頂きます。拒否権はありませんからね」
喋った。人の音で、ちゃんと聞き取れて・・・なんか偉そうで。ボルゾイなのに、と思う前にちょっと腹が立ったのでぺしりと頭を叩く。
ああ、触った感触はイイ感じだ。
「何するんですか。私は尊い聖なる霊獣なのですよ!」
「うわ、ホントに喋ってるんだ。お隣さんのワンコ、偉そうだなあ」
「違います!私は霊獣、神聖なる神の使いです!」
くわっとボルゾイ、いや、喋るしお隣さん家の犬でもなさそうなのでモドキ、になるのだろうか。
ボルゾイモドキが吠えるけど、咲哉は気にせず叩いた頭を撫でる。大型犬の頭は撫でるのに丁度良いサイズなのだ。しかも怒っているのに尻尾が振られているんだからやっぱり犬だと思う。
「ちょっと止めて下さいよ。いいですか神子、今から私と共にラトマーシュへ・・・」
犬が何か言ってる。しかも単語がファンタジーっぽい。うーん、これは咲哉の見ている幻覚なのだろうか。
確かに家に帰りたくないなあとは思っていたけど、こんな幻覚もあるのか。すごいな自分。
「聞いているのですか?早く行きますよ」
「どこに?」
「聞いていなかったのですか神子。私と共にラトマーシュへ行くのです・・・痛いですよ!」
「だって偉そうだからつい」
「ついで私の頭を叩かないで下さい!何なんですかさっきから叩いたり撫でたり」
「えー、だって」
どうせ咲哉の幻覚だろうし。道端で幻覚を見て叩いて撫でるくらいのストレスはあるし。
きゃんきゃんと吠えるボルゾイモドキが咲哉を呆れた目で見上げてくる。そんな目もするのか。
「良いですか、神子。ラトマーシュは衰退する一方であり神子の存在が」
「ねえ、さっきからミコって言ってるけど、それなあに?」
「そんな事も知らないのですか。神子と言うのでですね」
別に説明は聞きたくないけど、咲哉の幻覚にしてはよく喋る。しかも結構イイ声で。
これで偉そうじゃなかったら割と聞き入りそうだけど、そもそも幻だ。
そろそろ現実に帰った方がいいのだろうか。
でも、帰りたくない。
「じゃあ行ってあげる。帰りたくなかったし。連れてってくれるんだよね、その何とかに」
「ラトマーシュです。では行きましょう、皆が待っておりますよ」
待っているのか。そんな訳ないのに。
ボルゾイモドキは満足げに頷いて、尻尾を振りながら立ち上がる。やっぱり犬だ。
背中の辺りも撫でたら気持良さそうだなと思って手を伸ばしたら、咲哉の世界が、暗転した。

いきなり暗くなって驚いて、目を開けたらもう全てが変わっていた。
寒い帰り道じゃない。なんだ、ここは。

「ええと・・・ジャングル?嘘でしょ」

ジャングルの中だった。ボルゾイモドキを撫でようと手を伸ばした体勢のまま、咲哉はジャングルに立っている。幻覚もここまでくれば・・・なんて思えない。
「あっつ!ジャングルだ!ホントに暑い!」
じわじわと暑くなってコートを脱ぐ。制服の、ブレザーだって脱いで、ネクタイも取った所でようやく気づいた。所持品がない。カバンもサイフも携帯電話も。
「なんなのいったい・・・なんで、ジャングル・・・え、嘘」
コートとブレザーを腕に抱えてまた気づいてしまった。抱えた腕から地面らしき場所が透けて見えてしまったのだ。
慌てて全身を確認すれば、半透明になっている。これじゃあクラゲじゃないか。
しかも立っている地面も変だ。
「ガラス玉がいっぱい・・・石、なのかな・・・」
恐らくジャングルの地面だろう場所には見渡す限り、ガラス玉みたいな綺麗な石が敷き詰められているのだ。
色取り取りで、全てが指先くらいの大きさで、整然と敷き詰められているのではなく、まるで雪が降ったみたいな積もり方をしている。
恐る恐る足を動かせばじゃり、と音がする。やっぱり石だ。そしてクラゲの咲哉はちゃんと触れるらしい。
しゃがみ込んでガラス玉の一つを摘み上げてみる。
ガラス玉は青色で、完全な丸じゃない。楕円形に近くて、ちょっとボコボコしている。
綺麗だけど、どうしてだかガラス玉の内側に模様が浮かんでいた。他のガラス玉を見れば、たぶん全部に模様がある。
「細かっ。これ全部にあるの?模様、みたいだけど」
見渡す限りに敷き詰められているのに。
どんな数だと呆然としていれば指先で摘んでいたガラス玉がするりと、溶けた。

『力をあげるよ、神域に選ばれた神子に力と知恵を、あげるよ』

「え・・・ちょ、うわっ」
溶けたガラス玉に気づくか気づかないか。数秒もない時間の中で、心の中に音が響いた。でも咲哉の心の邪魔にはならない、不思議な音だった。
音に驚いていたら周りに積もっていた色取り取りの石が、消えてしまった。全部じゃない、けれど、ほとんど全てが。

消えた石が勝手に咲哉の心の中に入り込む。
音もなく温度もなく、気持悪くはないけど気持悪い。
だって音がする。沢山の音が心に響いて、勝手に引き出しを作って綺麗に仕舞っていって、そんなの頼んでもいないのに、ガラス玉は好き勝手な事を咲哉に伝えて溶けていく。
全て聞き取れた訳じゃないけど、心の中に大きなタンスができて、沢山の引き出しができて、勝手に綺麗に仕舞われてしまった。
「・・・魔法石、って言うの。魔法が使える人工石・・・僕も、使える?」
勝手に仕舞われたガラス玉が自らを『魔法石』だと名乗って、魔法と言う力の存在を教えてくれた。
咲哉にも使えるよと囁いている。でも全部溶けたじゃないか。いや、違う。
「残ってるのも結構あるんだね・・・これは、水の魔法。飲み水を出してくれる」
全部溶けていなかった。しゃがんだままの咲哉の側にも遠くにも数十個くらいの単位で地面に落ちている。
近くの、水色の魔法石を取れば心の中で教えてくれる。
飲み水を出す魔法石だと。内側に浮かんでいる模様は詠唱だと。詠唱を唱えて魔力を注げば発動するのだと。
「僕が魔法って・・・げ、現実逃避の、マボロシ・・・」
そう思いたいのに思えない。
試しに魔法石の内側に浮かぶ模様を読み上げて、魔力って何だと思えば勝手に教えてくれて、飲み水が出た。
ふわりと溢れる、水だ。
綺麗な水はコップ一杯くらいの量で止まった。
「うっわ、僕、魔法使いだ・・・嘘だあ・・・あはは・・・」
夢にしたってあり得ない。
呆然として水の出た魔法石を眺めて、心の中のタンスが勝手に教えてくれる。咲哉の持つ魔力は中ぐらいだそうだ。知るかそんなの。
心の中の親切な音に悪態を吐いて、また気づいてしまった。地鳴りだ。
割と近くから、どすんどすんと音がする。
何か巨大なものが歩いている様な、そんな音の方を見て。
「もうイヤ。何であんなのまで歩いてんの・・・」
音は真っ直ぐに咲哉の方に近づいてきた。どすんどすんと、地面を揺らしながら近づいてきたそれは、どう見てもゲームや映画で見る様な魔物だった。
かなり大きくて獰猛そうで、お世辞にも可愛いなんて言えない獣みたいな、魔物だ。
明らかに獲物を探している感じで辺りをきょろきょろしながらどすんどすんと歩いて、咲哉の近くを、通り過ぎて、行ってしまった。
「・・・僕、気づかれてない?」
思わず声にして、しまったと思う。魔物に気づかれてしまったかなと。なのに魔物は咲哉を無視したままジャングルの中に歩いて行ってしまった。
これは、ひょっとしなくとも半透明のクラゲだからだろうか。都合がいいけど。
呆然と、のしのしと歩く魔物を見送ってからようやく座ったままだった事に気づいて立ち上がる。
近くに残っていた魔法石を適当に拾ってポケットに詰めて、コートとジャケットは外したネクタイで結んで。
「一人でぼけっとしてても、しょうがないもんね。ここ、ホントにどこなんだろ」
飲み水は魔法で出せるし、見渡す中でも美味しそうな果物が見えるし、心の中のタンスが勝手に食べられるよだの酸っぱいよだのと教えてもくれる。
帰宅途中だったからお腹はそれなりに減っていて、甘くて美味しいよと言う果物を直ぐ近くの木から採って、囓る。
「美味しい・・・」
心の中の声だか音だかはとても優秀だ。
もぐもぐと囓って満足して、草木の生い茂るジャングルの中を咲哉は歩き出した。



『神域の神子と魔法の石』



人間と言うイキモノは意外と頑丈で図太いのだと思う。
どんなに辛くてもお腹は空くし、ストレスが溜まったって生きていける。
果物は美味しいし魚を焼いただけでも嬉しい。

いきなりジャングルのど真ん中らしき所にいて、魔法が使える様になって、クラゲみたいに半透明になっても、咲哉は元気だ。しかも割と快適である。

咲哉がジャングルにきて、もう五日も経った。

このジャングル、結構な広さらしく、未だに密林の中を泳ぐ様に移動する日々だ。でも心の中の魔法石がいろいろと教えてくれて、なぜか身体も動けて、熱さと湿気を除けば割と快適で楽しい。

食べ物は果物と魚のいる湖があって、飲み水は魔法で出せる。火も出せるから焼き魚だって食べられる。
二日目には魚のいる湖近くに拠点を決めて、脱いだままのコートとブレザーを置いている。魔物と動物しかいないし、魔法で結界も貼っているから安全だ。
しかもこの結界、害のない小動物は通してくれるから、リスみたいな可愛い癒やしも確保できている。癒やしのお礼は木の実だ。
「しかもここ、遺跡みたいなんだよねえ。ナイフがあって助かっちゃった」
咲哉が拠点としている湖の側は、どうやら大昔に人が生活していたと思われる跡があった。石畳が少しだけ残っていたり、柱の残骸があったり。柱の残骸は丁度良い高さなのでテーブルにとして使っている。
石畳も柱も半分以上は木に埋もれているけど、湖の側だけは少し拓けていて錆びたナイフとよく分からない道具の成れの果てを発見した。
ナイフは魔法で研ぎ直せると教えてもらって、対応する魔法石は既に拾っていたからラッキーだった。魚だけじゃなくて果物だって切りたい。皮が美味しくないのもある。
「さてと、少し歩いてみようかな。そろそろ拠点も移動しないとだね」
喋る人間は咲哉一人きり。独り言が増えたけど寂しさはない。
元々一人が好きだし、ここは家じゃない。
煩い人も逃げる人もいないし、咲哉とあの人を比べたがる大人達もいない。快適だ。

朝ご飯の、何の味付けもしていない焼き魚と甘い果物を食べた咲哉は腕を捲ってジャングルを見る。
この拠点での生活はだいたい四日くらい。そろそろ違う場所に移動して別の魔法石も見つけたい。
できれば遺跡っぽいのも見つけて、違う道具もあったらなあ、とも思っている。
「すっかり馴染んじゃったよねえ僕。楽しいけど・・・きっと誰も心配なんかしてないだろうし」
ジャングルの中を歩きながらちょっと思い出してみる。
口うるさくてちょっとオカシイ母と、逃げるばっかりで家にいない父。昔はたぶん普通の家族だったんだろうけど、そんな記憶はない。
物心つく前から、咲哉は優秀で何でもできる兄のオマケで、いなくてもいい子だった。一歳年上の兄は咲哉から見ても本当に何でもできた。でも、もう兄はいない。だから家には帰りたくない。
咲哉を見て溜息しか落とさない、何をするにも未だに兄と比べられる生活なんてうんざりだ。
だから咲哉は一人を好む。人を嫌う。みんな同じだ。
咲哉を見ると兄を思い出して勝手に比べてがっかりして、嫌いだ。だから、咲哉は一人が好き。
このジャングルに着の身着のまま放り出されている今が、魔法と心のタンスの助けもあって、とても快適だ。
もうこのままでも良いかも。なんて思いながら草をかき分けつつ歩いて、心の中の音が教えてくれる。
近くに魔物がいると。それも咲哉を襲う種類だと。
「一人は快適だけど身の危険はいただけないよね。ほんっと魔法石サマサマだね」
咲哉は魔物の気配なんて分からないけど、勝手に教えてくれるしポケットに入れている魔法石で木登りだってできる。詠唱を覚えていないから一つ一つ取り出して探す必要はあるけど、見つけ出せれば直ぐに魔法を発動させて、座りやすい木の枝まで身体を浮かばせる。
魔法石は身につけているか、咲哉の直ぐ側にあれば発動するみたいで、詠唱を覚えればこんな風に一つ一つ確認しながらじゃなくても使えるみたいだ。
この五日間で沢山吸い込んで、拾って、役立ちそうな石をズボンのポケットに入れている。
そうそう、どうして魔物が危険だと教えてくれるのかと言えば、半透明だったクラゲの咲哉は一昨日辺りから普通の人になった。
もう身体のどこも透けていなくて、石を吸い込まなくなった。まるで器がいっぱいになったみたいに。
それでも吸い込んだ魔法石の数は膨大で、ちょっと数えられないくらいだ。
「拾った魔法石も沢山だけどね。どれどれ、ああ、あの魔物は凶暴そうだよね。恨みはないけど、僕の身の安全の為に、ごめんね」
クラゲから人間に進化した咲哉は魔物にも大きな動物にも狙われる様になった。でも心のタンスが危険を教えてくれて、こうやって木の上から強力な魔法でさくっと倒せる。素晴らしい。
ただ残念なのは咲哉の魔力は中ぐらいなので、強力な魔法は一日数回が限度だ。一回使うだけでも結構疲れる。
「よし、仕留めた。これで暫くは安全かな。お腹空いちゃったから早めにお昼ご飯にしようかな~。お肉食べたいけど、流石に捌く勇気はないし、魚捕まえよっと」
不思議な事に倒した魔物はどんなに大きくても消えてなくなる。不思議イキモノだ。あんな獰猛そうで大きい死体があっても困るだけだから助かるけど。
魔物が消えたのを確認して、木から下りて、きたばかりだけど拠点に戻る。
すっかり咲哉の巣になっている拠点には集めた魔法石と、葉っぱでできた布団に拾った木の枝とナイフらしき刃物だけ。それだけでも暮らしていける。
魔法の力で湖に入らなくても魚を捕まえられるし、果物を握ってジュースにする事も覚えた。コップはないけど木の葉を上手い具合にすれば完成だ。
「我ながら楽しんでるし満喫しちゃってるよね、これ。もうそろそろ夢かなって思うのもどうかと、ねえ」
魚を焼きながら、たき火の側に座ってまた独り言を呟く。

だってもう五日目。現実逃避でも夢でもないとは分かっているのだ。
食べ物は自分で採らなきゃいけないし、足を動かして歩かないと何も分からないし、襲われる危険もある。ジャングルだからスコールまであって、屋根がない。大きい葉っぱで傘らしきものは作ったけど、咲哉一人が小さくしゃがんで、かろうじて雨を避けられるくらいだ。
そんな厳しい大自然の中だから、流石に現実を見なくちゃなと思う。
でもこのジャングルは大きくてまだ終わりが見えない。人の気配もない。
「・・・一生、このまま・・・それは、ちょっと」
人は嫌いだけど、流石に一人きりは寂しい。今の所は快適だけど、もっと月日が経ったら寂しく、なるのだろうか。
考えてみても寂しさよりも人並みの生活ができなくなる方がイヤだなと思ってしまった。
美味しいご飯が食べたいし、お風呂に入りたいし、湖で洗っているだけの服もどうにかしたい。できれば娯楽もほしい。
「ゲームはいらないけど本は欲しいな。遺跡っぽいから探せばあるのかな・・・・ん?」
だったら本格的に遺跡でも探そうか、と考えていたら、遠くから音がした。
魔物でも動物でもない。何の音だろうと思えば心の中からするりと言葉が出てくる。
「魔法石を使った音・・・攻撃魔法・・・誰か、いるの?」
魔法石は魔物も動物も使わないと教えてくれる。これを使えるのは人間だけだ。
あの音は、咲哉以外の人間がいると告げている。
立ち上がって音のした方を見れば遠くで水柱が立った。強い魔法だ。誰かが魔物とでも戦っているんだろう。
水柱の次は火柱になって、咲哉より強い魔法を続けて使う人は、さらに光の魔法を使って、勝ったみたいだ。
「何だ残念。やっぱり人がいるんだね、ここにも。でもお肉食べたいしお風呂も入りたいし・・・ちゃんと人間なのかな。どんな人なのかな」
咲哉一人だけの世界は終了したみたいだ。
だって遠くに見えていた水柱は火柱になると咲哉に近づいて、光の時はもっと近くなってる。きっと向こうは分かっているんだろう。一人だけの世界も良かったけど、一人がいいけど、人の存在があれば少しくらいは寂しく思うし、いろいろと恋しい。
魔物には勝ったから真っ直ぐくるのかな、とジャングルの茂みを見ていれば遠くから足音がした。
やっぱり咲哉の存在を知っているんだ。

どきどきする。

「ったく、てめぇの所為だろうがよ!ほんっと役立たずだな霊獣のくせによ!」
「聖なる霊獣を侮辱するのですか!そもそも貴方の迎えが遅いのが悪いのですよ!」
「俺の所為にすんなよすげえ急いできたんだぞ!そもそもだなあ!」
声も聞こえてきた。怒鳴ってる、だいぶ口が悪い、男の人だ。一緒にボルゾイモドキの声までしてる。
ああ、あれも一緒だったんだ。最初から見かけなかったから、あんまりにもいろいろな事に驚いていたから綺麗さっぱり忘れてた。
一人と一匹はぎゃんぎゃん怒鳴りあいながらどんどん咲哉の方に近づいてくる。そろそろ焼き魚が食べ頃だ。
お腹も減っているし、どうしようかなと声のする方を見ていたらジャングルの茂みから、人と、ボルゾイモドキが出てきて、咲哉を見つけて、一人と一匹は目を見開いて驚いている。

真っ白だったボルゾイモドキはなんでか知らないけど煤けて汚れていて、男の人はまだ若い、たぶん二十代くらいの人だった。
意思疎通のできそうな人で良かったけど、妙に恰好良くて派手だ。
背が高くてがっしりしてて、長い金色の髪をポニーテールにしてる。腰くらいまで伸びてそうな綺麗な髪だ。
顔の造りはまだよく見えないけど、明らかに恰好良いオーラが出てるから美形なんだと思う。
そして、衣装が面白い。上は膝上くらいの着物みたいな白い服で綺麗な青色の帯を締めている。下は黒い、ぴったりとしたタイツみたいなズボンで、膝までのブーツだ。それに大きな剣を持っていて、ずかずかと咲哉の方に向かってくる。
「うっわ、生きてた。すげえな神子。しかも美味そうなの食ってんなー。果物くれ」
「やっと見つけましたよ!勝手に動かないで下さい、散々探したんですからね」
「主に俺が探したんだろうが」
驚いていたのに咲哉を見つけたら直ぐに言い合いながら寄ってくる。
咲哉だって驚いてる。この人、遠目でも派手だったのに近づくともっと凄い。美形なのはもちろん、衣装も派手だ。
白い着物みたいな上着にも帯にもブーツにも剣にまで宝石が飾られて・・・あれ、飾っている石は全部魔法石だ。こんなに身につけていると言う事は魔法をバリバリ使う人なんだろうか。
はじめて見る人を観察していたら直ぐ側まで近寄られてしまった。妙に煤けて汚れているボルゾイモドキも一緒だ。
「ええと、誰?それと、僕が起きた時にいなかったのに偉そうな事言わないで。そもそも君が僕をここに連れてきたんじゃないの?もう五日目だよ、いーつーかーめ!」
派手な人の方はともかく、ボルゾイモドキには文句を伝えてスッキリする。
忘れていたけどボルゾイモドキが咲哉をこんな快適なジャングルに連れてきたんじゃないのかと。
「五日も一人でいたのか。すげえな神子。よく無事だった、凄いぞ」
ボルゾイモドキに文句を言ったのに派手な人がイイ笑顔で褒めちぎってくれた。良い人なので果物を幾つか持って渡してあげる。
「ありがと。あげる」
「サンキュ」
ううん、やっぱり美形で大きい人だ。こんな人もいるんだなあと見上げて、ひょっとしたらこの世界の人はみんなこうなのかな、とも驚く。お礼の言い方まで恰好良い。
ひっそりと驚きながら感心していたら足元にお座りしているボルゾイモドキから情けない音がする。お腹の鳴る音だ。
「お腹減ってるの?沢山あるからあげるけど・・・果物食べるの?」
「食べますよ。頂きます」
「そう?じゃあ、あげる」
お腹が減っているから素直だ。お座りしているボルゾイモドキの前に果物を置けばしゃくしゃくとイイ音で食べてる。犬って果物食べるんだ。
こうして黙って食べている姿は可愛いなと思うけど、汚れているから撫でるのは止めておく。
「それで、お兄さんと、君は何者なの?ここがどこだか知っているの?」
ボルゾイモドキの食べる音を聞きながら派手な人を見上げる。どう考えても食べるのに夢中で答えてくれなさそうだから。
派手な人も果物を囓っているけど咲哉の視線に気づいて答えてくれた。
「俺はイークスの王、カレンだ。神域の神子を一人で迎えにきた凄いヤツな。よろしく、神子、でいいんだよな」
「僕に聞かれても困るし、名前以外の単語が分かんないよ・・・王様なの?」
「おう。王様だぞ。そうだったな、神子は違う世界からくるって話だし、衣装も違うな。じゃあその辺りを説明するから、まずはここから出て街に行かないか?」
「まち・・・あったんだ」
「あるぞ。結構でかい街で、ここから出て直ぐだ。どうだ?でかい風呂と美味い飯、それに新しい衣装を提供するぜ。その魚、もう炭になっちまってるぞ」
「あ、僕のお昼ご飯!」
そうだった。魚を焼いていたのにすっかり忘れていた。炭じゃあ食べられないじゃないか、もったいない。
慌てて炭になった魚の前にしゃがみこめばカレンが肩を叩いてくれる。誰の所為だ。
でも美味しいご飯とお風呂は惹かれる。街には惹かれないけど、いや、ちょっと見たい。咲哉にだって好奇心はある。しゃがんだままカレンを見れば手の平を差し出してくるから、ぺちん、と叩く。
「よし、そうこなくっちゃな。んで、名前は?」
「僕は咲哉だよ。カレン、って呼んでいいのかな?」
「おう、呼んでくれ。咲哉」
呼び捨てていいらしい。結構な年上の人に見えるけど、その辺りは世界の違いなのだろうか。
だったら荷物を纏めないといけないなと、立ち上がってから気づく。まだしゃくしゃくと音を立てているボルゾイモドキにも名前があるんだろうか。
「ねえ、君の名前はなに?」
「ありませんよ、そんなもの。私はこの世界唯一の聖なる霊獣なのです。霊獣様と敬いなさい」
「食べたら元気になったねえ」
「魔物に追いかけられて泣いてたクセにな」
「あ、そうだったんだ。想像できるなー」
「ちょっと煩いですよ」
咲哉が声をかければようやく満足したらしく、小さくゲップなんかして偉そうにしてる。呆れるけど、カレンの言葉に納得して、考える。
霊獣ってなんだ。なんか偉そうな感じだけど、敬う気にはならない。
カレンをちらりと見上げれば咲哉と同じ様な顔になっている。
「色が白いからシロでいいよね。ねえ、すっごい汚れているから湖で洗ってきなよ」
「良い名前だな、シロ。その姿で下々の前に姿を出すのはマズイんじゃねぇのか」
犬みたいだから名前を考えてあげて、カレンも頷いたのにキーキー騒がれた。だってそれくらいしか思い浮かばない。でも汚れているのは分かっていたらしく騒ぎながら湖の方に歩いて行った。割と素直だ。
咲哉も荷物を纏めようかなと置きっぱなしのコートの方に向かえばカレンも着いてくる。嫌な感じはしないから放っておいたら溜め込んでいた魔法石を見て口笛を吹かれた。美形はなにをしてもサマになるなあ。
「それ全部魔法石か」
「うん、面白そうなのと、役に立つのを拾っておいたんだ。そう言えばカレンもいっぱい身につけてるよね・・・あれ?」
近くてよく見て気づいた。カレンの身につけている魔法石は、全て石の表面に彫り物がある。石を削って、中に浮かぶ詠唱を掘っているのだ。身につけている魔法石の全てに。
詠唱は中に浮かんでいるし、表面に傷があるから威力が減っているじゃないか。
「どうした?」
「あ、うん。何で詠唱を掘ってるのかなって。中に浮かんでるよね」
「ああ、浮かんでいると言われているな。そうか、咲哉には見えるんだな」
「う、うん?」
見えるけど、カレンの言い方が妙だ。
不思議に思えば懐から緑色の魔法石を取り出して見せてくれる。これにも詠唱が掘ってあって、ああ、あと数回で割れそうだ。
とても便利な魔法石だけど、どうやら使用回数があるみたいなのだ。拾った石の中にも新品と使用済みのがあって、内側にあと何回使えるよ、とも書いてある。
カレンに告げれば少し驚かれて、苦笑された。
「聖域の神子なんだなって。内側の詠唱が見えるヤツはまあまあいるんだが、使用回数まで見えるのは神子だけだ。本当に、存在するんだな・・・」
「微妙に褒められてない気がするけど、その神域の神子ってなあに」
「ああ、ここが神域で、神域には異世界から神子が降りるって古い言い伝えがあってな。咲哉は言い伝え通りの神子って訳だ」
「えー・・・」
嬉しくない。なんか偉そうだし大変そうじゃないか。
正直に嫌そうな顔をすればカレンがちょっと目を見開いて、声を上げて笑う。
「そんな顔すんなって。何となく気持は察するけどな。そう言えば咲哉は魔法が使えるのか?」
「使えるよ。あんまり凄いのは疲れちゃうから使えないけど、そうじゃなかったらこんな所で呑気に魚なんか焼いてないでしょ」
「それもそうだな」
こんなジャングルで、人がいなくて危険な魔物や動物のいる所で。魔法があったから快適に暮らしていたのだ。
でも、最初に魔法石を吸い込んだ事は言えなかった。
信じてもらえなさそうじゃなくて、ちょっと怖かったからだ。神域だの神子だのと言われた戸惑いもある。
ん?そう言えば神域ってこのジャングルなのか。聖なる場所じゃないのか。
「イークス所有の神域だぞ。言いたい事は分かるが、イークスの神域は人間を拒むんだ。だから動植物と魔物の世界になってんだな。ジャングルなのも人の手が入らないからだぞ」
「そうなんだ。よく分からないけど、ううん、後で聞いてもいい?」
「もちろん。咲哉の荷物はこの妙な衣装と石で良いのか?袋を持っているからそれに入れてくれ。俺が運んでやる」
「ありがと。遠慮なく甘えるよ」
「これくらいで礼はいらねぇよ」
疑問が沢山だけど、まずは街に行かないとお風呂とご飯にありつけない。
カレンが帯につけてた小さいバッグから薄くて大きな袋を出してくれる。便利だ。しかもはじめて見る人間的な道具だ。
有り難く使わせてもらって、暑いからと置きっぱなしにしていたコートとジャケットにネクタイと、集めた魔法石を詰める。魔法石はそれなりの数だから結構な重さだけど、カレンは軽々と肩に担いでくれたから良いのだろう。見た目通り力持ちみたいだし。

カレンが歩き出すので着いて行って、湖から綺麗になったボルゾイモドキ、シロも合流する。やっと白くなった。
綺麗になってご機嫌らしく尻尾を振っている。
やっぱり犬だ。
「外に出るには歩いて二時間と少しって所だな。休みは入れるが辛くなったら言ってくれ。運ぶぜ?」
「肩に担いで?」
「それでも構わねぇが、咲哉くらいなら片手で持てそうだな。シロは持たねぇぞ」
「持たれたくなんてありません!早く行きますよ、私はこんな場所にいたくないのです」
「魔物に追いかけられちまうもんな」
「煩いですよ!」
カレンの向かう方に歩きながらふと思う。おっきくて力持ちのカレンは咲哉から見れば大人の人だ。まだ若そうだけど、年が気になる。
歩きながら見ていたら視線があって、ああ、綺麗な海の色の瞳だなと感心する。派手だけど、とても綺麗だ。
「ねえ、カレンって何歳?僕は十七だよ」
「お、丁度十コ下なんだな。俺は二十七だぜ」
「やっぱり大人の人だった」
「そうそう、大人のイイ男な」
それは否定できないので自ら言わないでほしい。その代わりにいろいろ気になっているから、歩きながら質問してみる。ここの事はさっき聞いたけど、まだまだ何も知らないのだ。
「ねえねえ、質問、が沢山あるんだけど、何から聞こうか迷っちゃう」
「でけぇ独り言に聞こえるぞ、それ」
「だっていきなりだったから。人がいるんだろうなあって思ってたけど、五日も一人だったんだよ。快適だったけど」
「快適って言い切ったか。すげえな咲哉は。そうだな、じゃあ神子の話にするか?」
「んー、それはあんまり聞きたくない。僕そんなに偉い人じゃないし。あ、魔法石の話!」
「実際に偉いんだが、実用性が先か」
だって神子だなんて確実に偉そうだし、困る。それよりも沢山ある不思議な石の方が興味がある。
カレンの身につけている、表面に詠唱が掘ってある石も気になる。
詠唱は内側に浮かんでいる方で見えるし、心の中のタンスがどんな魔法が発動するのかも、どれだけ疲れるのかも教えてくれる。
カレンの身につけている魔法石は全て咲哉じゃあ疲れて使えないものばかりだ。きっと強いんだろう。
「咲哉の方が分かっているかもしんねぇけど、この石がねぇと魔法が使えない。全ての魔法がこの石に入ってる。古代人の残した遺産だな。んで、石の内側に詠唱が浮かんで見えるって話だが、それが見えるのはごく僅かなヤツだけなのさ。しかも、そのごく僅かなヤツも簡単な詠唱しか見えねぇんだ。俺は一切何も見えねぇな」
「見えないんだ・・・それが見えるから、神子なの?」
「そうだな。どう言う具合で見えるのかは知らねぇが、実際に見えてるんだろ、咲哉には」
「うん」
「だから神子なのさ。ま、そう嫌そうな顔すんなって。三食昼寝付きオヤツ付きの生活を保障するぜ?」
「ご飯、美味しい?」
「もちろん、って言いてぇんだが、咲哉の好みを知らん。食ってみてのお楽しみだな」
それもそうか。
まだ人が作った料理を見ていないから何とも言えない。それにカレンは魔法石の話は詳しくないらしい。使えるのに。
「使えるのと知ってるのとじゃだいぶ違うぜ。そっちは詳しいのが別にいるから今度な」
「すっごく詳しく知りたい訳じゃないからいいよ。んーと」
聞きたい事は沢山あってもまとまらない。
うんうん唸っていれば近くの魔物に狙われていると心の中のタンスが教えてくれる。心の中のタンスが親切に教えてくれる、とは言えないけど魔物に襲われるのも、とちょっと迷っていたら、カレンが剣を構えて何やら詠唱している。
カレンの心の中にもタンスが、ある訳がないか。シロは全く気づかずに前を歩いていて、危ないので尻尾を持って引き留める。騒がれるけど、直ぐにカレンの詠唱に気づいて縮こまった。こっちは本当に犬だ。
詠唱を聞けばまた心の中のタンスが勝手にどんな魔法かも教えてくれる。カレンの剣にある魔法石を使った、風の遠距離魔法だ。かなり強いやつで、発動した風の魔法は一度空に向かってから狙った魔物を一撃で倒した。
「よし、これでいいだろ。んで、何の質問だったか」
「思いつかないから考え中だよ。カレン強いね」
「一応これでも最強だからな。国でだけど」
「ホントに強い人だった。あ、そうだ。カレンの国について聞きたい!」
「おう、イークスだな。イークスは大陸の南西にある中規模国家になる。ここら辺は亜熱帯で、今から向かう方は砂漠地帯だ。その先に草原地帯があって海の側に王都がある」
カレンがいれば安全そうだ。興味が湧いたのでカレンの国について聞けば詳しく教えてくれる。


そのまま歩き続けて、カレンから質問される事もあって、日が傾く頃にようやくジャングルの終わりが見えた。
足が棒だ。
「向こう側が聖域の外だ。何も変わねぇが砂漠地帯になるな。乗り物に乗るからもう少し辛抱してくれ」
「カレンはほんっと頑丈なんだね・・・シロなんか尻尾下がっちゃってるよ」
「う、煩いですよ。私は聖なる・・・」
「はいはい。それはもう聞き飽きたし。聖なるれーじゅーと歩きっぱなしで疲れちゃったのは関係ないでしょ」
「貴方だって疲れてるくせに」
「うん、疲れてる。でもまだ歩けるよーだ」
疲れているシロの頭を撫でればちょっと尻尾が揺れる。何だかんだ言っても割と可愛い犬だ。犬じゃないとは思うけど、咲哉にはもう犬にしか見えない。
そんな咲哉とシロのやり取りと見ていたカレンは足を止めて何やら詠唱している。
咲哉の知らない詠唱だ。心の中のタンスも反応しない。
「聖域に出入りする為の呪いですよ。詠唱じゃあありません。あれは選ばれし者だけが唱える事のできるものですよ」
「そんなお呪い?があるんだ。ん?選ばれし?」
「カレンにお聞きなさい。私は疲れました。マッサージを希望します」
「マッサージなんか希望するんだ。あ、終わったみたい」
のんびりとシロと話していたらカレンのお呪いが終わったけど、特に何の変化もない。
ジャングルの終わりと、その向こうに見える砂漠っぽい所が妙にくっきり別れているなあと思うくらいだ。
その分かれ目がカレンのお呪いと関係しているんだろうか。
「俺にゃあ関係あるが咲哉とシロには関係ないと思うぜ。行くぞ」
「う、うん。んーと、カレンだけが関係するの?」
「するかもしんねぇって話だな。聖域と砂漠との切れ目がハッキリしてんだろ。だから念のために唱えてるんだ。なんかあったらイヤだしな」
「それもそうだね」
今歩いている場所はまだジャングルで、切れ目はもう少し先だ。そんなものなのかなとは思うけど、心の中のタンスが反応しないなら咲哉にはさっぱり分からない。
そもそもここの事がほぼ全て分からないのだ。気にしても仕方がないなとカレンと一緒に歩いて砂漠に出た。

そして。
「カレン陛下!ご無事で何よりです!」
砂漠で待っていたらしい沢山の人に出迎えられた。
たぶん百人はいそうな人達がカレンみたいな衣装を着ていて、全員が砂漠に膝をついてる。かなり怖い。
そっとカレンの背中に隠れれば小さく笑われて、これでも王様なんだぞと言われる。
そうだった、カレンは王様だった。偉い人だった。
「すっごい沢山いる・・・みんなおっきい・・・」
「精鋭部隊だからしょうがねぇな。大げさなんだが、ま、勘弁してくれ」
「勘弁・・・む、無理かも・・・僕、この人達の前に、で、出るの?」
こんなに大勢の前に出るのはかなり気が進まない。
カレンの背中に隠れたままこそこそと話していたら大勢の人達がざわついてる。
それもそうか。でも、嫌だなあ。
「諦めろ。ほれ、神子を連れてきたぞ。あんま騒ぐなよ」
「わっ、ちょっと、酷いよカレン!」
嫌がってたらカレンに押し出されてしまった。大きな背中から一歩飛び出して、大勢の人の前に出てしまう。
その瞬間、わっと大きな声が、歓声だ。雄叫びだ。全員が膝をついたまま万歳をして・・・帰りたい。ジャングルに帰りたい。
あんまりにも声が大きくて、でもカレンに背中を押さえられて隠れられないから袖を掴む。
「ちょ、ちょっと、カレン・・・」
「騒ぐなって言ったのによお。お前ら!やかましい!」
怯えていたらカレンが怒鳴って、やっと静かになった。
でも視線は咲哉に一点集中で落ち着かない。逃げたい。
引き続きカレンの袖を掴んでいればやれやれと肩を竦められる。
しょうがないじゃないか。ここにきてはじめて見る沢山の人達が全員咲哉に集中しているのだ。
小さな声で何とかしてよとお願いすれば無理だとそっけなく言われるのでカレンの足を踏みつける。
「いてっ。ったく、咲哉は人見知りか。しょがねぇなあ」
「しょうがなくなんてないし、人見知りだよ。すっごく人見知るんだよ」
「なんだそれ」
そもそも人が多いのも嫌なのだ。足を踏んでもあんまり効かなかったから、袖をぐいぐい引っ張って訴えれば見ている人達がざわめいている。カレンが偉い人だからだろうけど、咲哉も必死だ。
カレンなら少しの間でだいぶ慣れたけど、いきなりこんなには無理、慣れても無理かもしれないけど。
ねえねえと袖をぐいぐい引っ張り続けていたらカレンが根負けして、小さく溜息なんか落としてる。
「分かった分かった、それ以上引っ張られると脱げちまうだろ。おーい、ラクダ持ってきてくれ。あと神子はこんな感じで恥ずかしいんだと。近寄って脅かすんじゃねーぞ!」
「は、恥ずかしくはないよ・・・」
嫌なだけで。一応小さく抗議してみるけど、ざわめきが可愛いなあ、と言う空気に変わったので駄目だと思う。
カレンを睨んでも効き目はないし、そうこうしている内に大きな人がラクダを引っ張ってきてくれた。
ラクダ、ここにもいるんだ。
大きな人はカレンの部下らしくて、ちゃんと言いつけ通り咲哉の側には近寄らず、膝をついて顔もあげない。そこまでしなくてもいいんだけど、ここで声を掛けると控えている大勢も騒ぎそうなので止める。
小さくありがとうと告げればカレンに頭を撫でられて、大きな人は慌てた様子で走って行ってしまった。
「もう、頭くしゃくしゃにしないでよね。これ、乗るの?」
「ああ、全員ラクダで移動だ。街は近いっちゃあ近いんだがラクダの方が速い」
「それもそうだね」
カレンが手綱を持てば待機している人達もわらわらと後ろの方に待たせてあったラクダに乗っている。
咲哉はもちろん一人じゃ乗れないからカレンが乗せてくれた。
「わ、高いよ。凄いね、こんなに高いんだ。カレンも一緒なんだ」
「一人で乗りこなせるって言うんなら俺は降りるが?」
「分かってて言ってるでしょ。いいですよーだ」
そう大きくない動物だけど、乗るとかなり視線が高くなる。乗り心地も悪くなくて、はしゃいでいたらカレンがするりと後ろに乗った。まあそうなるよな、とは思うけど何か忘れている気もする。
「あ、シロは?」
「シロならあっち。荷物と一緒」
「いつの間に・・・」
「アイツ、普段は王宮で食っちゃ寝してんだよ」
「すっごい想像できる」
ジャングルから出てから姿がないなと、ようやく思い出して聞いてみればとっくにラクダに乗ってた。
犬なのに。専用っぽい椅子の上で偉そうに。ちゃんと後ろには手綱を持つ大きな人がいる。
「よっしゃあ、出発だ!」
カレンの号令で大人数が移動だ。
まだ沢山の視線は感じるけどカレンがすぐ側にいるからなのか、あんまり気にならない。
今は視線よりも歩き出した、ジャングル以外の景色が気になる。
砂漠地帯ではあるけど、地平線まで続く訳じゃなくて、遠くに見えるのは草原だ。街の姿もぼんやりと見える。
当たり前だけど、空気も空も咲哉が知っているものじゃない。風は乾いていて熱くて、空の色が少し濃い。でも、青空だ。そして、ラクダの歩く砂の大地はなぜか石畳みたいな音がする。
「砂じゃなくて石畳があるんだね。ジャングルみたい」
「そのジャングルから続いてるんだぜ、ずっとな。大昔、古代の主要街道だったらしいが今は砂に埋もれてるし途切れも多い。大まかな目安だな」
「ふうん。そう言えばジャングルも古代の遺跡って言ってたよね。遺跡の成れの果てみたいだったけど」
「古代がどれくらい前なのか、詳しくは記録にもねぇんだよなあ。魔法石も古代遺跡の一つなんだが、こっちもさっぱり不明だ。そもそも俺らにゃあ使いこなせてねぇ部分が多いからな」
「表面に詠唱掘ってるもんね。でも使ってるんでしょ」
「そりゃあ魔法がなけりゃあ生活そのものが成り立たねぇからな。詳しく知りてぇなら専門のヤツを呼ぶが、基本的に古代に関するほぼ全てが闇の中だ。残った少ない記録で何とか今の俺らが生きてるって感じだな」
はあ、何とも壮大で大変そうな話だ。
まだ人の暮らす街がどんな所かは知らないけど、カレンの言い方だと古代遺産に乗っかって生きているとしか思えない。
実際に歩く砂漠も古代の指標を目印にしているし、魔法石もきっと同じなんだろう。危険な動物や魔物だっているのに、生きるだけでも大変そうだ。
「魔物が出るのは人里離れた場所だけだぞ。ジャングルが例外。そもそも奴等、何でか知らねぇが人の多い所を嫌ってるんだよな。人が少なければ襲って食うのに」
「僕も人の多い所は嫌だよ。食べないけど」
「食われたら困る」
それもそうか。でも人が多い所もこんな風に注目されるのも嫌だとちゃんと訴える。そうじゃないとこれから大変そうだ。
「へいへい。できるだけ善処はするが、まー多少は勘弁な」
「多少の度合いにもよるよ」
「分かった分かった。その都度訴えてくれ。ただあのジャングルみてぇなのは無理だぞ」
「分かってるよ。少しなら・・・お腹減った」
一生懸命訴えてはいるけど、どうもカレンにはあんまり届いていなさそうだしお腹も減った。
お昼ご飯の魚は食べられなかったし、沢山歩いたのだ。ぐう、と鳴く腹をさすればカレンのお腹からもイイ音がする。


ラクダでの移動は快適で、周りの視線さえ気にしなければ短くて楽しい旅だった。
そう思えたのも街に入るまでだったけど。


咲哉は神域の神子で、魔法石の中身が見える人だ。
この世界の人達にとっては待ち焦がれて焦がれて待ちすぎて燃え尽きた存在、になるらしい。
そんな神子が王と一緒にラクダに乗って街に入った。
うん、そりゃあもう大騒ぎだった。
通りには人が溢れて花びらなんか舞い上がって、歓声の、悲鳴みたいな声しか聞こえなくて。
カレンの上着を奪って隠れようとしても誰も咲哉を責められないと思う。折角の、はじめての街も全く見ていない。
切ない。

「俺は責めるぞ。すげえ引っ張るからぐちゃぐちゃじゃねーか」
「だ、だって、すごかったんだよ、何あの人たち、怖い・・・」
「そりゃあ五百年ぶりくらいの神子だしな。ま、離宮に入ったからもう一般人は立ち入り禁止だし、必要最小限の人間だけを近づける様にすっから・・・咲哉、そこは衣装部屋だからとりあえず出てこい。風呂入って飯食うんだろ」
「やだ。こわい」
しかもカレンに連れられて入ったのは離宮と言う、やたらでっかい建物だった。
もう外観なんて全く記憶にないくらいに怯えていた咲哉は案内された部屋の、一番狭くて落ち着きそうな所に逃げて引きこもりである。
衣装部屋だと言うけど、それだって咲哉の部屋より大きいのだ。
衣装は沢山あるからやや狭く感じて、とても落ち着く。しばらく出たくない。案内された部屋も広くて人がいっぱいだったからだ。
「さーくーや、ほれ、出てこーい。出て風呂入れー。イイ匂いの洗剤とか置いてあるぞー。もちろん咲哉一人だぞー」
「ううう。お風呂・・・」
お風呂は入りたい。洗剤があるならちゃんと洗いたい。ジャングルでは一応湖で洗っていたけど、それだけだ。
匂いはそんなにしないと思いたいけど、お風呂は惹かれる。
しゃがみこんで衣装の影に隠れていたけど、そろそろと這い出て扉の前まで近寄る。
鍵なんてない扉だけど、無理矢理開けないのはカレンの優しさだ。
それはとても有り難いけど、カレンのいる大きな部屋には沢山の人の声がしてる。全員が神子だの魔法石だのと騒いでいる。
「そっちの部屋、人、たくさん・・・」
「何で片言なんだよ。どんだけ人見知るんだ咲哉は」
「だって多すぎるんだもん」
「わーった。俺だけにするからちょっと待ってろ。お前ら、暫く外で待機なー」
カレンが部屋の中の人達に言ってくれたら文句を言われてるけど、直ぐに怒鳴ったみたいだ。
カレンの怒鳴り声は怖くなくて、むしろ王様なのに文句を言われるんだと感心していたら沢山の人の声がなくなった。心の中のタンスはこう言う時に全く役に立たないから気配は分からない。でも。
「俺だけになったぞ。出て風呂入れ。ほかほかの美味い飯も待ってるぜ」
「・・・分かった。お風呂入る」
カレンを信じて、そっと扉を開けて大きい部屋を覗いてみる。
直ぐ側にカレンがしゃがんでいて、後ろには、誰もいないみたいだ。よかった。
ほっとすればカレンが肩を竦めて立ち上がる。
「だからいないって言ったじゃねーか。風呂案内するぞ。同じ部屋だ」
「うん」
まだしゃがんでる咲哉に手を差し出してくれるから掴まって、お風呂に案内してもらった。
同じ部屋にお風呂まであるなんて、どんな広さなんだろうか。人がいなくなってようやく部屋の中を落ち着いて見られて、興味深い。
砂漠地帯をラクダで歩いてきたけど、この離宮は亜熱帯と草原地帯で混じっているみたいだ。大きな窓の外から見える緑がそんな感じである。
この部屋はやたら大きいリビングみたいな場所と、隠れてた衣装部屋、それにお風呂まである。他にも扉があるからまだ部屋があるんだろう。
「広いね、ここ。お風呂も大きいの?」
「おお、広いぜ。王宮のが広いけどな」
「おうきゅう・・・そっか、王様だもんね」
「そ、王様だからな。だからそんな顔すんなっての。極力他人は近づけねーって」
「そうしてくれると、助かるよ・・・あんなにいっぱい、無理、絶対に、無理」
「重ねて言うな。ここが風呂だ。服は適当に脱いでそこのカゴに放り込んどけ。新しい服はそっち。着方が分かんねぇんなら俺を呼べ、待ってる。それと、腹も減ってるだろうから果物と飲み物置いてあるぜ。好きに使って好きに食え」
至れり尽くせりだ。口は悪いけどカレンはとても頼りになる。
案内されたお風呂はやっぱり広くて大きくて、脱衣所だけでもちょっとしたリビングみたいだ。だって椅子もテーブルもある。こんな広い場所を咲哉一人で使ってもいいんだろうか。
脱衣所に入ってぽつんと立って、ちょっと寂しい。
カレンを見ればなぜかニヤニヤしてる。
「ん?広いと寂しくなるのか?一緒に入って背中でも洗ってやろうか?」
「いらないですー・・・でも、ありがとね」
「おう。礼は有り難く受けとっておくぜ。ゆっくり癒やしてこい」
泳いでもいいぜ、とニヤニヤしていたカレンが優しく微笑んで、咲哉の肩を叩くと外に出て扉を閉めた。
肩を叩かれたと言うよりも撫でられたくらいの感触がとても優しく感じる。出会ったばかりなのに優しくて気も遣ってくれて、素直に有り難い。
たぶん咲哉が神子だと言う存在だからだろうけど、それでもいい。あまりにも状況が変わりすぎてついていけないのだ。

服を脱いでカゴに放り込んで、広い場所で落ち着かないからそそくさと浴室に入って、はー、と溜息を落とす。
「今朝まではジャングルで一人だったのになあ・・・素っ裸で湖で泳いでたのに、おんなじ日にこんな立派なお風呂だもん。すごいなあ、カレンの言う通り泳げる広さだ」
しかも果物と飲み物も湯船の側にちゃあんと用意してあった。
湯船は床をくり抜いていて広くて、なみなみと湯が張ってあるし、既に溢れてる。浴室全体に薄く湯が張る仕組みみたいだ。
果物と飲み物は湯船の側に小さなテーブルがあって、その上に綺麗に置かれている。うん、全部大理石っぽいのはもう凄いなあとしか思わないし、綺麗でもある。
こんな綺麗な湯にいくら水で洗っているとは言え、このまま飛び込むのは嫌だから、洗い場を探せば小さな木の椅子が置かれた場所があった。
シャワーはないみたいで、手桶とタライみたいな木の容器がある。近くには洗剤らしきボトルもあった。
「おお、洗剤だ。やっと洗える」
かなり嬉しい。うきうきと木の椅子に座って、ボトルの蓋を開ける。花の匂いだ。素晴らしい。
何で洗うんだろうと近くを見ればスポンジみたいなのも置いてあった。
嬉しくなって、たぶん何かの植物だろうと思われるスポンジに洗剤を垂らして揉み込む。
泡だ。この世界で一番嬉しいかもしれない初体験だ。
「あわあわ・・・あれ、髪の毛もこれなのかな?」
洗剤は一種類しか置いてないから、きっとこれで全部洗うんだろう。今までを思えば全く問題ない。
あわあわと溢れるくらいに作った泡を頭に乗せて、少し置いておきながら身体も洗う。ううん、気持良くて勝手に笑ってしまう。
「やっぱり洗剤って大切だよね。はあ、気持良い、匂いも良いし、綺麗さっぱり」
気が済むまで髪も身体も洗って、溢れてる浴槽から湯をとって遠慮なくざばざばと流す。幸せだ。
頭から足の先まで花の匂いになったけど、それも良い。
幸せ気分のまま広い浴槽に沈めばもっと幸せ気分だ。
足を伸ばして両手も伸ばして、お湯って素晴らしい。
「は~・・・幸せ・・・」
改めて声に出して幸せを実感して、ようやくテーブルに置いてある果物と飲み物を思い出す。
お腹も減っているからと、広い浴槽をすすすと泳いでテーブルの側まで行く。
小さなテーブルには浴室なのに冷えた果物と飲み物があった。果物はジャングルでも見かけるやつと、知らないやつ。南国フルーツっぽいのが山盛りで、綺麗なガラスの器に入ってる。
飲み物もガラスのコップに入っているのと、側には瓶でも違うジュースが用意してあって、氷まである。
「はじめて見る人間らしい飲み物だ・・・氷まであるし。すごいなあ」
でもどうやって冷やして氷を作っているんだろう。
見た所ここは温暖で寒さなんか感じないのに。
これも魔法なのだろうかと、ジャングルにもあった木の実を摘みながら器やコップを眺めて、気づいた。
あちこちに小さな、魔法石みたいな石が置いてある。
表面に詠唱みたいなものが掘られているけど、中には何も浮かんでいない。ただの綺麗な青い石に模様が刻んであるだけ。これも魔法石なのだろうか。
つんつん、と突いてみても温度は感じなくて、心の中のタンスも無言だ。
「カレンに聞いてみようかな。うん、美味しい」
飲み物も果物の甘さだけじゃない、砂糖や蜂蜜みたいな味も感じてとても美味しい。
遠慮なくコップの中身を飲み干して、瓶の方も頂く。
少しお腹が満足した。
「それにしても、いろいろと訳分からないよね・・・僕、やっぱり変な所にきちゃった、でいいんだよねえ。もう帰れなさそうだし帰りたくはないけど、どうなるのかな」
今まで快適でも割と必死にジャングルで一人生活していて、ようやく人に出会ってこんな豪華な所に連れてこられて、未来が全く見えない。

そもそもここはどこなのだろうか。咲哉はどんな状態なのだろうか。
湯船にぷかりと仰向けで浮かびながら、この身体の事もようやく考える余裕ができた。
だって、何も持っていなかったのだ。あの時持っていた鞄も、ポケットに入れていた携帯電話もサイフも、何もかも。
制服のまま、咲哉はクラゲみたいに半透明で、沢山の魔法石を吸い込んだ。
「・・・あんまり良い考えにならなそうだから、止めよ」
まだ現実逃避をしていたい気持で、あの家には帰りたくない。
ここでの生活がずっと続くとしても咲哉は慌てない。
ただ、いろいろと気にはなるし思うところもある。
考えれば考えるほど思考の深みに落ちそうで、ぷかりと浮かんだまま足でもってぱしゃぱしゃと移動して、頭を湯船の端にぶつけて止まる。今はまだ、あんまり考えたくはない。
「まだお腹減ってるし、カレンにご飯もらおう。そうしよう。それから・・・後で、考えればいいかな」
しばらくはここにいる事になりそうだし、まずは暖かくて、ちゃんと調理してあるご飯が食べたい。
ざぱりと湯船から出て気持を切り替える。
ついでにテーブルに置いてあった不思議な青い石も一つ持って浴室から出た。



お風呂の素晴らしさですっかり忘れていたけど、ここの衣装は咲哉の服とは全く違うらしい。
脱衣所の目立つ所に替えの衣装が置いてあった。
清潔な服はとても有り難いけど、着方が分からない。
下着とズボンはかろうじて分かるけど。
「何でタイツみたいな素材なんだろ、パンツもズボンも。レギンス?」
不思議すぎる素材の下着は咲哉から見るとボクサータイプのものだ。生地が伸びるからサイズはぴったりで違和感はない。不思議だ。ズボンも膝丈のレギンスでぴったりだ。動きやすいし快適である。
でも、上が全く違う。カレンが着ていた着物みたいなやつで、咲哉に用意されていたのは淡い水色のやつだ。
どうやら二枚を重ねて着るらしく、下に濃い青を、上に淡い水色の着物になるみたいだ。
何で分かるかと言えば、淡い水色の方の袖に沢山刺繍がしてあるからで、たぶんこっちが上着なんだろうな、くらいだけど。
「やっぱり着物みたい。あ、良かった。青い方は結ぶ紐がある」
青い方を着て、前開きになっている所を見ていたら甚平みたいな紐があって、結べばそれなりになった。
軽くて薄い生地だから快適だ。
前は着物みたいな開き方で、袖は長くてひらひらしてる。振り袖よりは短いけど、形が着物みたいだけど生地は軽くて動きやすい。
次に淡い水色の着物を羽織って、困る。
こっちには紐がない。そして、最後に帯らしき黒くて長い、綺麗な布が残っている。
「んー・・・駄目だ。分かんない」
ここまで着られただけでも良いだろう。
さっさと諦めて脱衣所の扉を開く。カレンを呼んで教えてもらおう。でも、待っていたのはカレンだけじゃなかった。

広いリビングみたいな部屋の、脱衣所に近いソファとテーブルでカレンと誰かが喋ってる。思わず脱衣所の扉を半分閉めて後ろに隠れた。
「お、出てきたな、って、何で隠れんだよ。さーくや、大丈夫だから出てこいって」
「だって、増えてる」
「こいつは大丈夫。紹介すっから出てこい。服は着られたのか?」
「途中まで。帯、みたいなのが分かんないよ。どうすればいいの、これ」
「腰で結べばいいぜ。どれ、結んでやるからこっちこい。サンダルも置いてあるから履いてこいよ」
出ないと駄目みたいだ。カレンだけかと思ったけど、王様が一人だけで待っているのも確かに不自然かもしれない。
一人だけみたいだし、しぶしぶサンダルを引っかけてリビングに入ってカレンの方に向かう。
部屋が広すぎて咲哉のサンダルの音だけがするけど、カレンの笑い声も響いてる。
「髪くらいちゃんと乾かしてこいって。魔法石あっただろーが」
「そんなの知らないし、ちゃんと拭いたからいいよ。それよりも、これ」
「へいへい。帯な」
中途半端に衣装を着ている咲哉を笑っているのではなくて、歩き方がおかしかったらしい。
けらけら笑いながら咲哉の差し出す黒い帯を受けとって、王様自ら、しかも身長差があるから膝をついて締めてくれる。
なる程、浴衣みたいに締めるのか。後ろで結ばれたから咲哉にはどうなっているのか分からないけど、苦しくなくて動きやすい。
「よし、似合ってるぞ」
ようやくきちんと衣装を着られて、カレンが満足そうに立ち上がってソファに戻る。
手招きされるから咲哉もソファに近づいて、知らない人に微笑まれた。
カレンもだいぶ派手な美形だけど、こっちの人もかなり綺麗だ。
「イークス指南役のヴェルダだ。こいつは信用して大丈夫なヤツ。ついでに腕っ節もイイから何があっても安心していられるぜ」
綺麗な人、ヴェルダはカレンに簡単な紹介をされるとソファから立ち上がって、咲哉の前までくると膝をついて見上げてきた。
うう、綺麗な人ばかりだ。
ツヤツヤの黒髪とか、透き通った紫色の瞳とか、色まで綺麗だ。髪は咲哉より少し長いくらいで、片方の目を隠す様な髪型をしている。綺麗な人はどんな髪型でも似合うと感心する。
「はじめまして、神域の神子、咲哉。私はイークス指南役のヴェルダです。どうぞ宜しくお願い致しますね。最初にお伝えしますが、指南役は全ての者を敬称なしで呼ぶのです。ご了承下さい」
別に敬称なんていらないけど、近くで綺麗な人に微笑まれると威力がすごい。
しかもこのヴェルダと言う人、綺麗なのに迫力がある。見た目はカレンより結構年上みたいだ。四十代くらいだろうか。
「う・・・よ、宜しくお願いします」
迫力に押されて半歩後ずさりながら小さく頭を下げる。ちょっと怖い人だ。カレンとは全く違うなと思えば、ソファから笑い声が聞こえてくる。
「いや、悪りぃ悪りぃ。咲哉、こっち座れ。ヴェルダはそっち」
「はいはい。畏まりましたよ、カレン」
あれ、カレンの事もそのまま呼ぶのか。全ての者にと言っていたけど、王様にも適用されるらしい。今まで陛下だのカレン様だのと言う悲鳴をいっぱい聞いてきたから不思議な気持だ。
カレンの隣に座って、ヴェルダは向かい側に座る。
「今飯も運ばせる。食いながらちょっとした説明だな。咲哉、好き嫌いは・・・分かんねぇか」
「うん、どんな食べ物かもまだ知らないもん。でも、カレン、お風呂はいいの?」
咲哉は綺麗になったけど、待っていていてくれたカレンはまだジャングルから戻ったままだ。
そんなに汚れてはいないけど咲哉だけ綺麗になって申し訳ない。隣に座るカレンを見上げれば気にするなと軽く答えられた。
「俺は今から入る。ヴェルダ、説明よろしくな」
「はい、どうぞごゆっくり。咲哉、私が相手ですみませんが簡単な説明をしますね」
「う、うん」
ちゃんと咲哉を待っていてくれたカレンに文句はない、でも、ちょっと不安だ。
ヴェルダは嫌な人には見えないけど何となく怖い感じがする。正面に座っているヴェルダをそれとなく見ればふわりと微笑まれて、うん、美人さんだ。でも迫力もある。なぜそう思うんだろう。
「では、はずは食事を運びましょう。簡単なものですが沢山食べて下さいね。一人だけでは食べづらいでしょうから、私も頂きます」
気も遣ってくれる人だ。カレンがさっきまで咲哉が入っていたお風呂に行って、ヴェルダは部屋の外に食事を、取りに行ってくれたのだろうか。
そうか、咲哉が沢山の人を嫌がったからヴェルダが取りに行ってくれたのか。申し訳ないなと思う気持はあるけど、あの大勢の人の視線はまだ忘れられない。
ぶるりと身体を震わせれば直ぐに銀色のトレイを持ったヴェルダが戻ってきた。
「さ、どうぞ。サンドイッチとステーキ、ライスと、直ぐにご用意できる簡単なものですみません。飲み物は紅茶、緑茶、珈琲に果物のジュース。食後のデザートにクッキーとケーキもありますよ」
「わ、すごい。美味しそう」
銀色のトレイは大きくて、上には沢山の料理が少しずつ乗っていた。
湯気の出ている、ちゃんと料理してある食べ物だ!
見た感じは洋食だろうか。ライスは細長いお米だけど久しぶりに見る主食っぽいやつで嬉しい。飲み物も沢山あって、お茶の種類が多いみたいだ。しかもデザートまである。
目の前にトレイごと置かれて、食べて良いですよと勧められるから早速サンドイッチを手に取って囓る。
「お、おいしい・・・久しぶりの、ちゃんとした料理だ・・・」
「ふふ。そんなに美味しそうに食べて貰えて、サンドイッチも幸せですね」
「僕も幸せ・・・」
だってジャングルは快適だったけど、食べ物は果物と何の味付けもない焼き魚だけだったのだ。
一口大のサンドイッチなんて咲哉には作れないし、味もいい。もぐもぐと幸せな気持でサンドイッチを頬張って、次々と食べられる。
お肉も細長いお米も美味しい。その他にも一口くらいの量でいろいろと盛りつけてあった洋食みたいな料理もいい味だ。お腹がそんなに減っていなくても美味しく頂ける料理達だと思う。
「咲哉の口に合って良かった。ゆっくり沢山食べて下さいね。足りなければ直ぐに追加をお持ちしますから」
「これで大丈夫だよ」
お腹は減っているけどそんなに沢山は食べられない。
少々お行儀が悪いけど、もぐもぐしながら微笑ましく咲哉を眺めているヴェルダにお礼を告げれば小さく笑われた。ヴェルダは微笑みじゃなくて普通に笑うと怖い感じがなくなる人みたいだ。
「食べながらで良いので幾つか説明をしますね。話半分くらいで聞いて下さい。恐らく同じ様な説明を繰り返す事になるでしょうから」
「うん」
ここにも緑茶があって美味しくて嬉しい。
遠慮なくもぐもぐしながらヴェルダが説明をしてくれる。どうやら咲哉が全く違う世界からきていると言うのは皆が知っているらしい。
何でそんなに当たり前に知っているんだろうと不思議に思えば、そう言う伝承の様なものがあって、誰もが知っているお伽噺にもなっているのだとと教えてくれた。
「今から五百年程前ですね。他の世界から神子が舞い降りたとの記録があるのですよ。ただ、五百年程なのか、それ以前なのか、記録が曖昧で正確には分からないのです。最もこの世界は全てがそんな感じなのですがね」
その話はカレンがちょっとしていたと思う。ふんふんと聞き入ればヴェルダの説明が進んで、咲哉もちょいちょい質問を挟んで教えてもらう。
「そもそも、この世界は記録が全くない程の昔にあった古代文明の遺産の上に成り立っています。この離宮も聖域も、途中の道も、全てが古代文明の遺産の一部です。最も知られているのは魔法石の存在ですね。
けれど、文明は滅び、何もかもがいつの間にか消えていました。彼らがどの様に生活していたのか、どうして滅びたのか。なぜ聖域があるのかも、我々には分からないのですよ」
ただ分かるのは、古代文明が果てしなく発展していたと言う事と、各地に聖域が存在する事、そして、魔法を使える様になる魔法石の存在だ。
「他にもいろいろありますが、やはり魔法石が最重要ですね。我々の生活には欠かせないものになっているので、存在するのが当然なのですよ。けれど、私達は魔法石だと知る事はできても、何の魔法が入っているかは分からないのです。魔法石の中に詠唱の文字が浮かんでいると言われていますが、今はごく僅かな者だけがぼんやりと認識できるだけです」
魔法はこの世界の基盤になる力らしい。確かにお風呂にも魔法石があった。あのジャングル、聖域にも山ほどあった。そして、中に浮かぶ詠唱が見えないから外側に掘っているんだとも言う。
あれ、見えないのに掘れる?
「ふふ、ぼんやりと認識できる者がいると言ったでしょう。その者達が過去の記録と照らし合わせて、中に浮かぶ詠唱を導き出すのです。もちろん詠唱は様々な言葉で紡がれていますから正解を引き当てるには大変な努力と根気が必要です。この大変な苦労をする方々を、総じて『鑑定士』と呼んでいます。そして、ここで神子の存在が重要になるのです」
何となく分かった。咲哉は魔法石の中身が見えるから、きっと神子とはそう言う存在なんだろう。
甘いチーズケーキみたいなのをもぐもぐしながら聞いてみれば正解だと頷かれた。
「以前の神子も魔法石の鑑定ができたそうです。そして、古代から残る数少ない文献にも神子の存在が記されています。人の願いが霊獣を創り、霊獣が神子を引き寄せる、神子は人々に知恵をもたらし世界を潤す、とね。おとぎ話の類ですが、この国にも数年前に霊獣が突然現れ、咲哉がここにいる。まあ、そう言う事ですね」
「はあ・・・ホントにおとぎ話みたいだね。ん?じゃあシロってまだ子供なんだ」
「しろ?」
「ああ、霊獣だよ。名前がないって言うから色が白いしシロって呼ぶ事にしたんだ」
「なる程、ではシロは三歳ですよ」
ああ、納得した、だからあんな感じなのか。いや、あれが素の性格なのかもしれない。それでもいいけど。
うんうんと頷いていればヴェルダが不思議そうにするけど、直ぐに微笑んで説明はこれで終わりですなんて言う。
「もう終わり?何にもわかんないんだけど・・・」
「これから嫌でも何度も聞くことになるから大丈夫ですよ。それに、まだ離宮にきたばかりですしね。その辺りは追々説明致します」
「はあ・・・」
今の説明と咲哉の経験から見て分かったのは、この世界はやっぱりファンタジーな感じで、魔法が使えるけど魔法石がいろいろと便利で不便、くらいだろうか。
「あ、そうだ。魔法石で思い出したよ。ヴェルダ、この石も魔法石なの?」
魔法石で浴室から持ち出した石を思い出した。
中に詠唱の浮かんでいないやつだ。袖の中に入れておいたのを取り出して、テーブルの上に置く。
「ええ、魔法石ですが、ひょっとして咲哉には詠唱が見えていないのですね」
「うん。でも表面には掘ってあるから不思議だなって」
あと心のタンスも反応しないから。
これは言えないけど。
つんつん、と不思議な魔法石らしきものを突いてヴェルダの方に押す。ヴェルダは軽く頷くと咲哉が押した魔法石を持ち上げた。
「咲哉には直ぐに分かるのですね。ええ、これは我々が今の技術で創った魔法石ですよ。ただ古代から残る石に比べていろいろと脆いので、主に日常で使用する生活用品の一種しか創れませんが」
「え、創れるの?」
「はい、創っていますよ、沢山。この世界は魔法の上に成り立っていますからね。店も沢山ありますよ」
いっぱいあるのか。そうか、だから魔法石の中が見えなくても、いや、何か変だ。
だって、創れるなら咲哉は別にいなくてもいいんじゃないのだろうか。あんなに大勢に注目されなくても。
「だいたい咲哉の考えが分かりますが、我々の創る魔法石はとても弱いものだけです。鍋の湯を沸かしたり、水を少しだけ出したり、冷やしたり。攻撃用の石は創れませんし、少しでも威力が大きい物もまた創れません。かろうじて日常生活を送れる程の、些細な物なのですよ」
些細でも日常生活が送れればいいんじゃないかなと思うけど、ヴェルダ達にとっては大変な事、なのだろうか。ファンタジーな世界には魔法がないと駄目なんだろう。
「僕の世界に魔法なんてなかったから、その辺りはよく分からないや」
「え、魔法がないのですか?」
つい魔法なんてないのに、なんて口走ればはじめてヴェルダの表情が崩れた。とても驚いて咲哉の方に身を乗り出している。そんなに驚かなくても。
「う、うん。ないよ。僕、魔法使ったのはジャ・・・聖域ではじめてだし、魔法がなくても困ってなかったよ」
その代わりに科学の力があったけど。これは説明できないから何とも言えない。だって咲哉に電気の理屈を説明しろと言われても無理だからだ。
何となくその辺りはごにょごにょと説明すればヴェルダはあんまり納得しなかった。それもそうだ。
「咲哉は全く違う世界からきたのですね・・・なぜ魔法を使えるのですか?」
「・・・石が教えてくれたから」
それもまだ言えない。嘘じゃないけど、これもぼやかせば今度は納得してくれた。それでいいんだろうか。
咲哉は神子だから。それで全てが納得できると笑ってくれる。神子ってすごい。
まあ実際に教えてはくれているけど。
でも詠唱の浮かんでいない魔法石は教えてくれないから使えないと告げればこれも納得してくれた。すんなり納得してくれるのは助かるけど、微妙な気持にもなれる。

「つーかよ、ひょっとしたら咲哉って俺らの文字を文字って認識してねーんじゃねぇのか。使えないんじゃなくて、それ、詠唱読めれば誰でも使える類いのモンだぞ」
カレンがお風呂から出たみたいだ。
いつの間にか近くまできてて・・・美形ってズルイなと思う。髪はポニーテールじゃなくて下ろしてて、衣装の色を変えただけなのに見惚れてしまう。
白い上着から青色になっただけなのに。ブーツじゃなくてサンダルになっただけなのに。
さらさらと流れる金色の髪はもう完全に乾いていて、見惚れている間に咲哉の隣に座る。美形は同じ洗剤を使ったはずなのに匂いまでいいなと思ってしまう。
「ああ、その可能性があったんですね。妙な所で鋭いですね、カレン」
「やかましいわ。で、咲哉。文字読めねぇんだろ?」
隣に座ったカレンは勝手に冷たい果物ジュースを飲みながら魔法石を指差す。
これ、文字だったんだ。たぶんそうだろうなあとは思っていたけど、咲哉から見たら完全に模様だ。
「うん。文字なのも知らなかったよ。これ、みんな普通に読める文字なの?」
「ああ、読めるし書ける。つー事は、咲哉は読めても書けねぇって事になるな」
「そうなるのかな。書いた事ないから分からないけど・・・書いてみる?」
今度は残っていたサンドイッチを食べはじめるカレンにヴェルダが溜息を落として席を外した。カレンの分も持ってきてくれるみたいだ。
部屋から出て行きながら、この文字は全ての国で使用されているから読めない人はいませんよ、とも教えてくれる。
ヴェルダが外に行っている間に、カレンもサンドイッチを囓りながらどこかに行くと紙とペンを持ってきた。
ペンは咲哉の知っているペンじゃない、ファンタジーの世界らしく羽根ペンとインク壺だ。
「ほれ、紙とペン。んで、魔法石は、どうすっかな。ああ、咲哉の溜め込んでたのがいいか。ちょっと待ってろ」
「う、うん。あ、待って。僕持ったままの石があるよ。そのままカゴに入れちゃったから持ってくるね」
そのままお風呂に入って置きっぱなしだ。あれも便利だからそのまま洗濯してしまうには、ああ、洗濯しても石だから大丈夫かもしれないけど。
咲哉の溜め込んだ魔法石はコートやジャケットと一緒に大きな袋に入れてカレンに預けっぱなしだ。そっちも後で説明しなきゃなと思いつつ引き続き勝手に食べてるカレンを置いて脱衣所に入る。
さっき服を脱ぎ入れたカゴを探して・・・驚いた。
「服が消えてる・・・石だけ残ってるよ・・・ええ、な、何で」
カゴは直ぐに分かったけど、どうしてだか咲哉の着ていた服が全部消えている。誰かが持って行ったとは思わない。だってカレンしか入っていないし、魔法石はそのままカゴの底に残っているから。ちなみに、カレンの着ていた衣装は違うカゴにかなり乱暴に突っ込んである。
「僕の服だけ・・・」
綺麗さっぱり消えている。
底に取り残された魔法石を拾って、少し考える。今までの事と合わせればあんまり良い想像は浮かばない。
でも、きっと良くない想像が事実になるんだろうなあとも思う。
「そう言う事、なのかな・・・」
この世界で目覚めた時に所持品は全てなかった。
身体は半透明で沢山の魔法石を吸い込んで透けなくなって、脱いだ服が消えてしまった。
きっと、咲哉は咲哉のままこの世界にきていない。魂とか、そんな感じだったから半透明だったんだろう。
じゃあ、魂の抜けた身体は、あのまま元の世界で倒れているのだろうか。
「さーくやー!何かあったかー?」
「ううん、何もないよ。直ぐ戻る」
考えていたらカレンに呼ばれたので早足でリビングのソファに戻る。
今は考える時間じゃない。後でこっそり考えよう。

思い浮かんだ考えを心の奥に無理矢理仕舞って、両手に魔法石を握ってカレンの所に戻る。
ヴェルダも戻っていて、新しい料理とデザートが追加されていた。また違う種類でこっちも美味しそうだ。
「咲哉も食べて下さいね」
「うん、ありがと。これが僕が持ってきた魔法石だよ。いろいろ便利なんだ」
「溜め込んでたのも結構あったよな」
「いっぱいあったから面白そうなのと、便利なのを集めてたんだよ。これなんか凄いよ、飲み水を出せるの。美味しいんだよ」
「へえ、そりゃ面白いな」
「その様な魔法石も存在していたのですね。咲哉、魔法を使えるのですか?」
「うん、使えるよ。でもあんまり強いのは疲れちゃうから駄目なんだ。カレンは使えると思うけど、ヴェルダも強い人?」
「こいつは何でも使えるぜ。魔法に関しちゃ俺より上だ」
こっちも強い人だった。
ああ、そう言えばまだヴェルダがどんな人かも聞いていない。後で聞いてみよう。

まだまだ聞きたい事はいっぱいあるけど、まずは魔法を使ってみる。
飲み水を出す魔法水はとても便利なので何度も使っていた。欠点はコップがないと飲めないくらいだけど、空いているコップがあるから問題ない。
魔法石をテーブルに置いて詠唱すれば直ぐに飲み水が咲哉の手から溢れてくる。そのままコップに注げば完成だ。
「こんな感じだよ・・・二人とも、どうしたの?」
簡単な魔法なのに二人がとても驚いている。
カレンもヴェルダもだ。
ひょっとしたら珍しい魔法だったのかなと思えばカレンが大きく息を吐いてソファに沈み込んだ。
「驚いた。ああ、その様子だと何に驚いてるのかも分からねぇよな。咲哉、俺らは魔法石を身につけていないと魔法を使えない。そんな風にテーブルの上に置いてたんじゃあ発動しねえんだ」
「例外はありません。必ず、衣装やアクセサリーとして身につけなければ発動しないのですよ」
「・・・え?」
そんな馬鹿な。だって咲哉は身につけているのはもちろん、少しくらいだったら離れていても発動できるのに。
今度は咲哉が驚けば、カレンが帯に着けてあった根付けみたいな魔法石のアクセサリーを外して、テーブルの上に置く。
魔法石は緑色で、風の力で身を守る、壁みたいなものを出すやつだ。
ここで発動しても問題ない魔法で、カレンは詠唱するけど・・・本当だ。発動しない。
心の中のタンスがカレンの魔力が魔法石に届いていないと教えてくれる。じゃあ何で咲哉は発動するんだろうかと思えば、また勝手に教えてくれる。
咲哉の場合は魔法石を沢山吸い込んでいるから、魔力の届く範囲が違うのだそうだ。そう言う事はもっと早くに教えてほしかった。
「な、発動しないだろ」
「うん。カレンの魔法を見て分かったし、魔法石が教えてくれたよ。カレンの魔力が届かないって。僕はもう少し範囲が広いから届くんだって。あと、その魔法石の使用回数は残り六十七回だよ」
「げ、まじか」
「おや。咲哉には使用回数も分かるのですね。なる程、神子の力になるのでしょうか」
「そうなんだろうな。となると、咲哉、紙に詠唱、書けるか?」
すっかり話が逸れてるけど、元々は詠唱を、文字を書けるかどうかだった。
カレンが紙をとんとん、と指先で叩くでのペンを手に取る。羽根ペンなんてはじめてだ。
「分かった分かった、それも使った事ねぇんだな。適当にインク乗せれば書ける」
「う、分かったよ」
どうしようかな、とカレンを見れば頑張れとインク壺を押しやられる。そりゃあ使い方は何となく分かるけど、緊張するじゃないか。
そろりと羽根ペンの先をインク壺に入れて、真っ黒になってから紙の上に持っていて、飲み水の出る魔法石を見て。するりと、指先が動いた。
「おお、ちゃんと書けるじゃねーか。しかも綺麗な文字だ」
「これは見事ですね」
違うよ、これは咲哉が書いているんじゃなくて心の中のタンスだよ、とはもちろん言えない。
すらすらと、あんまり長くない文字を書いていって、最後に残りの回数も書いてくれる。飲み水の魔法石は新品だったからまだまだ使える。
「書けた・・・すごいや、全然読めないのに」
「書けても読めてねぇのか?それ便利だけど不便だな」
「そうなるのかな。魔法石が教えてくれるんだよ。たぶん書くのも。僕にはよく分からないんだけど、勝手に手が動くみたい」
「自分の事だろーが。ヴェルダ、これ持って鑑定士の所行ってこい。でも騒ぐんじゃねーぞって特大の釘も刺しとけよ」
「もちろんです。では咲哉、いらっしゃって直ぐなのに慌ただしくてすみませんでした。ゆっくりお休み下さいね」
まだペンを持ったままなのにカレンが魔法石と紙をヴェルダに渡して、持って行ってしまった。
あの魔法石はかなりお気に入りなのに。
じいっとカレンを見ればまたお肉を食べながら首を傾げている。
「あの石、お気に入りなの。後で返してくれる?」
「ん?ああ、そうだったのか。悪りぃな。石は見たら直ぐ戻す様に伝えとく。咲哉も食え」
「もう食べたよ。カレンは沢山食べる人なんだねえ」
「そうか?ほれ、デザートなら食えるだろ」
「少し貰うけど・・・」
ヴェルダが出て行って、お休み下さいとは言われたけどいつまでなんだろうか。
全く分からない。
「ねえカレン、質問していい?」
「いいぞ。俺も質問するし」
ジャングルから出る時より疑問が増えて、沢山の人がいる所にきて混乱もしている。

デザートの、アイスみたいな甘い食べ物をスプーンで突きながらとりとめなくカレンに話す。
質問と言うよりは半分くらいは愚痴だけど、咲哉は何も知らないのだ。
カレンはそんな咲哉の文句みたいな質問に一つ一つ丁寧に答えてくれる。この世界の事、カレンの国の事、何回聞いてもよく分からないけど、これはもう自分で体験して覚えるしかないんだろうと思う。

新たに分かったのは、数日後には王都へ移動して咲哉は魔法石の鑑定士になるみたいだ。人がいっぱいいそうな所だけど、カレンが配慮してくれると言ってくれたので今は信じるしかない。

咲哉はどうしても人が多いのが苦手だ。正確には苦手と言うより、信じられないから嫌い、になる。
昔から優秀で何でもできる兄と比べられて、勝手に失望されていた。そんな経験から特に大人が信じられなくて、嫌いだ。
だから沢山の人に、それも大人達に囲まれると気分が悪くなるし逃げたくなる。咲哉は普通の子供なのに、勝手に比べて何でできないんだと怒られるのが嫌だからだ。
今は神子なんて偉い人になったみたいだけど実感はないし、したくもない。これは咲哉の力じゃなくて、心の中のタンスが教えてくれる事だ。

「なる程なあ。優秀な兄ね。ちょっとだけ気持は分かる。俺も上と下が優秀だからなあ。ああ、上が姉で下が弟な。二人とも、両親も含めて鑑定士なんだよ。俺以外の全員が。そーゆー家系なんだ」
「家系?」
「ああ、俺の家は古代人の血を引いてるらしくてな。まあそれを言っちゃあ世界全部がそうなんだが、その中でも俺の家の血は濃いらしくてな。だから鑑定士が多い。俺は突然変異だよ。全く見えん」
「そうなんだ。大変だった?」
「いや、それ程でも。昔っから鑑定より剣の方が好きだし、俺が国王向きだってんで重宝されてたな。咲哉は大変だったみてぇだが」
「大変だよ・・・でも、もういないから、兄さん」
「そうか」
過去形で話す咲哉に察してくれたみたいだ。
ぽんぽん、と頭を撫でられる。
大変で嫌で、だから現実逃避をしてここにきている。

無言になった咲哉にカレンが少し考えてから、静かに口を開く。
「咲哉は、元の世界に帰りたいと言わないんだな。ずっと聖域で一人で、快適だと言ってもいたよな」
快適だった。誰もいなくて清々してた。これが現実かどうか、まあ現実なんだろうけど、あの家にはもう帰りたくない。今でもハッキリと帰りたくないと言える。
カレンの言葉に頷けば柔らかく微笑まれて、肩に手を置かれた。何だろう。
「もし、この先、咲哉が元の世界へ戻りたいと思う時がきたら、全力で協力する。神子がどんな風にきているのかは誰も知らねぇし、魔法石があるから皆が反対もするだろうが、俺は協力する。だから、その時がきたら正直に言ってくれ」
「・・・カレン」
とても柔らかくて優しくて、真剣な声だ。身体の向きを変えて、真っ直ぐに咲哉を見て宣言してくれた。
今は帰りたいとは思わないけど、カレンの言葉が嬉しい。鼻の奥がつんとなって、お礼の言葉が音にならなかったけど、カレンは分かってくれた。
こんなにもカレンの言葉が嬉しいなんて、少しくらいは帰りたいと思う心があるのだろうか。
「湿っぽい話はここまで。咲哉、まずは人に慣れる事からはじめようぜ。これじゃあ遊びにも行けねぇしよ。行くぞ」
「え?」
どこに。まだ鼻の奥が痛いのにカレンはさっさと立ち上がって、懐から何かを取り出した。
ああ、魔法石を飾りにしている髪紐だ。綺麗な細工もあって、簡単に長い髪を一つに纏めて結んだ。
「離宮の案内だ。まだ夕飯まで時間あるし、嫌でも外に出るんだ。安心しろ、注目されるだろうが食われはしねぇよ」
そうして、手を差し出してくれるけど、嫌だ。いっぱいいたじゃないか。
首を横に振れば伸ばした手が勝手に咲哉の腕を掴んで立ち上がらせてしまう。
「い、嫌だよ、いっぱいいるもん」
「見られるだけだっつーの。俺だって見られてんだぞ」
「カレンは王様だもん。気にしてないじゃない」
「咲哉も気にすんな。この部屋だけじゃ退屈で死んじまう。俺が」
「僕は死なないし落ち着くよ」
「却下」
嫌だと訴えても聞いてもらえない。腕を掴まれればカレンの方が力があるし、引っ張られて足が進む。
人が沢山いる所は嫌なのに、どうしても外に出るみたいだ。一応抵抗してみるけど、もちろん意味はなくて、そのままカレンに連れられて部屋の外に出てしまった。




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